映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『先生を流産させる会』<br/>内藤瑛亮(監督)インタビュー

 おびただしい量の牛乳と血のりにまみれた女子高生たちのダンスが忘れがたい、『牛乳王子』(08)の内藤瑛亮監督。待望の初劇場公開・長編作品は、2009年に実在に起きた事件を元にした『先生を流産させる会』であった。学園生活という舞台や「性」への意識など世界観は通じているものの、ほとんど役者経験のない女子中学生たちの顔つきや、人物間のドラマを緊張感をもって見せきる演出に驚かされる。内藤監督は既にこの後も仙台短篇映画祭の311企画『明日』の短篇『廃棄少女』(11)、『お兄ちゃんに近づくな、ブスども!』(12 MOOSIC LAB2012の一篇)などを発表し、精力的な活動を続けている。本作を作るまでの経緯、込めたテーマなど話を聞いた。 (取材・構成:中山洋孝 構成協力:山城敏矢) naitou eisuke.jpg ――『先生を流産させる会』は内籐さんにとって長篇映画としては最初の劇場公開作品であり、かつドラマで見せる作品だと思います。 内籐 『牛乳王子』は映画美学校の初等科の卒業制作で撮ったんですね。発表会は一回あるんですけど、それ以上美学校が何かしてくれるわけでもないので、そうなると自主映画ってやっぱコンペとか出して受賞するとか上映作品に選んでもらうことで、ようやく人に見てもらえるステップまでいく。でも『牛乳王子』は全然上手くいかなくて、基本落ちまくってたんですよ。取り上げてくれる映画祭とも出会えましたけど、上映されてもお客さんの反応は良くなくて。受賞作品は比較的ナチュラル芝居で、題材が恋愛だとか青春だとか、自分の半径5メートル以内のドラマを描くものが多くて、「世の多くの人はそういうものが好きなんだ」って現実にフルボッコされたような、もう毎回、帰り道暗い気持ちで。正直自分でも完成度として『牛乳王子』が突出して優れているとは思わないですけど、「あれには負けてないよな」とか(笑)、すごい鬱屈を抱えた日々で。  そこで評価される映画は主人公たちの抱えてる悩みは小さくて、その描かれ方も小さい。その小ささが「リアル」とか「お洒落」な感じで受け取られているんだけろうけど。自分を語るだけ映画しか享受しないなんて不健康だと思って。苛立ちもありました。  それに自主映画のコンペで評価されても、世の多くの人には存在すら知られないんだなって実感しました。メジャー映画さえ観に行かないのだから、自主映画なんて存在しないも同然なんだって。そうゆう一般の人にまで届く映画を作らないといけない。振り向いてもらえる作品をつくらなきゃ!という危機感がありました。だからすごく明確にシフトチェンジしようと思ったんですね。 ――実際に起きた「先生を流産させる会」を題材に映画を作られたのは、どういった経緯からでしょうか。 内藤 事件を基に映画を撮るって方法論はどうだろうって考えたんです。映画美学校の講師に井土紀州監督がいて、瀬々(敬久)さんの脚本書いてた頃の作品が好きだったんです。「札幌テレクラ殺人事件」と「日野OL放火殺人事件」をミックスした『雷魚』(97)や、「青学大生殺害事件」の犯人カップルが逮捕されなかったらと夢想した『HYSTERIC』(00)。『正体不明 THEM』(06 ダヴィド・モロー)っていう、実際にあった子ども達の犯罪を扱ったホラー映画も好きで。この方向性なら自分が興味を持てる題材でありつつ、人間ドラマとしてしっかり描ければ、もっと広い層に振り向いてもらえる話になるはずだと思いました。  それから図書館に行って新聞を調べて事件記事をピックアップしてたら、「先生を流産させる会」っていう文字を見て「これだ」と。内容を読む前に、まずその文字面を見てギョッとしたんです。そんな悪意の持ち方があるのかという。劇中でも描いてますけど、「胎児は人ではないから」、「流産させる」行為は、法的には殺人罪にならないんです。でも「先生を殺す会」より「流産させる会」っていう言葉のほうが遥かにおぞましくて、嫌な気持ちにさせる。その悪意って何なんだろう?という疑問があったんです。井土さんがよく「物語は逆説的であるべきだ」と言ってて、否定されることへの拒絶感を突き詰めて描くことで、逆に肯定したいものを浮き彫りにできると。「流産させる」っていう言葉に否定的な感情を持つからこそ、題材にしようと思いました。  犯人役は先生が「妊娠してる」こと、それ自体に嫌悪感を感じさせるキャラクターにしないと訴えたいテーマに迫れない。男子生徒の場合、「嫌いな先生がいる→その先生が妊娠してた→流産させよう」って発想の順番になり、そうすると「先生を流産させる会」という言葉から受ける嫌な気持ちから遠ざかってしまう。そこでキャラクターを女の子にすることで、「妊娠」が自分の身体と直接関わる出来事になる。中学時代はまさに妊娠できる身体に変化していく時期です。また、妊娠してる先生は自分の未来像にもなり得ます。 先生、メイン.jpg (C)2011 内藤組 ――先ほどお名前の出た井土紀州監督の『土竜の祭』(09)にも参加された、佐藤真規さん、松久育紀さんが脚本協力にクレジットされています。 内籐 『牛乳王子』までは脚本を一人で書いていて、『先生を流産させる会』も第一稿までは自分一人だったんです。でも今まで自分がやってきたことから1ランク上がんなきゃいけないと思って、俺の視点だけだと足りなくて、ちゃんと駄目なところを指摘してブラッシュアップしてくれる人が必要だと。『土竜の祭』は僕の代の高等科の、講師と一緒に撮ったコラボレーション作品で、僕も参加しました。その時のシナリオの作業や、他にも美学校でシナリオの課題はあったんで、同期の中の「書ける人」は分かっていたんです。そこで『土竜の祭』で一緒だった佐野さん、松久さん、それに『電撃』(11)を監督した渡辺あいさんに入ってもらいました。三人とも俺が趣味的に好きなホラー映画を好きじゃない。俺は脚本に詰まるとホラー趣味に走る悪い癖があるんですけど(笑)、そういう時にちゃんとブレーキをかけてくれるんです。 ――「『女』っていうのは気持ち悪い生き物なのよ」とか「殺すよ」とか、印象に残る台詞が多いです。はっきり分担できるものではないと思いますが、脚本協力の方と一緒に書くことで出てきたものなのでしょうか。 内籐 「殺すよ」は早い段階から僕の中にありました。そういう強い言葉自体は好きなんで(笑)。「女は気持ち悪い生き物だ」とか、あのあたりの言葉は最初なかなか上手くいかなくて、いろんな案を出していって、渡辺さんにも松久さんにも書いていただきましたけど、それに刺激を受けつつ、ようやく自分で導きだせたって感じですね。結果的に『牛乳王子』で女子生徒が主人公に言う「気持ち悪い」って台詞と繋がりました(笑)。 ――『牛乳王子』は男性側のコンプレックスのほうが印象に残りますけど、今回は「女」の話に落とそうとしています。それも共同脚本によるものなのでしょうか。 内籐 『牛乳王子』の完成版はああなってますけど、先生と生徒の女同士のドラマパートがあったんです。主人公の男の子はいつも保健室登校して、保健室の女の先生とは話してる。そこに牛乳かけられちゃう女の子もよく遊びに来てて、友達はいるんだけどちょっと浮いてる子みたいな。彼女と先生の保健室でのやりとりがあったんです。撮影したものの、本の問題もありましたけど、特に演出が上手くいかなくて。編集で脚本どおりに並べたら、そのシーンが「ダルい」ってスタッフ皆から言われて。『乱心』(11)を監督している冨永圭祐さんに編集を任せたら、そのシーンは完全にバッサリ切られて、時制も大幅に組み替えて、今のかたちになったんです。『牛乳王子』は男性のエモーションで突ききる、そこで出来なかったことは次の作品のハードルになるって考えることにしました。そういう意味では『流産させる会』はリベンジでもあります。今回も編集は冨永さんです。 先生サブ1.jpg (C)2011 内藤組 ――女子学生五人組に宮田亜紀さんの教師、モンスターペアレントを演じる大沼百合子さんなど、キャストが非常に魅力的です。 内藤 ミヅキ役の小林香織さんは制作部の知り合いの子どもです。フミホ役の高良弥夢さんはネットで応募してきた子なんですけど、あの子だけ役者志望で演劇部とかに入っていたのかな。女の子役はネットで応募してきてくれた子もいますけど、その子の友達も一緒に呼んでもらったりとかして探しました。お母さん役の大沼さんは『牛乳王子』の先生役のオーディションを受けてくれた方です。そのとき、タイトルロールの女の子をいじめる殺人鬼に対してどう思いますか?と質問したら、「甘えるな」と一言(笑)。その役は別の方にお願いすることになりましたが、大沼さんは凄く印象に残っていて。今回は唯一のアテ書きで、「是非出演してほしい」とお願いしました。 ――実行する五人組の組み合わせが面白いと思いました。リーダー格のミヅキは両親との関係が謎めいているけど、おそらく非常に薄い。そこに真逆の親子関係のフミホがいて、両極端の合間になんとなくつるんでる感じの子たちがいる。 内籐 学生時代の女の子たちの勢力争いを見ての印象ですかね。強い子が数人いて、その子を中心にグループが幾つかできるんだけど、周りについてる人はあんま考えていないというか、なんとなくついていって、気がついたらフッと別のグループに分かれていったりして、勢力図がどんどん変わっていくんですよね。そこにも明確な理由はなくて、感覚的に「なんかあの子最近違うんだよね」みたいな。「ちょっとうちらと違うよね」みたいな。トップにいたと思った人が、気がついたら昼休み一人でいたりとか。そういうのを遠くから見てて、不思議な生き物だな(笑)って印象がありまして、それが反映されてるのかなと。親については取材で得た情報を反映しました。モンスターな母親の子どもが意外と大人しかったりとか。在学中、行事にも面談にも現れず、一切保護者の顔が分からない家庭だとか。 ――彼女たちの関係が変わるのに、男性教師が関わっているのも面白いと思いました。性の嫌な感じも強調されています。 内籐 役者さんのひとりが女子校出身なんですけど、やっぱそういうことはあるらしくて。男性教師って普通の社会に比べてそんなにカッコよくなくても、ちょっと何割か増しでカッコよく見えるらしいですし(笑)。それをやっぱ皆で取り合うみたいなことになって、職員室の前で喧嘩が起きたいとか(笑)。  僕が中学生の時に、昼休みに女の子2人の会話が聞こえて、セックスとは言わないんですけど「そういうこと」で自分たちが生まれてきたなんて気持ち悪いみたいなこと言ってて……まあ、ギョッとして(笑)。男子が考えることなんてすごい単純で「エロいこと早くしたい」とかじゃないですか。なのに、ああ、嫌なんだと思って……。もしも彼氏や旦那さんが出来ても、そんなこと絶対したくない、気持ち悪いって言ってたのに、数年後ぐらいに会ったら彼氏がいて「全然平気だよ」とかサラッと言ってて(笑)。これはなんだろう、そういう時期があるんだなっていうふうに自分の中で解釈をしたんですね。性的なものを拒絶したい時期があるけど、でも受け入れてなんともなくなっちゃう。本作では仲間の一人だった女の子は、先生を好きになることで「気持ち悪い」って感情から、結構躊躇なくサッと変わっちゃう。見た人の中で「グループが解散していくところがやけにアッサリしてるんじゃないか」っていう人もいましたけど、いや、あのぐらいアッサリ変わっちゃうんじゃないかなって思うんです。 先生サブ2.jpg (C)2011 内藤組 ――内藤さんの映画で最初に見たのは『牛乳王子』だったんですが、その時は映画美学校っぽくないっていう言い方をしていいのかわからないですけど……。 内籐 今おっしゃられた「映画美学校っぽさ」のイメージって僕も入る前から持っていて。なんかシネフィルっぽいというか、堅くて暗くて気取っているけどダサいってイメージがあって、「染まりたくない」って警戒しながら入学しました。でも入ってみると、そういう人は意外と多くないっていうのが実感でした。『牛乳王子』のときもスタッフとは、「映画美学校っぽい」修了制作は撮らないぞ!って共通して思っていました。映画美学校にいながら映画美学校的な価値観をみんな拒絶しようとしてたっていう。 ――要するに、その時は講師をやられてる監督の作品から受ける印象と、あまり結びつかなかったんですね。 内籐 僕にとっては古澤健さんの存在が大きいです。古澤さんは自分らが入った時に講師をやってて、今は監督作も結構多いですけど、当時は仕事があんまない時期で、よく俺らと飲んで愚痴ってたんですよ、「なんもいいことねえよ」って。その頃に古澤さんが言ってたことが印象的で、自分は黒沢清さんに憧れて入ったから、黒沢さんの影響を受けたスタイルで撮ったりもしたけど、それは間違いだったって。黒沢さん自身がいろいろ培ってきた上で掴んだスタイルを、俺が真似しても意味がない。だから俺は俺で自分の資質が求めているもの、俺にしか撮れない文体を掴む必要がある。講師はいろいろ言うけど、あくまでその講師の培ってきた歴史があった上で言ってることだから、はいそうですかと従えば面白くなるとは限らないんだ、と。  その頃古澤さんは自主映画で、生徒の渡辺あいさんを主演に『古澤健のMっぽいの、好き』(08)ってシリーズを撮ってて、そこで自分の資質にあったスタイルを模索していたと思うんです。僕もスタッフとして参加しながら「これはただのセクハラじゃねぇか?」「大丈夫かな、この人」みたいなことを心配してたんですけど(笑)、『making of LOVE』(10)を見て「こういうことだったのか」って感動したんですよね。あの時期を生徒として見てきたからこそ「古澤さん、ついにキター!」って。  『流産させる会』の第二稿はクライマックスの描写が完成版と大きく違うんですけど、どっちにしようか迷ってた時期があったんです。その時に講師に見てもらったんですけど、『旧支配者のキャロル』の高橋(洋)さんは第二稿のほうを薦めたんです。シナリオチームで話し合って「高橋さんならこの方向でも成立させられるかもしれないけど、内藤くんは違う。」って言われて、確かにその通りだってことで高橋さん推薦の第二稿を捨てました。この選択は正しかったと今も思っていますが、高橋さんが監督した、『旧支配者のキャロル』(11)を見て「やっぱ、そういうことか」とわかりました(笑)。 ――ラストシーンはそれまでの殺伐とした展開から考えると、やや地味ではありますが、不思議な余韻を残します。 内藤 別のラストシーンが用意されていた第二稿は陰惨ではあるけどスペクタクルがあって、でも悪い意味でカタルシスが出ちゃうんです。見た人がスッキリするかもしれないんですけど、そもそもスッキリさせていいものなのか、シナリオチームの議論になったところです。「悪い子どもを成敗した」って話になると、よくオヤジが言う「最近の子供は何考えてるか訳わかんねぇーな。アイツら、おかしいんだよ。オレたちの時代はマシだったよなぁー」って発想と近いんじゃないかって。もっと言うと、事件があった時にネットで「犯人の実名を上げちゃえばいいんだ」「死刑にしちゃえ」とかって過剰な処罰を求める声があって。やけに「善意」を後ろ盾に、ボコボコに叩いてやろうって発想あるじゃないですか。この物語をストレス発散装置にしちゃいけないなって。むしろちょっとモヤモヤするくらいの終わり方でいいだろうと。ラストシーンの場所も、「ファンタジー」とまでは言わないですけど、ちょっと観念的な、現実感のあまりない空間にしました。最後に先生としての矜持を守りきるという選択が、あれが本当のことなのかどうなのか、それは見る人に委ねていいところかなと。「先生として矜持を守りきる選択はこうなりました」「あなたはどう思いますか」って問いかけができればと思うんです。女の人が見たら違和感を感じるところかもしれません。ここまでさすがに行けないよとか、もっと憎むものでしょって思うかもしれない。でもそこでカタルシスを見せるよりは、先生として突ききった人を見せることで、見てる人の価値観を揺さぶりたかったんですね。 ――内藤さんの映画では「内藤組」というクレジットが出ます。今日の脚本や編集の話をお聞きして、改めていろいろなスタッフの方に支えられていると思います。 内藤 中学生の時に『仁義なき戦い』(73)とか見てて、「深作組」と出るのが気持ち良いなっていうのが、根本にはあるんですけど(笑)。美学校に入る前は完全に自主制作で、スタッフは自分一人みたいな感じで撮ってたんで、『牛乳王子』の時に、やっぱスタッフがいるってことが嬉しかったんですね。自分が作りたいものがあって、それを一緒にやってくれるメンバーがいる。『流産させる会』なんか美学校の流れの作品とはいえ、身銭を切って参加してくれたので、すごく嬉しいって気持ちがあるんですね。でもボランティアだけで作品をつくるのは、もうそろそろやめたほうがいいかなって。僕も基本自腹で出してますけど、いろんな人が関わってくれたのに一番得してる、評価を受けるのは監督の俺だし、お金って形ではみんなに御礼はできてなくて、ちょっと申し訳ないというか。そろそろちゃんと予算を貰って作る方向に行きたいなって。それに今の自分の段階的に、自主映画でやることがステップアップに繋がらないと思いますね。自主映画ではやれてたもの、もしくはそれ以上のものを商業っていうベースでやれるのか、そこが越えなきゃいけないハードルだろうなって。この映画も本当は90分くらいにしたかったんですけどね。編集をやった冨永さんが鬼のようにバッサバッサ切って(笑)、このタイトな感じになりました。自分が最初に編集した時は動物の死骸がやけに多く映ってたり(笑)。俺ね、やっぱ編集が下手なんですよ。編集って撮れた画を見て、客観的に分析しつつリズムを作っていくことだから、それはもう全然違う才能だなって。自分にはその才能がなくて、でも冨永さんは上手いんですよ。そうやって他の人達と一緒に作ったことで、豊かになった部分は確実にあるし、これからも一緒に映画を撮る人たちの関係は広げていきたいと思います。 『先生を流産させる会』予告編 『先生を流産させる会』 脚本・監督:内藤瑛亮 脚本協力:佐野真規 松久育紀 渡辺あい 撮影:穴原浩祐 照明:星野洋行 録音:黒須健 美術:原太一 特殊造形:麻草郁 音楽:有田尚史 編集:冨永圭祐 ロゴデザイン:勝彦 CG:谷脇邦彦 整音:中瀬慧 黄永昌 助監督:佐野真規 制作進行:笠原雄一 企画:内藤組 製作協力:映画美学校 製作:内藤瑛亮 出演:宮田亜紀 小林香織 高良弥夢 竹森菜々瀬 相場涼乃 室賀砂和希 大沼百合子 配給=SPOTTED PRODUCTIONS 2011/HDV/62分 *5月26日(土)より渋谷ユーロスペースにてレイトショー 公式サイト:http://sensei-rsk.com/index.html