映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

脱映画批評『消えたフェルメールを探して』 <br>フェルメールと〈創造〉の断片の彼方へ <br>髙尾すずこ(編集者)

「合奏」という出発点  左手前にはペルシャ絨毯がかかったオーク材のテーブル、白と黒の幾何学模様の床には、均整と調和の象徴である弦楽器がある。絵の奥の壁近くでは、チェンバロを弾く女性と、譜面を手にして歌う女性にはさまれて、こちらに背を向けた男性がリュートを弾いている。その座っている椅子は斜めにおかれ、背もたれは鮮やかな赤だ。壁に飾られたディルク・ファン・バビューレンの絵画「取り持ち女」や、チェンバロの蓋に描かれた田園の風景画が、官能的なコンテクストを暗示する。絵からは音楽が流れ出してくるようでもあり、同時に静寂につつまれているようでもある……  17世紀オランダを代表する画家ヨハネス・フェルメールの傑作であり、イザベラ・スチュワート・ガードナーが蒐集家として初めて、パリのオークションで、ルーヴル美術館やロンドンのナショナル・ギャラリーを相手どって競り落とした、フェルメールの「合奏」。  この絵に少女時代に出会い、その美しさに圧倒され、虜になったのが、本作(原題:Stolen)の監督、レベッカ・ドレイファス(Rebecca Dreyfus)である。彼女は、1990年にガードナー美術館から盗まれたこの絵の損失を惜しみ、2002年から2年間の映画制作を通じて、文字どおり「消えたフェルメールを探そう」とした。  本編では、盗難事件の全体像を浮き上がらせるいくつかの側面が、交互に、並行して展開されていく。  多彩な顔ぶれの関係者が画面に登場し、インタヴューが繰り返される。FBI特別捜査官。ガードナー美術館の学芸員。わずか一週間訓練を受けただけの学生アルバイトだった事件当時の元警備員。映画化された小説『真珠の耳飾りの少女』のトレイシー・シュヴァリエ、デルフトの街を舞台にした評伝『フェルメール デルフトの眺望』のアンソニー・ベイリー、連作短編集『ヒヤシンス・ブルーの少女』のスーザン・ヴリーランドなど、フェルメール・ブームの立役者となった著者たち。  氾濫する水のような情報に流されるようにして、最初はテレビのドキュメンタリー番組の解説にも似た印象も受けるこの映画の、複雑な多面体の中に、観客はしだいにとりこまれていくことだろう。  一方、蒐集家イザベラ・ガードナーと、そのアドバイザーであったバーナード・ベレンソンとの往復書簡は、世界でも有数の邸宅美術館とそのコレクションが誕生する経緯を伝えてくれる。 獲得され、所有される〈美〉  19世紀半ばにニューヨークに生まれ、ボストン上流階級の実業家と結婚したイザベラ・スチュワート・ガードナーは、二歳になる男児を肺炎で亡くし、子供を産めない体になった後、夫と共にヨーロッパやアジアを漫遊する生活を送った。作家ヘンリー・ジェイムズとも交友をもち、『ある貴婦人の肖像』のヒロインのモデルになったともいわれる彼女は、教会や宮殿めぐりをしながら審美眼を養い、父の他界により多額の遺産を受けとったことをきっかけに、美術品の蒐集に情熱を傾けるようになる。  その蒐集のアドバイザーとなったのが、後に世界的なイタリア美術鑑定家となるバーナード・ベレンソンである。パトロンであったイザベラの後援を受けていたベレンソンは、ヨーロッパへ渡り、彼女の絵画購入の仲介役をつとめた。  イザベラの住居であり、死後はガードナー美術館となるフェンウェイ・コートは、ヴェネツィア貴族の館を模したファサードが中庭をとりかこむという、斬新な設計だった。バルコニーから見おろせる、四階建ての吹き抜けの中庭には、古代彫刻が配され、四季の花が咲く。絵画や彫刻、骨董や食器などがあちこちにおかれた館内は、イザベラ・ガードナーの美意識ですみずみまで統一された。  ここに、イタリア・ルネサンス絵画とオランダやフランドル地方の絵画を中心とした、洗練されたコレクションが結実する。自分の趣味の集大成であるこの館を、死後もそのままの形で残すために、イザベラは、作品の貸し出しや、新しい作品を加えること、あるいは展示位置を変えることを禁ずる遺言を残した。絵画が盗まれてから10数年が経過した今も、美術館の壁に空の額縁がかかったままになっているのは、そのためである。 gallery23.jpg 史上最大の美術品盗難事件  1990年3月18日午前1時24分ごろ、ボストン警察を名のる二人の男が、騒ぎの通報を受けて来たと伝え、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館内に侵入。粘着テープと手錠を使って警備員二名を美術館地下に監禁し、レンブラントの「ガリラヤの海の嵐」と「黒装束の婦人と紳士」、フェルメールの「合奏」、マネの油彩画やドガの素描を含めた計13点の美術品を盗み去った。  被害推定額は5億ドル。なかでも、美術館のコレクションの核となる一枚であり、もっとも貴重とされるのが、フェルメールの「合奏」だった。この絵が「値段をつけることが不可能」とすらいわれたのは、フェルメールの現存作品がわずか三十数点であり何十年ものあいだ売りに出されていないこと、この画家の生涯と作品について残された記録が少ないため研究上重要であることなど、市場価格や推定価格といった金銭的な要素では計りえない価値があったからだ。  盗難から7年後の1997年、ガードナー美術館は報奨金を当初の100万ドルから500万ドルに引き上げ、骨董商ウィリアム・ヤングワースが、報奨金と自分の罪の免責にくわえ、服役中の美術品大泥棒マイルス・コナーの減刑を条件に、返還の橋渡しを申し出た。しかし、ヤングワースとコナー、FBIと警察、検事局、美術館そしてジャーナリストといった参加者のさまざまに異なる動機がからみあう交渉は難航し、座礁した。  FBIのホームページでは現在もこの窃盗事件の手配書が公開されている。盗まれた絵も犯人も依然として発見されず、以後、この事件の被害額を上回る規模の絵画盗難事件は起こっていない。 絵画探偵ハロルド・スミスの捜査  絵画盗難と捜索の世界への水先案内を務めるのが、この映画の看板のような格好のハロルド・スミスである。  「絵画探偵」というタイトルと、フェドーラ帽に眼帯といういでたちは、一昔前の青少年向け探偵小説に出てくる怪盗紳士を連想させるようだが、75歳のハロルド・スミスは、れっきとした美術品の損害査定の専門家である。50年以上にわたって盗難絵画捜査にとりくみ、美術館やアート・ギャラリーのセキュリティーコンサルタントも務めてきたスミスは、世界の個人コレクター、FBIのエージェント、インターポール、スコットランド・ヤード、詐欺師、鑑定家などとつながりをもつ。  スミスのネットワークを駆使して、探索が始まる。スミスとドレイファスが接触するのは、美術品大泥棒マイルス・コナー、骨董商ウィリアム・ヤングワース、かつては故買業者であり今は一転して警察への情報提供者となった「ターボチャージャー」ポール・ヘンドリーなどである。やがて、ボストンのアイリッシュ・マフィアのボス、「ホワイティー」バルジャーの名があがり、捜査の矛先はアイルランドのテロリスト集団IRA(Irish Republican Army)に向かっていく。  ケネディ上院議員、元大統領などの関与までがほのめかされる中、ひとつの疑問だけが深まる。それで、今、絵はどこにあるのか? さまざまな思惑が対立し、錯綜する。虚と実がわかちがたく入り混じり、誰の言葉を信じたらいいのかはわからない。 smith_main-s.jpg フェルメールと〈創造〉の断片の彼方へ  本作の上映に先立ち、2008年8月2日から東京都美術館フェルメール展が開催され、日本初公開5点を含む過去最多の7点が展示されている。  われわれは、魂を揺り動かされるような美や、創造的な天才であった画家たちの人生のドラマなど、さまざまなものを期待して、美術館に足を運ぶ。しかし、われわれが日常的におこなう、美を鑑賞するという行為が、どのようなものであるかということに、この映画は思い巡らさせてくれる。フェルメールの現在と「合奏」があり、レベッカ・ドレイファスの現在と「消えたフェルメールを探して」がある……われわれはそこに、絵画と映画を超えてさしだされる創造の構造を無意識に見る。  美とは、純然たる個人的体験である。と同時に、一方で、それは背景にさまざまな組織が関係する社会的行為であり、美に対する社会の欲望とでもいったものと無関係ではいられない。美術品窃盗は、武器、そして麻薬の密輸にせまる国際犯罪である。そこには、金銭、政治的動機、犯罪者の野心などが、複雑にからみあっている。  美をめぐる裏側の世界は、本作では、ハロルド・スミスという人物に体現されている。この映画の魅力のひとつがハロルド・スミスという存在そのものであることは疑いようもない。20代から患っているという皮膚癌のために崩れかけた顔や手を絆創膏で覆い、義鼻と眼帯をつけた異形の風体でありながら、ダンディで礼儀正しい紳士でもある。「ロイズのエージェントと会っていたら鼻が落ちた」と笑う、どこかコミカルであり、どこかいかがわしく、どこか悲哀の漂う存在でもある。  真相は近づいては遠ざかる。あたかもフェルメールが、そして監督レベッカ・ドレイファスが見いだせない何かがつねにあるように。皮膚癌と戦いながら探索を続けたハロルド・スミスは、2005年2月19日に世を去る。  盗難から数十年が経ってから絵が発見されることもあることを考えると、2年間というタイムスパンは、おそらくは盗難絵画の捜査としては断片的であるのかもしれない。そして残されたものは、映画監督ドレイファスの、美にせまる創造の試みの、ひとつの断片なのだ。スミスの開設した24時間ホットラインに寄せられる、真偽の疑わしい情報の数々をバックにして、めまぐるしく切り替わる映像はシュールである。それがまるでわれわれが生きている現在そのものを映す一篇の詩であるかのような、ふしぎな既視感にとらわれていく。 髙尾すずこ プロフィール 1976年、東京生まれ。慶應大学環境情報学部卒業。在学時は福田和也ゼミ在籍。㈱野村総合研究所での翻訳業務などを経て、現在、㈱原書房にて編集製作に携わる。主な担当書籍の分野は、ヨーロッパの歴史、古代ギリシア・ローマ文化、キリスト教イスラム教、文学、児童文学など。 『消えたフェルメールを探して』 監督 レベッカ・ドレイファス、撮影 アルバート・メイルズ、レベッカ・ドレイファス 出演 ハロルド・スミス、グレッグ・スミス 配給 アップリンク 2005 年/アメリカ/83 分/カラー/スタンダード/ステレオ/ video 9月27日よりアップリンクにて公開 ※「脱映画批評」は映画を専門外とする各分野の書き手に映画を批評してもらう新たな試みです。