映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『デイ・オブ・ザ・デッド』 <br>美少女兵士の地獄めぐり「僕もミーナ・スヴァーリ軍に入りたい!」 <br>CHIN-GO!(映画感想家)

 某月某日、僕は『ドーン・オブ・ザ・デッド』(監督ザック・スナイダー 脚本ジェームズ・ガン/04年)を上映している映画館の前にいた。珍しくひとりではなかった。なぜなら、デート数回目の女性とともに来ていたから。でも、なんでゾンビ!? いや、映画勘が“コレ、イケてる!!”っていうんだもの。で、特にホラーが苦手でもない彼女と一緒に観たんである。  約二時間後、われわれは居酒屋で楽しく映画を観たあと特有の高揚に身をゆだねて語らっていた。さすがに彼女も元ネタ・オリジナル版『ゾンビ』(監督ジョージ・A・ロメロ/78年)を観ていたので、そのへんの相違なんかも思い出しつつ、比較、検討しつつ。ザッピングふうタイトルバック映像に、イスラムの礼拝なんかが数カット紛れ込まされていて、これはこのところのアメリカの不安感であり、そのあたりのことから生物兵器かなにかとしてゾンビが跋扈する事態になったのだ、という裏設定だと見えたが――などと言ってみたりする僕。いますね、こういう、女の子の前で張り切って映画語る奴。僕です。  そして明け方、ゆるやかに目覚めてゆくと、右腕の鈍痛。というか感覚がない、右腕がない。あっ! 眠っている間にゾンビに腕を食われたのダ!! と跳ね起きようとすると、そうさせない重さで僕の腕に乗っているのは、スヤスヤ寝息の彼女の頭であった……。 sub2s.jpg (C)2007 DOD PRODUCTIONS INC.  いや、なにが言いたいかっていうとね、ゾンビ映画はラブい映画ってことなんです。43年、ジャック・ターナーによる『ブードゥリアン』(aka『私はゾンビと歩いた』)だって、ネクロフィリアふうに妻を愛する男の話を、さらに不倫っぽく彼らに関わった女性が語るという映画だし、弔う、死者を悼む、よみがえりを願う、遺体を投げ捨てられない、というところの哀感と恐怖、これがゾンビ映画の根っこ。また、60年代以降のマッスとしてのゾンビ、世界の片隅から腐敗が始まっているという感覚は、ほれ、デビッド・ボウイの曲に「ファイブ・イヤーズ」、この世が滅びるまであと五年だよ、というのがあるでしょ、そういう滅亡系SFの世界、デストピアの精神生活。で、この世が滅びそうなら好きな人と過ごすことを考えるじゃないか。あるいは好きな人といてイイ感じのとき、そんなときだけだ、“この世がいま終わってもいい”と思えるのは。そこでぐるっとつながって、ゾンビ映画はラブくならざるを得ないのだ、たぶん。  で、本題の『デイ・オブ・ザ・デッド』。そもそも名作『死霊のえじき』(ジョージ・A・ロメロ/85)のリメイク、というか、カヴァーバージョン。あ、『死霊のえじき』は観てる? あの、壁つきやぶってドババーッと腕が出てる写真、見たことないですか。一応のリメイクと聞いて、絶対あの“壁から腕”のシーンやってると思ったけど、やってませんでしたね。しょーもないことですが。 sub1s.jpg (C)2007 DOD PRODUCTIONS INC.  『デイ~』のあらすじ。正体不明のウイルス性疾患が蔓延した町が軍によって封鎖。その任務につくことで帰郷した女性兵士は自分の母親を病院に送り届けるが、その病院で同様の病状にある患者たちが一挙にゾンビ化! 凶暴に、人肉をむさぼり食う! はてさて主人公ら(彼女を中心に隊を成す)はサバイブできるか、みたいな。  いや、あの、『死霊のえじき』を観た人みんなの語りぐさは、研究者に飼われてるゾンビがいるということね。バブーって鳴くから“バブー”と呼ばれたキャラなんですが、それの翻案はよかった。主役は女性兵士ミーナ・スヴァーリ(『アメリカン・ビューティー』の!)で、それに惚れちゃった新兵くんがゾンビに噛まれてだんだんゾンビ化するんだけど、こいつがベジタリアンだからなのか、よっぽどミーナに惚れてるからなのか、上述の“バブー”状態。でもこっちはラブゆえ。泣かす。良い。この設定が一番いい。  新兵くんがゾンビ症状の進行を自覚して、ミーナに自分を縛ることを頼むシーンを、観てくれ。米軍は電気工事や配管で使う結束バンドで人を縛るということを我々は湾岸戦争とかの報道で知ったわけですが、ミーナが新兵くんの腕をくくる。腕輪のように、壊滅する世界の風変わりな婚約儀式のように。ちょっとだけ彼の手がミーナに触れようと上に向いたのを、見た? 彼はどの時点で死んだのだろうか。生ける死者となってもなお、惚れた女のために役に立つ。バラバラの肉塊となる寸前に高々と挙げられた彼の手にはあの“腕輪”がはまっていたことを、要チェック。 sub4s.jpg (C)2007 DOD PRODUCTIONS INC.  ところで、本作の監督スティーブ・マイナーの代表作は、あちきの考えるところでは『ミスター・ソウルマン』(86年)。トーマス・ハウエルが奨学金欲しさに特殊日焼け薬で黒人になりすます、という映画。で、中身の白い黒人としていろいろ悩む、特に後半は恋愛。その相手は、自分がそのズルをしなければ本来その奨学金をもらっていたはずの黒人女性、という。これは、傑作でした。  ゾンビ映画における黒人の存在、というのはなにか特別のものがある。その出自がどことなくゾンビの起源たるブードゥを連想させるとか、その身体能力ゆえ戦力として貴重とか。ロメロのゾンビ映画でも常にキーパーソンだったり。そこのところと響きあいつつ、また同時にスティーブ・マイナーの主題系はついに、恋愛の障壁を人種どころか、人間とゾンビ、というところに求めるに至ったか、という気もする。  あと、以下はほとんど妄想であるが、非常に歯切れの悪い主役ミーナ・スヴァーリの自分語りは、明らかに何かを隠している。彼女が故郷を捨てたのはなぜか、弟にここまで拘泥するのはなぜか、ある段階で躊躇なく親殺しをやってのけるのはなぜか。そこには隠微な秘密、弟への近親相姦的愛があると見る。というか、そういう出来事すら、あったのかもしれない。この一連の災禍は、彼女のその問題をすべてシャッフルし、並べ直すためのものとも見える。 mains.jpg (C)2007 DOD PRODUCTIONS INC.  と、こういうことを思ってみれば、この『デイ・オブ・ザ・デッド』も面白いかもしれん。ストーリーなど説明不足ですまん。わからないなら観てくれ。そう、いささかばかばかしい映画だ。軍人が偉そうにしすぎるし、好戦的で残虐だし。しかし、壊滅の世界で人々が寄り添って戦う姿に憧れを抱きはしないか。その時が来たら、我々は誰とどのように振る舞っているのだろうか。そんなことを一瞬考えさせるのが、この手の映画の価値だと思うが、どうだろう。 デイ・オブ・ザ・デッド 監督:スティーブ・マイナー 脚本:ジェフリー・レディック 音楽:タイラー・ベイツ 出演:ミーナ・スヴァーリニック・キャノンヴィング・レイムス 配給:ムービーアイ 2008/米/カラー/ビスタサイズ/SRD/1時間25分/R-15 8月30日(土)よりシアターN渋谷、銀座シネパトスほか全国順次ロードショー! 公式サイト  http://www.dayofthedead.jp/