映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『アヒルの子』『LINE』宣伝記 前篇<br>加瀬修一(プランナー/ライター)

 今年『アヒルの子』『LINE』という映画の公開に宣伝協力として参加した。  無名の新人監督が撮ったセルフ・ドキュメンタリー2本を同時期公開するという、一見リスクが高いと思われるこの企画。しかし、上映活動を通して感じたものの中に、いま「映画」に関わることの希望と課題が垣間見える気がした。そして何より、僕自身が何を獲得したのか、いま一度しっかりと検証したかった。極私的な日記に過ぎませんが、もし参考になることがあったら幸いです。  小野さやか監督は泣きながら、しかしはっきりと言い切った。「今の私にこの映画を公開するなというのは、死ねというのと同じなんです。加瀬さんのいうとおり、自分だけでは抱えきれない黒いモノがたくさん返ってくると思います。でも、それに全力で向き合う覚悟を私も私の家族も決めたんです。6年かけてやっとここまでこれたんです。確かに宣伝として関わるには大変な作品かも知れません。だから、一緒にやれないと思ったら、ハッキリ断って下さい」僕は、ただじっと聞き入っていた。  話は、ひと月ほど前に遡る。 きっかけの男  「加瀬さんに観て頂きたい映画の試写のご案内なのです」。  そんなメールが届いたのは、去年の9月だった。送り主は、木村文洋。頻繁にやり取りしている訳ではないけれど、2009年の初め、僕は彼の撮った『へばの』という映画の上映活動を共にした。がむしゃらに走った同志、戦友というといい過ぎか。読めば、『へばの』の追加撮影についてくれた小谷忠典監督作品『LINE』の上映会が、1ヶ月後にneoneo坐であるらしい。さらに『バックドロップ・クルディスタン』のプロデューサー・大澤一生さんと組んで、劇場公開を目指しているという。しかもポレポレ東中野で。「映画の公開へのアドバイスなどより、加瀬さんに、小谷さんの映画への臨み方について何か、言葉をかけて頂けないか、(中略)そういった思いでお声をかけさせて頂きました」と続く。相変わらずの硬い言葉が彼らしい。デジャヴだな。まるで『へばの』に巻き込まれていった時と同じじゃないか。モニター越しに木村文洋の顔が見えたようで、少し笑った。 偶然の女  ひと月後の上映当日、会場の前には小谷忠典監督がいた。「今日はよろしくお願いします」「じゃ、また後で」そんな短い言葉を交わす。面と向かうのはこの時が初めてだった。会場に入り、上映を待っていると、隣に『へばの』のプロデューサー・桑原くんが座った。「久しぶり」なんてニヤニヤしていたら、ひっくり返った。あれ?全然違う映画が始まった……。メールをよく読んでいなかったのか、ボーッとして忘れていたのか。この日は2本立てらしい。まいったなぁ、小谷さんに挨拶したら早く帰る予定だったのに。まあ、これも何かの縁か。そんな感じで観たもう1本の映画『アヒルの子』。胸がざわついた。  2本の上映が終わると、懇親会が始まった。小谷監督はお客さんが多いらしくなかなか話せる感じでもない。劇場のスタッフさんらしきワイルドな女性が、ドンドン料理を運んでくる。とりあえず、まあ、いいか。桑原くんと楽しく話したりして、料理をパクつく。そこにまた新たな料理を持った女性が現れた。「これ私が作ったんですよ」「そうなんですか、うん、おいしい!」ん?よく見たら、『アヒルの子』の監督じゃないか!映画の中とはうって変った穏やかな表情。これが小野さやか監督との出会いだった。  「映画どうでした?感想聞かせて下さい」小野監督は真っ直ぐ聞いてきた。まとまらない感情を無理やり頭でまとめたら、男の人は左脳で観るんですねときた。うぅ、鋭いな、バレてる。思いついたことを素直に告げてみた。それは嬉しい意見です。ありがとうございます。ごめんなさい、ちょっと向こうの方にもご挨拶してきますね。そう言うとお手製のコロッケを持って去っていった。なんか初対面じゃないような、そう思わせる魅力。慌ただしいやりとりだったけど、嫌な感じは全くしなかった。 第3の男  「今日はありがとうございます」そう声を掛けてきたこの人は見た事がある。プロデューサーの大澤一生さんだ。「実はこの2本を一緒に公開しようと思っているんですよ。ガチガチに枠組みを作るんじゃなくて、共通した部分をゆるく括るという感じで打ち出したいんです」それを聞いて、すぐに面白いと思った。僕も何かをやる際に「ゆるく」やりたいと常々考えていたからだ。例えばこんな感じだ。普段はそれぞれの生活をしているんだけど、仕事の時はビシッと集まるみたいな。いつもチームでいるのではなく、1つ1つの企画でそのつど集まる。ジョニー・トーの『ザ・ミッション』みたいに。同じ顔がいれば、新しい顔が参加することもある。そういう意味での「ゆるい枠組み」。鉄の結束というのは、上手く行っているうちは強靭だが、一度違えればたちまち脆くも崩れ去る。これはもう歴史が証明している。ちょっと話がズレた。とにかくその「ゆるく」という言葉に反応した。「再来週にもう一回トリウッドでモニター試写をやって、お客さんの反応を見て詳細を考えたいんです」そこまで聞いて、「次の上映も行きますよ」と応えていた。「そこでまたゆっくりお話しましょう」思いがけず寄せて来た波に乗りかかっていた。 静かな男  小谷監督は話し込んでいた。今日は仕方ないか。なんて本来の目的はなんだったんだか……。会場を出たら、慌てて挨拶に来てくれた。「どうでしたか?」という監督に、「まだ上手く言えないんだけど、アプローチがすごく面白かった」といい、「詳しくは、またあらためてトリウッドで話しましょう」と続け、握手をして別れた。小谷監督の作家然とした静かな佇まいが印象に残る。こういう監督が出てきたら、もっと面白くなるんだろうな。興味が湧く。『LINE』の面白さを伝えるのは難しい。いや、『アヒルの子』も『LINE』も1本ずつでは公開するのが難しいかも知れない。でも、こういう「ゆるく括る」という形の上映が上手くいけば、「こういうのもありなんだ」と、後に続く人も出てくるだろう。可能性が広がる。この2本はそのチャレンジをするのに、十分な個性と力があると思った。帰り道、しばらくぶりにワクワクした。木村文洋に電話する。「『LINE』観てきたよ。小谷さんにも挨拶できた。なんか上手く巻き込まれそうなんだけど、作戦だった?」と意地悪く聞いたら、「そ、そんなことないですよ!」とびっくりするくらい慌てた。「冗談冗談!もう一回観てから考えるけど、オレ、多分やるよ」 見慣れた顔の男たち  トリウッドには、『へばの』でもお世話になった、ポレポレ東中野の大槻支配人と石川さんがいた。自分でも不思議なのだが、あまりにも自然に、この2週間自分なりに公開に向けて考えた事を話していた。それに対しての2人の意見はどれも前向きで、具体的だった。『アヒルの子』『LINE』再見。モニター試写は、案の定賛否が激しかった。たまたま観に来ていた知人の中にも、「わざわざ劇場公開しなくてもいいんじゃない」「他人に観せる意味があるのかな」という否定的な意見が多かった。僕は、こう考えられるんじゃないか、こういう意味を見出せるんじゃないかと語った。語りながら、自分の気持ちが振れ出したのを感じた。上映終了後、大槻支配人に話しかけた。「今日の試写、色々出てきて良かったですね」「いや、すごく良かったよ。何が足りないのか、何を打ち出せたらいいのか、ハッキリするよね」「この企画、成功させたいですね」「これ上手くいったら絶対面白いよ」  その日の打ち上げで、初めて小谷監督と話らしい話をした。『LINE』のこれまでの経緯、監督自身の経緯。決して器用に立ち回れる人じゃない。「誰にも相手にされなかった『LINE』を初めて一緒にやろうといってくれたのが、大澤さんなんですよ。だから、ここで何とかしたいんです」静かな語り口の中に、ギリギリの決意がにじみ出ていた。僕の気持ちは、もう決まっていた。 泣く女、泣かせた男    後日、改めて話し合いの場を持つことになる。新宿の中華屋。仕事終わりに向かうと、もうみんな集まっていた。探り探りの会話。小谷監督の腹はもう決まっている。小野監督の表情は硬かった。理由は分かっている。どうしても小野監督には再度確かめておきたいことを問うた。「この前の打ち上げでも言ったけど、『アヒルの子』を公開したら、きっと想像以上に厳しい意見や悪意も噴出してくるよ。それを抱える覚悟があるのも分かったうえで、小野さんにもう一度、これだけは聞きたいんだ。まず自分はいい。お父さん、お母さん、お兄さんたち、お姉さんも家族だからいい。じゃあ、もしお兄さんの奥さんや子供、奥さんの家族、親戚に黒いモノが降りかかった時、その責任は負えるの?いや、責任を負い切れないという覚悟はあるの?」小野監督は、一呼吸置いてゆっくりと話始めた。「加瀬さんの言うことは、よくわかります。でも、今の私にこの映画を公開するなというのは、死ねというのと同じなんです。確かに自分だけでは抱えきれない黒いモノがたくさん返ってくると思います。でも、それに全力で向き合う覚悟を私も私の家族も決めたんです。6年掛けてやっとここまでこれたんです」僕はただじっと聞き入っていた。監督は泣きながらも続けた。「加瀬さんのいうとおり、もし兄の子どもに説明する必要が出てきて、私は当事者だから受け入れられない、誰か第三者が話してほしいとなった時、力を貸して下さい。そういうことになるかも知れない。だから宣伝として関わるには大変だと思うんです。本当にお互いのためにならない、一緒にやれないと思ったら、いまここでハッキリ断って下さい。」いい根性しているなと思った。知り合って間もないのに、運命共同体になれって言い切るんだもんな。今度は僕が一呼吸置いて答えた。「まず勘違いしてほしくないのは、公開しない方がいいなんて全く思わない。映画は観客に観てもらわなければ何も始まらないし、終わらない。ちゃんと晒されるべきだと思う。それから、断るつもりなら今日ここに来てないよ。お兄さんの子どもに説明が必要になったら、話に行くことも構わない。俺もその覚悟で一緒にやろう」小野監督は静かに微笑んだ。「でも、役に立たねー!ってことになるかもよ」凍っていた場が一気に和んだ。スタートラインに並んだ。 リベンジを誓う男    モニター試写後、ポレポレ東中野での上映が正式に決まった。大澤さんとは、さらに2人きりで会う時間を持った。彼はしっかりとしたビジョンと情熱をバランスよく持った人だと感じる。だから勢いだけでなく、時間をかけてお互いの考えを丁寧に聞く。大澤さんが制作・編集を担当した『バックドロップ クルディスタン』は、お互い何も分からない監督の野本大さんと一から全部やり切り、劇場公開時は作品の評価も高かった。反面、興行的には伸び悩み、悔しさが残ったと言う。「今回は実績も作って、しっかりとした手応えを感じたいんです」その為に考えたプランは、1:パブリシティとしてプロの宣伝の方をお願いする。2:両作品に関連付けのできる団体や活動をされている方、学校、施設に積極的にアピールする上映会やイベントを行う。3:ホームページ上に、広く様々な意見(賛否を問わず)を展開できるページを設ける、という具体的なものだった。小さくまとまらず、どこまで「映画」と「観客」の繋がりを広げることができるのかの挑戦だった。さらにこう目標を立てた。1:『LINE』と『アヒルの子』が「映画」としての評価を得ること。2:小谷忠典、小野さやかの2人を、「映画監督」として世に出すこと。3:上映会の段階でいち早く批評を発表してくれた萩野亮さんを、批評家として世に出すこと。つまり、この上映を成功させることで、新しい形式、新しい人材を送り出したいということだった。いま思う。何故ここまでやろうと思ったのか。作品の力もある。だけど、突き詰めれば、大澤さん、小野さん、小谷さんに自分と同じ匂いを感じながら、自分にはないモノの見方・考え方が面白かったからだ。その人柄に魅せられたからだ。大澤さんは最後に言った。「加瀬さんには、ゼロからイチを作るところを一緒にやってほしいんです」  ついに、ピストルが鳴った。 ―中篇に続く―