映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-』<br/>松林要樹(監督)インタビュー

 タイ・ビルマ国境付近に留まった未帰還兵を追うドキュメンタリー『花と兵隊』(09)では、取材対象者との交渉過程をカメラに収め、その粘り強く泥臭い姿勢を印象づけた松林要樹。現在オーディトリウム渋谷で公開中の『相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-』は、震災直後の2011年4月上旬から南相馬市の避難所に入った松林が、被災者と寝食を共にするところから始まる。被災地の異様な光景だけに目を奪われることなく、人々との真直な交わりの中で土地の記憶を呼び起こす映像の連なりは、津波原発事故が破壊したものと、したたかに根を張り続けるものとを、観る者にそっと知らせてくれる。 (取材・構成:平澤竹識 構成協力:中山洋孝) 松林要樹監督 映画芸術ダイアリー掲載用3.jpg ――この映画は震災当時、松林さんが東京の自宅にいたときの映像から始まってますけど、どういう意識でカメラを廻したんですか。 松林 まず、「これはただごとじゃないな」と思いましたよね。大きな揺れを感じて、それが一分以上続いてる。「この揺れ方は異常だな」と思って咄嗟に撮ったんですけど、作品にするとかは全然考えてなかったです。 ――その後、支援物資を届けるために4月3日に南相馬に入って市議会議員の田中京子さんと知り合い、立入禁止の原発20キロ圏内を田中さんと見回った後に、避難所の場面へ移っていきます。そこで避難所にしばらくいようっていうのは、どういう判断だったんですか。 松林 取材以外のもう一つの目的が支援物資を届けることだったわけですけど、ボランティアの代表から、「何が足りてないか、現場で見てきて」って言われてたんですよ。生理用品とか毛布はもう送っても意味がないとか、そういう情報はあったけど、具体的に何が必要とされてるのか分からなかった。だから2~3日はそれを調べたり、そういう目的もあって避難所にいることにしたんです。 ――テロップには「撮影のため避難所で共に生活をはじめた」とありますけど、共に生活することを選んだのは、物理的な撮影のためではなかったんじゃないですか。「そこまでしなきゃ撮れない、撮っちゃいけない」という思いもあったのかなと思ったんですけど。 松林 自分は被災地の出身でもないし、そういう意識はかなりありましたね。 ――ボランティアとして避難所に入ったわりには、直後から被災者の方の素顔が撮れてますよね。 松林 最初はレンズをずっと田中さんに向けてたんで、「何撮ってんだ?」って訊かれても、「すいません、田中さん撮ってます」って言うつもりだったんですよ。それが言い訳になってたのかな。2~3日すると、教室のなかにも「この人、カメラで撮る人なんだ」って雰囲気が出来てきて、それから廻してると思いますね。初日はたぶん夕飯の「いただきます」くらいしか廻してなかったんじゃないかな。誰も南相馬に入ってない時期だったから、それで信用してもらえたところもあったと思います。 ――その後、田中さんが「いととんぼ」(農産物の直売所)の様子を見に行きますよね、共同経営者の女性二人と一緒に。そのとき、津波で亡くなったもう一人の共同経営者「えいこちゃん」の話が出てきますけど、あの時点では田中さんと一緒に行動するようになって結構時間が経ってたんですか。 松林 いや、全然経ってないですよ。2~3日じゃないですか。 ――そうなんですか。映画で初めて具体的に語られる死者のエピソードですよね。それが日常会話のように語られてることにハッとするんですけど、松林さんも同じテンションで「えいこちゃん」について質問してる、あの辺りからはもうドキュメンタリー作家としての意識が明確に働いてたんじゃないですか。 松林 単に図々しいだけなんじゃないですかね(笑)。ただ、俺みたいな外部の人間がいることで、逆に明るく振舞ってたところもあるんじゃないかなと思うんですよね。車のなかで「ちゃんとした服に着替えるから撮らないで」って笑いながら話してるおばちゃんがいるじゃないですか。あの「きみちゃん」っておばちゃんが最初は撮影を嫌がってたんですよ。でも、車のなかで「もう撮っていいよ」みたいな感じになって、撮ってもいいような空気になったんです。「着替えるから撮らないで」っていうのも、そういう流れのなかで出てきた言葉なんですよ。 ――あのくだりでリアルな死とか津波で破壊された風景に直面していくわけじゃないですか。一眼レフカメラのフォーカスが遅れてくる感じがそのときの眩暈にも思えました。 松林 まさにそうですね。撮ってるときに狙ってたわけじゃないけど、まあ、編集でそう見えるかなと。カメラのファインダーを覗いてるぶんには結構ピントは合ってるんですよ。だけど大きなモニターで見ると、ずれてるところがいっぱいあって。編集のときは、フォーカスが最後に合うところでカットして、またフォーカスが合ってるところに繋げたり、フォーカスがアウトのところとアウトのところを繋げたり、違和感がないようにはしてるんですけど。最初のほうが合ってないんですよね。後半になるにつれて徐々にピントが合っていく。 ――それも松林さんがあの場所に馴染んでいく過程とシンクロしてるように見えたんですよ。 松林 それは、いい面に捉えてもらえたんだと思います。 somakanka_sub02.jpg (C)松林要樹 ――震災直後は世の中全体がナーバスになってたし、原発についてもいろんなことが言われてたんで、何を撮っていいのか分からなくなることがあったんじゃないですか。 松林 たぶん「花」は最初から意識してましたね。花って放射能と関係なく咲くじゃないですか。その咲き方のコントラストがすごいんですよね。人が全くいないところに花だけ咲いてたりして、そういうのが見えてくるといいな、と思ってました。最初に田中さんが20キロ圏内をパトロールするところでも家の庭に梅の花が咲いてるし、「いととんぼ」にもガーベラの花束があって、ああいうのを見たときに「あ、これは間違ってない」と思って。その後は桜だ、紫陽花だ、ヒマワリだ、コスモスだっていろいろ撮ってるんですよ。 ――それが松林さんにとって、ある種の道しるべになってたんですね。 松林 そうですね。今も福島で馬を撮影してるんですけど、馬と花はずっと撮ってます。迷ったらそれを繋いで、意味を持たしてもらえればいいなと思って。ああいう自然のものを撮ってると、自分の力以上のものが出てきますからね。だから、去年の今頃には「相馬看花」ってタイトルは決まってたんですよ。もう「これでいこう」と思ってました。 ――前半は本当に避難所にいる方たちの素の表情が捉えられてますよね。末永さんの奥さんが、旦那さんが雷を原発の爆発音だと勘違いして逃げたって話をするところがあるじゃないですか。あれなんかは震災の恐怖をすごく表してるエピソードだなって。 松林 自然の音を聞き間違えてるのが皮肉ですよね。それを二人が笑いながら話してるところにも、人間の強さっていうか、したたかさっていうか、そういうものを感じました。あのやり取りはすごく印象に残ったんで、「もうラストだな、この音」ってずっと思ってたんですよ。だから、去年の7月ぐらいに向こうへ行って雷が近づいてきたときは、録音機3台くらい廻してましたからね、「あ、この音録んなきゃ」って。方言で言葉がちゃんと聞き取れなくても、あの話は分かるじゃないですか。「爺さんが雷の音に驚いた」ぐらいは分かるでしょう(笑)。で、その後に末永さんが、「自分はチェルノブイリの本をナントカカントカ」って言ってるから、これは残るなって。ただ、今思えば「えいこちゃん」の遺体が見つかった場所に「きみちゃん」が花を添えるところがあるじゃないですか。あそこで雷の音を鳴らしても良かったのかなって。あざとくなるかもしれないけど、構成としては前半のどっかで一回鳴らしたほうが、ラストが効いたのかなって気はしてます。 ――撮影中に避難所が閉鎖されますよね。状況は目まぐるしく変わるし、撮影した素材もたまってくる。そのなかで、作り手としての意識はどう変わっていきました? 松林 逆に定点観測じゃないけど、取材の範囲を広げないで、たまたま知り合ったこの人たちとこの土地をずっと見つめようって思いましたね。そしたら、田中さんの夫婦が土地の繋がりをきっかけに結婚して、その仲人が実は末永さん夫婦で……とか分かってくるんですよ。そういう話を聞くと、日本の共同体の形が見えてくるから、あ、こういうことなんだなって。じゃあ、それを映像として形にしていこうと思って、田中さんに結婚式のときの写真を取ってきてもらったり。そういうことを思いついて、構成を作っていった感じです。 ――構成の面ではやっぱり「相馬看花」ってタイトルが決まった時点で、ある核は見えてきますよね。 松林 去年の5月に安岡(卓治)さんから、「ディスカバリーチャンネルCS放送のドキュメンタリーチャンネル)に映像を出せば、資金を出してもらえるかもしれない」って言われたんですよ。そのときに、花ばかり目立つように編集した5分ぐらいの映像を作って、『相馬看花』ってタイトルを付けたんですね。やっぱり自分が4月に現地へ入ったときは、土地の人じゃないから急ぎ足で見るじゃないですか。そのなかでも花は見落としてないなって(笑)、そういう気持ちで撮ってました。長編の場合は花のカットを入れることで流れを遮る部分もあると思うんだけど、そういうリズムがあってもいいのかなって。しかも、印象的なシーンで偶然きれいな花が撮れるんですよね。田中さん夫婦が結婚式を挙げた小高神社へ案内してもらったときも狙ってないのに桜が満開だし、二人が20キロ圏内の自宅へ荷物を取りに戻るときも庭に紫陽花が咲いてるし。紫陽花は蕾の頃から見てたから、「これでなんかやれるな」と思って撮ってたら、あの場面でちょうど花が咲いてたんですよ。で、枯れた紫陽花を見つけたときに、「相馬野馬追」の後に枯れた紫陽花とトラクターの映像を繋げて、そこに農耕馬についてのやり取りを被せるラストを思いついたんです。 ――農耕馬が消えた時期と原発建設の時期が符合してることをにおわせるラストですよね。近代化への疑問をさりげなく提示してるのかなと思いました。話は変わりますけど、この映画は松林さん自身が震災を体験したときの映像から始まって、その後も一貫して松林さんが映像に映りこんでますよね。自分の存在を作品にどう反映させていくかは悩みどころだったんじゃないですか。 松林 それを考えたのは、インターテロップを入れるときですね。やっぱり一人称じゃないと作品に出来ないと思ったんですよ。一人称の映像を出していって、観客に追体験してもらう作りしかないなって。震災や原発の問題は複雑すぎるし、三人称の客観的な映像にはしづらい。しかも、「NHK」とか「TBS」として撮ってるわけじゃないから、「私が見た風景」って形で提示しないとダメなんだなって思ったんですよね。 ――そこから全体の構成も固まっていったと。 松林 一人称にする方向性が決まる前に、『へばの』(08)を監督した木村文洋君と南相馬で写真を撮ってる高橋かつお君に見てもらったんですよ。渋谷の反原発デモのシーンをどうしようかって悩んでたんだけど、自分としてはもう切ろうと思ってたんですね。でも、木村君が「ここで原子力安全・保安院に電話して取材拒否される音を聞かしてくれ」って。あれは音だけ別に録ってたんだけど、「映画的にもここで松林君が東京に戻る流れにしたほうがいいよね」って言われて、あの電話する場面を入れたんですよ。 ――じゃあ、実際にはあの流れで東京に戻ってるわけじゃないんですね。しかも、電話してる映像は音だけ本物ってことですか。 松林 そうです。東京に戻ってきた映像があれば、渋谷のデモにも繋げやすいし、「この人の映画なんだ」ってことをもう一回認識させられる。「そうすると、東京で一区切りできるから、後半は新しい繋がりを作っていけるよね」って木村君に言われて、デモの後に粂さんの避難所のシーンを繋げたんです。 ――脚の悪い奥さんのために20キロ圏内の自宅に留まってた粂さんが、自宅を退去しなきゃいけなくなって避難所での生活を始める、寂しさが残る印象的なシーンですよね。 松林 「ガーガーうるさい東京と、粂さんが松林君に向かってシャッターを切るときのシーンとした避難所の対比がいいよね」「そこでリズムを作っていけるよね」って。そういう木村君のサジェッションがなかったら、デモのシーンは残してないと思いますね。初めの頃はもっとコンパクトにまとめようというか、福島の映像だけで80分くらいの長さを想定してたんですよ。オープニングの東京の部屋のシーンもなかったし、少し客観的な視点で作ろうとしてたんです。だから、なんで俺が被災地にいるかっていう部分で、支援物資を届けるくだりを今より膨らましたりとか、市議会議員の田中さんがなんで産廃の反対運動に関わったかのかとか、そういう「説明」が多かったんだけど、それよりもう「印象」でやったほうがいいよねってことで、今の形になっていきました。 ――そういう「意味」だけじゃ捉えられない繋がりがとても効果的ですよね、花の移ろいにしても。 松林 なかなか狙ってできるものじゃないかもしれないけど、もしかしたらそういう「印象」で捉えられるかなってことで出したんですよね。 somakanka_sub03.jpg (C)松林要樹 ――この映画って、被災者の日常や素顔を捉えてることが力になってるとは思うんですけど、さっき言ってた共同体の在りようもちゃんと押さえてるんですよね。あと、末永さんが原発設立当時の市議だったり、粂さんが原発の元安全管理者だったりして、彼らの言葉から地域と原発の一筋縄じゃない関係性も浮かび上がってくる。そういう歴史的というか社会的な視点がサラッと入ってくる構成が見事だなと思いました。 松林 マグレですね。 ――(笑)原子力安全・保安院との電話のやり取りも、後半で田中さんの旦那さんがマスコミの取材を受けるくだりに繋がってくるじゃないですか。あれだけいろんな葛藤を抱えてる田中夫妻の話も、新聞ではほんの数行にまとめられちゃうっていう、静かなマスコミ批判、取材規制批判になってますよね。そういう構成がどう組み立てられていったのか知りたかったんです。 松林 基本的には、外部の人間がその場その場で興味を持って撮影した被災地の映像を時系列で並べてるから、みんなが疑問に感じて腑に落ちるまでの流れと同じスパンにまとまってるんですよね。だから、そんなに混乱せずに見れるんだと思います。ただ、東京へ戻るくだりもそうだけど、時系列で細かな嘘をついてるところはいっぱいあるんですよ。粂さんが原発で働いてたことも、映画では二回目に酒を持って行ったときに分かる流れだけど、その前から分かってて。これは一回酒呑んで一緒に話したほうがいいなと思ったから、あそこで聞き直してるんですね。最初に粂さんの家へ行くところも、田中さんと車で訪ねたように繋げてるけど、あの辺の時系列は全部「嘘」なんですよ。もちろん時系列通りに見せてるところもあるけど、前半の避難所の様子とかは特にいじってますね。 ――でも、時系列の入れ替えが目立つところは殆どなかったですよ。 松林 だとしたら、成功してるのかもしれないですね。木村君から「一回東京に戻したほうがいいよ」って言われたときに話してたのが、福島第一原発の正門へ行くくだりの後に、手持ちカメラで自分の部屋の電気メーター撮影したショットを入れてもいいのかなって。そうすると、福島から戻ってきた自分の部屋も、東電の電気を使ってるってニュアンスが出るじゃないですか。 ――でも、メーターは撮らなくて良かったんじゃないですか。この映画にはガイガーカウンターも出てこないし、松林さんの主張が現地の人たちの言葉とか風景に託して語られてるところが本当にいいなと思うんで。 松林 まあ、マグレです。次はこんなにいい映画できませんよ。自分で分かってますからね、次の映画でこれを超えることは難しいって。 ――でも、それだけの手ごたえを感じてるわけですね。 松林 やってて自分でも面白かったですからね。編集も迷わなかったから、基本的な構成は2週間くらいで組んだんですよ。8月の1週目くらいまで南相馬にいて、東京に戻って1~2週間ぐらい経った頃に、日本映画学校の同級生の大澤一生から「藤岡朝子さんが山形(国際ドキュメンタリー映画祭)の作品募集してるみたいだよ」って言われて、藤岡さんに電話したんですよ。それで、8月25日頃にはもう構成が出来ましたからね。それを木村君たちに見てもらって、安岡さんにも見てもらったのが8月末で。その後、1シーンだけ追撮して終わりです。仮設住宅に入った末永さん夫婦を田中さんと両親が訪ねて行くところだけは8月末の映像なんですよ。 ――結構いろんな人の意見聞くなかで構成が決まったところがあるんですね。 松林 ゴジさん(長谷川和彦)なんか二回見たとか言ってくれて。 ――え、知り合いなんですか。 松林 俺が『花と兵隊』(09)を作ったことは知ってたのかな。俺から言ったのかもしれないけど、「見せろ」って言われてDVDを送ったら、「家近くだから来い」って言われて(笑)。近所の中華料理屋に連れて行ってもらったんですよね。「おまえ、腹減ってんだろ?」「減ってます!」って、昼の3時から夜の9時か10時くらいまで呑んだんですけど、俺一人で一万円分ぐらい食ったらしくて、「食いすぎだ!」って言われて(笑)。ゴジさんは胎内被爆児だから「やっぱり生き急いだんだな」って。「だから、俺の原発に対する怒りには原爆に対する憤りもあった」とか、そういう話をいろいろ聞かしてもらったんですね。やっぱり子どもの頃は早く死ぬと思ってらしいんですよ。胎内被爆児の何ヶ月未満の死亡率がすごい高いとか、そういう記事が広島の新聞に出てたらしくて、それを親が隠したとか。そういう話を聞いたときに、この映画も早く作んなきゃって、そんな気持ちはあったんです。だから、ゴジさんにも背中を押してもらったところはありますね。 『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』劇場予告編 『相馬看花 -第一部 奪われた土地の記憶-』 監督:松林要樹 構成協力:金子遊 木村文洋 井手洋子 替山茂樹 菊池文代 黒木彩子 整音協力:中川究矢 編集協力:高山竜樹 大澤一生 星野基樹 向井久美子 北川帯寛 安岡卓治 辻井潔 直井佑樹  協力:田中京子 田中久治 粂良子 粂忠 末永ムライ 末永武 田中ヲミヨ 田中重光 *オーディトリウム渋谷にて公開中、ほか全国順次 公式サイト:http://www.somakanka.com/