映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『たまの映画』 <br>たまたまたまの映画 <br>深田晃司(映画監督)

 たま。  この名前に郷愁を覚える世代がある。私の通っていた小学校では、週に一度ホームルームの時間に、クラス全員で歌を歌う慣習があった。だいたいは『ランナー』や『愛は勝つ』など当時の流行歌が定番で、担任の先生の趣味で荒井由美こと松任谷由美もよく取り上げられていたのだが、なかでも異彩を放ち、また大人気だったのが、たまの『さよなら人類』であった。  流行りのラブソングや応援ソングとは一線を画すハイセンスかつシュールな歌詞と、柳原幼一郎(現:陽一郎)の独特な粘り気のあるヴォーカルは子供心にも鮮烈であった。砕けてしまった恋人を探す、なんて聞くだけでゾクリとするような寂しい内容の歌詞は不思議な吸引力で僕たちを歌の世界に引き込んでいく。そういえばブーゲンビリアという樹の名前もこの歌で初めて知った。  それは、80年代の「不思議、大好き。」で「ヘンタイよいこ」(by糸井重里)な世界とも少し違う。屋根裏に置き忘れられていた貸本劇画が時代を越えて不意に見つかってしまったような、例えればそんな奇妙な暗さをたたえていたのだ(なんてことはハナタレのがきんちょは考えもしなかったが)。あるいは黄色い裸電球が多くの影を作り出す安アパートの世界である。 tamanoeiga_ishikawakouji.jpeg  そんなたまも、周知の通り、『さよなら人類』の熱狂が過ぎたあとは急速にテレビから姿を消していく。いわゆる「一発屋」と呼ばれたりした(一発屋。テレビを無批判に価値判断の主体に据える、嫌らしい言葉である)。  たまと次に再会したのは、大人になって映画に関わるようになってからである。塩田明彦監督の『害虫』(02)に、「たまのランニング」こと石川浩司がランニングではない格好でのそりと姿を見せ、また近藤聡乃監督のアニメーション『電車かもしれない』(02)はまさに貸本劇画のような漆黒の世界で知久寿焼のヴォーカルの魅力を再発見させてくれた。  しかし、私はそのときもたまを懐かしみながら、一方で彼らがバンドとして活動中なのか、解散したのかどうかさえ知らなかった(解散は2003年である)。彼らのライブに足を運んだこともなく、つまりその程度の薄いお付き合いしかしてこなかったのだ。そんな私がこの映画評を引き受けていいのか、正直迷った。しかし、映画を見て、また作品に寄せられた今泉力哉監督自身の言葉から、「ま、いいか」と思えたのである。私と同い年である監督の「たま」体験史はほとんど私と同程度で、「引き受けていいのか正直迷った」というのは、まさにこの企画を前にしたときの監督自身の言葉であったのだ。 tamanoeiga_takimotokouji.jpeg    映画は、たま解散後の石川浩司滝本晃司知久寿焼の3人を追いかけている(柳原幼一郎は出演しない)。元たまメンバーの<音楽の魅力だけではない何か>に惹かれたという監督の言葉通り、カメラは彼らのライブハウスにおけるミュージシャンとしての姿だけではなく、プライベートでの姿も追っていく。  ドキュメンタリーとしての仕掛けは控えめで、それらしいのは石川浩司知久寿焼が、彼らが昔住んでいた高円寺の街を訪れることぐらいで、残りの時間はインタビューとライブ風景、あるいは飲みの席などを写し取ることに費やされる。  監督の、たまたま企画を振られてから、メンバーたちの魅力を発見していった素直な視線がこの映画の個性を決定づけている。それは、そもそもファンであった人間が被写体に奉仕するドキュメンタリーではない、監督自身が元「たま」という不思議なおじさん達の魅力を探求する新鮮な111分に仕上がっているのだ。  上述の石川浩司知久寿焼の「高円寺散歩」は二人の飄々とした魅力を十分に伝え、一方インタビューでは音楽家として前線から一歩も引かずに活動を続ける彼らの矜持を覗くことができる。もちろん、奏でられる音楽もまた素晴らしい。  小さなライブハウスでの撮影というのは、往々にして撮るポジションが厳しく制限され、カメラマンとしては大変な不自由を強いられるものだが、その中で今泉監督は記録的に美しく残すことよりも、自らの興味を優先して被写体を直感的に追っかけていくことを選択していく。最初からゴールを定めて撮るというより、目の前で次々と起こる「面白いこと」に素直に引っ張られていく監督の楽しそうな姿が映像から垣間見えるのである。  結果、この映画は、たまメンバーの魅力を肩肘貼らずに、あくまで111分という時間で出来る範囲で、つつましく伝えてくるものに仕上がっている。 tamanoeiga_tikutoshiaki.jpeg  それゆえに、もしかしたら20年来の熱心なたまファンには物足りないとも映るかも知れないが、「たま」入門、正確には「かつてたまにいたおじさん達」入門映画としては十分な役割を果たしているのではないか。たまと共に少年時代を過ごし、その後青春の喧騒のなかで彼らを見過ごしていた人たちには、ぜひこの映画で彼らと再会して欲しい。彼らの歌は、齢三十、いまだ惑いっぱなしの私たちに何事かを教えてくれるだろう。  最後に、この映画は「今泉力哉劇場用初監督作品」という振れ込みで宣伝されているが、たまではなく映画作家今泉力哉目当てにこの映画を見にくると肩空かしを食うかも知れない。それほど、監督は我を出さずにシンプルにフラットに被写体と向き合っている。しかしそれでも撮り手の個性が滲み出るのが映像の恐ろしくも面白いところで、映画は監督がどの人物に特に親しみを感じているかをビンビンに伝えてくる。それは監督自身の独特なたたずまいを知る者にはいかにもと納得ができて、その符合もまた面白いのだった。 『たまの映画』 監督・撮影・編集: 今泉力哉 プロデューサー: 磯田修一 三輪麻由子 撮影: 藤岡大輔 堀切基和 出演:石川浩司 滝本晃司 知久寿焼 たま  配給: パル企画 2010/111分/DV (c)2010 パル企画/NSW 12月25日よりテアトル新宿にてレイトショー 1月1日より名古屋・シネマスコーレにてレイトショー 2月5日より大阪・第七藝術劇場にてレイトショー 公式サイト http://www.tamanoeiga.com/ 『たまの映画』予告編