映画芸術

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『スイートリトルライズ』 <br>矢崎仁司(監督)インタビュー

 『風たちの午後』(80)、『三月のライオン』(92)などの伝説的なインディーズ映画を制作し、『ストロベリーショートケイクス』(05)で本格的に商業映画へ進出した矢崎仁司監督の4年ぶりの新作『スイートリトルライズ』が3月13日から公開されます。

 日常の濃淡を細やかな筆致で描きだす矢崎監督のスタイルは本作でも変わりません。夫婦という特殊な関係が生みだす不安や孤独、それゆえの諦念や情欲といった感情をすくい取ろうとするこの作品は、真に「大人の恋愛映画」と呼ぶに相応しいものだと思います。

 今回のインタビューでは、「演出なんてしていない」と語られる矢崎監督にしつこく「何もしない演出」の深意について伺ってみました。

(取材・構成:平澤竹識 構成協力:春日洋一郎)

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――今回、江國香織さんのこの原作をやることにした決め手はなんだったんでしょうか。

矢崎 自分も結婚して10年になるので、かねてから夫婦の話をやってみたいなと思っていたんです。好きな映画にも夫婦の話がわりと多いですし、成瀬巳喜男とかも好きですから、夫婦の話に挑戦できるというのが最初に原作を読んで一番嬉しかったことですね。

――特に原作のどの部分を描きたいという思いがあったんですか。

矢崎 原作は3年ぐらいの話なんですね。その間に起きる出来事に対する心情が、夫である聡の主観、妻である瑠璃子の主観という形で交互に吐露されている。この小説の行間にある「淋しさ」とか「孤独」を映像として表現できたら、「ダブル不倫の話」と言われてしまいそうなものが、「夫婦の話」になりえるんじゃないかなという思いはありました。

――小説をシナリオ、映画と変えていく際に一番意識していたことはなんですか。

矢崎 この小説の映画化を考えたとき、最初にひらめいたのは死を散りばめてみたいということでした。そうすれば成立するんじゃないかという勘が働いたんです。

――『ストロベリー~』にも中村優子さん演じるデリヘル嬢が棺桶をベッド代わりに寝てるという象徴的な設定がありましたけど、生を描くときに死を対置するのはどういうイメージがあるからなんでしょうか。

矢崎 世界は今生きてる人たちだけで成立していないという感覚が自分のなかに根深く残ってるんですね。今はもう眠っているかつての恋人たちがいて、今の恋人たちがいてという風に、すべてが連鎖しているようなイメージがあるのかもしれません。

――例えば、「メメント・モリ(死を想え)」という言葉がありますが、この言葉は死を想うことで生の輝きや深みを感じられるという意味で使われることが多いですよね。そういうニュアンスで死を対置しているわけではないんですか。

矢崎 そんなに強く死のことを想ってるわけではないんです。映画にはいろんな可能性がありますけど、僕の映画は、日常忘れてることを思い出してくれたらいいなという思いで作っていて。日頃の忙しさのなかで忘れてしまうこと、かつて誰かを愛したこともそうですけど、人はいつかいなくなるという、その死というものは思い出させたいなという風に思っています。

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――今回の映画は、『スイートリトルライズ』というタイトルに表れているように、結婚生活における嘘の両義性みたいなところにお話の焦点が絞られていたと思います。そういう物事の多義性とか人物の多面性みたいなことが、この映画のなかではいろんな形で描かれていたように感じました。例えば、瑠璃子中谷美紀)が不倫相手の春夫(小林十市)から連絡を受けて、血相を変えて部屋を出て行くとき、義理の妹(大島優子)から「きれい」と言われるところもそうですよね。その辺りのことについて、監督ご自身がどのように意識されていたのか伺いたいんですが。

矢崎 基本的に僕の映画にテーマみたいなものはないんですけど、ただ自分がいつも思っているのは「人は分からん」ってことだけなんです。人を描くうえで「分からん」ということを映すのは大事だと思っていて、撮影中も芝居の意図が分かるとNGだったりするんです。逆にそれが分からないと、「うーん、分からないからOK」みたいな感じで、いいかげんなんですよ(笑)。

――人物の多面性ということで言うと、春夫が瑠璃子のことを「貪欲な女性だ」と言い、瑠璃子が旦那の聡(大森南朋)に「私って貪欲だと思う?」と聞くと、聡が「全然そんなことない」という意味の言葉を返しますよね。同じ人でも接する相手によって見え方が違うということを端的に表すシークエンスだと思いますけど、そういう描写は矢崎さんの指示で入れたというよりは、もともと原作にあったり脚本の狗飼(恭子)さんが書き加えたりしたところなんでしょうか。

矢崎 基本的にはかなり原作に忠実で、狗飼さんが出してくれるアイデアもすごく良かったんで、ほんとに他力で作ってるんです(笑)。狗飼さんにシナリオをお願いしたときに言ったのは一つだけで、今回は「人がいなくなる」ということを繰り返し見せたいと。それは「永遠の別れ」じゃなくて、朝、ドアから亭主が出て行って、ドアが閉まるとさっきまでいたそこにいた人がいなくなるとか、電車で別れるときにドアが閉まって走り出すとさっきまで一緒にいた人がいなくなるとか、そういう今までいた人がふっといなくなるということを、繰り返し映画に入れていきたいという思いがあったんです。

――そうしたいと思われたのは、どういうイメージがあったからなんですか。

矢崎 繰り返し原作を読んだりするうちに、なんとなく勘みたいなものが働いて、今回は人がいなくなる描写を積み重ねたいなと漠然と思ったにすぎないんですよ。

――それは、先ほど話されていた原作の行間から滲み出る「孤独」であったり「死の匂い」を、矢崎さんのなかに取り込んだらそうなったということなんでしょうか。

矢崎 そうなのかもしれないですね。強く出しすぎると、作り手の「手」が見えて嫌なんですよ。それで編集中は「手」を隠す作業を一生懸命やるんですけど、シナリオや撮影の段階でも気づけば「手」を隠すようにしています。だから、ほんの少しのことを積み重ねるだけで、観客の意識の底に沈殿していくような、そういう風に映画を作っていきたいなといつも思ってるんですね。「人がいなくなる」ことを繰り返し見せるというのも、そういう意識でやっていました。

――繰り返し背景として現れる墓地の存在もその一つなんでしょうか。

矢崎 それは、打ち合わせやロケ中の無駄話をヒントに美術やスタッフのみなさんが見つけてくるもので、僕があからさまに「窓から墓が見えないとダメだ」と注文するわけではないんですね。しょせん僕のイメージなんてすごくつまらんものだと思ってるんですよ。それをスタッフの人たちや俳優さんたちが壊してくれるときが一番うれしい。映画の作り方には、きちっとしたイメージが出来上がっていてそれに近づけていくやり方と、自分のイメージを壊してもらうことによって生まれるものを大切にするやり方の二通りがあると思いますけど、僕は後者だと思いますね。

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――そうは言っても、やはり矢崎さんの世界がきっちり映ってるように感じるんですね。だから、その見えない「手」がどう作用しているのか、そこがとても興味深くて、知りたいところなんですが。

矢崎 たぶん、撮影の石井(勲)さんとか照明の大坂(章夫)さんとか美術の髙橋(泰代)さんとか、スタッフの人たちの作る空気感と俳優さんがまとってくる空気感というのがあって、僕の場合は、その両者の間に生まれる空気感が出来るまではなかなか撮れないんですよ。結局、人の記憶に届くのはストーリーではなくて空気感なんですね。例えば、夫婦が気まずくなる場面を見て、「この気まずい空気感、知ってる」と思った瞬間に自分の記憶に届いてくる。だから、そういう空気感が出来るまでは、俳優さんにも何度か演じていただいたりしますけど、べつに演出的になにかを言ったりするわけではないんです。

――そういうやり方をされる場合に、事前に俳優さんとディスカッションしておくとか、リハーサルをやっておくという方法もあると思うんですが、そういうことをされてるわけではないんですよね。

矢崎 僕は今までラッキーなことに素晴らしい俳優さんと出会えてきて、素晴らしい俳優さんは答えを聞きたがらないし、欲しがらないですよね。欲しいのはヒントだけなんです。もちろん「はい、これがヒントです」という風に渡した覚えはないんですけど、僕はメイクしたり衣装を替えてるところに遊びに行くんですね、そこで無駄話をしたりすることが何かのヒントになってるのかなとは思います。

――そこから演出が始まってるわけですね。映画を見る前、中谷美紀さんは矢崎さんの世界と遠い女優さんなんじゃないかなと思ってたんです、いわゆる女優然としてる方なので。でも今回は、演じていたキャラクターも大きかったと思うんですけれども、これまでより生々しさが伝わってくる佇まいで、この映画の世界に違和感なくはまっているように感じました。中谷さんに対する演出で、何か意識されていたことはあったんでしょうか。

矢崎 ほんとに演出なんてしてないんですよ。ただ、僕は俳優さんに出会ったときの第一印象をすごく大事にしてまして、中谷さんや大森さんに出会っていくときにその人が持っている佇まいを、自分が今感じているように写し撮りたいと思ってるんです。僕のなかには、映画が俳優のドキュメンタリーでもあるような気持ちがあって、『ストロベリー~』のときもそこで出会った女優さんたち、今の彼女たちを映したいという思いが強かった。中谷さんは圧倒的な品のある美しさを持ってる方なので、今の年齢の彼女の、今僕が感じている美しさや品を写し撮りたいと思っていました。ラッシュを見たときに、それが写し撮れたなと思って嬉しかったですけどね。

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――役者さんの佇まいということでは、聡が瑠璃子のことを「現実感がない人」と言いますけど、実際その通りに映っているので、台詞がなくても二人の間にある壁が見えるんですよね。一方で、瑠璃子には牛乳をがぶ飲みする仕草に象徴されてるような人間臭いところもあって、その部分で春夫と惹かれ合ってしまう、そういうことが役者さんの佇まいを見てるだけで感じ取れてしまうというのはすごいなと思いました。

矢崎 ストーリー上では人の人生は動かないじゃないですか。断片の積み重ねでも、感情の流れが間違ってなければ、映画は成立するような気がするんですよね。

――大森さんのほうも、「ああ」とか「うん」とか「おお」とか言葉にならない台詞ばかりなのに、そのときの感情がはっきり見えて、それもすごいことですよね。

矢崎 大森さんはすごいと思いますね。夜、ゲームをしてて怖くなったのか、瑠璃子を家中探しまわるところがありますけど、あのゲームをやめるときの大森さんの表情とか。無駄話のなかで「ときどき怖くなるよね」みたいなことは言ったかもしれないですけど、具体的なことはなんにも言ってませんし、ほんとにすごい人だなと思いました。

――先ほどから、演出はしてない、何も言ってないとおっしゃってますけれども(笑)、例えば冒頭で聡が瑠璃子と視線を合わせないカットの切り返しとか、そこから立ち上がってくる感情や空気感は、明らかに監督が作り上げたものですよね。先ほど成瀬巳喜男の名前が出ましたけれども、ああいう視線の切り返しで見せるところは成瀬監督の仕事を意識したりもしたんですか。

矢崎 映画を作るときはだいたい自分なりの目標みたいな映画があるんです。とても超えられるとは思わないけど、それを目標にしないと今作る意味がないかなと思うんで、今回、成瀬さんの映画は勉強しましたね。『ストロベリー~』のときは、まず俳優さんに入っていただいて、好きに動いてもらったなかで、僕は見たい顔と見たい位置を探して、カット割りが出来上がってきたりしたんです。でも、今回は今までやらなかった方法でやってみたいなと思って、初めてカットを割ってみたんですよね。そういう意味で、大森さんや中谷さんが演じづらかったシーンもあったと思いますけど、ちょっと自分も挑戦してみたくてやってみました。

――春夫の部屋のシーンで、春夫がカーテンを閉めて瑠璃子に体を寄せると、瑠璃子が拒んでカーテン開けるというアクションがありましたけど、成瀬監督の名前を出したのは、『乱れ雲』(67)でも加山雄三さんと浜美枝さんが全く同じようなアクションをしてたからなんです。

矢崎 『乱れ雲』は十和田湖へ行くやつですか。常務のお嬢さんが加山さんの部屋に来るという場面ですよね。それも勉強しました(笑)。なんで成瀬監督は一度窓外にカメラを持っていくのか、それがいつも気になっていて、『ストロベリー~』のときも一回試したんだけど、思いつきでやったことはダメだなと思って。今回は窓外にカメラを持っていくことを考えて、ロケハンでも窓外から撮れるかどうかについては一応注文を出してたんです。

――それは瑠璃子の「彼(聡)は私の窓だから」という台詞もあったからですか。

矢崎 もちろん瑠璃子にとっての窓は大切にしようと思っていたんですけど、それよりも一度きちっと窓外にカメラを出すことでワンシーンを成立させられるか、窓外に出た後にもう一度カメラが中に入れるかということを考えていました。

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――窓外にカメラが出るということについて、矢崎さんがこの映画で見つけた答えがどういうものだったのか教えていただけないですか。

矢崎 特にないです(笑)。会話を成立させたくなかったんですよ。もしかしたら会話というのは独り言で成り立ってるのかもしれないという作りにしたかったので、そういう意味では、カメラが一回窓外に出ることはしっくりいったなと感じています。いろんなことを寸断したかったんですよね。気配を隠すこともかなりやったんです。フレームの外に人が出た瞬間にもういなくなるというような音の入れ方とか、「画面に入ってるものだけが全て」みたいな感じにしたかった。普通なら人物がフレームから出ても衣擦れの音や足音が残るし、その後にドアから出て行けばその音が入るんですけど、そういう音も全部フレームから出た瞬間になくなるというぐらいに徹底してみたんです。

――とても深くて面白い話になってきたんですが、時間がなくなってしまいました……。最後に、新作の予定などがあれば教えていただけますか。

矢崎 撮影の準備を進めているものはあります。今まで怠けてたんで、これからは多作になりたいんですよ。ボロクソに言われようが、ちょっと多作な時期を通過したいなと。だから頑張って多作になろうと思ってるんです。

――ぜひ頑張ってください。次の作品も楽しみにしています。今日はありがとうございました。

スイートリトルライズ

監督:矢崎仁司 脚本:狗飼恭子 

プロデューサー:宮崎大 田辺順子

撮影:石井勲 照明:大坂章夫 録音:岩倉雅之 

美術:髙橋泰代 編集:奥原好幸 装飾:山内康裕

出演:中谷美紀 大森南朋 池脇千鶴 小林十市 風見章子 ほか

(C) 2009「スイートリトルライズ」製作委員会 

3月13日よりシネマライズほか全国ロードショー

公式サイト http://www.cinemacafe.net/official/sweet-little-lies/pc.html

映画『スイートリトルライズ』の公開を記念して、新宿K's cinemaにて、矢崎仁司監督の特集上映が開催されます。今回は80年代、90年代、00年代の作品をピックアップし、代表作である『三月のライオン』を皮切りに、3作品が上映されます。また、なかなか観れない『風たちの午後』も含まれ、期間中にはトークショーも予定しております。この機会に是非、矢崎仁司監督の作品に触れてみてください。

≪矢崎監督作品 IN 新宿 1980-2000≫

■『三月のライオン』(92)

上映期間:3月13日(土)~19日(金)

■『ストロベリーショートケイクス』(05)

上映期間:3月20日(土)~26日(金)

■『風たちの午後』(80)

上映期間:3月27日(土)~4月2日(金)

※時間:連日20:50~より

※料金:1300円均一

※リピーター割引、『スイートリトルライズ』割引あり(チケットまたは持参で)1000円

場所:新宿K's cinema

連絡先:03(3352)2471