映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

演劇を観よう1<br>サンプル主宰・松井周(劇作家・演出家・俳優)

 映画芸術DIARYでは本誌の性格上、基本的に映画に関する記事を掲載してきました。今後もその方針は変わりませんが、映画以外のジャンルでもすぐれた表現をされている方々を紹介したいと以前から考えていました。そこで、今回、初めての試みとなりますが、現代に生きる人間の不確かさを独自の視点で描き、いま小劇場の世界で最も注目されている演劇人のひとりである、松井周さんにインタビューをお願いしました。松井さんは、これまで平田オリザが主宰する「青年団」内ユニットで作品を発表してきましたが、このたび完全独立し、9月に上演される新作『カロリーの消費』が独立第1作となります。映画ファンにも自信をもってお勧めできる作品ですので、今回のインタビューを読んで少しでも興味を持っていただければ幸いです。

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――今日は松井さんがどういう道のりを経て、新作『カロリーの消費』にたどり着いたのかという流れで、話を聞かせてください。まず生年からうかがいたいのですが。

 1972(昭和47)年生まれですね。生まれたのは世田谷区ですが、ずっと住んでたのは武蔵小金井ですね。23区の人から見るとすごい田舎だけど、住んでる人達は自分は東京人だと思ってるような微妙な場所です(笑)。

――松井さんのブログ(http://sampleb.exblog.jp/)で、小学校時代、国語の朗読が嫌いだったと書いてますが、それも含めてどういう小学生だったんですか?

 小学校の時はガキ大将的なところがあって、遊びを考えるのが好きでした。例えば、鬼ごっこで捕まったら、皆の前でパンツを脱いで肛門を見せなきゃいけない罰ゲームとか考えるんですよ。そのほうが必死になって面白いみたいな感じがあったと思うんですよね。

――じゃあ、松井さんが遊びを仕切ってたわけですね。

 そうですね。その時から芝居をやるのが好きというか、誰かが崖から落ちそうだから手を貸すか貸さないかみたいなことを即興でやってました。ドリフの影響なのかわからないですけど、下ネタ以前のウンコとかチンコとかそういう遊びをするのが本当に好きでしたね(笑)。

――友達と遊ぶのがいやで1人で図書館に籠もってたとか、そういう感じではなかったんですね?

 ええ、夜になるぎりぎりまで泥だらけになって遊んでました。車の上に皆で乗っかって、その車を滑り台やトランポリンにして遊んだり無邪気な感じですよね。もちろん、あとで警察が来て大変だったんですけど(笑)。

 あと、昔は野菜を食べることが偉いという価値観があったから、僕らもその辺に生えてる草をむしって、でもいちおう洗ってから食べたんですよ。で、その辺にあったキノコも食べたんですけど、友達が帰ってからお母さんにその話をしたらそのお母さんがびっくりしちゃって(笑)、結局食べた人全員で病院に行って胃洗浄をして全部吐いたことがありましたね。

――なんかいい話ですね(笑)。イマドキの子供では考えられない生活で。中学は地元の?

 地元の小金井一中というところで小学校のノリで行ったんですけど、目をつけられてイジメに遭ったり、僕がガキ大将として遊んでいたメンバーからも逆に松井は酷いみたいな感じになって……。真逆でしたね。部活もやってなかったし、暗黒時代でした。だから何してたかというと、漫画とか小説を読み始めたんですよね。もっと違う文化もあるんだみたいな。

――裏切られていく感じは、松井さんの芝居みたいですよね。

 だから自分のルーツはその辺だなと思います。環境がいきなり簡単に変わるという。

――1人ぼっちというのは、高校でも変わらなかったんですか?

 中学の延長で1人になろうと思ってたんですけど、小、中一緒だった奴らが高校で悪グループにいて彼らに馴染むようになったんですよね。皆、タバコ吸って、バイクを持ってたり、喧嘩しに行くメンバーで、僕は怖いからそっちじゃないだろうと思ってたんですけど、なぜか帰りは一緒にいました。演劇部にも入ったんですけど、彼らには隠してましたね。

――演劇部に入ったというのは?

 小学校の時から自分が演じることが面白くて、エチュードみたいなことをするのがすごい好きだと思っていたんです。中学の文化祭で演劇を見てもあの人よりは多分上手いだろうとか思ってたんだけど、絶対に裏方しかやりたくないタイプだったんですよ。自意識が強すぎて行動出来なかった。高校の時は演劇部に入ってた子が好きだったんです。その理由があったので、演劇部にも入れたみたいな感じで。

――高校では演出もされたんですか。

 演出はいてもいなくても同じようなもので、皆、好き勝手にやってましたね。だけど、演劇部は地味というか、クラスで目立たない子達がいる集団みたいな場所になっていたので、僕としては芝居をしたかったんですけど、真面目にやってたかどうかよくわからないまま過ごした感じですね。その空気を恥ずかしいとも思って、クラスの人間にもあまり言えなかったし。

――どんな作品を上演したか覚えていますか。

 オリジナルは作ってないですね。その頃、すごい好きだった――いまも好きなんですけど――テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を無理矢理やったことはあります。でも、そういう戯曲はあまりやりませんでしたね。

――大学に入るときは演劇をやろうと思っていたんですか。

 何にも決めてなかったですね。なんだかわからぬまま社会学部に入ったんですけど、知的好奇心をくすぐられる感じがあったんじゃないですかね。かといって、きちんと授業に出ていたわけじゃなく、演劇にのめりこんでました。

――演劇部に入ることは躊躇はなく?

 その時はやりたいなと思ってました。でも野田秀樹さんや鴻上尚史さんの影響なのか、その頃の演劇部はきついのが流行っていたんです。例えば10キロ走って、その後腕立て何回とか、野球選手並みのトレーニングをしてますみたいなノリで。

――そういう時代もありましたね(笑)。

 先輩達もそれに感化されてて、すごい走って、休憩入れずにダッシュ何本とかやらされてついていけないんですけど、午前にそういうことをやって午後にエチュードをやると、がぜん面白くて、それで続けられましたね。役者はその頃、体力があって、貧乏でもバイト掛け持ちしてガンガンやんなきゃ駄目だみたいなメンタリティがあって、こんなにやる必要あるのかなと思いながらやってました。そのなかで頑張らなきゃと思ってたところもあるんですけど。

――じゃあ、いまの松井さんのお芝居と違って、声を張り上げたり、動いたりする演技をしてたんですか。

 白塗りとか全身タイツを着たり、先輩が唐十郎とか寺山修司が好きだったので、情宣といって、チラシを外で配る時も黒いマントでシルクハット被ってスローモーションでやるんですけど、怖がって誰も受け取ってくれない(笑)。

――まだ、そんなことがあったんですか。90年代ですよね?

 92年頃ですけどね。融合してたんだと思いますよ。80年代のワーッって動くのと、唐さんの感じが。世界観は違うかもしれないけど、唐さんの芝居もすごい早口だったし、繋がってる部分もあったと思うんですよね。

――その頃、演出は?

 3年か4年か忘れたけど演出したものがあって、それは唐さんみたいなものとはまったく違ってましたね。その頃、青年団を観て、自分が俳優としてやってる世界とは全然違ったんですけど気にはなってて、それで普通のドラマをやろうみたいな感覚はあったと思います。

――それはどんな話だったんですか?

 なんでもない風景がちょっとおかしく見えるみたいな、岩松了さんの影響を受けた戯曲だった気がしますね。「言い訳人生」とかいう題名だったかな。人生言い訳しながら生きてる人達みたいな。小学校のときのような無邪気さは抑えて、普通のドラマをやった気がします。反動もあって、アングラチックの真逆にいきたいというか、ウェルメイドを敢えてやるみたいな感じはあったかもしれないですね。

――大学卒業後、青年団に入団されたのはどういう経緯だったんですか。

 その頃、好きだった大人計画青年団のオーディションが近い日にあったんですけど、たまたま高校の同級生が大人計画にいることを知って、意地を張って自分は逆の方向に行こうと。受けたとして大人計画に入れたかどうかわからないですけど、青年団には受かったのでそのまま入りました。

――2004年に処女作『通過』を発表されますけど、青年団入団後俳優として活動しながら7~8年位経ってますよね。この期間は最初から書きたいと思っていたんですか。

 そうですね。でも書けなかったんですよ。何でかわからなかったんですけど、最近思ったのは、自意識というか表現しなきゃという欲求が強すぎて、平田オリザとは違う方法でとか余計なことばかり考えてたからかなと。それがあったんですけど、途中から確率的に書くようになったんです。

 例えばコーヒーを飲んで、飲んだらテーブルに置く、もう1回飲もうとしたらこぼしちゃう、そしたら今度は拭くだろうとか、行動の連鎖を基準にして、そこに当てはまる台詞を作る。だからなんでもない台詞ですけど、そういう感じで書き始めると、変な内面に惑わされない。それで、確率が高いほうに行動する人間が、或る時に確率が低いほうに行ったときに今までと違う世界が見えてくると思ったんですね。

 『通過』も誰かが尋ねて来て、尋ねて来たら挨拶してとか、確率が高いほうで進んでいくけど、ある時をきっかけに嫁の兄がなぜか居座ることになる。で、居座ってるうちに段々宗教化してきてその家を乗っ取っていく。確率が低いほうに行ったときから、転がり始めるみたいにしたら意外と書けたんです。たまたまそれを戯曲賞に応募したら最終選考までいったので、じゃあもうちょっと書いてみようかと。

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【『通過』舞台写真  撮影:青木 司】

――次作の『ワールドプレミア』(05)は戯曲を読む限りでは、『通過』とは違う印象を受けましたが。

 もっと自分から遠いというか、確率が低いほうの話を全面的に書いてみようと。実際に友達が死んで、最初にそれを戯曲に書いたらセンチメンタルになっちゃったんです。普通の話で書いてたので全然つまらない。それで少し時間を置いて、死者の視点をもっと具体的に想像して、死者から見た映像というか、死者の視点から世界を見て、記憶とか色んな物を捏造したり混乱するのを起点にして作った話ですかね。

――戯曲の執筆と同時に演出も始めてますけど、どうでしたか? 平田オリザさんの影響はもちろんあったと思いますが、演出では何を目指そうとしていたのでしょうか。

 オリザさんの演出は、俳優の内面はわからないから台詞をもっと早くとか、もうちょっと右側に立ってとか、この台詞をきっかけに別の台詞に入って欲しいとか、そういう設計なんです。ただ俳優の仕事としては、言われたことのなかに意識の流れとか、必要な時は感情的なものも入れていきます。感情という言葉は誤解されやすいので使わないようにしてるんですけど、意識の流れですね。そういったものを入れるのは役者の仕事で、自分が演出する時は元々俳優なので俳優の意識の流れがどういう風に来てるのか、それが身体にきちんと出てるのかを見たい。オリザさん的な外側から見た演出より、意識の流れを追おうとしながら演出している感じはありますね。

――ちょっと入り込んで?

 だから俳優が叩かれた時に、演出で見ている自分がイタッと言っちゃうんですよね。あと、いま、自分が何に関心を持ってて、どこが無防備でとか、そういう感覚、意識の流れが、自分の望むように展開されてないとうーんと思ってしまうので、最初からそっちを気にしてしまう時はあります。

――衣裳、照明、音楽についてはどうお考えですか。、

 衣装は僕の芝居が抽象的なものと具象的なもののバランスが入り混じるところがあるので、どちらかに寄らないようにしていますね。舞台セットや照明もそうです。別に色とか使うわけではないですけど、普通の日常世界から少しずれていく感覚を少し取り入れて、みたいなことは指示します。

 音楽に関しては使うのが本当に難しいと思っていて、音楽を入れると、俳優がすごく細かく作ってきた空気を壊してしまうこともある。それは気持ち悪いので、基本的にはあまり使ってないですね。音楽がなくても観られるだろうって自信があるんだと思うんですけど。

――『ワールドプレミア』に続く、『地下室』(06)と『シフト』(07)は両作品とも堂々と松井さんの才能が出てると思います。『通過』や『ワールドプレミア』とも近いんですけど、もう少し強い球を投げてるというか、一般のお客さんが迷いなく作品世界を受け止められる。エンタテインメントというと語弊がありますけれども、イメージを掴みやすい。この2作に関して松井さんは演出も含めて自信が出てきたんじゃないですか。

 慣れてきてるというか、俳優とも何度か仕事をしてすごく反応が早いというか、やりやすくなってきましたね。さらに自分のルーツじゃないですけど、中学校の時に経験した、あっさり環境が変わる感じをもっと出したくなったんです。自分のローカルなことですけど、それを突き詰めるほどお客さんにも思うことがあるんだなって確信はありましたね。

 『地下室』では、説教でいたぶられてる人とは別の人にその説教がいきなり移る。で、移ったと思いきや、最後、祝福されたりして、価値観が混乱させられるような感じですね。実際、現代って、いろんな事がめまぐるしく変わって、それになんとなく順応したり、反発してるけど、結果として結構順応してる。気付いていないけど、ちょっと離れれば自分も変な風に順応してるので、その辺は出したくなるし、それは通じるだろうと思ったんですね。

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【『地下室』舞台写真  撮影:青木 司】

――劇団(ユニット)の形態についてもうかがいたいんですが、『地下室』までは「青年団自主企画」として公演し、『シフト』から「サンプル」という集団名を付け、新作『カロリーの消費』からは完全に青年団の名前も外して、独立という形になりました。当初からいずれは独立した形で、と考えていたんですか。

 暖簾分けとか立身出世みたいには思ってないですけど、流れとしていつかはそうなると思っていました。世代の違いかどうかわからないですけど、俺の表現したいものを俺がやるみたいな感じで独立するのとは違って、どんな形態でもいいので、どこか話があるならゲリラ的に動けるほうがいいんじゃないかなって。元々、青年団の演出部はどこかからお金をもらえるようになったら外で演ってくれという感じで、今回もそのパターンなんです。「青年団自主企画」は制限も自由もあるんですけど、外に出るほうが自分も活発になるだろうなっていう感覚ですね。受身的な感じですけど。ただ、青年団は皆、がむしゃらに動くので、その感覚は独立してからもあまり変わらないですね。

――それで新作『カロリーの消費』の話をうかがいたいのですが、この作品の構想はどこから生まれたんでしょうか。

 老人ホームにいた母親が介護士と脱走して、息子夫婦と刑事がそれを追いかける単純な話を、ロードムービーみたいに描きたいと思ったんです。母親が追いつかれたらもう意味がないというか、なんで追いかけているのかもよくわからない状況になると思うんですけど、それでも走ってるような感覚。それに意味があるのかというと、もうわからない。

 前からカロリーという記号が、なんでこんなに持てはやされるのかと思っていたんですよ。普通、仕事を終えるとか、そういう事が目的なのに、そこにカロリーという記号を入れることで、仕事は終わってないけどカロリーはここまで消費したとか言われてしまう。つまり代わりだった筈のカロリーの消費が目的になっているような世界。こんなこと先進国でしかありえないですよね。普通、貯蓄する事が目的なのに、それを消費することが目的になっているのはどういうことなんだろうと。それは社会意識として思ったわけじゃなく、ここまで数字でカロリーが表示されて、カロリーばかりが言われると本当なのかなって(笑)。だけど例えば目的として父権を復活しようみたいなメッセージを打ち出すよりは、カロリーで代替したほうがまだ健康的かなとも思って。末期的かもしれないけど、せめてカロリーは消費したねと言える事は慰めだし、そのことを結構切実にも感じていたのでちょっとやってみようと思ったんですけど。

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『カロリーの消費』チラシ写真

――ある種の挑発でもありますよね?

 携帯電話の電池がなくなることと、人間は一緒なのか? でも、充電して消費すれば良いのかっていうと、それだけじゃ割り切れない何かもある。だから、消費すれば良い、人間は携帯電話と同じでいいんだというニヒリスティックなロマンチシズムもいやだってことですね。それも一種の酔いだと思う。つまり酔いたくない。酔わないで綱渡りするように生きたいんだけど、ノセられちゃったり、消費して自己嫌悪に陥ることもある。それでも、そうせざるを得ない現状だったら仕方ないというか、両義的ではあるんですよね。

――演劇活動はどういう認識なんですか。この芝居に関わっている方々が「俺達のやってることは表現行為というより、カロリーの消費だよね」と言って、皆、同意したら、これはすごいなと思うんですけど(笑)。

 僕としては消費されない俳優論を考えようと思ってるんです。やっぱり俳優って体全体で消費されていくもので、精神的にはかなりきつい部分があると思うんですね。だからこそ、商品であることを自覚しつつ、のめり込む方法を身に付けないといけないんじゃないか。でもそれがどういう方法なのかはわからなくて、直感で選ぶしかない時もあるんですけど、商品であることと自分の価値観との対立で考えていくほうがいいのかなと。

――共同幻想がないのをある程度わかりつつ、その場に集まってる感じですか。かといって、ニヒリスティックなわけでもないと。

 だから熱狂からは遠いと思うんですけど、価値観がこれだけ様々にあって不安に思うことはあって、それをそのまま出すしかない。逆にそれを観て、自分もそうだけど、まあ、迷ってる人もいるんだということで同時代を感じて、観たいと思う人はいるんじゃないかな。それは流行とは違うとは思うんですけど。

――小劇場の演劇は拘束される時間が多い割には、お客さんの拍手以外に報酬はあまりない状況じゃないですか。そうすると、何かを求めずにいられないんじゃないのかなと思ったりするんです。にもかかわらず、自分たちのやっている事はカロリーの消費だと認識しつつ、それだけでない喜びを感じるという精神構造は現代的というか、タフだなと思うんですよね。

 例えば集団であることで劇団員を拘束して、熱狂度を高めていくやり方はあるんですけど、自分はそうじゃない。家族みたいな感じに寄りかかることで、結局、誰かが宗教的に君臨して集団が崩壊するようなことは避けてますね。そういう集団がいやだったというのはあるんです。サークルのノリで固まって、その人の全人格・全人生をそのまま投入する事よりも、別の人生があったりという多面的なネットワークの中で、たまたま繋がってる部分が演劇だという感覚を持ちながらでないと、持続は難しいとは思うんですよね。その弱さもあると思うんですけど、持続が目的だし、持続する事で形が出てくると思うので、熱狂はそんなに要らない。

――演劇界といっても一括りにできないし、そういうことで語るのがいいのかどうかわかりませんが、演劇界や俳優の状況でもいいですし、描かれる世界のことでもいいんですけど、いま、こういうことが問題なんじゃないかと感じていることがあれば、教えてください。

 お金のことで言うなら、チケットノルマで演劇を作るところから始めるのはいいんですけど、俳優にお金が回って来ない状況が続いて、それが当たり前になるのはおかしいと思うんですよね。表現をする事で自分達に還元される事が経験として身に付かないと。舞台上で輝く事を目的にしてしまうと、宗教じみた団体を作ることになってしまうし、集団を脆くすると思う。劇団間の横の繋がりは重要ですけど、友達付き合いで芝居やるから出てよみたいな感じになって、俳優もお金にはならないけど、仕事がない期間があるとつい出てしまうみたいな。勿論、それで繋がってる部分はあるんですけど、演劇のレベル低下には繋がるとは思います。面白いものはそんなに数多くあるわけではないと思うし、消費されない為に、という感覚が必要。

 あと、演劇というのは、空間と身体と時間、そのまま丸ごとセットで面白がるものだと思うんです。でもパーツに分けて全体の経験として受け取っていない批評を見ると、悲しくなりますね。僕の作品について、もっと大きな物語とか、もっと世界に通じるものを、という感覚で言われることがあるんですけど、ただ言葉だけで世界の状況を語っても意味がないし、ローカルなことに拘って、空間とか時間、身体がないがしろにされるものを作ってもしょうがない。

――例えば野田秀樹さんや蜷川幸雄さんみたいにシアターコクーンで一ヶ月公演するやり方もありますが、そうなると作品にある程度スペクタクル性を出していかざるを得ないじゃないですか。そういう作品を志向せず、若さも売り物にならなくなって来た時に、どうするんだろうというのは興味があります。松井さんのようなことを考えて日本で演劇活動をするのは厳しい道なのではないかと思うんですけど。

 いろんな戦略はあると思うんですよね。チェルフィッチュがヨーロッパで上演するのもそのひとつだと思います。ただ、その事で東京のリアリティを失なうのが怖いとも(チェルフィッチュの)岡田利規さんが言っていて、もうそこは悩みながら行くしかないと思うんです。シアターコクーンや大劇場で演るような上がり方をリアリティを持って浮かべてるかというとそれは確実にない。もしあるとしたら劇場が主体になってる場所で、何週間か継続して演る。そういうネットワークを幾つか作るとか、そういう事は起き始めてるとは思います。考え方はいろいろあると思うんですけど、マスコミで売れることが最優先ではないだろうし、それをいまの日本人に結び付けると、一つの企業を勤めあげるとか、三種の神器を買ったから自分はイケてるみたいな感覚はもう薄れるし、年金のこともあるし、その感覚ともリンクする部分はあると思うんです。本当にどうなっちゃうかわからないとしか言いようがなくて、その時々で考えてくしかない。

――そうですね。まずは次の公演が大事ですからね。最後に映画が好きな人もこういうところに注目してくれれば面白く観られるというポイントがあれば教えてください。

 僕は映画を観て、その空気はないだろうと感じることがあって、空気を作ることに関してはもしかしたら演劇のほうがいまは敏感なんじゃないかと思うんです。演劇は、その空気をずっと追い続ける事が出来る空間、時間で、それを丁寧に作る事に懸けてるので、演技ってこんなに細かく作っているんだという事は感じてくれると思うし、あと、その空間で俳優が何に感応してるか。例えば座るという事にしても、その人と椅子と空間のどこに視点を移しても何かが起きてて、密度を持った空間を作り上げている感覚を観て欲しい。映画は画を切り取ってリズムを作るという意味では面白いですけど、演劇は持続させなきゃいけない。そこでの生の人間の迫力と同時にだらしなさみたいなものを込みで、全体を観て欲しいですね。

――なるほど。

 もちろんスクリーンから生々しさを感じることもあるんだけど、演劇は空間とその空間に観客を馴染ませる事にすごく神経を使ってる表現なんです。四角い箱の空間なのに、その空間が変わっていく、異化していく感覚をじわじわと味わうことが出来るのが強みだと思うんですよね。だからそこは見せたいし、演劇の勝負だと思ってますね。

――わかりました。私も『カロリーの消費』はそこにも注目して拝見させていただきます。どうもありがとうございました。

取材・構成:武田俊彦 井土耕太郎

【サンプル公演「カロリーの消費」】

作・演出:松井 周

出演:辻 美奈子 古舘寛治 古屋隆太 大竹 直 渡辺香奈(以上、青年団) 山崎ルキノ(チェルフィッチュ) 米村亮太朗ポツドール) 山中隆次郎(スロウライダー) 羽場睦子

2007年9月14日(金)~9月24日(月・祝)

三鷹市芸術文化センター・星のホール(Tel:0422-47-5122)

サンプル公式サイト http://www.samplenet.org/