映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

シリーズ「映画と労働を考える」番外編 <br>~映画への寄付税制を考える~ 8.22イベントレポより <br>深田晃司(映画監督)

 前回更新してからあっと言う間に一年と半年が過ぎてしまった。その間、映画を一本作り地道な上映活動を続けてきた。ありがたいことに賞なんぞも頂き、映画祭を駆けずり、チヤホヤされる時間は増えたものの、息切れしてきたのでふと立ち止まって身辺を見渡すと、あれ? どうも一年前より自分は貧乏になっているような……。と思っていたら、震災と原発事故があり、私のささやかながらお先まっくらな経済状態なんて吹き飛ばすように、日本全体が明るい未来を描きづらくなってしまった。

 それでも、映画は作られる。作られる以上、考え続けなくてはならない。というわけで、「映画と労働を考える」番外編~寄付税制を考える~、始まります。

 さて、いきなりであるが日本映画界の現状をより良くしていくには何をすればいいのか。製作現場の改善、配給・劇場の整備、映画教育の推進、どうしたってお金が必要となる。そして、そのお金をどうにかするには、どうも以下の3つのことを私たちは同時に進めて行かなくてはならないであろうことが、おぼろげながら分かってきた。

①文化予算の増額

②チケット税の導入による興業収入の循環

③映画への寄付制度の整備/簡略化

 ①は国民意識全体にも関わることなので、そう簡単には行かないだろう。文化に関わる人間すべてによる根気強い説明努力と意識改革への働き掛けが必要である。まあ、これは100年単位で考えたい。

 ②は、映画自体の収入(興行収入)を映画のために再分配していく発想であり(「当連載第2回参照」)、映画人内部でのコンセンサスと覚悟さえあれば可能ではないか。なんとか15年以内(特に根拠のない数字ですが)には導入したい。

 そして③の「寄付制度」。ヨーロッパや特にアメリカでは「寄付」というのがどうも日本より盛んらしい、という話は小耳に挟んでいたものの、よく分からないでいた。分からないので知った風な顔してこれまでやり過ごしてきたものの、いい加減そうもいかなくなってきた。

 というわけで、今回はこの場を借りて、私も参加しているグループ「映画への寄付制度を考える会」が8月に行なったイベントのレポートを通じて、寄付税制について考えてみたい。その上で、未来に向けての私たちの提案を書き記してみよう。

寄付大国アメリカ、新しい潮流

 8月22日、夜。神保町の決して広くはないイベントスペースは、静かな熱気に包まれていた。用意された椅子は早々に尽き、白い壁を背に肩を寄せ合い座る人達が目に入る。

 「お金がないなら、仕組みを作ろう! ~インディペンデント映画のための寄付制度を考える~」と題されたこの催しは、アメリカで活動する映画作家タハラレイコさんをお招きし、アメリカのインディーズ映画界隈で現在試みられている寄付を募るためのシステムを紹介しながら、日本におけるその可能性を探りたいという趣旨で開かれることとなった。

 告知のない、いわば内々の勉強会のような集まりであったが、口コミによって高い関心と興味を持つ多くの映画人に集まって頂けた。現代日本映画に創作・上映・ジャーナル、様々な立場で関わりながら、一方で彼ら彼女らを取り巻く環境に何かしらの「欠落」や「閉塞」を感じているであろう人たちがここに集っていたのではないかと思う。

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写真右からタハラレイコさんと土屋豊さん

 この会の発起人の一人で司会も務める土屋豊さんによる導入のあと、タハラレイコさんは軽快な調子で話し始めた。カジュアルな赤いTシャツ姿はステレオタイプな古典的「映画監督」のイメージからほど遠い。アメリカの大学で幾つもの授業を受け持つ彼女の論調は常に明快で分かりやすかった。

 今回タハラさんが紹介してくれたのは、ハリウッド映画に代表されるような資本主義的市場経済の中で商業的に十分な利潤を追求できる映画ではなく、より自主制作に近いインディーズ映画や個人映像/プロジェクトが対象となるようなシステムである。

 「アメリカでは日本で言う文化庁にあたるような支援を行なっている大手の財団はもちろんありますが、それ以外のより小さな財団が無数にあります。アメリカは日本と比べても貧富の差が激しくお金持ちの人がたくさんいます。その人たちが税制優遇のために、控除になるということで社会的にいいと思う活動に寄付をする、そういったシステムが綺麗にできあがっているんですね」

 各国の文化予算の国家予算総額に対する割合を比較すると、日本は例えばフランスや韓国と比較し突出して低いことが分かるが(※1)、その日本をさらに下回るのが、アメリカである。意外に思われるかも知れないが、これはアメリカにおいては文化に限らず医療・福祉・教育・宗教など多くの分野においてその活動は政府による直接補助より、民間からの寄付に大きく拠っているためである。

 日本における年間の寄付の総額は1,000億円程度であるのに対し、アメリカのそれは約20兆円に及ぶ。一世帯あたりで言うと日本は約3,000円に対しアメリカは17万円となる。

 そういった、歴史的に寄付文化を育んできたアメリカにおいて、近年注目を集めているのが"crowd funding(クラウド・ファンディング)"であるとタハラさんは言う。オバマ大統領が大統領選に出馬した際、選挙資金の一部が広く一般市民から少額の寄付を募る形で集められた。インターネットを使ったその手法と、資金集めの仕組み自体を民主化してしまおうという思想が注目され、いわゆるアートや社会活動の分野でも試みられるようになったのだ。

 アメリカでクラウド・ファンディングを代表する2大サイトは"IndieGoGo(インディゴーゴー)"と" Kickstarterキックスターター)"である。

"IndieGoGo(インディゴーゴー)" http://www.indiegogo.com/

"Kickstarterキックスターター)" http://www.kickstarter.com/ (※2)

 「アメリカの授業で資金集めについて教えたりして、生徒にやれやれ言いながら自分がやらないのもなんだなと思って実験的に私もやってみました。それがこれになります」

 タハラさんが「実験」に使用したサイトはインディゴーゴーで、日本での企画(タハラさんとパートナーで現在岡山在住の上杉幸三マックスさんが岡山で企画・主催している「宇野港芸術映画座」)ということもあり、日本語と英語の両方でキャンペーンが展開されていた。宇野港芸術映画座は、財団などからの助成で運営しているが、必要予算の不足分を補充するためのキャンペーンで、出資者は一般の個人ユーザーである。

IndieGoGo 宇野港芸術映画座 キャンペーン(日本語)

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 「これまでのファンディングと一番何が違うかと言うと、ネットを使ったファンディングはとてもカジュアルでパーソナルであるということです」

 IndieGoGoの「宇野港芸術映画座」のページにはYouTubeのリンクが貼られ、タハラさん自身がその人となりやプロジェクトについて「プレゼン」している。動画の撮影場所は彼女の自宅だと言う。

 「文化庁や財団に応募するときのような格式ばった書類や申請書とにらみ合い、顔の見えない審査員を相手にするのではなく、自分自身が視聴者のひとりひとりに口語体で語りかけ、プロジェクトへの協力を訴えることができる(この後、クラウドファンディングサイトの細かい運営システムの説明が行われましたが、ここでは割愛します。興味のある方はwebDICEさんのサイトに同じくタハラレイコさんにより詳しく記されているのでご参照ください)」。

 結果、寄付の額はタハラさんたちが目標金額に設定していた2,000ドルを大きく上回る2,950ドルに達し、合計にして4,000ドル近くが約3週間で集まったと言う。しかも、ただ寄付を募るのでなく、寄付額に相応の特典がもらえるゲーム感覚でユーザーに楽しんでもらい、作品やイベント作りに参加してもらうというのがクラウド・ファンディングの醍醐味のようだ。

 「今回私たちの出した企画は映画上映シリーズですが、映画にしてもアートにしても、自分たちの活動をこういうことやりますと告知をして寄付を募るのは、同時にお客さんの開拓でもあります。見たいと思ってくれる人がそこにいることが凄く嬉しい」

新しい公共 NPOを使って映画のプラットフォームを作る

 これまで書いてきたように、アメリカには巨大な企業や財団、あるいは資産家による多額の寄付から上述のクラウド・ファンディングのようなより規模の小さい個人的なプロジェクトへの寄付まで、多様な寄付文化が浸透しているが、一方日本ではまだまだ寄付という形での社会参画の文化は根付いているとは言えない。

 もちろんそのことをもって国民性を比較し優劣をつけることなどはできないが、一般市民が社会活動に自発的に参加し、ときにイニシアチブを取れるだけの社会整備が日本に不足していた点は否めないだろう。本来「公共性」とは社会生活を営むすべての人間がアプリオリに備える特性であるはずが、「官」と「民」を対立するものとして意識するあまり、公共サービスは国から与えられるものと私たちは考えてしまいがちである。

 しかし、そういった私たちの意識に大きな変化をもたらすかも知れない、そう期待させるだけの法案が6月に国会を通過した。それが「NPO改正法案」と「新寄付税制」である。

 一体何が変わったのか。要点をまとめると、

①認定NPOへの寄付者が「税額控除」を受けられるようになった(※3)

②一般のNPOが認定を受けるための基準が大幅に緩和した。(※4)

 の2点である。

 この改正によって、これまで私たちは「納税」というかたちでしか公共活動に参加できなかったのが、これからはそこに「寄付」という選択肢が加わることになったのだ。

 そして、ようやく本題に入るが、今回の法改正を日本映画に生かそうというのが、私たち「映画への寄付税制について考える会」の提案である。

 例えば、上述したアメリカにおけるクラウド・ファンディングのような透明性の高い寄付の窓口と成りうるNPOを自分たちで作り、そこに希望者は映画の企画や、あるいは映画祭や上映の企画でもいいだろう、実現したいプロジェクトを登録し、それらをすべてwebサイトで簡単に閲覧できるようにするとどうなるか。

 映画に寄付という形で貢献したいと考える人や企業は、そこで日本映画の近未来の見取り図を見ながら、興味のある企画を探すこともできるし、作り手は寄付を広く募る際に「税額控除」を個人に対しても企業に対してもアピールできるようになる。これまで、文化活動に寄付していた人や企業も、これからはこのNPOを窓口として通すだけで税額控除が受けられるようになるのだ。

 可能性はいくらでも広げることができるだろう。例えば新人発掘のための「映画賞」のための寄付をここで募ることも出来るし、地方で良質な映画を上映しながら経営に苦しんでいるミニシアターが登録してもいいかも知れない。

 映画を支える作り手、劇場、観客が日本映画の現在/未来の情報を共有するプラットフォームになり得るようなNPOが誕生したら、と考えるだけでわくわくする。

 ただ、間違えてはいけないのは、映画のための寄付制度を整備できたからといって、それは現在の日本映画の貧困状態を一挙に解決するような救世主になるわけではない。

 今回の法改正は画期的なものであるが、寄付に対する国民意識がころんと急に変わる訳はなく、また「税額控除」についても情報としてほとんど一般に浸透していない現状で、例えば来年NPOを立ち上げたとしても、すぐに映画一本作れるような多額の寄付が集まることはないだろう(そもそも、基本的には寄付はあくまで運転資金の補助的なものと考えた方がいいだろう)。また、「他人の財布を当てにするなんて」と寄付を嫌う作家もいるかも知れない。

 ただ、日本映画界がここ10年何をしてきたかと言うと、ファンドを組んでは一般投資家や企業を「夢」の御旗のもと映画作りに巻き込み、そのほとんどは黒字になることもなく出資者に損失を押しつけたまま作り逃げするようなことを繰り返してきたのだ。

 その陰惨な状況に比べれば、最初から寄付であることを明言し、お互い納得づくでプロジェクトを共有する方がよっぽど健康的なのではないだろうか。

 「映画」と一口に言ってもその内実は実に混沌としている。商業映画、インディペンデント映画、インディーズ映画、ドキュメンタリー映画、フィクション映画、学生映画、長編映画、短編映画、実験映画、社会派映画、娯楽映画、日本映画、外国映画、合作映画……と数限りなく、これに個々の作り手の作家性が加わるとなると無限である。

 これらの多様なレイヤーがその多様性を維持したまま共存できてこそ、活力ある豊かな映画文化と言えるのだろう。しかし、全てを庇護できる巨大な一枚岩のシステムなどは存在しない。ありもしないそういった完璧さを追い求めると必ずどこかで挫折することになる。

 私たちは、不完全なシステムとシステムを継ぎ接ぎしながら、多様な映画が生まれ、育ち得る豊かな土壌を準備していくしかないのだろう。寄付制度の構築と充実は、そのパッチワークの重要な一枚になるはずだ。

 8.22イベントの最後に、土屋豊さんから「映画への寄付税制について考える会」を立ち上げた経緯が話された。そこで触れられたのが、私も企画から関わった「こまばアゴラ映画祭」だった。

 その映画祭の関連イベントとして映画監督やプロデューサーたちを招いて行った公開座談会を土屋さんは見に来てくれていたのだ。その座談会は、現在の日本での映画製作環境の貧しさを確認しつつ、フランスで行われているチケット税やあるいは文化労働者のための労働組合アンテルミタンの活動を紹介し映画人の意識改革を促したい、という趣旨で行われたのだが、結果として出席者の多くが「フランスはいいなあ」「フランスに生まれたかった」と言った羨望の態度で終わってしまっていたように見えた、と土屋さんは言う。その薄い反応に土屋さんは「本当にがっかりした」のだそうだ。

 そして、土屋監督自身は、作り手の立場で自分の作品づくりとは別に映画づくりの制度などにもコミットする、今の自分達の状況を少しでも改善していきたいと考えていたときに、ちょうど今回の「NPO法改正」の流れとなったのだ。

 土屋さんの言葉を受けてのタハラさんの言葉が印象的だった。

 「やはり資金集めと配給というのを同時に考えないと。これまでみたいになんとか資金を集めて作りました。自腹切って宣伝費払って売れなかったけど劇場公開してよかったとか、映画祭に送って上映されたとか、既存のシステムに翻弄されていると、せっかくいいことをやっていても意味がないというか。意味がないとまでは言わない、そういうこともしていけばいいけど、同時に新しい仕組みを整えて盛り上げていく必要がある。

 新しいシステムを始めてもすぐにお金は儲からないかもしれないけど、どっちにしても儲からないんだから(笑)、やるしかないかなと。既存のものではなくて、自分が作るものだから自分のお客さんは誰かというのを自分が把握する。自分のお客さんに対して自分でアプローチして引いてくる。それでお金がちゃんと儲かる。それはなかなかできないけどそれが出来たらいいね、という感じで今少しずつ動いている感じです」

 アメリカでの寄付文化の成熟を前に指をくわえて「アメリカはいいなあ」と呟くことで終わらさないよう、NPO法改正という今回の革新的な動きを生かし日本映画の改革の第一歩にしていきたい。

【文責:深田晃司

⇒連載第1回「映像労働者の現状」へ

⇒連載第2回「資金の循環」へ

※1 

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※2 日本にも、”CAMPFIRE(キャンプファイヤー)” というアートプロジェクトのためのクラウド・ファンディングのサイトがすでに存在している。

※3 NPOとはNon Profit Organizationの略で「非営利組織」、つまり営利を目的としない社会貢献活動を行なう団体のことである。アメリカでは1960年代の公民権運動に後押しされる形でNPO活動が広まっていったが、日本において大きな契機となったのは、阪神大震災を受け1998年に制定された特定非営活動促進法である。しかし、その後作られた市民税制は制約も多く、利用しづらいものであった。

※4 これまでは寄付者は税率を掛ける前の所得を減らす「所得控除」しか受けられなかったが、改正後の「税額控除」においては所得に税率を掛けた後の税額から寄付した金額の40%~50%をダイレクトに引くことができるようになった(ただし所得税額の25%まで。それでも大きい)。

※5 寄付者が税額控除を受けられるのは認定NPOに限られていたが、普通のNPOが認定NPOに格上げになるには、これまでは「収益の五分の一が寄付」などといった大変高いハードルが課せられていて、4万以上あるNPOのうち認定NPOとなっているものはわずか200強、0.5%しかなかった。これでは上述のような改正前の所得控除ですら受けるためにはごく限られたNPOに寄付するしかなく、実質機能していなかったと言っていいだろう。

 それが、今回の改正によって、これまでの厳しい基準から、「3K×100」という、3,000円の寄付を100人から集めればいい、というものに変わった。これによって、これまで認定を受けるのを断念していた多くのNPOにその可能性がでてきたと言える。

執筆協力「映画への寄付制度を考える会」(大澤一生・白石草・高木祥衣・土屋豊深田晃司藤岡朝子(五十音順 / 2011,10.2現在)

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【レポートイベント内容】

お金がないなら、仕組みをつくろう! ~インディペンデント映画の為の寄付制度を考える~

内容:タハラレイコさんのお話+白石草さんからNPO法改正についての解説+みんなでディスカッション 

日時:2011年8月22日(月)

場所:スペースNEO

主催:映画への寄付制度を考える会

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