映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『青空ポンチ』 <br>バカにつける爆薬 <br>近藤典行(映画作家)

 真っ暗な画面から馴れ馴れしいオバちゃんの話しかける声が聞こえてくる。「帰ってきたんかぁ、カツオちゃん。ほんで東京どうやったん?ええもんやるわ、ゼリーや。持っていきまい」。次の瞬間、主人公・カツオ(石田真人)が姿を現し、ゆっくりと歩き出すと振り返りもせず「いらねぇよ」と呟く。このファーストカットによってまず、カツオが東京から久しぶりに地元に戻ってきたことが判る。駅前にいたオバちゃんに気軽に声を掛けられるくらいだから、町中の人はほぼ全員顔が通じる狭い共同体で暮らしているのに相違なく、そこが平和でまさにド田舎によくある町であることも察しがつく。カツオの返事からはできればこんなところに戻ってきたくはなかったという鬱陶しさの響きも聞き取れる。しかし、そのどこにでもいそうな田舎のオバちゃんが持っていかせようとするのが、なんでよりにもよって「ゼリー」なのか。この映画の脚本家、もしくは監督に「ゼリー」を選ばせた思索は果たして存在するのか。 sub1-mail.jpg  <アジアの地中海、香川の素晴らしい自然をバックに展開する、しょーもないけど大切な青春ストーリー!> これは『青空ポンチ』のチラシ中の一節である。さらにチラシ中から拝借して、その<青春ストーリー>とやらを説明してしまうと、<ミュージシャンとして上京したものの突然地元に戻ってきたカツオ>が<地元で家業を継いだ元バンド仲間のマスオ(板倉善之)、トラブルで大阪から田舎に住む祖父の元へ預けられた玉枝(小池里奈)、出世の夢を失った元エリートサラリーマン舟木(山本剛史)>と<ひょんな事から>といっても、まったくまともな理由も説明付けもないまま、<バンドを組むハメに>なり、あっさりと分裂、あっさりと復活と、およそ思索とはかけ離れた物語があれよあれよと繰り広げられる。<青春ストーリー>という枕詞が何の疑問もなしにくっついて宣伝されてしまうのと同じように、言うなれば、そんな「とってつけたようなこと」を全面的に導入する、これがこの映画の一貫した態度である。 sub3-mail.jpg  香川県の協力があり、チラシにも大々的に香川県が謳われているわりには、劇中ではこの映画の舞台、つまりカツオが戻ってくるこの地方都市が香川県であるとは一切明示されてはいない。それを匂わしているのか、画面や台詞で幾度か「うどん」が出てきはするが、この映画にとって香川県の海や大自然が取り立てて必要な舞台装置だったとは思えない。「東京タワーってうどん何本分ですか?」なんて台詞は言わずもがな「とってつけられた」ものだ。オープニングとエンディングで流れるジッタリン・ジンの新曲に呼応するかのように、カツオたちのバンドがクライマックスで初めて人前で演奏する『夏祭り』も、登場人物たちの名が「カツオ」「マスオ」「イソノ」「マチコ」といったのと同じくらい、「とってつけられたもの」でしかない。では、この「とってつけられたもの」は映画全体にとって致命的な欠陥となっているかといえば、私にはそうは思えない。なぜなら、的確な演出が施された役者たちの「魅力溢れる」といった常套句を使用したくなるほどの表情と身振りが、「とってつけられた」表層をすっかり忘れさせてくれるからだ。だからこそ、自分から「バンドやろうぜ」と誘っておいて、「俺は音を出さない音楽をやってるんだ」とか言ってまともに楽器も弾かなければ、唄いもしないボーカルのカツオが、「お前、何がしたいねん?」とマスオに問い質されて放つ「俺だってわかんねーよ。だから音楽やってんだろ」という言葉や、バンドが喧嘩別れになった後もスタジオで一人ドラムを叩く玉枝の、「なんでバンドもねぇーのに、ドラム叩くの?」とカツオに訊かれて返す「音出すのに、意味なんかいらんやろ」との言葉が、突如として現実の意味を越えて真に迫ってくる。 main-mail.jpg  玉枝の拗ねて頬っぺたを膨らます怒った顔やくるりと変わってドラムを叩く時のあどけない素直な笑顔、すべての商店のシャッターがすでに閉められたアーケードの中をあてもなく徘徊しつづけて、いまにも泣き出しそうになる舟木の表情、路上の片隅から聴こえてくるギターの音を耳にするや否や駆け戻っていく、その後ろ姿。嘘を少しでも「リアル」に近づけるためのもっともな理由や説明、そんなものを見たり聞いたりするために映画館に足を運ぶんじゃない。そんなことは映画以外でやってくれ。説明のつかない、言葉にならない、そんな情動に衝き動かされるような体験がしたいから映画を見てるんだ。すべては、たまたま寄せ集められたモノとそこに居合わせモノが出会ってしまった、という真実から導き出され、生み落とされたもの、それだって充分、「映画」たりえる。出会わなければ、「とってつける」ことすらできない。  こんなわかったような顔して駄文を締め括ろうとする中途半端なバカを突き放すように、この映画は最後の最後、前述の『夏祭り』を四人のメンバーが演奏するクライマックスのシーンで狂暴なまでのバカバカしいオチを炸裂させる。それについてはここでは触れないでおく。ただ、このオチまでに至る、四人の、ほとんどが楽器も弾けていない状態でかき鳴らし、叫ぶ、決して混じり合うことのない不協和音は、人によったらそれはやはりただ不快にしか聴こえないだろうが、少なくとも意味のないことにガムシャラに突き進んでしまうバカなわれわれをよりいっそう煽り立ててくれる。バンド組むか、映画撮るか、その両方か。バカは死んでも治らない。 青空ポンチ 監督:柴田剛 原作・脚本:いこま 撮影:近藤龍人 照明:田村廣人 美術:宇山隆之  録音:永田知久 編集:佐藤貴雄 出演:石田真人、板倉善之、小池里奈、山本剛史、蛭子能収 ほか (C)2008月眠 9月13日より ユーロスペースにてレイトショー公開 公式サイト:http://www.aopon.jp/