映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『ドロップ』<br>ケンカ売るつもりなんかまったくありません<br>近藤典行(映画作家)

 品川ヒロシ監督作品『ドロップ』はとてもよく出来た映画だ。間違いなくヒットもするだろう。ただこの、よく出来ている、という点を積極的に評価するか、断じて非難するかは、その人の映画に対する思想、信念がモノを云うことになる。「売れるものはダメだ」と本誌で公言したあの御方の「お手盛り」と斬り捨てられてしまった一人としては、売れるからダメだ、というわけではない、この映画の問題点を今から一丁、論じてみたいと思う。なんとも大上段な書き出し。 メイン 軽.jpg  『ノーカントリー』(08)や『エグザイル/絆』(08)を挙げるまでもなく、近年作られた世界中の秀でた映画にあって、しばしば警察という相当な力を保持しているはずの組織が、「悪」に対してただただ無力な存在として描かれていることは広く指摘されている通りだ。それは端的に、世界の警察たろうとしているアメリカの奢った自意識を、映画作家たちが冷ややかな視線と共に浮かび上がらせているともいえる。元来、警察という組織は、基本的に事が起こってから動き出す他ない、常に後手後手にまわることを宿命とされた存在でもある。さらに現代、映画で描かれているのは、もはや事を治めることもままならず、目の前で起こる歯止めの利かない事態を、時にはコーヒーを啜ったり、時には煙草を吹かしたり、時には大きく口を開けたりしながら見ているしか成す術のない刑事たちの姿だ。秀でているかどうかは別として、他の国同様、日本の映画も変わらない。しかし平和な国ニッポンはその点、安心である。まぁアメリカ映画や香港映画と違って、これらの映画の「悪」といったら、中高生や暴走族や組員が街中で暴れまわるくらいだから、警察が一切介入してこなくたっていい……のか。物語とおよそ関係なく、箸休めとしての笑いを誘発するためだけに、『ドロップ』の哀川翔も、『クローズZERO』の塩見三省も形式だけの刑事として登場させられる始末だ。第一、『ドロップ』劇中で不良仲間の一人である、盗み以外の悪いことはしない、と言ってケンカには一度も参加しなかったルパン(綾部祐二)が、クライマックスの乱闘シーン前、「仲間の仇をとることは悪いことじゃない」と決め台詞を言うように、ここではいかなる暴力もすべて肯定されている。では、仲間だと決めつけている国の仇をとりに出かけるアメリカの暴力はどうだろう。そんな迷いは作り手の脳裏を掠めもしまい。 サブ② 軽.jpg   なんにせよ、「最近の若い奴らはケンカしたことがねぇから、殴った時の殴られた時の痛みがわかんねぇんだ。だから簡単に人を刺しやがる」というような、著名な知識人から飲み屋でくだを巻いているオヤジまでが口にする、男は殴り合って真の友情をつかめ的な、昨日の敵は今日の友的な言説が、ケンカ称揚映画が作られる土壌を用意している。『ワルボロ』(07)も『クローズZERO』シリーズも『ドロップ』も今からおよそ20年も前の、人の痛みのわかる、不良たちが街に溢れていた時代を舞台としている。本当にいたかどうかなんて知る由もないが、そんなかっこいい不良たちを、今をときめくイケメンたちが大挙して演じるのだからそりゃあヒットもするだろう。このイケメンたち目当ての女性客に遠慮するかのように、ヒロインであるはずの『ドロップ』の本仮屋ユイカも、『クローズZERO』の黒木メイサ同様随分ぞんざいに扱われている。男と男の闘いを物語の根幹としているケンカ映画である以上、本来なら不必要なシークエンスであるはずの色恋話を、物語を停滞させるのも厭わずに、顔の見えない何百万人というお客さんへのサービス精神だけで無理矢理入れ込むから、名ばかりのヒロインはこういうどっちつかずの役割しか与えられないのだ。これでは作る側も観る側も、気持ちを込めてその役に、その女優に向き合えるわけがない。女優さえ美しく映っていればいい、という考えの私の言いがかりだろうか。漏れ伝わってくる、大いに評価されているらしい『ドロップ』のケンカのシーンは、ジャッキー・チェンを意識したと得意気に監督が語るように、細かいショットを丁寧なアクションつなぎで見せ、寄り引きのバランス、テンポ(不必要なスローモーションがあることもある)など、実にしっかりと撮られている。だが、本当に興奮させられるかどうかとなると、怪しい。劇中、何度も繰り返される「人は簡単に死なねぇーよ」という台詞が示す通り、金属バットで頭を殴ろうが、車で轢こうが、誰一人として死なない、それが約束されている以上、もしかして殺してしまうかもしれない、殺されてしまうかもしれないという、本気のケンカの緊張感を乱闘シーンの画面から奪っている。これでは、渋いキャラクターとして描かれている森木(波岡一喜)が口にする「もういいだろ」というセリフ、圧倒的にやっている方を制止するという、殺すまではやらないという不良の美学が活きてこない。そこがうまく伝わらない反面、映画の後半で、ケンカとは別の事柄であっさりと人が死んだりもする。 サブ① 軽.jpg  ふんだんにアクションシーンを入れ、笑わせるシーンもきっちり入れ、最後に泣かせるシーンまでちゃんと入れるという、娯楽映画として申し分ない作品を撮り上げたお笑い芸人でもある監督は、職業監督になれる資質を十分持ち合わせているのだろう。このよく出来た、かっこいい不良が活躍する映画は、「顔さえ良ければ彼女ができていたでしょうし、彼女ができていれば性格も歪んだいなかったでしょう(原文のまま)」と携帯サイトの掲示板に書き込んで「簡単に」7人もの人を死なせた男なんかは、端から視野に収めているはずもない。一人でも多くの客を入れた方が勝ち、なんだから負け犬の視線も、こうした戯言も、まったく配慮する必要なんかない、と云われたらそこまでか。やっぱり始めからヒットを絶対条件として作られた映画なんてダメだ、なんて結局あの御方と同意見みたくなってしまった。いやはや。 『ドロップ』 原作・脚本・監督:品川ヒロシ 撮影:藤井昌之 照明:松隈信一 美術:篠田典宏 / 石川昌平 録音:湯脇房雄 編集:須永弘志 音楽:沢田完  出演:成宮寛樹、水嶋ヒロ本仮屋ユイカ上地雄輔中越典子ほか 配給:角川映画 (C)2009「ドロップ」製作委員会 公式サイト http://www.drop-movie.jp/ 2009年3月20日(金・祝) 角川シネマ新宿他全国ロードショー