映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

映芸マンスリーVOL12.『一万年、後....。』トーク<br>沖島勲(監督)×芦澤明子(撮影)×山川宗則(プロデューサー)

 脚本家として、また助監督として往年の若松プロダクションを支えた後、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」のメインライターを務め、約1400本の脚本を担当したという経歴を持つ沖島勲監督。『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』(69)、『出張』(89)、『したくて、したくて、たまらない、女。』(96)、『YYK論争 永遠の“誤解”』(99)という作品群はいずれも日本の映画史において異彩を放っています。

 4月14日に行われた映芸マンスリーVOL12.では昨年公開された沖島監督の最新作『一万年、後....。』を上映し、監督と撮影の芦澤明子さん、プロデューサーの山川宗則さんを迎えてトークショーを行いました。電波の乱れで一万年後の世界にタイムスリップした男と、一万年後の世界に暮らす兄妹との交流をワンシチュエーションで描く『一万年、後....。』。この一風変わったSF映画はどのように発想されて具現化されていったのでしょうか。異才の頭脳に迫ってみました。

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左から芦澤明子(撮影)、沖島勲(監督)、山川宗則(プロデューサー)

――まず、映画の企画が立ち上がってスタッフを編成する辺りの話から伺いたいんですが、山川さんに声をかけたのはどういう経緯からだったんですか。

沖島 僕は滅多に映画を作らないので、次の作品までにずいぶん間が空くんですよ。基本的には同じスタッフと組みたいんだけど、いろんな事情があったり、毎回映画を作る動機も違ったりして。例えば、前に作った『YYK論争 永遠の誤解』のときは、メインスタッフはどうしても同世代と組みたいという気持ちがあって、プロデューサーは同世代の、かつて録音をやっていた人にお願いしたんです。でも今回は、むしろ若い人とやってみたいなぁという気持ちがありました。山川君がプロデューサーをやるのは今回が初めてなんですが、それまでにちょこちょこした付き合いがあるなかで観察して(笑)、彼ならやれるんじゃないかなと。結果的に、とてもよくやってくれたと思います。芦澤さんは僕の映画をこれで3本やってもらってるんですね。それでプロデューサーが決まった後に芦澤さんにお願いして、オーケーをいただいたという流れです。

――この映画は監督の自己資金で作られたと聞きましたが。

沖島 残念ながらそうですね。どこかから予算が出ないかなという気持ちもあったんだけど、結局はそうもいかなくて、この程度の規模が精一杯でした。

――予算はどれぐらいだったんでしょうか。

沖島 それは言わないようにしてるんです。若松(孝二)さんなんかはすぐにそれを聞くんだけどね(笑)。彼はべらぼうに安く作る方法を知っている人だから、何百万で出来たのかって聞くわけです。でも残念ながら何百万じゃ出来なかった。それは言えます。

――撮影期間はどれぐらいですか。

沖島 全部で10日ぐらいですかね。スタジオの撮影が8日ぐらいで、田舎の風景なんかのロケーション撮影に2日ぐらい。

――製作時点で劇場での公開は決まっていたんですか。

沖島 決まってません。僕は『YYK論争』のときも公開が決まらないまま作っちゃったけど、プロの製作者に言わせるとそれは無謀なことなんですね。だけど、今回の映画も作り終わって観てもらって、それでどうかっていう。まぁ、規模の小さな作品ですから。

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――『一万年、後....。』は他の邦画と比べてすごく自由な発想で作られていて、若い作家を挑発しているようにも感じたんですが、そもそもこの映画を作ろうと思った動機はなんだったんでしょうか。

沖島 僅かな作品しか残してないけれど、僕にとって一番重要なことって映画なんですよ。ボサーッと家にいて、一番よく頭に浮かんでくるのは「本番いこうか」ていう言葉なんですね(笑)。だから、どんな状況であれ、映画を作ろうという思いはいつもありました。

――今の映画界がどうこうということではなく、純粋に映画を作りたかっただけだと。

沖島 そうです。映画界の人が誰も声をかけてくれないから仕方ないよね。大きな世界かどうか知らないけど映画界というものがあって、それを向こうにまわそうが、僕一人でもやっていこうと。

――山川さんにも伺いたいんですが、沖島さんという作家は、こういう言い方が妥当か分かりませんが、特異な映画を作る方だと思います。その沖島さんからプロデューサーをやらないかと声がかかったとき、どう思いましたか。

山川 特に劇的な話はないんですよ。いきなり電話がかかってきて「やらない?」と(笑)。それで「あぁ…はい」みたいな感じで始まりました。元々、沖島さんの映画はすごく好きだったんですが、この面白さを言葉にするのはとても難しい、でも映画にとって非常に重要なものがここにあるはずだ、と感じていました。平岡正明さんが『若松プロ、夜の三銃士』(愛育社)で若松プロ出身の足立正生さん、大和屋竺さんと沖島さんの三人に焦点を当てた本を最近出されましたが、やはり足立さんや大和屋さんに比べると、沖島映画の面白さっていうのは量・質ともになかなか言葉として表に出てこなかったと思います。一時期、恥ずかしながら、僕はペンネームで映画に関する文章を書いていた頃がありまして。沖島さんのDVDボックスが出たときに、足立正生さんも日本に強制送還されて『十三月』の企画を進めていたこともあって、勢い余って足立正生沖島勲の映画がいまこそ嘘のように量産されるべきだ、みたいな文章を書いたんですよ(笑)。まぁ、言ってしまった以上やるしかない、と腹を括りました。映画は作られなければ始まらないし、言葉ではなくまず映画を作ろうと考えたんです。

――いま足立正生さんの名前が出ましたが、ほぼ同時期に作られた足立さんの『幽閉者』に比べると、沖島さんの『一万年、後....。』のほうがポップな要素が多くて、若い観客にも開かれている印象がありました。そういう部分は若いスタッフとのやり取りのなかから生まれてきたものなんですか。

沖島 そういうやり取りはしてません。出演者やスタッフと議論なんてしないんですよ。ここはどうするとか具体的なやり取りはするけど、この映画がどうのこうのと抽象的な議論をしても仕方がない。自分の中にはこうしたいというイメージがあるわけですから。

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――芦澤さんは沖島監督とは3本目になりますが、撮影に関してどういうやり取りをしているんでしょうか。

芦澤 沖島監督の場合、このシーンのここはこうしたいんだと、非常に具体的な話をされるので、議論をすることはありません。それをさらに具体的にするにはどうしたらいいのかということは話しましたけど、あとは雑談という感じで。

――物語のある映画の場合は、人物の感情によってカメラのフレームがある程度決まってくるものだと思うんですが、今回のような作品の場合はどうやってフレームを決めていくんですか。

芦澤 監督は非常に綿密なコンテを事前に考えてらして、そのコンテを自分なりに理解して撮影に臨むと、なんとなくそういうフレームになるという感じですね。だから、人物の感情があるとかないとかはあまり考えませんでした。ただ、今回は光や風という要素が重要なウェイトを占めているので、その演出に関しては撮影部もいろいろとやっています。

――監督のコンテである程度のフレームが決まり、撮影部は照明等を使ってフレームの内部を充実させていったという感じでしょうか。

芦澤 例えば、コンテに「引き」と書いてあっても、どれぐらいの引きなのかはそのときの案配を見て決めます。まず監督の俳優さんに対する演出があって、そこへ光や風、空気なんかをどうやれば封じ込められるかということを考えてやっていましたね。

沖島 今の話に付け加えると、主人公の感情を追いかけることで成立している映画というものに僕は興味がないんですよ。僕の映画に感情がないとは言わないけれど、どうこうやってみたところで人間の感情なんて底が見えているという気持ちがあるんだね。それともう一つ、最初にシナリオを書く前はこれを20分ぐらいの映画にしようと思ってたんです。もし映画にならなくても、例えば美術館に同じようなセットを組んで役者がその場で演じるという形でもいいんじゃないかと。つまり20分ぐらいの映像で、ここも宇宙の一部なんだよということが体験できれば、一種のお化け屋敷みたいなものとして成立するんじゃないかという気持ちがあったわけです。それが、いろんな事情もあって最終的には77分の映像になったという。

――最初に阿藤快さんが部屋にタイムスリップしてきた後、少年が「どちらさんですか?」というセリフを発するまでにすごく時間がありますよね。普通ならすぐにリアクションをさせるところだと思うんですが、あれには普通のドラマはやらないぞという姿勢を最初に見せておく意図があったんですか。

沖島 いいでしょう?(笑)ジラしにジラして驚かすという。まぁ、間合いですよね。人にものを言うときの呼吸っていうのかな。

――『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』にしても『YYK論争』にしても、沖島さんの映画は密室のような場所でディスカッションドラマ風に展開する作品が多いですよね。ワンシチュエーションで映画を撮ることにこだわりのようなものがあるんですか。

沖島 なぜかそうなっていくんですね。カメラを街中に出して撮るほうが安上がりかもしれないし、そういう映画を撮りたくないわけじゃないんだけど、さっきも言ったように人間の感情を追いかけるようなドラマには興味がない。そういう意味では、閉じられた空間でやるほうが、言いたいことが割合言いやすいんじゃないかと思いますね。

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沖島勲監督

――今回の映画では、壁に映像を投影したり画面に文字を入れたり、映像に対して様々な形でアプローチしているように見えました。そういうことは当初のコンセプトとしてあったんですか。

沖島 映画はこうでなきゃいけないという考え方はむしろ壊していきたいんですよ。文字を出すのは違和感があったらやめたと思いますけど、今回のような映画なら遊びとしてやってみても大丈夫かなと。壁に画像が映るのは、この映画の発想の基本ですから、芦澤さんにも最初から話してました。どこに映るのかというのは僕が指定して、どうやるのかは芦澤さんにいろいろ考えてもらって。

芦澤 壁に投影された映像に関して言うと、ああいうところは普通CGに走りがちなんですけれども、今回そうした表現は一切使わないで、現場主義というか、物を実際にカメラで撮影していくという、アナログな方法論を採りました。投影する機材を電気メーカーから持ち込んだりしたので、方法論はアナログなんだけれども、最新鋭の技術が使われているという。

――照明のことで言うと、一つの時間の流れでもカットが変わると照明の雰囲気もガラリと変わっているところがありますよね。

芦澤 監督は、コンテとは別に光のコンテというものを書いてくださっていたんです。それをどう具現化するのかというときに、なかには無理なこともありましたけど、普通の映画ではありえないような試みができて楽しかったですね。ああいうセットですから、撮り方によっては舞台のようになりがちなので、妹が踊ってみせるシーンはそれを生かしつつ、他のところは色々な光を作ってできるだけ映画的にやったつもりです。

沖島 このカットからこのカットまではこういう照明という感じで、レポート用紙5~6枚にプランを書いたんですよ。そういうことは滅多にしませんけど、今回はややこしかったんでそうしておきました。特殊な設定なので、芝居のところは照明も特殊な形でやっちゃおうと。他に自然の時間経過がありますよね。あるいは外から強烈な光が入ってきたりするところがあるじゃないですか。そういうのを別々に考えなくちゃいけなかった。でも、照明プランの基本になっているのは「秋の日の午後3時」という設定なんですよ。最初に少年が帰ってきてから勉強してるところまでの3~4カットだけど、それは「秋の日の午後3時」という指定で照明を作ってます。プランには「空気が最も透明で、哲学的になる時間と言われている」っていう書き方までしてあるんだけど(笑)、時間はそこからスタートしたいんだと。

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――一万年後の世界から現在を見る、というのがこの映画の根本にあるコンセプトかなと思ったんですが。

沖島 単純に未来というよりは、もう少し時間の感覚がわからなくなるような時代ということで「一万年後」にしたんですよ。僕が作家としてのやりたいもののなかには、中学時代の自分自身に会いに行くという思いがあって。それには一万年ぐらいかかるんじゃないかっていうぐらい遠いんだね、僕なんかの歳からすると(笑)。だから未来なのか過去なのか、映画を観ているうちに錯乱していくようなところがあると思うんだけど、それが狙いの一つでもあったんです。

――前半は、少年から一万年後の世界の話を聞いた阿藤さんがリアクションするという形で進行しますよね。でも「笑う」という概念が一万年後の世界にないということを知ってから、それまで受け身だった阿藤さんが少年たちに対して積極的に語りかけるようになります。そういう展開にはどういう意図があったんでしょうか。

沖島 あのシーンを撮影するとき現場で阿藤さんにどう伝えたかというと、べつにこの男は説教好きなわけではないんだけれども、生きていくうえで最低限必要だと思われることをここで言いたいんだと。そういう話を本番直前に言いました。だから、一万年前であろうが一万年後であろうが、笑うことや、友達や恋人が欲しくなったりする気持ちが、人間を人間として生かしているギリギリのものなんだと。それを失くしたら、だんだん怪物のほうへ近づいてっちゃうよという、最低限のメッセージですよね。

――そういう意味で言うと、一万年後の世界で変わっている言葉と変わらずに残っている言葉との違いというのが重要になりますよね。

沖島 まぁ、笑うなんていう言葉は意外となくなってるかもしれないなと。…そう言えば、芦澤さんが若いスタッフと話してびっくりしたことがあったって言ってたよね。「考えるってどういうことなんですか」って言われたって。

芦澤 脚本の打ち合わせをしながら雑談してるときでしたよね。「考えるってどうするんですか」って若い子に言われたことがあったという話を監督にしたんです。

沖島 そのまま映画には入れなかったけど、笑うという言葉がなくなるっていうのも、それと似たようなことだよね。考えてみたら、人間がなんで笑うのかっていうことだって不思議でしょう。そういうものがだんだんと失われていくっていうことがあったとしたら怖ろしいことかもしれないなっていうね。で、「映画」は「ヤメトケ」(笑)。私財を投じて映画をやるって言ったら、まず女房が「やめとけ」って言うでしょう。言われましたよ、僕も(笑)。

――言葉の変化の仕方には法則性というか、由来のようなものがあるんですか。

沖島 シナリオの構想を練ってるとき、頭に浮かんだ面白そうな言葉をザッーと書き出してましたね。20か30ぐらいあったと思うんだけど、これはこれだなっていう感じで決まっていく。「笑う」は「スウドン」だろうと(笑)。「乱交」は「ソラマメ」だろうと。そんな感じで理屈もなく直感的にやっていった結果ですけど、どうでした?(笑)「ちんぽこ」が「チョロメ」は割合大したことないと思うんだけど。

――「チョロメ」という言葉も感覚的に思いついたんですか。

沖島 そうでしょうね、チョロメでしょうね。あまり大きくないんだな(笑)。

――そういうニュアンスがあるんですね(笑)。…この映画を最初に観たとき、すごく新鮮な印象を受けたんですが、それはたぶん今ある映画を元にして作られていないからだと思います。でも作る側としては、既存の映画に依拠しないで映画を作るのは難しいことですよね。沖島さんは役者に芝居を付けたり、映像を積み上げていくときに、何を拠り所にしているんでしょうか。

沖島 世間一般の映画で通用している文体、文法のようなものを一切無視しても、自分のなかにあればいくらでも語っていくことができるわけですから、何も困ることはないんですよ。みんなに伝えたいとか、見てほしい、驚いてほしい、笑ってほしいという思いが表現の根本でしょう。そうであれば、今作られてる映画っておかしいですよ。

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――映画を作る人の多くが自分の表現を模索しながら、それじゃ受け入れられないんじゃないかとか、理解されないんじゃないかと考えて挫折しちゃうわけですよね。でも、沖島さんはそこで折れずに沖島さんの映画を作っている。どうしてなんでしょう。

沖島 まぁ、苦しいですよ。人に頭を下げないで、自分を信じて突っ張って生きてくっていうのは。ただ、しんどいって言いたくないんですよね、面白くもなんともないから。もちろん、みんな生活があって商売しなくちゃ生きていけないし、商業主義的な映画を作るという道もあるだろうけど、僕みたいに自分の映画を数少なく作っていく人間が、そんなものを作ったってしょうがないじゃない。

――そろそろ時間なので、山川さんと芦澤さんから一言ずついただきたいと思います。山川さんは「やらない?」という一言でプロデューサーを引き受けたそうですが、最後までやってみて沖島さんに対する印象は変わりましたか。

山川 まったく変わらないですね(笑)。年齢の差はありますけれども、宇宙の果ての塵のようなところから考える、人間や物語を物質から捉えていくといった世界認識はわりと共有できたんじゃないかと思います。もちろん、実は全く共有なんかされていなくて僕の一方的な思い込みだったのかもしれませんが、作業自体はスムーズだったと思います。

――芦澤さんに伺いますが、撮影の立場から見て沖島さんはどんな監督ですか。

芦澤 非常に挑戦的ですね。普通であることとか、当たり前であることに対していつも「これでいいのかな?」とクエッションを付けて、自分の表現を追求し続けている。だから、やっていてとても楽しかったです。普通、台本は映像(画)に関する描写がほとんどですけど、沖島監督の場合はあるところから音についての描写が続いていたりするんですね。そんな台本からも、監督が映画の構造自体をも変えようとしている挑戦者なんだなっていうことがわかりますし、それがこういう形で実現できてとてもよかったと思っています。

沖島 いま音の話が出たけど、今回の映画の何が良かったかって聞かれたら音が良かったね。僕はずっと映画をやってきて、音が不満だったんですよ。活動屋さんの持ってくる音はパターン化しちゃってるし、音そのものの迫力みたいなものがない。この映画では、光も音も物質であるという視点から、映画ってどういうものなんだろうってことを考え直させるような作品にもしたかったんです。今回は宇波(拓)君という若いスタッフに初めてやってもらったんだけど、彼の物としての音の捉え方は良かったよね。サントラ盤なんかも作ったみたいだから、よかったら買ってください(笑)。

(司会・構成:平澤 竹識)

『一万年、後....。』公式サイト:http://1mannengo.hibarimusic.com/