映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『ラザロ ―LAZARUS―』3部作<br>スタッフインタビュー

雷魚』(97)、『HYSTERIC』(00)、『YUMENO ユメノ』(04)などの脚本家として知られる井土紀州は、同時に『百年の絶唱』(98)や『LEFT ALONE』(04)といった異色作を手がける監督でもある。メジャーとインディーズの間を自在に行き来しつつ、脚本家として監督として、精力的な活動を続けてきた井土紀州が、学生時代からの盟友・吉岡文平と共に作り上げた最新作がついに公開される。

始まりは京都学生映画祭2003の企画として製作された1本の映画。それはやがて全く異なる団体を巻き込んで2本の続編を生み、『ラザロ ―LAZARUS―』3部作として完成した。1人の映画人と学生の熱意の塊が、劇場公開作として結晶するまでにはどのような経緯があったのか。井土紀州(脚本・監督)、吉岡文平(プロデューサー)、吉川正文(宣伝)の3人に聞いた。

――『蒼ざめたる馬』の撮影が始まったのが2003年9月ということですが、当時井土さんはどんなお仕事をされていたんですか。

井土 『LEFT ALONE』の編集で迷路にはまりこんでました(笑)。あとは、映画にならなかったですが、いまおかしんじ監督のシナリオを書いてましたね。

――『ラザロ』の前に、スピリチュアル・ムービーズで劇映画を製作したことはあったんですか。

井土 具体化しなかったんですが、『百年の絶唱』の後に吉岡と2人でシナリオを書いた『ブルーギル』という企画がありました。当時はまだデジタルに対して拒否感があって、フイルム撮影で何とかならないかと画策しましけど、形にはならなかったですね。

吉岡 営業でまわったプロデューサーに勿体ないと言われました。良いホンだけど、しっかりとお金をかけて撮ったほうがいいと。その言葉は重く受け止めてます。

――吉岡さんは『蒼ざめたる馬』の時期は何をされていたんですか。

吉岡 僕も『LEFT ALONE』の編集作業ですね。人がいなくなってから職場の空いている機材を拝借して、終電で帰るか、諦めて始発までという夜型編集をずっとやってました(笑)。

井土 泥沼化してましたね(笑)。

吉岡 迷路に入り込んでいると劇映画をやりたくなるんですね。逃避的な気持ちもあるんですけど(笑)、ただ予算もないので『LEFT ALONE』でやったようにデジタルで短編を作るのはどうかという話はしてたんですよ。それにちょうどシンクロするように京都から企画の話が来たんです。

――『蒼ざめたる馬』で3部作全体のテーマなり骨格が出来たと思うのですが、どういう経緯で生まれた作品だったんですか。

井土 「黒い看護婦」という本にもなった福岡の看護婦4人組の殺人事件ですね。女性4人で夫を殺していたという。共犯の中に男がいなくて、女だけでコミュニティを形成しているのがおもしろくて、ネタを温存してたんです。学生たちは最後に青空が見えるような映画にしたいというんだけど、それは企画じゃねえよって(笑)。具体性が無いとダメなんだよと言って、俺が看護婦の事件を持ち出したんです。彼らが言う青空も意識して、一番虐げられている立場の女の子が最後に抑圧を跳ね除けて独り立ちするドラマにしたんです。まずプロットの打ち合わせをしたあと学生が書いたんですが、日常から発想してるからドラマにならない。いまおかさんに読んでもらったら、リーダーの女のキャラが弱いんじゃないかと言われたんです。どうしてリーダーに残りの2人がついていくのかよく分からないと。なるほどと思いながら、京都へ向かう新幹線で考えているときに、マユミのキャラがボーンと降りてきたんです。それで京都に着いてバーと書き上げました。

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――マユミの階級に対する憎しみという社会的な部分もその瞬間に考えたんですか。

井土 それ以前に宅間守の言動についていろいろ考えていたということがありました。あいつのやったこと自体は絶対に肯定できないんですが、言っていることに「ん?」と思うことがいくつかあったりして。それと同じ時期に死んだ「ナニワ金融道」を描いた青木雄二の作品を読み直したりしたんです。そういうものを取り込んだりしましたね。

――出来たホンに対して、学生の反応はどうでした

井土 ちょっと引いてましたね(笑)。こんな人いるんですかって。いいんだよ、映画はフィクションなんだからと。身の回りのことだけで映画を作ってたらダメなんだと。

――上の世代はあの設定は分かると思うんです。若い世代は理解できるんでしょうか。

井土 瞬時に理解できなくても、何かが突き刺さることが大事なんだと思います。映画体験というものが納得や共感だけでいいはずがない。理解しえない何かに出会うことによって、逆に思考を鼓舞されるということが、僕自身の映画体験でしたから。

――学生が現場にも参加していますよね。

井土 撮影前は不安でしたね。京都国際学生映画祭の審査員だった澤井信一郎さんには、ヘタなもの作ったら商売に響くよって嚇されたり(笑)。

吉岡 シナリオは板倉一成君が一生懸命書いてたんですが、内容について考えていた学生はほんの僅かで、あとは撮影の準備に必死でしたね。みんな衣装香盤や美術香盤も知らなかったけど、京都の撮影所で助監督をやっていた葛西峰雄君が入ってからは一気に動き出しました。

井土 照明機材を自転車で運ぼうとしてましたから(笑)。雨降ったらどうするんだと。

――撮影中は演出に専念できる環境だったんですか。

井土 僕は演出に専念するつもりで現場に臨みました。それに学生だけでは成立しないので、吉岡と鍋島カメラマン、そして葛西君という助監督が入ったので大丈夫かなと。ただ録音部が学生なので気になりましたね。案の定録れてないんですけど(笑)。

――撮影するにあたってどんな演出プランをお持ちだったんですか。

井土 3本とも全然違いますね。『蒼ざめたる馬』のときはまずリハーサルをやってこれはダメだと思ったので(笑)、とにかく走ったり、動いたり、女の子たちの勢い重視。それをカメラで追いきれるまで追ってもらって、それでカットを割っていく手法ですね。

――井土さんのホンはホンが強いから、生身の肉体とか実際の風景でそれを成立させるのは難しいですよね。その落差は気になりませんでしたか。

井土 考える暇がなかったんですよ。京都へ向かう新幹線でホン直しのプランが見えて、クランクインまで2日しかないんです。その間に完全に押さえてあるロケ地を見る。そこから翻ってホンを直すわけです。メインは3ヶ所なので、そこで芝居場を組み直しました。ロケ場所が見られたのは大きかったですね。ピンク映画のようで(笑)。

――ピンク映画の経験は大きかったですか。

井土 それは大きいですよ。瀬々さんとやっていた時に、ホンに書いたような場所は押さえられなかった。でも、代わりにこういう場所は押さえられた、なんてことがあると、その場所にあわせて、設定をかえたりなんてことはしょっちゅうやってましたから。

――吉岡さんは『蒼ざめたる馬』を作ってどうでしたか。

吉岡 京都の学生から話が来たときに井土はやるかどうか迷ってたんです。一度断ったみたいなんですね。

井土 それは断りますよ。話が来たのが上映する映画祭の2ヶ月前ですから。

吉岡 代表の学生がめげずにもう1回言ってきたので根性があるのか馬鹿なのか確かめてみようと。仕事が忙しい時期だったんですが、学生任せの現場にしてしまって、途中で挫折したり、出来が悪かったらスピリチュアル・ムービーズとしても嫌だったので、職場と折り合いつけて僕も行くことにしたんです。とにかく現場では事故がないように心掛けていましたね。それが一番恐いので。ただ撮影終わって上映までが1週間なので、編集作業がやっとで整音作業は全くできなかったです。学生の代表にはやってみたけど見せられない可能性もある、それがダメなら井土は行かせないと威しました。僕も本気で思ってないですが、いかに無謀かというのを学生に分かってほしかったんです。撮影で1週間仕事を休んだので、次の一週間は人の倍働いて夜は編集。何日目かに失神しましたね(笑)。上映も心配だったので、もう1日会社を休んで日帰りで京都まで行きました。でも逆に、それぐらい若者と一緒に仕事するのが楽しくて、完成の場を共有したい思いもあったんですね。井土は学校で教鞭をとっているので接する機会は多かったでしょうけど、僕は上の世代か近い世代としか映画をやってこなかったので、若者と映画が作れるとは思ってなかったんですよ。

井土 でも、シナリオ教えるのと、一緒に作るのは全然別ですよ。シナリオ教えるのは、むこうのエネルギーを受け止めて、いい方向に軌道修正してあげたりという作業だけど、一緒に作るというのは彼ら以上に僕がエネルギーを放出して巻き込んでいかないといけないから。

吉岡 『LEFT ALONE』で知り合った学生はほとんどが思想オタク(笑)。自分で肉体使って何かやるのは苦手だけど、本だけは読んでいるので理屈ばかり言ってるという連中が多かったので、行動力においては若者不信というか、全部ではないにしても「どうなのよ今時の若者は」と、正直物足りなく思ってました。そんな折京都へ行って、こんなに熱意のある学生がいるんだと驚きました。

井土 おもしろかったのが、木村文洋君という代表が号令をかけて集まった学生同士が見ず知らずの連中だったこと。映画サークルの仲間ではなく、それぞれが未知数で、その緊張感が良かったんでしょうね。

――マユミを演じた東美伽さんはどういう経緯でキャスティングされたんですか

井土 京都の学生がオーディションをしたビデオを見て決めました。やり方がヘタクソで台本を朗読させているだけなんですけど、その中で声が特徴的で雰囲気もあったので東美伽に決めました。今日大学辞めてきましたって言ったので、こいつがいいと(笑)。

吉岡 彼女は京都女子大の学生だったんですけど、京大の映画サークルに入っていて、木村君と隣の部室だったらしいんです。そこで木村君からオーディションを受けてくれと頼まれたみたいですね。彼女も大学を辞めようか悩んでいて、一度全部断ち切ろうとしていた時期だったみたいですね。

――3部作の2作目となる『複製の廃墟』が生まれるきっかけはどのようなものだったんですか。

井土 日大文理学部で2000年から創作実習みたいな授業でシナリオを週1回教えはじめたんですがつまらなかったんです。学生も本気でシナリオに取り組んでいるというよりは、面白そうな授業だから登録しているような感じだし。それで辞めようと思ってたら2003年後期の授業でそれまで見たことないモグリの学生が最前列で座ってるんですよ。目をキラキラさせて僕を見ているわけです。その後、そいつがバイトしてる下高井戸の喫茶店に連れて行かれるんですけど、「俺、シネフィルなんっスよ」とか言ってカマしてくるんですね。だけど、喫茶店入って話してみたら全く映画見てない(笑)。シネフィルという言葉に憧れていただけで。それで気に入っちゃって、付き合いが始まったわけです。それで僕が京都の学生と映画を作ったという話をしたら、嫉妬するわけですよ。

――『蒼ざめたる馬』が上映されて一週間後に『複製の廃墟』がスタートするわけですよね。しばらく休もうという発想はなかったんですか。

井土 勢いみたいなものが火照りのように体に残ってたんです。一方で辛い『LEFT ALONE』の編集があって(笑)。やはり劇映画を一本撮った高揚感があったのが大きかったですね。

吉岡 僕はヘロヘロだったんで休もうと思ってました(笑)。で、たまたま井土に渡さないといけない物があったので、日大の学生の上映会に行ったんです。そのあとの打ち上げにも行ったら、彼らが「僕らとも一緒にやってください」と井土に言ってるわけです。井土が「吉岡がOKなら」という振りかたをするから、みんなが一斉に僕を見るわけですよ(笑)。そしたらその場に『朝日のあたる家』でプロデューサーをやることになる西村武訓さんがたまたま上映会に参加されていて、「伊勢でも井土さんが撮る企画を考えているんです」と言い始めたんですよ。そしたら監督は一気に3部作だと豪語しちゃって(笑)。僕も普段は引くんですけど、その日は一緒に盛り上がりました。

井土 日大生の勢いより、西村さんという存在の大きさですよ。今でも覚えてるのが吉岡が「この人本気かもしれないな」って言ったんですよね。

吉岡 企画は同時にスタートして、『複製の廃墟』が日大生チーム、『朝日のあたる家』が僕と西村さんで進めました。

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『複製の廃虚』

――3部作にしようとしたのはそこからなんですね。

井土 その時点ではそうでしたが、その後、揺れ動きますけどね。『複製の廃墟』は2004年の夏に撮影して、吉岡と二人で編集したんですが芳しくない。二人で追加撮影をする話になったんです。その上で翌年春には伊勢で撮影もしなければならない。西村さんと映画を作ることが大事なので、一度マユミを忘れようと企画は二転三転しました。マユミも危なかったわけです(笑)。

――『複製の廃墟』は80分の作品です。自主映画としては本格的になってきましたね

井土 『蒼ざめたる馬』が40分なので、ほかの2本も40分ずつで合計120分と考えていました。だから、『複製の廃墟』も40分ぐらいのホンを作ったんですが、評価が芳しくなかったんですよ。おもしろそうなのに尻切れトンボだと。それで直しをしていたら80分ぐらいのホンになった(笑)。

吉岡 上映時間が3時間越えるといかに大変か『LEFT ALONE』で経験しているので、3部作で120分と考えていたんですけどね。でもつまらないと意味がないし。

――ホン作りも連日連夜に及んだそうですが、それだけでも大変ですよね。

井土 僕自身が早くホン作りに参加できればいいんですけど、一方でお金を稼がないといけないので。この時期は映画にならなかったホンを2本書いてました。ですから学生たちに任せるしかなかった。僕が入ってから短期間で書き上げましたけど。

――吉岡さんにお聞きしたいんですが、自主映画を作るにあたって、プロフェッショナルなプロデューサー的な部分と、やりたいことをやる志の部分をどのように両立させているんですか。

井土 いい質問ですね。僕も聞いてみたいな(笑)。

吉岡 うーん、どうなんでしょうね。ただ職業として製作をやり始めると、このご時世ですから、歯止めが効かなくなる予感はあるんです。気付いたら、漫画原作とかタレント起用とか、徹底して担保ばかりを考える方向に振れてしまっていた。そんなスピリチュアル・ムービーズになりそうで。仕事ととなると、存続が一番のテーマにならざるを得ないでしょうけど、自主映画ならそんなことを考えなくても好き勝手に撮れる。そこだけは死守したいですね。常にローバジェットだから、監督にもスタッフにも機材とか道具とかいろいろ不自由かけて申し訳ないなと思うこともありますが、まあ勘弁してよと。何とか知恵出して工夫して乗りきろうよと。多分、そんなふうにして作るのが好きなんですね。

――井土さんは、『蒼ざめたる馬』での経験も踏まえて『複製の廃墟』の演出はどうでしたか。

井土 『蒼ざめたる馬』のテーマが「勢い」だとしたら、『複製の廃墟』のテーマは「カットを割る」なんです。あと大人の登場人物を出すこと。ただそうなると、スケジュール組みがややこしくなってくる。『蒼ざめたる馬』は順撮りに近かったので、女の子たちのテンションを上げていって撮影ができたんですけど、『複製の廃墟』では2日目に後半の芝居場の撮影でした。それで主演の東美伽も僕も少し混乱しました。あとほかの2本と違うのは、『複製の廃墟』の場合はホンができてから制作部・演出部がイメージの場所を東京近郊でロケハンしたんです。それで時間が浪費されて、尚且つイメージ通りの場所も簡単には見つからない、それが自分たちの首を絞めましたね。はっきり言って作り方においては失敗でした。『朝日のあたる家』では先ずロケハンをして、撮影できる場所からホンをイメージして書いたんですよ。これは低予算映画を作る上で大事なことだと再確認しましたね。

吉岡 『複製の廃墟』は同じアパートの設定なのに室内と外のロケ地が何十キロも離れてたりしたんですよ。地方に比べて東京はとりわけ撮影に協力的ではないですし、許可取りも難航しました。移動と駐車場代で湯水のようにお金が無くなっていきましたね。都内近郊でロケする場合、フリーの制作部の連中はロケマップを持ってわけです。廃工場は群馬県のあそこでとか。それは便利だけど、僕らは地道に探したかった。なるべく使っていない場所を探せと学生には指示しましたね。

――映画の内容もそうですし、上映までのシステムもそうですが、今ある映画製作や公開のシステムを自分たちで判断しながら理想の映画作りを目指している気がします。

井土 仮説と検証ですね。

吉岡 近年の日本映画を観て落胆する原因を考えると、脚本の内容や映画製作のシステムを問うことになるんです。観た映画をつまらないと否定するだけなら簡単ですけど、つまらなくない映画を僕らは作れているのか自問し続けなければいけない。だから井土が言うように仮説と検証ですね。

井土 これだけシステムが整備されるとシステムに合わせる形でしか映画を作れなくなる。それと闘いたいですね。オルタナティブな回路を模索したい。

――『複製の廃墟』は追加撮影もされていますね。

吉岡 『百年の絶唱』のときは追加撮影が凄まじかったですけどね。スタッフ全員入れ替わりましたから。

井土 同じ過ちは繰り返さないと思っていたんですが、またやっちゃいました(笑)。

吉岡 でもそこで諦めない根気が大事だと思います。

――それも『朝日のあたる家』の撮影を経てからの、追加撮影なんですよね。

吉岡 『複製の廃墟』は夏の設定なので、待たざるをえなかった。それで『朝日のあたる家』が先になったんです。

井土 『朝日のあたる家』の撮影を経ないと出てこなかったセリフもありましたね。「愛とか恋とか、そんなもんでしかつながれへん関係はとっくの昔に棄てたんや。例え心で憎しみあってても共通の目的のためなら一緒に行動できる」というセリフは『朝日のあたる家』でそれを棄てたマユミを描いたことで出てきた。心情を基盤にしない関係の模索、これはマユミというキャラクターが吐き出したセリフですが、僕にとってはスピリチュアル・ムービーズにとってのマニフェストでもあると思っています。

吉岡 『朝日をあたる家』を撮影して、設定が変わったので『蒼ざめたる馬』のあるシーンを変えてるんです。『朝日のあたる家』はビギンズですから、そこから前の2本も微調整しました。

――商業映画だとヒットしたら続編を作るシステムですが、3本が相互影響し合っているんですね。『朝日のあたる家』ではロケ場所先行で脚本を書いたということですが、事前にプロットはあったんですか。

井土 吉岡と西村さんであらすじみたいなものを作ってました。『複製の廃墟』でマユミが宙ぶらりんの状態になったので、マユミとは全く別の話で。真珠養殖をしている小屋から真珠を盗んでいる女の子の映画とか。

吉岡 マユミ外伝というか、青春映画みたいなノリでした。西村さんのオーダーもあったりしたので。2回ぐらいシナハンに行ったのかな。

井土 最初が2004年12月。シナリオハンティングと称して、伊勢映画人会や西村さんのご家族に会ったりしました。その時点では西村さんという出資者がいるので、納品行為に近い意識が僕らも芽生えるんですよ。だから限られたスケジュールで撮りきることをテーマに準備をしました。西村さんの案内でロケ地候補を回ったんですが、いわゆる風光明媚な所に連れて行かれたんです。それは違うなと思って、映画の根っ子になるような場所がないかと言ってみたんですよ。それでシャッター商店街と出会うわけです。これは大衝撃でした。幻視できたんです。商店街にマユミが立っていたんですよ。これが出てくると僕は、映画がいけると思う。マユミはここで生まれたんだとやっと見えた。

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『朝日のあたる家』

吉岡 西村さんには裏フィルムコミッションをやってくれとお願いしました(笑)。フィルムコミッションが紹介しないような場所を教えてくれと。

――これも今の日本映画に多い、地方の観光映画を結果的に批判してますね。西村さんはどういう想いで井土さんと映画を作ろうと思ったんでしょう。

井土 西村さんは商店街にある紙問屋さんの息子さんでもあるし。伊勢って観光地だから経済的に守られてきたんですが、実に緩やかに死んでいっている実感が西村さんにはあるので、当然地元の活性化という目的はあったと思います。何より西村さん本人が自分で何かおもしろいことをやりたいというモチベーションが高いんですよ。

吉岡 家族ぐるみで応援してくれました。西村さんのお兄さんがとんでもないキャラクターで、ご自宅の紙問屋の蔵にホームシアターを構えている映画マニアなんです。この人は行動力があって、地元のネットワークが凄い。西村さんはお兄さんと仲間何人かで伊勢映画人会を作って、上映会やイベントを開く活動をしていたみたいです。そのなかで西村さんが「井土さんと映画を撮りたい」と発言をして、企画が進んでいきました。母体は伊勢映画人会とスピリチュアル・ムービーズということですね。

――シャッター商店街と大型スーパーの設定に伊勢映画人会は抵抗なかったんでしょうか。

井土 抵抗はなかったですね。ただ大型スーパーの撮影許可は難しいので、潰れたパチンコ屋の駐車場にしたんです。

吉岡 当たり前ですけど一台も車が停まってないんですよ。繁盛しているスーパーの設定なので、車がないとまずいということで、お兄さんが片っ端から電話してくれて、50台ぐらい集まった(笑)。だから僕は現場の捌きに専念できる。車移動も学生ではなく地元の人が運転してくれましたから、安心して楽しめた現場でしたね。

井土 西村兄は、撮影後半には立ち方までラインプロデューサーみたいでしたからね(笑)。

吉岡 我々より年下なんですが、頼れる兄貴でしたね。

井土 ロケ場所からホンを書く。キャストはリハーサル、撮影期間含めてきっちりスケジュールを押さえられる人でしかやらない、というのが『複製の廃墟』の経験を踏まえた戦略でした。

吉岡 ほかの自主映画作家たちにこんなやり方があるんだよと知らせたいですね。商業映画なんかつまらないと思っている西村兄弟のような人たちが、きっと各地にいると思うので、そういう人たちと出会えればおもしろくなると思います。ただ地元の人や商店街の人に見てもらうのが少し恐かったですね。人が死ぬような映画で果たして受け入れてもらえるのかと。完成披露試写に地元のお爺ちゃんお婆ちゃんが観に来るわけです。これまでのミニシアターのレイトショーに来る客層と全く違うので、緊張しました。でも手応えは良かったです。一番感動したのが西村さんのお母様が観に来て下さって、ボロボロと涙を流してるんです。商店街で生きる私たちの気持ちが入っていて嬉しかったと。僕ももらい泣きしそうになりましたけど。

――『朝日のあたる家』での演出はどうでしたか。

井土 今回は演出というのを考えてみる、というのが第一ですよね。トータルプランを僕が全部出して、芝居を作って、そこからホンに戻って、カットを割ってそれをスタッフに投げました。澤井(信一郎)さんと映画祭で知り合って、作品も見直して、酒を飲みながらレクチャーを受けたんです。澤井さんに及ぶ演出ではないですが、僕なりに澤井さんの言葉から得たものを演出に生かしてみようと。それと集中できた最大の理由は『朝日のあたる家』で初めて小林さんというプロの録音部の方がついたことです。リハーサル含めてほかのパートの技師さんと密に作れたのが大きかったですね。

吉岡 僕らの現場にワイヤレスマイクが登場して感動しました(笑)。

――『ラザロ』がポレポレ東中野で上映が決まるまで、どのような経緯があったんでしょう。

吉岡 『百年の絶唱』以来、ずっとスローラーナーの越川道夫さんと完成から先はやってきたんです。『蒼ざめたる馬』も早くから観てもらっていて、おもしろがってくれたんですが、スローラーナーも方向転換して、宣伝・配給に打ち込む体制が変わってきたんです。それで調整が難しくなって、スローラーナーからユーロスペースという流れができなくなった。でも渋谷でばかり上映するのにも疑問があったので、自主配給することにしました。越川さんもメディアの情報などを教えてくれたり、サポートをしてくれましたね。実は『LEFT ALONE』のときに当時、ポレポレ東中野にいた吉川君に話を振った経緯もあったんですよ。ただそのときは時期尚早だということで成立しなかったけど、吉川君とは機会があればやりたいなと思っていたので、彼にも『ラザロ』を観てもらったんです。僕らには配給のスキルはないけど、彼は個人でドキュメンタリーの配給をやっていたりもしたので仲間に入れようと。今は彼が代表で上映委員会を組織して動いています。

――映画が完成してからの宣伝・配給はほかに任せるという態度が一般的ですが、井土さんは宣伝・配給についても吉岡さんたちと意見を言いたいんですか。

井土 意見を言いたいというか、そういう場が好きなんでしょうね(笑)。運動やっているノリに近いんですよ。特に上映展開は製作とは別物ですから。上映運動をシアター・ゼロでやっていたから余計に楽しいんです。

――上映までの作戦とかテーマはあるんですか。

井土 ロードショーになったのでメジャー展開を考えていたんですが、どんどんアンダーグラウンドから火がついてきて、メジャーは難しいのかなと(笑)。だったら僕らを支持してくれてきた人たちにいかに情報を流すかが大事だと今は思ってます。

吉岡 レイトショーの延長でもう少し輪を広げた形でしかやれないかなと。レイトショーからロードショーに変わったからといって、違うことしてもうまくいかない気がするので、実感のあるほうから攻めて火が上ったところから大きくするのが今できる作戦ですね。もちろん大成功したいですが、大成功の「大」の字が無くても、仮説を立てて、また自主配給する機会に生かせたらなと。

――自主配給の金銭的なリスクや負担はどの程度あるんですか。

井土 それは数人の出しあったお金でやってます。元金がないとチラシ一枚もできないので。

吉岡 最低の最低でいくらあれば勝負できるか吉川君に見積もりを出してもらって、そのお金を集めました。

――映画のテーマが今の現実社会にかなりリアリティを持って受け止められる観客が増えてきている気がするんですけど。

井土 それはわからないですね。ただ、おもしろかったのは佐藤真さんや松江哲明君のようなドキュメンタリストの反応がすごくよかったことです。

――吉川さんはどうですか。

吉川 昨日の最後の試写でようやく手応えを掴めるようになりました。背中押された感じで勢いづきましたね。

――今後アピールしたい人たちなどいますか。

吉川 やはりこういう映画を好む層がいるので、その人たちに必ず劇場まで足を運んでもらうことは基本として考えています。あとロードショーというのが大きなテーマです。昼間に来るポレポレの客層は年配の女性客が中心なので、この映画をどう宣伝すればその層に響くのか考えているんですが、なかなか見えてこないのが現状です。それともその人たちを諦めて違う戦略でいくのか模索中ですね。

――井土さんは映画作りにおいては作劇の力を上げていくことが頭にあると思いますが、結果として憤りや怒りが最終的には出ていますね。

井土 基本的にはストレスなく、リラックスして生きたいだけなんですけどね。でも、そうはさせてくれない現状がある。多くの人は、いいかげんそういう社会のカラクリに頭に来ていると思うんですけど。

――吉岡さんからご覧になって、井土さんはどういった方ですか。

吉岡 そうですね、特に最近、意識として感じるのは作劇の興味が非常に強くて、そこから素材的に何かと取り組んでいますね。

井土 やはり本質的な矛盾や何かにぶち当たったときに、本当に強い作劇が出てくると思います。例えば、マユミの3部作を怒りの映画だと捉える考え方もありますが、僕としては逆説的な愛の映画だと思っているんですよ。でも、「愛がすべてなんだ」とか「愛があれば何でも乗り越えられる」なんてスローガンをかざすことは、大事な現実から目を逸らさせることにしかならない。愛は大事だけど、それをそのまま作劇に生かすなんてことは、作り手も観客も思考停止していくことでしかないんじゃないかって。過去の良い映画を観ても、そんなくだらない作劇は絶対やってないですよ。

――『ラザロ』を作られて、監督としての仕事として今までと違う欲求は出てきましたか。

井土 今までと違うかどうかはわからないですが、演出を含めた作り方の面においては『朝日のあたる家』の次をやりたいです。作劇に関しては『複製の廃墟』の次をやりたい。自分としてはやりきれなかった部分があるので。真相究明のドラマ、その真相が今を撃つようなドラマですね。『ラザロ』でアジテーションは声高にやったから、次はテーマを作劇の中にずっしりと沈めた映画を考えています。

吉岡 今は準備している段階で、内容についてはまだ見えてこないので、これから時間をかけて作っていきたいと思っています。

聞き手:武田俊彦 川崎龍太

『ラザロ -LAZARUS-』

「蒼ざめたる馬」篇

監督:井土紀州

プロデューサー:木村文洋、吉岡文平 脚本:板倉一成、井土紀州

撮影:鍋島淳裕 録音:菅武志、山脇弘道 編集:井土紀州、吉岡文平

音楽:花咲政之輔太陽肛門スパパーン 仕上:臼井勝 助監督:葛西峰雄

制作:京都国際学生映画祭2003運営委員会、スピリチュアル・ムービーズ

出演:東美伽、弓井茉那、成田里奈、大沼幸司 

「複製の廃墟」篇 

監督:井土紀州

プロデューサー:吉岡文平 脚本:森田草太、遠藤晶、井土紀州

撮影:鍋島淳裕 照明:伊藤学 録音:近藤崇生、鳥居真二

編集:吉岡文平、井土紀州 仕上:臼井勝

音楽:花咲政之輔太陽肛門スパパーン

企画・製作:スピリチュアル・ムービーズ

出演:東美伽、池渕智彦、小野沢稔彦、伊藤清美 ほか

「朝日のあたる家」篇

監督:井土紀州

プロデューサー:西村武訓、吉岡文平 

脚本:西村武訓、吉岡文平、井土紀州

撮影監督:鍋島淳裕 録音:小林徹哉 

編集:井土紀州、吉岡文平 仕上:臼井勝

音楽:花咲政之輔 太陽肛門スパパーン

製作:伊勢映画人会、スピリチュアル・ムービーズ

出演:東美伽、堀田佳世子、小田篤 ほか

7月14日(土)~8月3日(金)よりポレポレ東中野にて公開

*7月14~27日はロードショー、28日~8月3日はレイトショー

* 7月21日(土)オールナイト、連日トークショー開催

* 順次全国公開

公式サイト:http://spiritualmovies.lomo.jp/lazarus.html