映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『9月11日』 <br>興奮したまま家に帰るな <br>若木康輔(ライター)

 『9月11日』を12月6日の午後、試写で見せてもらった。今年の文化庁映画賞「文化記録映画大賞」受賞作、『ただいま それぞれの居場所』の外伝みたいな映画である。『ただいま』で紹介された人たちなど、それぞれ独自の考えのもと介護施設を運営している人たちが今年の9月11日、広島に集まってトーク・イベントを行った。その模様と発言を軸にしながら、まず目の前の人ありきの新しい介護の価値観を実践、または模索するリーダーたちにさらに焦点を当てていくドキュメンタリー。  9月11日に撮影したものをすぐに作り込み、12月に公開する。この“とって出し” のスピードに、作り手は重きを置いているらしい。 911_01main_itou.jpg  “とって出し” のスピードは、確かにこの映画の面白さになっている。撮影、編集中にいろいろ考えることはあったと思うが、優先したのはファースト・チョイス、最初のアイデアや気持ちだったろうと窺わせる勢いがある。一発撮りのスタジオライブをダビングやミックスは最低限にしてすぐリリースしたガレージ・バンドのアルバムみたいな、ザラッとしたノリにけっこうワクワクする。ワクワクさせられるのだから、現場の彼らの声をすぐに届けたい、という意図は大成功だといっていい。  感化されて、どこに発表する当てもないのに、今日が締切の原稿があるというのに、すぐに“とって出し” の文章を書きたくなった。頭に血がのぼった状態のまま文章を書きたくないからブログもツイッターもやらないとふだん言ってるくせして何を考えているのだ、と自分自身に呆れた。しかし『9月11日』に関しては、そのスピードの意図を再確認するため、見たその日のうちにレビューを書くというパワーブレーに挑みたくなったのだ。といってもホントに時間が無いので、制限時間は推敲を含めて2時間。すでにここまで書くのに20分が経過している。 911_sub5_ishii.jpg  以下は見終った後に知己の数人と隣のドトールでコーヒーを飲み、そこで話した感想や、聞いて思ったことをベースにしている。これも、トークの模様を中心にした本作の特長に倣ってのこと。  まず思ったのは、ドキュメンタリーってジャーナリスティックな運動意識のもとに作るとこんなに活き活きするものなのか、という感嘆だ。昔そんな例が無かったかと思ってちょっと調べたら、ジガ・ヴェルドフ(デニス・カウフマン)が1910年代終わりのモスクワで〈映画週報〉というのをやっていたらしい。各地から送られてくる撮れたてのフィルムを大急ぎで革命的ニュース映画に構成・編集し、各地の戦線へ向かう列車で送り返していた、というものだ。なんかこうして知るとぜひ見たくなる。革命初期の高揚のなか気合とノリでバンバン作っていた良さが、今見ても伝わりそう。だが、“とって出し”の意義と速攻/速効性だけをとれば、今はテレビ局の報道に叶わない。劇場公開のドキュメンタリーは逆に、じっくり時間をかけて撮り、こさえるところにテレビのニュースと差別化できる価値を育んできた。「撮影に5年かけた」というコピーが、「土壌作りから始めて全て無農薬で育てました」なんていう会員制の野菜販売の売り文句とほぼ同じような意味で伝わる昨今だが、まあ、それはいい意味で観客にドキュメンタリー映画への興味と信頼感を確かにもたらしている。  だから余計に、基本の撮影は1日で、それでもちゃんと作品にして3ヶ月で公開します、という姿勢が新鮮なのだろう。ドキュメンタリー=ジャーナリズムだった頃みたいとまずは思ったわけだが、テレビの無い時代に回帰したいような意識は全く感じられない。むしろ、今までのドキュメンタリーが撮影から公開まで時間かかり過ぎ、という問い掛けを感じる。ドキュメンタリー現場の(ほぼ)完全デジタル化を考えたら、これぐらいでできるし、もっとそうならなければいけない、という思いがあるのではないか。伝えたいことは早く伝えたい、これは当然だ。また一方でそこには、1年も2年もかけてじっくり追撮や編集に時間をかけて精度を上げるのはいいとして、それで鮮度はどうなる、なおかつ具体的にその間の生活はどうなる、という苛立ちも秘められているのではないか。 911_sub4_hosokawa.jpg  僕は冒頭で、本作の“とって出し”感にはガレージ・サウンドのかっこよさがある、と書いたが、そのかっこよさとはすなわち、ひりつくような焦燥感をナマに差し出すリアリティのこと。本作自体がそれに突き動かされているのだけれど、そう突き動かしているのは、トークに登場する若い介護リーダーたちだった。みんな苛立っている……というのが、僕がいちばんヒヤヒヤしつつ感動した部分。この苛立ちを来年の秋か再来年の春あたりに、もっと精査して柔らかい(福祉に関わる若い人のイラつきを見たくない人にも安心してもらえる)形にして発表したとしても、素材として意味を持てたかどうかは確かに疑わしい。その代わり、『ただいま それぞれの居場所』を推した文化庁には今回はそっぽを向かれるだろう。ヒップホップが流れたりラブホテルとか言ってる時点でもうアウトだと思います。『ただいま』を見て、まるで聖者会いたさに見学に来る人がいて……と苦笑しながら話す人がいて、その場面をわざわざ使っているところからすると、ひょっとして、介護リーダーたちも映画の作り手もどっちも、そっぽを向かれたいのかな、とさえ思う。『にあんちゃん』で芸術祭賞を獲得したら急にゲンナリして、やくざが豚に食い殺される『豚と軍艦』を撮った今村昌平的心の動きに近いものがあった気がする。 911_sub3_live.jpg  いや、誤解を招かないようもっと正確に言うと、トークの壇上に立った介護リーダーのみなさんは、自分達の仕事に苛立っているのではない。それぞれ、すでにして介護が仕事以上の生きざまになっている。それゆえ、そうそう笑ってはいられない。「ありがとう、の一言がうれしくて」的な充足から遠くかけ離れたところで御年寄り達と付き合っている。つまりそういうことは、なかなか言葉にしにくいのである。夢中でやっている真っ最中の人ほど、自分の仕事をうまく説明できなくなる、あれだ。出てきた人が揃いも揃ってボクサーや棋士、パンクのボーカルみたいな面構えをしていたのは、改めて考えると、ゾクッとする。  トークが親和的な、和やかなものから徐々にお互いの意識や現場での考え方の違いを生じさせていくのは、本作の白眉。日本映画は(つまり日本人が日本の風土のもとで作る映画は)、昔も今もディスカッション――会話ではなく対話――をクライマックスにすることを苦手にしている。だから、伊藤さんと石井さんという『ただいま』でもフィーチャーされていた2人のやりとりが、見事に「噛み合わない」まま、なんとかがんばって話をしていくようすは、ほんとうに素晴らしい。お互い違うねー、と笑いあえる。僕らも参考にし、日常の場でどんどん見習いたい態度だ。トーク・イベントの価値はそこにある。  伊藤さんと石井さんの現場での考え方を巡る噛み合わなさは、ものごとを演繹的に考える人と帰納的に考える人の違いに近いので、どっちが間違っているというわけではない(トークバトルの観客的に見ると、後半やや伊藤さんが逸らしたかな、とは思うが)。どっちも正しくて、それでも噛み合わず、なおかつ互いへの敬意を崩さずに話している姿が良かった、に尽きる。  そういうわけで、制限時間は40分以上オーバーして、ここまで書くのに2時間40分かかった。推敲もろくにできないままドワッと書いたから、大事な部分を多々逃している気がするが、もし時間をかけて書いたとしても、主な論点はおそらくそう変わりはない気がする。 911_sub2_ikeuchi.jpg  『9月11日』は、『ただいま それぞれの居場所』からの反動のようにせっかちに生まれた単独の映画なのに、『ただいま それぞれの居場所』のテーマをしっかり補填していた。じっくりと時間をかけて柔らかく温かいものにするのも、慌てて走ってちょっとピリピリとした緊張が交るものにするのも、どちらも同じ人間のやることだから繋がっているのは至極当たり前のことだ。その当たり前の結論に巡り巡って行き当ったことが、ちょっと嬉しかったりする。  トークが終わった後の深夜に及ぶ二次会のようすを、ほとんどオフにしているのはどうか、と見終ってすぐは思った。あっちこそ本音が出てるんじゃないの? と。でも、こうして書いてみると、あれは同世代が集まって熱気を共有した介護ザムライ達がまたそれぞれの日常の場、待っている御年寄り達のところへそれこそ「ただいま」と帰るまでの、発散とクールダウンの時間帯だったのだと理解できる。9月11日がいくら何かの節目の日だろうがイベントで盛り上がろうが、実に冷厳かつ当たり前な顔をして、9月12日の朝は空ける。「今日も暑うなるぞ」by笠智衆、ということだ。 『9月11日』 企画・監督:大宮浩一 撮影:山内大堂 遠山慎二 野本大 大澤一生 渡辺祐一 編集:辻井潔 ビジュアル・エフェクト:石川正史  サウンド・デザイン:石垣哲 宣伝美術:成瀬慧 制作:大澤一生 渡辺祐一 配給・宣伝:東風 宣伝協力:ノンデライコ 2010年/HD/78分  (C)Love, Peace&Care Connection 12/18~1/14 ポレポレ東中野にて公開 公式サイト http://www.911kaigobaka.com/ 映画『9月11日』 予告編