映画芸術

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映芸マンスリー直前インタビュー<br>『うずく人妻たち 連続不倫』(原題:ETUDE)の福原彰監督に聞く

 邦画にはピンク映画というジャンルがあり、それは成人映画館で上映されることを目的として作られています。およそ1時間という上映時間の中でカラミのシーンを数回入れなければならないなどの制約もありますが、作り手が真摯に作品と向き合っているという点で一般映画となんら変わりはありません。デジタル機材による撮影が進むなか、35ミリフィルムによる撮影が続けられているという点でも、このジャンルの貴重さは増してきています。

 映画芸術が主催する「映芸マンスリー」では定期的にピンク映画を上映していきたいと考えています。11月12日(月)に開催される次回は、新東宝映画のプロデューサーである福原彰さんの監督デビュー作『うずく人妻たち 連続不倫』(原題:ETUDE)を上映する予定です。ピンク映画の作り手がどのような人で、どのような思いを作品に込めているのか。まずはそこから興味を持っていただければと思い、今回のインタビューを企画しました。作品自体については会場で上映後に詳しくお話を伺いたいと思いますので、興味を持たれた方は是非ご来場ください。

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――福原さんは横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を卒業しているそうですが、入学までの経緯を教えてもらえますか。

福原 高校時代に8ミリ映画を作ってたんですが、大学受験ということになったときに気持ちのうえで完全にドロップアウトしていて。浪人すればそこそこの大学には行けたのかもしれないけれども、大学に行っちゃったらダメだっていう、変な切迫感みたいなものがあったんですね。もっと世の中のリアリティみたいなものに触れてみたいというか、そんな思いが強くていきなり海上自衛隊に入っちゃったんですよ(笑)。

――(笑)どうして海上自衛隊だったんでしょうか。

福原 思想的なものは全くなかったんです。裸一貫でポッと行けて、仕事して給料がもらえる場所ぐらいの感覚で(笑)。あと、昔から海洋冒険小説が好きで、メルヴィルの「白鯨」を中学から高校時代にかけて読んだりしていたんですが、その影響もあって海の仕事に憧れてるところがあったんですね。ただ、映画のほうへ進みたいっていうのは決めてたんですよ。けど、当時の限られた知識では、大学へ行って映画会社に入るとか、自主映画を撮って出ていくという道筋ぐらいしか想像できなくて、そういうのは違うなと。平和ボケしている日本の現状に対する苛立ちみたいなものを感じてたようです(笑)。

――高校生のときによくそこまで危機意識を持てましたね(笑)。

福原 違和感があったんですよ。周りを見ても、就職に有利だからとか、みんな行くからっていう程度の理由で受験勉強しているような人がほとんどだったし。世の中に自分がうまくはまっていけないというか、むしろはまっていかないほうがいいんじゃないかという気持ちがあって、ちょっと突飛な道へ進んでみようかなと思ったんですね。映画のほかにメルヴィルドストエフスキーなんかにもハマってたから、かなり暗いというか、浮いてる存在ではありましたね。

――家から出て行きたいという気持ちもあったんですか。

福原 それはありましたね。とはいえ、全くなにもないところへ出て行って生きていく自信はなかったし、自衛隊なら国家が運営してるしなんとかなるだろうと(笑)。そこでいろいろあっても、それはそれでおもしろいじゃんと思ってました。

――実際、入ってみてどうでしたか。

福原 2年目にようやく船に乗れたんですけど、そのとき初めて自分が船酔いしやすい体質だということがわかって(笑)、船が揺れるとほとんど死んでました。

――それで自衛隊には見切りをつけたんですか。

福原 もともと3年だけ働いて、お金が貯まったら別の道へ進もうと思ってたんですよ。で、2年目が過ぎたころキネマ旬報かなにかに載ってた横浜放送映画専門学院の広告を見たんです。ちょうど今村(昌平)さんが『楢山節考』でカンヌのグランプリを獲ったときで、今村さんの映画が特別好きというわけではなかったんだけど、こういうすごい人がやってる学校ならおもしろいかなと思って。だから結局、一番お定まりのコースに戻っちゃったというか(笑)。

――自衛隊には3年いたんですか。

福原 いましたよ。そのころは、休みの日は映画を観まくって、自分なりにシナリオを書いてみたりしてました。

――横浜時代はどんな学生生活を送ってたんですか。

福原 そこでもやっぱり違和感みたいなものがずっと続いてて。どうも環境になじめないんですね。表面的には一生懸命取り繕ったりするんだけど、違和感みたいなものがぬぐえない。専門学校だからやっぱり緩い感じじゃないですか。その緩さが嫌だったし、周りの学生もあまり映画を観てなくて話も合わない。映画をたくさん観て頭でっかちになるよりは現場で学べという雰囲気でしたしね。

――卒業後はどうされたんですか。

福原 当時は学校が2年制だったんですけど、その後に研究科というのがあって、学費はかからないけれども、今村さんが撮る『女衒』の現場につくという条件で学生を募集してたんです。なんかおもしろそうだなと応募してみたら受かって、1年ぐらい現場で使い走りをしてました。一番大きな仕事は車止めです(笑)。マレーシアに行ったんですけど、車が多い国でしかも映画は時代劇。だから1kmぐらい先まで行って、大きな旗を振って車を止めてましたね。

――プロの現場に出てみた印象はどうでしたか。

福原 やっぱり厳しい世界だなっていうのが一番ですね。特に今村さんの現場は厳しいですから。当時の思い出には恥ずかしいこともいっぱいあって、いきなりキレちゃってバカなことを喚いたり。どこか思い上がりもあったんでしょうね。

――『女衒』の撮影が終わった後はどうされたんですか。

福原 しばらく現場に出てましたね。テレビドラマの助監督や制作助手をやったり、美術助手をやったり。横浜時代は美術ゼミに在籍してたんで。

――それはどうしてですか。当時から監督志望だったんですよね。

福原 へそ曲がりなんですよ。映画がやりたいと思っても大学へ行かずに自衛隊へ行っちゃうし、映画の学校へ入っても監督ゼミへ行かずに美術ゼミへ行っちゃう(笑)。

――監督以外のポジションから映画というものを見てみたいという思いもあったんですか。

福原 それはありましたね。美術というのが一番よくわからなかったから、どういう仕事をするのかなぁと。実際、大船の撮影所で山田組の美術助手として働かせてもらったりして、いろいろ見えておもしろかったですけどね。小津監督や溝口監督と一緒に仕事をしたことがあるっていう人がまだいたし。「オッちゃんはねー」とか「ミゾさんはなー」とか当たり前のように言う人を前にして頭がくらくらしましたけど(笑)。

――現場にはどれぐらい出てたんですか。

福原 1年半ぐらいやったんですかね。自分の勉強不足を痛感して、その後はアルバイトをしながら図書館に通う生活を続けてました。一度現場からドロップアウトすると二度とプロの世界には戻れないんじゃないかっていう不安はあったんですけど、それ以上に自分を突き詰めなきゃいけないという気持ちが大きくて。言葉にするとほんと青臭いですけどね。ほかに選択の余地がなかったというか。それが25~26歳ぐらいのときかな。

――その生活はどれぐらい続いたんですか。

福原 28までかな。2~3年続いたんですね。どこにも行き場がなくて、とりあえず図書館で本を読んだり、中古屋で買ったレコードを聴いたりするのだけが楽しみっていう、くら~い生活でした(笑)。女性にも縁がなかったし。

――お酒を飲みに行ったりはしなかったんですか。

福原 お酒はあまり飲めないんですよ。そういうこともあって、人間関係を築くのが苦手だったんです。今でも得意だとは思いませんけど、そのころは特に内にこもりがちで、人生に対しても徹底的にペシミスティックでしたね。世の中にも絶望してたし、自分にも絶望してたし、どこにも寄る辺がないというか。バブルの真っ只中でね。

――その当時、読んでいた本はどんなものが多かったんですか。

福原 世界文学全集に入っているような文学の古典や哲学書とかをね。要するに、世の中とか自分てなんなのかとかいうことが本当にわかんなくなっちゃって、仕事どころじゃなかったんですよ。映画をやりたいっていう気持ちだけはあったから、死にたいなんて思ったことはなかったけど、じゃあなにが撮りたいんだって言ったときになにもないわけですよ。それをひたすら探してたんだけれども、なにも出てこない。自分の中をいくら探ってもなにもない。今なら世の中を見渡せば題材なんていくらでもあるじゃないかって思うけど、その当時は世の中との関わりを避けてた時期だったんで。今も若い人の中にたまにそういう人がいるけど、「辛い時期送ってんだなぁ」ってシンパシー感じます(笑)。

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※本編はカラー作品です

――その辛い3年間を過ごして、社会との関わりを回復しようと思ったきっかけはなんだったんですか。

福原 知り合いがカラオケビデオの演出の仕事を紹介してくれたんですよ。イメージビデオ的なセンスのいいものを作る自信はなかったけど、映像でストーリーを語れる自信はあったから、やってみたんですね。それがすごくおもしろくて、2年ぐらいは毎月2本のペースでカラオケビデオを撮ってました。その合間に土方のアルバイトをやったりして。

――自分や世の中に絶望しながらも、社会にまた出て行こうと思えたのはなぜだったんでしょう。

福原 やっぱり信じられるものがあったってことだと思います。映画や文学があったから、辛うじて信じ続けることができたのかもしれない。なにか劇的な変化が起きたというわけではないですね。紹介された仕事をなんとなくやってみて、それがきっかけになって少しずつ社会復帰していったという感じかな。

――そこから新東宝映画に入社するまでの歩みはどんなものだったんですか。

福原 2年ぐらいカラオケビデオの仕事をやって、もうこれ以上やってもしょうがないなって思ったんですよ。30手前のころかな。それで、なんの当てもないままに辞めちゃって。そうしたら、同じ人が今度はケーブルテレビの仕事を紹介してくれて。社員待遇じゃないけど、固定給が出るということだったんで、じゃあやってみるかと。それから2年間は多摩ニュータウンにある小学校、中学校、高校を回って、学校紹介みたいな感じで毎週15分の番組を作ってましたね。その仕事は楽しかったですよ。子供たちって見てるとおもしろいし。人間の原型がそのまま露呈してる感じで。

――その後、新東宝に入ることになるわけですよね。

福原 その仕事をやっている間に、新東宝の前の社長と知り合いになったんですね。しばらくは飲み友達みたいな感じでお付き合いしてたんですけど、そのうちケーブルテレビの仕事しながら新東宝の倉庫でフィルムを梱包するアルバイトをやらせてもらうようになって。あるとき、新東宝に入れてくれませんかって訊いたら、ああ、いいよって言ってくれたんですね。

――入社してからはどんな仕事をしてたんですか。

福原 最初の2年はビデオの仕事をしてましたね。ヒッチコックルノワールブニュエルなんかの古い映画をビデオ化する仕事をしたり、っていうと新東宝がなんでそんなことをやってるんだって感じなんですけど(笑)、そういう話が持ち込まれたときにやりたいって言ったら、やらせてもらえたんですね。と同時にアダルトビデオのプロデュースも何本かやりました。でもAVに関してはなにが売れるかっていう勘というか才覚っていうのがまったくないのがわかった。それで、このままいったら会社にいられなくなるなと思ってたときに前の映画担当者が会社を辞めて、衣川(仲人)さんと2人でピンク映画をやれっていう話になって、そこから今に至るという感じです。

――それがいつごろの話ですか。

福原 映画をやり始めたのが97年の初めだから、今年で11年目ですね。

――昨年『うずく人妻たち 連続不倫』で監督デビューするまではずっと製作の仕事をしてたんですか。

福原 プロデュサーとして仕事するかたわら97年に脚本を1本書いて、それから年に1~2本ぐらいのペースでピンク映画の脚本は書かせてもらってたんです。本業のほうでは02年に佐藤吏、04年に小泉剛、06年に田中康文と、3人の新人監督をデビューさせたんですが、映画をやり始めたころに助監督として入ってきた連中がだいたい監督になったので、そろそろ僕もやらせてもらっていいかなぁという気持ちもあったんですよね(笑)。

――ということは、福原さん自ら監督デビューを志願されたんですか。

福原 ある日、ポスター撮りの仕事で深町章監督の現場へ行ったときに監督が迷ってたんですね。カメラマンの志賀(清水正二)さんも考え込んでるから、つい「こっちから撮ったらどうですか」なんて余計なことを言ったんです。そしたら監督が冗談半分に「福やんもグジュグジュ言ってるみたいだから、自分で一本撮ってみたらいいんじゃねえか」って言ってくれたんですよ。僕も嬉しくて「え?いいですか」って訊いたら、「おう、やりゃあいいじゃん」と。それで深町さんのプロデュースで監督デビューさせてもらったという流れなんです。深町さんには本当に感謝してます。いろんなことを教わったし。

――ご存知ない方もいると思うので、ピンク映画の予算規模などについて教えてください。

福原 新東宝の場合、平均的な予算は350万です。撮影日数は少なくて3日、多くて5日だけど、5日やったら間違いなく赤字になっちゃいますね。350万の予算なら350万をポンと監督に渡して、うちは出来上がった作品を買い取りますよっていう契約なんです。だから製作というクレジットは付いてるけれども、実質的には作品の買い取りなんですね。

――つまり、ラインプロデューサーのような仕事は全て監督がやるわけですね。

福原 そうです。だから監督が350万のうちいくら浮かせても構わない。だけど逆を言えば、いくらオーバーしてもうちは知りませんから、ちゃんと映画は納品してくださいよ、という残酷なシステムなんです。

――そういう厳しいシステムの中で監督をやることに、福原さん自身、当初は不安があったわけですか。

福原 というより、プロデューサーが監督をやるっていうことにためらいがあったんだと思います。それは常識的にもあまりかっこいいことではないし、そんなに甘いもんじゃないだろうと。ただ、そう思いつつ、自分がやればなにか違うものが撮れるという思いはどっかにあったんでしょうね、やりたいと言うからには。

――長い間、プロデューサーとして現場を見てきたことで、もっとこうしたらいいのにという思いが蓄積されていたということもあるんですか。

福原 それは常にあったけど、監督それぞれに個性が違うし現場の事情もあるから、こちらが細かいことまでいちいち口出しするものではないし。まぁ、必要と思ったときはそれなりに口は出してましたけど。

――監督をやるに当たって、プロデューサーをやってきた経験から、撮影前に持っていたプランみたいなものはあったんですか。

福原 撮影資源っていうものがあると思うんですね。フィルムやスケジュール、役者や場所など、撮影にかかわるもの全てがそうなんだけど、低予算映画の場合、特にそういう資源をいかに有効に使うかっていうのが一つのポイントだと思うんですね。だから、場所をできるだけ限定して、その中で可能な限り濃密な撮影をするというのが新人監督としては一番やりやすいし、目指すべき方向なんじゃないのかなと。

――旅館がメインの舞台になっていますが、そういう設定も今話されたようなプランから生まれたものだったんですか。

福原 そんな立派なものじゃなくて、とりあえず自分が知ってる場所で撮影をしようということですね。完全に想像から入っちゃうと、撮影できる場所を探すのが大変になっちゃう。ピンク映画の場合はロケセットに使える予算も限られていて、どこでも撮影できるわけじゃない。だから、いろんなことが想定しやすい場所で撮影したいというところから考え始めたんですね。

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※本編はカラー作品です

――どういう形であのストーリーが生まれたんですか。

福原 最初は映画の冒頭にだけ出てくる人妻を主人公にした話を考えてたんですよ。けど、全然物語が転がっていかなくて、じゃあ相手の男を主人公にすればいいんじゃないかと思ったときに話が繋がったんですね。撮影場所に関しては、ラブホテルは都内のどこかで撮影できるだろうけど、それ以外は全部伊豆の旅館に持っていけばいいじゃないかと。旅館を舞台にすれば、経営してる人の話か、そこへ来た客の話しかない。じゃあ客の話にしようという風に決まっていきました。

――そのときに予め考えていた人妻と男の話と舞台設定が噛み合って具体的なストーリーが立ち上がってきたと。

福原 そうですね。

――原題の『ETUDE』というタイトルにはどんな意味が込められてるんですか。

福原 ETUDEは直訳すると練習曲とか習作という意味なんですが、主人公にとっての人生勉強、僕自身にとっての映画勉強というような意味合いですかね。

――図書館に通う生活を続けていたころ、なにを撮ったらいいのかわからなかったという話がありましたが、そういう時期はいつの間にか通りすぎていたという感じですか。

福原 そうではなくて、ずっと苦しみ続けてきたっていうのが正直なところだと思います。新東宝の社員になってそれなりに生活は安定したけれども、その間も心はさまよい続けてたというか、自分の表現したいものを探し続けてきたということはありますね。そういう時期があったから辛うじて監督デビューできたのかなと思います。苦労しながら脚本も書き続けてきましたし。

――その彷徨は今も続いてるんでしょうか。

福原 そうですね。9月の末に二作目の脚本を書きあげたところなんですけど、これも3ヶ月間ずっと苦しみ続けましたからね、なにも出てこなくて。

――『うずく人妻たち』では大人たちの切羽詰ったやりとりやシビアな結末が印象的でしたが、映画には福原さんの世の中に対する認識が反映されてるんでしょうか。

福原 自分の体験をそのまま映画にしてるわけではないので、それが僕のものの見方なんでしょうね。ただ、ペシミスティックではないと思ってるんですよ。ギリギリのところでそれは避けてるかなと。だからといってポジティブかどうかはわからないけど。

――人物にすごく意志がある感じがしますよね。シビアな結末も人物たちが能動的に選んだ結果という感じがして、あまり悲観的な印象は持ちませんでした。でも、ハッピーエンドにしてあげたいと思ったりはしないんですか。

福原 たぶん優しくないんでしょうね(笑)。

――撮影の話に移りますが、佐々木麻由子(現・田中繭子)さんの演技がすごいですね。まさに“鬼気迫る”演技だなと思いました。

福原 それは僕の演出というより、佐々木麻由子という女優のすごさだと思いますね。彼女とは付き合いも長いし、新東宝でも彼女の勝負作になるようなものを作ってきたので、非常に思い入れのある女優さんではあったんです。だから、自分なりに佐々木麻由子という女優をもっと掘り下げられないかなという思いはあったんですよね。かなり細かく芝居はつけさせてもらいましたが、本当に反応がよくて。相手役の岡田智宏さんも含め、役者さんにはずいぶん助けてもらったと思ってます。

――志賀葉一さんの撮影も素晴らしいと思いました。

福原 ラッシュを観て驚いたところもあったんですよ、こう撮るはずじゃなかったのにと。でもやっぱり志賀さんが撮ってくれた画のほうがいいんですよね。それと、大事なところは寸分違わず僕のイメージ通りに撮ってくれました。こんな言い方をするとまるで僕が全てコントロールしていたみたいですけど、そういうわけではなく、志賀さんが僕のやりたいことをきちんと理解してくれたうえで一緒にノッてやってくれたんですね。だから深町さんと並んで志賀さんにも本当に感謝してます。

――監督デビューしたことで一つの目標には到達したと思いますが、先ほど話していただいたような回り道の期間は必要だったと思いますか。

福原 ずいぶん無駄な人生を過ごしてきたと思ってましたけど、結果的には無駄なことはなにもなかったのかなという感じですかね。やはり物事にはそれなりの必然があるんだと思います。若いころに撮れなかったのは撮れなかっただけの理由があったのかなと。

――映画や文学があったから信じ続けることができたという話がありましたが、その映画や文学とは例えばどんな作品を指してるんでしょうか。

福原 信じられるというか、当時はフィクションのほうが現実よりもリアリティを持てるような感覚があったんです。映画では昔からハワード・ホークスの作品が大好きで、今でも時々見返すんですが、彼の映画はどこからどう観てもフィクションの塊なわけですよ。でも、それに感応して湧き起こる感情にはリアリティがあって、それはなぜなんだろうと。映画を観て得られる感慨が実生活ではまるで得られない。若い頃はその乖離を埋めることができなかったんですね。今は現実生活の中から素材を見つけ出せるようになった分、多少は成長したということなのかもしれません。でもやっぱりフィクションはフィクションですけどね。あくまでもフィクション性にこだわりたいというか。

――『うずく人妻たち』を観て、小津安二郎クリント・イーストウッドの映画を思い出したんですが、誰かの作品に似ていると言われませんか。

福原 次回作に主演してくれる女優の淡島小鞠さんがあれを観て『浮雲』みたいだと言ってくれて、うれしかったんですけどね。実は僕があの映画を発想した原点のひとつはそこで、成瀬巳喜男がピンク映画を撮ったらどうなるんだろうと(笑)。実際に撮影前に『浮雲』観直しましたし。あと、フリッツ・ラングなんかもちょっと入ってますけど。

――10年前と現在で、旅館の窓辺に座っている人妻を同じフレームで撮っているところがありますよね。その2カットを観るだけで、相手による態度の違いや時間の経過がわかるようになっている。ああいうショットの対比が、小津映画で言われる反復ということなのかなと思ったりしたんですが。

福原 小津さんの場合は物語と関係ないところで主題や情感みたいなものが出てきて、確かにこの作品にもそういう部分はありますけどね。でもあのシーンの場合は視覚的に物語を語るということですよね。僕はヒッチコックも好きですが、「映画術 ヒッチコックトリュフォー」なんかでも彼が事あるごとに言ってるのは、いかに視覚的に物語を語るかっていうことなんです。サイレントの時代から映画を撮ってる監督はみんなそうなんですよ。一瞬のうちに観ている人を物語の中に引き込む力がある。その代表選手がハワード・ホークスなんですけど、『リオ・ブラボー』ではディーン・マーチンがよれよれの服を着て酒場の裏口から入ってくるでしょう。あの瞬間から物語が始まっちゃってるわけですね。クロード・エーキンスが痰壺にコインをポーンと放り込んで、それをディーン・マーチンが取ろうとしたら、ジョン・ウェインの足が蹴っ飛ばして…というショットの連鎖でいきなり物語の中に引き込まれちゃうじゃないですか。やっぱり映画はあれだと思うんですよね。

――次回作はどのようなものになりそうですか。

福原 二番煎じにならないよう気をつけつつ、敢えて一作目と同じテーマでやってみるつもりです。男女の運命的な再会とか、人間関係の抜き差しならないところなんかですかね。それで今回は姉妹の話にしたんです。妹の旦那とお姉さんができちゃうという。

――その作品はいつごろ撮影するんですか。

福原 11月の後半ですね。予定通りにいけば、年明けの1月8日に新宿国際劇場で公開される予定です。

(取材・構成 平澤竹識)

『うずく人妻たち 連続不倫』(原題:ETUDE)

監督・脚本:福原彰

プロデューサー:深町章、撮影・照明:清水正二、編集:酒井正次、音楽:大場一魅

出演:岡田智宏、佐々木麻由子、里見瑤子、中村方隆、美月ゆう子、なかみつせいじ、池島ゆたか

2006年 /35ミリ/62分

映芸マンスリーvol7

11月12日(月) 開場:18時30分 開演:19時

1.映画評論家・野村正昭さんによるオープニングトーク

2.『ETUDE』上映

3.福原彰監督によるトーク

※シークレットゲストあり

※終了は21時30分ごろの予定。

会場:シアター&カンパニー「COREDO」

千代田線乃木坂駅2番出口すぐ右隣のビル地下1階

港区赤坂9-6-41 乃木坂ビルB1

電話 03-3470-2252 http://www.tc-coredo.join-us.jp/

入場料:1500円(1ドリンク付き)*定員 40名

* 作品はDVD上映となりますので予めご了承ください。

* 予約は電話、メールにて承ります。下記まで、お名前、連絡先(電話番号/メールアドレス)、枚数をお知らせください。予約にて定員(40名)となった場合、当日券はございません。小さな会場ですので、事前の予約をお勧めいたします。なお、予約された場合、入場料は1300円となります。

主催:「映画芸術」「シアター&カンパニーCOREDO」

企画制作:「映画芸術

予約・問い合わせ 「映画芸術」編集部

電話/ファックス 03(3350)6877

メール eigei@mm.neweb.ne.jp