映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

「大阪アジアン映画祭2010」(一部)レポート <br>俺の発見全部でなんぼや <br>若木康輔(ライター)

 3月、大阪へ出かけたついでに、〈大阪アジアン映画祭2010〉へ2日間だけ行ってきた。  見たのはアジア映画最新作の初上映が3本と、関連企画上映が2本。あと、特別シンポジウムを途中から。これだけを純粋にお客として見たのみなので、正式な映画祭のレポート記事は作れない。でも面白かったので、見て感じた部分だけ書かせてもらう。  ふだん、最新の情報には1周遅れるぐらいが自分にはちょうどよいと思っているから、映画祭などには本当に縁が薄い。むしろ敬遠気味だと言っていい。そんな人間にとっては、初めてひとりで行った街で2日間、5本に接するだけでもうクラクラするような冒険だった。 abchall.JPG ABCホール場内  会場は、朝日放送の社屋内にあるABCホールと、本誌編集部編の単行本『映画館のつくり方』に登場するシネ・ヌーヴォの2ヶ所。現地で手に入れたちらしに掲載の上映スケジュールをにらめっこしつつ、地下鉄で両会場の間を、ひとり修学旅行の気分で移動した。  2008年に新築されたABCホールは広くて立派で、やや、よそゆきの雰囲気も込み。シネ・ヌーヴォのほうは好対照で、年季の入った建屋に手づくり経営の味が滲むミニシアター。性質も規模も違う会場が並立しているのは、観客の身としては良かった。現地にいる間は少し不便だし、会場のカラーに落差もあるのでは、と思ったのだが、どちらか1ヶ所に集中していたら、おそらく、少しダレただろう。アジア映画の初上映作品が集まるという本来はとても大きなスケールを持つ映画祭が、業者と好事家向けの濃密で、そのぶん狭いイベントにまとまりかねなかった気がする。テレビ局のホールで見てもミニシアターで見ても、映画は映画。フラットな視点を与えてくれる効果が、結果的にはあった。 osaka.jpg シネ・ヌーヴォ外観  で、会場のカラーがどうであろうと、あたたかい感情が場内に流れさえすれば、その映画祭はきっと成功なのだ。これがオオサカで僕が感じた、いちばんの新鮮な発見だった。  海を渡って来た作品が初めて日本のスクリーンにかかるのを寿ぎ、いつまたお目にかかるか分からない一期一会の機会を慈しむ。人をソワソワ、ワクワクさせる清新な空気。人気の高い作品だと前売券販売のみで札止めになる可能性があり、京都から来たという女性と「ワタシたちは入れるでしょうか」とドキドキしながら当日券待ちしたのも、面白かった。映画祭にコミットする人たちの気持ちが、一端でも理解できたような気がした。  さて、そろそろ映画の話を。僕が見たのは5本だが、全部を評に起こしたら長くなりポイントもぼやける、と本サイトの編集・平澤君に言われたこともあり、最も刺激を受けたものをフィーチャーします。  それは、『KJ 音楽人生』(香港/09)。ドキュメンタリーだ。  KJとは、黄家正という青年のニックネーム。幼い頃からピアノの才能が国内で注目され、10代前半でチェコのオーケストラに招聘された、いわゆる「神童」だ。当時から取材を続けて来た監督チョン・キンワイが、10代後半になったKJの青春の本音に迫る。  香港製のドキュメンタリーなんて、ちょっと珍しいでしょう? しかも、やたらに面白いのだ。今年に入って、香港電影評論学会大賞のグランブリを受賞している。ドキュメンタリー作品の受賞は史上初らしい。  早くから英才教育を受け、才能の突出したKJは、音楽学校ではオーケストラの指揮をつとめる孤高の存在だ。ところが、これでクールな優等生なら穏当に済むところが、文科系スポ根漫画の悪役も裸足で逃げ出す天然キャラ。我が強いどころではない。自分の理想のレベルまで引っ張るため学友たちを厳しく叱咤し、叱咤し、叱咤し続ける姿に、場内は苦笑の連続だった。  強烈な個性ゆえ、KJは仲間のペースに合わせることができない。尊敬する教師を見習ってジュニアの指導にも熱心なのだが、なにしろ常に自分の天才が基準だから「どうしてこんな簡単なことが出来ないんだ」とイライラしてばかり。KJがイライラすれば、周りもピリピリする。一緒に音を出す周りが委縮しているのだから、KJ自体、若き音楽家としてはちょっとした踊り場の状態にある。純粋な情熱が空回りして、「むかし神童いま秀才」になりかねない危機に立っている。失笑を通り越して、見ていて非常にヒヤヒヤ、ハラハラさせられる。芸術家(芸人やアスリートを含む)の密着ドキュメンタリーとしては、ほとんど限界点に近い。 ★KJ_MusicAndLife_Image.jpg KJ ©CNEX Foundation Limited.  KJが苛立ちの矛先をいつも向ける、オットリと育ちのいい雰囲気の学友がいる。練習中は毎度のごとくKJに怒られるのに、いつもニコニコ。トロい子なのかと思ったら、後半、実は彼のほうが人望あつく、学校対抗コンクールの場ではクラスの輪の中心にいることが分かる。一方のKJは、学校対抗コンクールなんて低レベルの競争は無意味だ、と冷やかに距離を置いている。みんなで優勝を喜び合う、いわゆる〈部活映画〉ならいちばんのクライマックスになるはずの場面で、露骨に1人だけ憮然としてみせる。  そんなKJとクラスメートのあいだを、オットリ君は、自分が道化になって繋ぎ止めているのだ。すごい奴だ。オットリ君の存在にKJはかなり救われ、また頼りにしているのだが、それを素直に認めることはできない。認めることは、自分の信念の負けになってしまう。こんなに胸にくる青春ドラマ、シナリオでもよう書けん。  そして監督は後半、カメラを向けながらKJに問うのだった。  「キミは子どもの頃、無邪気に音楽と戯れ光り輝いていた。今はちょっと違うよね?」  KJは真摯に、なかばムキになって反駁し、理屈を答えるのだが、理屈は理屈なので、言葉にあまり意味はない。ただ、そのやりとりを通じて、天才がスポイルされずに大人になることの困難、ひいては成長の痛みという普遍のテーマが劇的に浮かび上がる。あえて踏み込みまくったキツイ質問には、取材対象者を動かすドキュメンタリストの作為がありつつ、年の離れた兄のような情も宿っているのだった。長く取材を続けているうちに、放っておけなくなる。アドバイスとまでいわなくても、なにか働きかけたくなる。こういうドキュメンタリーもあるのだ。 ☆KJ_Still_02.jpg KJ ©CNEX Foundation Limited.  しかし、終盤のまとめ方は、よく分からなかった。話を、ステージパパからの親離れにだんだん寄せていく。それはそれで上手いもので、前半は苦笑の漏れていた場内から、すすり泣きが聞こえてきた。観客の心をここまで自在に動かせば、1本の映画としては大成功だろう。  でも僕には、なにか無理に理由をつけてるような……。整理の手捌きが見える。それこそ、劇の作り方でしょうという感じ。あんまり父との葛藤に焦点を絞ると、KJの音楽への潔癖な情熱が紛れる気がした。KJがパパに褒められたい一心でピアノを弾いてきた子なら話は別だけど、彼の追い求める理想は、父親が望んできたレベルをすでに凌駕している。成長の途上にある若き芸術家の魂を活写している点において、これは相当な代物だと僕は思っているので、その不安定な青春の肖像を、そのままゴロンと差し出してくれて良かった。  とはいえ、僕が『KJ 音楽人生』のまとめ方に感じた疑問には、日本ではそういう作り方はあんまり……という皮膚感覚に根ざしたものも含まれている。映画にはもともと、違う国同士の文化や風土、人情を伝え合う文化装置的性質が備わっている。特にドキュメンタリーには、その特長が顕著に現れる。香港の映画人(監督はアン・ホイ門下だそうだ)がドキュメンタリーを作るとこれぐらい素材をいじるのかと知った、そのこと自体は、とても刺激的な発見だった。日本の観客の生活心情に馴染むほうが公開されやすいだろうけど、それは作品の価値とイコールではない。映画祭をよく知っている人ならば、きっと自明の認識だろう。  一方でこんなに誰でも入りやすい、親しめる映画を作るのに、日本の劇場にかかる前に追悼上映とは……と、溜息をつかせる映画監督がいる。僕が見た5本のうちの2本は、関連企画「ヤスミン・アハマド監督追悼特集」の、『ムクシン』(06)と『タレンタイム』(08)。  ヤスミン・アハマドは昨年急逝したマレーシアの女性監督。〈マレーシア映画新潮の先導者〉という高い評価はよく聞いていた。なかなか公開されないのはよほどローカル色か作家性が強いからか、と思っていたら、まったく違った。 ムクシン.jpg Mukhsin(ムクシン) 写真提供:国際交流基金  『ムクシン』は、オーキッドという少女の成長を描く自伝的連作の1篇。『タレンタイム』は、高校の音楽コンクールを舞台にしたグラフィティもの。どちらも端正で伸びやか。爽やかな語り口のなかに多民族国家の現実があり、それゆえ多感な少女のまっすぐな成長が眩しい。  ある意味、これは完璧な世界だ。ヤスミン・アハマドの演出は、空間の切り取り方や繊細な間合いがあっけにとられるほど上手い。なおかつ、洗いたてのコットンのように清潔なユーモアとテンポが両立している。少女が恋し、また少女に恋する男の子たちはみなハンサムで心優しく、ジェントル。ここまでなら日本の少女漫画や韓国の恋愛ドラマと近いようだが、アハマドの映画の場合、少女が育つ家庭が個性的で意識が高い点に特徴がある。周りから「西洋かぶれ」などと陰口を叩かれ、しかもそれを苦にしない両親の明るい影響下にあるから、自立心や思いやりが早くから育まれる。映画を隅々までコントロールする知的な演出力が、本人の伸びやかな感受性、人間性に裏打ちされているのはまず間違いない。  要するにもう、ほとんど女子の理想郷。男子の僕は正直、素晴らしすぎてかえって身の置きどころがないとすら感じた。また、白樺派人道主義・理想主義を映画にするとこうなるのか……とも思った。  もう2本は日本初上映の『デーヴ D』(インド/09)と『見捨てられた青春』(フィリピン/09)。どちらも面白く見たが、カジュアルな演出(ヒップホップ調の音楽にシャープなカッティングなどなど)がすごくサマになっていて、そのセンスの良さに感心するぶん、どうしても印象が後回しになる。ここにはワールド・ミュージックと共通する、よく考えなくてはいけない問題がある。若くて才気のあるクリエイターが都会で生きる今の青春をヴィヴィットに描くと、ボンベイもマニラも、逆に今まで散々っぱら映画の中で描かれた大都会と似た場所に見えてしまうジレンマ。  欧米スタンダードにめざすべきベクトルを置くと、かえって個性が埋没してしまいますよ、と言いたくはなるものの、だからといってローカリズムに徹しろ、という意見もそうとう身勝手ではある。そう、僕はここまでアジアの映画と一括りにして書いてきたが、あくまでみな違う国の映画だ。違う国の映画なのに、こうして共通した課題も見つかる。すると余計に、ちょっとした描写の違い(それこそ食事とかトイレとか)を見比べることが、面白くなる。 osaka 016.jpg シネ・ヌーヴォで行われたシンポジウム  そういうわけで、ずいぶん僕は〈大阪アジアン映画祭2010〉を堪能したし、いろいろ考えた。2日間しか行かなかったけど、もともとの用事(ボブ・ディランの来日公演)が済んでも1泊滞在を延ばしたほど楽しかったのだ。それでも他にもいい映画はたくさんあったはずで、仕方ないと思いつつ、少しは惜しい。  ABCホールでは上野昂志さんに、シネ・ヌーヴォでは映画祭事務局長の景山理さん、支配人の山﨑紀子さんに声を掛けさせてもらった。「時間がもし合えば、これは見るといいですよ」と上野さんと景山さんがピッタリ判で押したような口調で教えてくれたのが、『トルソ』(09/日本)だった。こちらは幸い、7月にユーロスペースで公開が決まっている。  やっぱり、見られる状況で見られるものがあれば、そうしたほうがいいのだ。映画祭には作品を集める人、字幕を作る人、会場を運営する人、宣伝する人、通訳する人、いろいろな立場の(きっと打算抜きの)前向きの熱意が渦巻いている。あれも見とこうか、これはどうしよう……と落ち着かない気持ちで迷う位なら、いっそ全部通って渦の中に呑み込まれたい。そんな気持ちも、前より分かるようになった。  景山さんと山﨑さんは映画祭開催の意義を、「大阪から発信する、ということです」と仰っていた。東京には負けへんで~的なニュアンスではなく、もっと広い意味での言葉だと僕はとった。昔むかしから、アジアの文化や情報は西から入って来た。遣唐使船が船出するのは難波津、現在の大阪湾からだった。大阪に日本初上映のアジア映画が集まるのは、歴史的意味合いからすれば必然なのだ。お二人とも「(続ける)メリットは、そうそう形としては目には見えない」とも口にしていて。それが収支の意味なら外野は何も言えない。しかし、文化事業としてならば、「アジア映画はオオサカ」というイメージがスタートからわずか5年で定着しつつある点、大いに誇ってもらっていいものだと思う。 『デーヴ D』 Dev.D 監督:アヌラーグ・カシヤプ 脚本:アヌラーグ・カシヤプ、ブィクラムアディティア・モトワニ 撮影:ラジーヴ・ラブィ 出演:アバイ・デーオール、カールキー・コシュリン、マーヒー・ギル 2009年/インド/35mm/144分 『KJ 音楽人生』 KJ:Music and Life 監督+編集:チョン・キンワイ 撮影:ハリー・リー、チョン・キンワイ、タム・ツェキット 顧問:アン・ホイ 2009年/香港/デジタル・ベータカム/90分 『ムクシン』 Mukhsin 監督+脚本:ヤスミン・アハマド 撮影:ロウ・スン・キョン 出演:シャリファ・アルヤナ、モハマド・シャフィー・ナスウィプ 2006年/マレーシア/35mm/97分 『タレンタイム』 Talentime 監督+脚本:ヤスミン・アハマド 撮影:キョン・ロウ 出演:マヘシ・ジュガル・キショー、パメラ・チョン・ヴェン・ティーン 2008年/マレーシア/35mm/120分 『見捨てられた青春』 Squalor 監督:ジュゼッペ・ベード・サンペドロ 脚本:ジェリー・グラシオ 撮影:オディッセイ・フローレス 出演:デニス・トリロ、シド・ルセロ、アーノルド・レイエス 2009年/フィリピン/デジタル・ベータカム/91分 公式サイト http://www.oaff.jp/index.html