映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『ブタがいた教室』<br>前田哲監督インタビュー

 食育やいのちの問題が議論されている現在ですが、1990年に実際に小学校でブタを育てて卒業の際にみんなで食べようという教育を試みた教師がいました。その教師と生徒たちの1年間を追ったテレビドキュメンタリー(1993年放映)は多くの賛否を招きましたが、その話を劇映画として作ったのがこの『ブタがいた教室』です。

 相米慎二監督総指揮『ポッキー坂恋物語・かわいいひと』(98)でデビュー後、『パコダテ人』(01)や『ドルフィンブルー フジ、もう一度宙へ』(07)等、着実にキャリアを重ねる前田哲監督に、今年の東京国際映画祭でも絶賛された、子どもたちのリアル過ぎるディベートシーンはいかにして生まれたか、そして大きなテーマである「いのち」について聞きました。

(取材・構成:港岳彦)

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(撮影:矢吹健巳)

――ドキュメンタリー版も拝見したんですが、とてもインパクトが強い作品です。映画版ではそのインパクトを整理して印象を薄めたりするのでなく、インパクトを与える要素を広げていく作業をされたと感じました。

 映画化までには結構時間が掛かったものですから、作り方もいろんなパターンを考えました。例えば成人した元児童の回想形式にする。学校から一歩も出ないで全篇ディベートだけにする等々。時間だけはあったので、迷いに迷い、悩みに悩み抜いたことが結果としてはよかった。子どものキャスティングには特に力を注ぎました。先人たちが常識のように言っていることですけど、80%、90%はキャスティングで決まってしまいます。演出の力はあと20%くらいですから。

――いろいろなパターンを考えたということですが、それはやはりドキュメンタリー版を超えようという意識で?

 テレビドキュメンタリーカットのディレクターである西谷清治さんからは「ドキュメンタリーを超えられるのか、映画にする意味があるのか」と問われ続けました。熱意はわかるけど、君が作る意味はあるのか、と。厳しくも温かいエールです。子どもの扱いに関しては絶対の自信があったので、ディベートのシーンを子どもたち自身の言葉で構成することができれば、映画として成立すると思っていました。

――最終的にはオーソドックスな形式の構成でした。

子どもたちのディベートのシーンを観客の心に届けるには、ど真ん中の直球を投げ込むのが一番だと判断したからです。子どもたちの力を信じていたからこそできたことでもあります。一度は違うことをやろうとも考えたんです。そのうえで、元々この話が持っているものは何か、それを観客にどう届けるかということを考えて……。食べる・食べないという議論はひとつの引っ掛かりではあるけれど、僕はこれを命の問題だけを描いた映画だとは捉えていません。「人間は何故生きているか?」という問いに行き着く物語だと思っています。狭い教室のなかの出来事ですが、地球環境、ゴミ、資源、食の問題その他のたくさんの、人間が生きるうえで重要なことが詰まっています。

――僕もそう思います。脚本作りには監督とプロデューサーも入って?

 そうですね。でも科白や子どもがどう動くかは手探りですから。脚本は太い柱として、ガイドとして作りました。3行で言えるストーリーほど良いものはないといいますけど、この話、本当にシンプルなんです。ブタを飼いました、卒業します、さあどうしましょう。

――ディベートのシーンでの子どもの捌き方も自然で、台本に書かれたこととは思えませんでした。

 クランクインの前、毎週土日に子どもたちを集めてリハーサル、そして合宿をしました。そこでいろいろコミュニケーションをしていったんですが、そこで一度ピークが来てしまった。まだブタを飼ってもいないし、見てもいないのに、泣いたり叫んだり、一言も口を利かなくなる子、豚肉を食べられなくなる子もでたりして、いろんな感情が噴き出したんです。それは子どもの想像力だと思います。元々子どもってそういう素質を持っています。いまの時代に一番危惧するのは、想像力が失われているんじゃないかということです。それを養っていくことが、教育者やクリエーターの使命、責任じゃないかと思います。

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――教育というテーマには以前から関心が?

 ありましたね。人間が成長するうえで最も根本的なものですから。じゃあ自分に何が出来るかといえば、映画でメッセージを発しないといけないんじゃないかと。来年から大学で教えることになったんですが、未来を担う子どもたちにバトンを渡していかなければならないと思っています。いま、自分が映画の世界に生きているのは諸先輩たちの無償のサポートのおかげですから。そのご恩返しを下の世代に少しでもしていければと。

――この映画では「責任」という主題が大きな割合を占めています。主人公となる6年生たちが、ブタを殺すのか、あるいはブタを3年生に託すのかを徹底的に議論するシーン。あそこでの「自分たちの問題を下の世代に押しつけていいのか」という問いは、いまの日本の社会保障年金問題等、すべてに通じるテーマです。

 全部何でも下の世代に押し付けて……。「ハチドリのひとしずく」の話はご存知ですか? アフリカのとある場所で山火事が起こって、動物たちが逃げようとする。でもハチドリだけが川に行って、水を一滴掬って火を消そうとする。動物たちは何してるんだ、そんな意味のないことを、と馬鹿にします。そこでハチドリは「自分に出来ることをするだけだ」と応えるんです。確かに意味はないかもしれない。でもハチドリが100匹いたらまだわからない。いまはもう臨界点を過ぎているかもしれないけど、まだ間に合うかも知れない。とりあえず何かしないと。地球全体、そういう時期になっているんじゃないですか。

――原作・原案はあるにしても、子どもたちに命や食の問題を説く実践教育の前に、「かわいそう」という、素朴だけれど揺るぎようのない子どもたちの感情が対峙する。監督はこの結末に対してどのように考えていたんですか?

 最初から“食べる派”として撮っていました。それは揺るぎなく。ドキュメンタリー版の放映は、実は難航したんです。教育はトライアル&エラーではいけないんだという意見があって。この物語はイニシエーション(通過儀礼)だと思っています。弾力のある心を養っていくためにも、柔軟な子どもの頃からいろんな体験をすることが大切なんです。人はつらい思い、悲しい思いなど傷つくことで成長するんですから。大人がしっかり見守ったうえでのイニシエーションが必要なんです。

 勇気を出して一歩進まなければ何も始まらない。まさに「いのち」をかけて話し合う子どもたちの姿に、全ての物語があるのです。答えを出すこと、答え自体に意味があるのではない。とことんまで「考える」ことこそ、未来に通じるはずです。

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――これは子どもたちが主役の映画ですが、最終的には星先生の問題に立ち戻ります。ブタの処遇を巡って子どもたちの票が真っ二つに割れたとき、彼らは教室の後ろに立つ星先生の顔を一斉に見る。「じゃあ先生はどうしたいの?」という問いを突きつける。

 今回たくさんの先生方を取材させてもらって、ある先生は薄給で土日も忙しくて、デートする暇もないんだけど、こんなにやり甲斐のある仕事はないと言っていました。毎日ハプニングとアクシデントがあり、めちゃめちゃ大変だけど、子どもたちと一緒に感動し、一緒に泣き、一緒に笑い、一緒に成長できる。撮影中もそうでした。一人ひとりがどんどん変化していくし、何をし出すかもわからない。演出として、基本的には子どもたちに、例えば「明日はPちゃんが逃げ出すよ、どうする? どこ探す?」と投げかけながらやっていました。撮影する側としては「ここで右に行って欲しい」とかいろんな思惑があるんですが、こちらから言うのではなく、どうやって右に行かせるか。どうやってその子のものを引き出すかです。

――6年生が、下級生の教室に行ってブタの処遇を決めたことを告げるシーン。一人が話を切り出し、言葉に詰まると、ほかのもう一人が話を引き継ぐ……。もう演出や演技ではなくなっていますよね。

 あそこはブタの末路を発表した場面の撮影と同じ日で、皆朝から緊張しているんです。Pちゃんはどうなるんだという緊張のピークのなかで、先生が結論を出すと、全員の気がふっと抜ける。だからその後の撮影では少し気が抜けてるんです。そのときに妻夫木君が本気で怒った。「お前たちそんなでいいのか、3年生はちゃんとしてるのに!」。それは役者としてより、人間としての妻夫木聡が子どもたちに本気で向き合った証拠です。子どもたちはそういうところを敏感に感じ取りますから。

――終盤、学校から逃げたPちゃんを連れ戻して皆で帰るシーンが、まるでパレードのようで印象的でした。

ブタを探すシーンでは本当はいろんな科白があったんですが、全部切りました。語りすぎてもよくないですから。

――ヒロインの甘利はるなが母親に向かってブタの鳴き声をやってみせるシーンの、目の輝きがとても良かったです。

 キラキラするんです。はるなはいいですよ。14歳の宮崎あおい(『パコダテ人』(01)と出会ったときに匹敵する子に出会えました。はるなも素晴らしいですが、26人の子どもたちはみんなそれぞれ素晴らしい個性をもっています。

――ブタは撮影用にどれくらい用意したんですか?

 11頭いました。「幼」「小」「中」「大」と大きさを分けて。子どもたちには毎日当番制で世話をさせました。当番じゃないのに毎日来る子もいて。だからシンクロしています。「撮影後はどうするんですか、小さいのをうちで飼いたい」と言う子もいました。でも子どもたちには「先生が決めたことと同じことをするんだ」と言ってありました。食肉センターにも撮影前に見学に連れて行っているので、解体されるところを知っています。

――センターに行くのはオリジナルとまったく同じですね。彼らも最初食肉センターに見学に行って、その印象をずっと持ち続けている。

 映画のなかに見学のシーンを入れるかどうかは、非常に論議しました。インパクトがある映像なので、そこだけ作品から突出してしまう危険性があります。なによりもPちゃんを“食べる”“食べない”だけの閉じた話にしたくなかった。センターに送ると廻りまわって自分が食べることになるかもしれない。他の誰かが食べるかもしれない。同じように他の家畜もそのように巡っている、と世界を広げて感じてもらうためにも。

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――画面作りについてお伺いします。ブタ小屋や教室、子どもたちの服装……画面をとてもカラフルに作っていますね。

 モノクロ映画でないならできるだけ色を使いたい。人物もキャラクターに合わせて色を使うことが多いです。それからヒロインが赤なのは前田組の伝統です。衣装合わせには時間をかけます。大人のキャストもそうですが、どんな服を着せるかでキャラクターが固まっていきます。ブタ小屋に関しては、子どもたちの方から「色を塗りたい」ということがあったので。最初から明るくするつもりでしたし、そういう学校も実際に多い。それに暗い印象の映画にはしたくなかった。

――ディベートのシーンはカメラを7台ほど回していたそうですが、時間はどれくらいかかったんですか?

 

 もちろん編集もしていますが、実際のディベートですから。集中力が続く90分を目安として休憩を挟んで、何セットかやりました。子どものなかには押し出しの強い子も弱い子もいるので、思ったことが言えないこともあります。4年生の子も2人混じっていましたし。それをどう引っ張り出すかですよね。あと妻夫木君も一人ひとりに「お前、どうなんだ」と聞いていった。

――監督作としては、前作の『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ』(07)から本作のようなセミドキュメントタッチに切り替えたのかなとも思うんですが?

 

 毎回、前回とは違うアプローチを心がけていますが、リアルなものにこだわる精神には何の変化もないです。

――ご自分としては作家性の強いものと、商業的なエンタテインメントとどちらが合うと考えていますか?

 自分は決めることではなく、周りが決めることなのかもしれません。いままではそういうことを気にかけていましたが、縁があって出会うべくして出会っていくものだと、いまは思っています。ただ、誰も観たことがない映画を作りたいと思っています。それが今回の場合、フィクションとドキュメンタリーの挟間だったのかもしれません。黒田(恭史)先生の言葉に「筋書きのない授業じゃなくて、筋書きにない授業をやりたい」とありますけど、シナリオにないものが生まれてこないかなということはいつも考えていますね。無作為の作為のような、演出じゃないところで何か生まれないかなと。コンセプトは外しちゃいけないし、結論はしっかり持ちつつも。そんなものを目指していきたいです。

ブタがいた教室

監督:前田哲

脚本:小林弘利 原案:黒田恭史 

撮影:葛西誉仁 照明:守利賢一 美術:磯見俊裕 録音:小野寺修 編集:高橋幸一

出演:妻夫木聡大杉漣田畑智子池田成志ピエール瀧清水ゆみ近藤良平大沢逸美戸田菜穂原田美枝子、26人の子供たち

(C)2008「ブタがいた教室」製作委員会

シネ・リーブル池袋新宿武蔵野館ほかにて上映中

公式サイト www.butaita.jp