映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

「東京学生映画祭」入選作を見る <br>西尾孔志(CO2映画祭ディレクター)/平澤竹識(編集)

「学生映画のススメ」 西尾孔志(CO2映画祭ディレクター) 店員A「店長、成瀬と清順が盗まれました!」 店員B「ひばりモノも3本やられました!!」 店長 「何ぃぃぃ、あいつら許せねぇぇぇ!!」  「学生映画」とは学生が撮った映画であり、つまりは20才前後の若者が撮った映画の事だ。で、「俺が20才の頃ってどんな映画撮ってたっけ?」と思い返してみたら冒頭の台詞が蘇ってきた。バイト先の友だちと撮った自主映画で『レンタルビデオ屋VSレンタルビデオ屋』という酷い題名。レンタルビデオの大手チェーン店と小さな個人経営店の店員がレアなビデオを奪い合って血で血を洗う大抗争を繰り広げる、てなアクション巨編だった。もちろん大手は悪者だから黒ずくめ。個人店の店員には予知夢が見える超能力者もいた。出演者は全部友だちだから台詞は棒読み。もちろんピストルで殺し合い。なんだこれ? 今こうやって書いてても凄くくだらない。でも当時はメチャクチャ面白いと信じて撮っていた。まぁ結局、出演者内の恋愛沙汰のゴタゴタで空中分解して未完成に終わったのだが……。  そんな他人様にはどうでもよい懐古的な気分に浸りながら、「どれどれ一丁、学生映画とやらを観ようかね」とうっかり観て驚いた。「凄くちゃんとしてる!チープな匂いが全然ない!」 私は何を期待していたのか、今回の7作品の体裁の整いっぷりに正直うろたえた。私は関西で映画祭の運営に携わっており、毎年100本近くは自主制作映画を観ているから、デジタルビデオカメラで綺麗に撮影され、役者も無名ながらも上手な人が演じていて、編集や音の技術もしっかりしている自主映画が増えている事くらいは知っている。でも、それにしても今回7本全てが、内容的にも観客にきちんと伝わる体裁を持ち、ノリや勢いだけで撮らずに凄い労力を割いている事が画面から伝わって来た。いや~立派だと思う。  じゃあ私が期待してたものって何だったっけ?  まず、比較的に技術力が高いと感じたのは『心のスタンプ』(監督:山田卓司)と『シュナイダー』(監督:頃安祐良)の2本だ。  『心のスタンプ』は古い民家を舞台に丁寧に撮っている。作り手と同年代の若い主人公だけでなく、父や祖母という自分達よりも上の世代の登場人物も自然なくらいしっかり描かれている。ただ、始まってすぐに「これはこういう話だろうな」と予想したとおり、物語が展開した事が少し残念だった。自分が描いている世界を疑う視点を持った方が良い。家族や水商売に対する古い価値観もどうかと思った。田舎や古いタイプの家族が出てくる学生映画は実に多い。若い作り手たちは癒されたいのだろうか。実際、この作品は癒しを求める若者には共感を呼ぶかもしれない。  田舎を舞台にしながらも、癒しに刃を向ける『シュナイダー』は、何か事件が起こっていると感じさせる導入から力強い描写が続く。クライマックスのガラスが割れる瞬間なんてなかなか用意周到で、けっこう良い。ただ極端なほどの救いの無さは、賛否分かれるところだろう。個人的には、冷徹な描写の合間に主人公の奥さんが自由な空気を感じる瞬間が描かれていたら、最後はもっと違う重さが出たのでは無いだろうか?と思う。マイナス面を狙いすぎて気が付けば一面的に近かった、という気がする。例えばユーモアによる異化効果があればどうだったろうか?  ユーモアと言えば、『連鎖』の宮岡太郎監督は恐怖と笑いは背中合わせだと信じて疑わない人なのだろう。その迫真のギャグセンスは高く買う。怪物と化した女が密告する友人の背後に現れる時、または「切っちゃった」という台詞。嫌味でも冗談でもなく、高度なギャグ映画として怖くて笑えた。「撮りたいからこう撮る」というカメラへの欲望も好感を持つ。あと、ちゃんと女が性的なのがポイント高いと思う。  と言うのも、今回の男性監督のほとんどが性に触れない、もしくは巧みに避けるのが気になったのだ。  例えば『千年桜』(監督:唐澤弦志)は母と娘のどちらからも性の匂いを回避しようとする作り手の心理が気になった。母親は限りなく「母性」を欠いた人物で、娘はいわゆる「萌え」要素を持ちながらも性を欠いている。例えばクライマックス、女の髪を切る行為とその空間に、フェティシズムがあればもっと濃密なシーンになったのに、と。さらには、髪を切る行為に「母と似せる」以外の娘自身にとっての切実な何かを持ってくる事で、この1シーンに物語上の大きな山が置けたのではないか、と思う。  逆に女性監督たちは偶然にも「処女」をキーワードに性に向き合っている。  まず『オレンジ』(監督:亀井奈穂)の主人公・高橋という人物は少女幻想ではない普通の女の子の無自覚で無防備なエロスを感じさせ、キャスティングが良いと思った。前半のさわやかな青春ドラマから一転、処女である高橋の心理に踏み込む後半の緊張感からは、女の子の本音がひたすら痛みとして伝わってくる。高橋が「セックスが怖い」と携帯に向かって泣き叫ぶ声や、抱きしめようとする亮介を高橋が拒んだ時に通り過ぎる原チャリの光に、瞬間が息づいている。ラストは品が良いととるか、ぼかしたととるか、意見が分かれるところだが、赤いソファに座る高橋のショットに何かしら象徴性を与えられていたら、とも思えた。  「処女懐妊」という非現実な事件を描いた『いえのおと』(監督:依田真由美)は、処女懐妊を告げる女の子の切実さも、それを無理にでも信じなければならない男の子側の切実さも描き出そうとする。その手腕はたどたどしく、時にステレオタイプに陥る事もあるが、誠実だと思えた。特に引きこもり青年・みつが「俺たちは父親だ」と叫んで飛び蹴りする瞬間は、良い。欲を言えば、手に入らなくても4人の擬似家族の具体的な家を見せて欲しかった。4人の終着点が遊び人・ゆうのマンションじゃなく、どこか新しい家だと彼らの幻想の自由さと行き詰まり感がもっと切なさに通じたと思う。もしくは砂浜の家をもっと生かして欲しかった。  さて今回一番気に入った作品が『東京蜜柑』(監督:柄沢大二郎)だ。細かい描写によるキャラクター造形が今回観た中で群を抜いていた。描く人物に対して、丁寧で誠実だと思えた。作り手が登場人物を発見しながら撮っている、と感じたのだ。OLとフリーターの二人の女の、それぞれの喋り方のニュアンスが良い。一人は常に敬語でクールに周囲との距離を測る。もう一人は方言丸出しでふにゃふにゃと自身を周囲に浸透させる。だが、どちらも別の面を持っており、それはシーンごとじゃなく、絶えず変化していく。そこが宝石が光るように魅力的に思えた。特に大きな物語は無いのだが、彼女たち二人の適度に抑制の効いたダラダラした暮らし見ているだけで、声を出して笑ったり、心地よさを感じたり出来た。真理のビジネスでの隙を見せない表情、美咲のティッシュ配りの自信の無さ。ステレオタイプじゃなく、例えば美咲が川にティッシュを投げ棄てるエモーションと、その後に少し反省して拾う姿や、調子者の男が深夜の人気のない駅で泣き出し、その横で途方に暮れる美咲の姿など、印象的に人物達を多面的に描いている。だからこそ、マンションの二人の暮らしの、適度な距離の支えあいが愛しく思えた。もっと長い尺で観たいと思わせる作品だった。  さて7本観終わった。「政治的にあーだこーだ」や「映画的にあーだこーだ」よりも、身近で自分達にとって切実な、辛さ、悩み、痛み…つまり「リアル」かどうか彼らにとって大きいのは分かった。だが思う。リアル、ちょっと飽きた。出鱈目でも良いからさ、新しさで驚かせてよ。  読者「じゃあお前、驚くような新しさってなんだよ?」 私 「う~む。わかりませんが、もしかしたら東京学生映画祭の7本全てを観終われば、その萌芽が見つかるかも知れませんよ。」 ※西尾さんがディレクターを務めるCO2の東京上映展が開催されます 「CO2 in TOKYO」 6月6日(金)~12日(金)まで池袋シネマ・ロサにて ゲスト:冨永昌敬(『シャーリーの転落人生』監督)、万田珠実(『接吻』脚本)ほか 公式サイト http://www.co2ex.org/ 「オトナになんかならないで」 平澤竹識(編集)  ある作品や作家をこのサイトで取り上げるかどうかは、基本的にその作品がおもしろいかどうか、その人に話を聞きたいかどうかで決めている。でも、今回の東京学生映画祭に限っては作品を見る前に決めてしまった。なぜだろう。きっとそれは、自分の〈学生〉に対する先入観と関係している。学生は情熱だけを頼りに必死な思いで映画を作っているのだろうとか、将来への不安と闘いながら人生について真剣に悩んでいるのだろうとか、自分も20代前半のころ映画の専門学校に通っていたから、少し感傷的な気持ちになってしまったのかもしれない。でも、実際に7本の入選作品を見てみたら、ほとんどの作品がきちんとオトナの恰好をしていることに驚いた。映像はきれいで編集にも滞りがなく、技術面での稚拙さはあまり感じられない。その代わり、主題へのこだわりや切実な思いが伝わってこないところがなんかオトナっぽいのである。  『千年桜』『心のスタンプ』は「素人女子大生」風のヒロインにつられて見入ってしまうところも、トラウマや挫折を抱えたヒロインが再起する過程がありふれたイメージと展開で語られるところまでよく似ている。見栄えのする映像を撮って、違和感なく編集するにはそれなりの技術が必要だ。でも内実が伴っていなければ、それはただのカッコつけにしか見えない。この2本の作り手はともに男性らしいが、女性に対する幻想とか既存のイメージに依存しているところに問題があるのではないだろうか。  『東京蜜柑』という短篇にも同じような不満を覚えた。フィックスで撮影されたひとつひとつの画面には作者の美学を感じたし、女の子がふたりで暮らしている部屋に転がりこんでくる、一見ちゃらんぽらんな男友達が酒を買いに行った帰り道に吐きながら嗚咽する場面を、その顔を見せずに遠めからジッと撮っている長回しは特によかったと思う。それでもやっぱりスタイル先行の印象が拭えなかったのは、男女3人の関係性をまったく語ろうとしないシナリオや、歌手を目指しているという女の子にギターを弾かせない演出に、作り手の怠慢を感じてしまったからだ。上京者が感じる東京の〈甘酸っぱさ〉を表すために『東京蜜柑』というタイトルを付けたのなら、せめて田舎から送られてきた蜜柑を食べるとか、それぐらいのオハナシは作ってほしかった。後半、お金のなくなった女の子が空腹をしのぐために食べる果物が林檎なのはもったいないと思う。  『シュナイダー』は入選作のなかでもっとも技術力が高いと感じた作品。撮影や編集の面だけでなく、人物の造形や各シーンの演出にも工夫がこらされているし、世界の見方も通念に寄りかかったものではない。ただ、その工夫と視点が〈罪と罰〉的な主題に通底しているようにも見えず、奇抜な印象しか残らなかった。それにしても、この映画のどこに作者はいるのだろう。これだけ痛ましい出来事の数々を映画の外側からほくそ笑んで見ているのなら、映画がおもしろければいいじゃんと思っているのだとしたら、それは大きな間違いじゃないだろうか。  唯一のジャンル映画である『連鎖』はシナリオもまとまっていて、作者の映画に対する愛情も伝わってくる。しかしその反面、人間愛に勝る映画愛が作品の瑕になっていたように思う。そんな風に感じさせてしまうのは、俳優の演技にまるで実感が伴っておらず、映画の人物がいとも簡単に殺したり殺されたりしてしまうせいだろう。男の気を引きたいがために嘘をつくヒロインの人格障害は結局、ドラマを展開させるための装置にしかなっていない。どうして彼女はそれほど男の愛情に飢えているのか。彼女がただのビョーキにしか見えないところに、この作品の弱さがあるのではないだろうか。ヒロインの人物像に魅力が出れば、彼女に対する男の愛情も痛切なものに感じられたと思う。  『オレンジ』は「好きになる人と、好きになりたい人ってどうして違うんだろう」というヒロインの台詞に象徴されるような男女の関係を描いている。処女のヒロインは彼氏に体を求められることにどうしても拒否感があり、その一方で、なんでも話せる大学の男友達には年上の彼女がいるという設定。三十路男の自分はすぐに「したくないなら別れたら?」とか思ってしまうのだが、それでもヒロインの痛みが伝わってくるのは役者の演技に切実さがあって、シナリオがきちんと練られているからだ。たとえば、ヒロインが男友達とする「(ハーゲンダッツは)何が好き?」「ストロベリー」「抹茶みたいな顔してるよ」なんていう生き生きとした会話のなかに決め台詞をさらりと織り込むセンスは相当なものだと思うし、男友達の彼女はハーゲンダッツが好きでヒロインはガリガリ君が好きという対比でキャラクターの違いを見せるシナリオも巧い(ヒロインは彼氏を家に泊めるのを嫌がりながら、男友達の家には平気で泊まることができるという対比も彼氏と男友達の距離感の違いを的確に表している)。この作品に対して、こんなにイケメンで誠実な男っている? とか言うのは野暮なんだろうけど、映っている人や物や場所がみんなかっこいい/かわいいことには引っ掛かりを感じた。それって作者が自分の求める世界の外側へ踏み出していないことの表れじゃないだろうか。  個人的にもっとも心動かされたのは『いえのおと』だった。中学時代の同級生4人(男3、女1)が成人後に東京で再会するところから物語は始まる。男たちはそれぞれに、妻との不和、引きこもり、女性不信(母親が風俗の仕事をしていたのが原因)という家族絡みの問題を抱えていて、女の子の妊娠をきっかけに擬似家族を作ろうとする。最終的に彼らの目論見は破綻してしまうのだけれど、それぞれが希望の手がかりを掴むラストがよかった。率直に言って、映像面での巧さはほとんど感じられない。というか、入選作のなかでも下手なほうだと思う。それでも惹きつけられたのは、きっと作者はこの主題を描かずにはいられなかったのだろうと思わせるだけの迫力があったからだ。主題偏重のこういう見方は冒頭に書いた〈学生幻想〉ゆえかもしれない。でも言いたいのだ。オトナになることを急がなくてもいいんじゃない?と。 東京学生映画祭 5月29日(金)~31日(日)まで北沢タウンホールにて 29日「誰も知らない映画史」  開場18:00、開演18:30   ゲスト 小泉徳宏井土紀州 30・31日「本選1日目、2日目」  開場12:30、開演13:00  ゲスト 山下敦弘寺島進、川原伸一 公式サイト http://www.tougakusai.com/