映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

■映画館だより『魔笛』<br><ブラナー・システム>とその余剰

 モーツアルトの有名なオペラをケネス・ブラナーが映画化……と聞いただけで、まあだいたいどういうものになるか想像がつくというものですが、例によってこれまでシェークスピアを現代的に映画化してきたのとほぼ同じようなアプローチの仕方によって、かなり対象となる観客層の広い、ファンタジックでエンタテインメント色の濃い「魔笛」の映画化をブラナーは試みているようです。

 演劇界からオペラ界までほぼ大絶賛状態ですが、その声はどれも揃いも揃って「古典をわかりやすい驚嘆のファンタジーに仕上げた」という賞賛です。

 確かに「魔笛」はモーツアルトがイタリアオペラの堅苦しさを脱してあくまで大衆に向けて作ったオペラであるという風説もあるくらいですから、高邁で一部の人間が見に行くだけの偉そうで少々堅苦しいオペラ劇にしてしまうよりは、これが正しい「魔笛」のあり方なのかもしれません。

 

 思えばシェークスピア劇だって元々は大衆のために書かれた戯曲が昨今では世界的に大仰な演劇の高みに持ち上げられすぎたわけで、この『魔笛』もあくまで大衆的な映画化を施してきたブラナーなりのある種の使命感によって作られている映画ではあるのでしょう。

 

 冒頭の長くカメラを回した映像はどこかゴダール映画のパロデイのような気もしましたが、でもそう悪くもないです。

 以降は映画が田舎芝居スレスレになるとサラリとエイミー・カーソンの優美な美しさやルネ・パーぺの風格と威厳のあるオペラ歌唱の迫力で押しまくり、ファンタジーがベタベタになり下品スレスレとなると、その影に第一次世界大戦の戦争の影をちらつかせ皮肉な隠喩を重ねてみせたりしています。

 

 またその悪玉と善玉が入れ替わる「魔笛」独特の展開には、きっと昨今の、テロへの報復なのか侵略戦争なのか、はたまたただの悪意あるテロリズムなのか侵略や占領からの防衛なのか、神と悪魔の戦いなのか、それとも神と神が戦っているのか……といった錯綜しきった今日の世界戦争の混沌とした状況への暗喩も込められているのでしょう……。

 と、一見ただの子供にもわかるエンタテインメント版『魔笛』のようなわかりやすさを露骨に表明しながらも、そこに様々な現実の様相を重ね合わせて塗りこめてもいるブラナーの意図的な作為は十分感じさせますし、そのスレスレ芸の数々はきっと作っている本人が一番そのスリル感を楽しんでいるんじゃないかとさえ想像させます。

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(C)THE PETER MOORES FOUNDATION-2006

 しかし、明解なエンタテインメント化のスタイル、古典オペラと現代的なテンポや現代的な問題などの交え方や重ね方がちょっとありきたりな気がしないでもないのです。

 結局見終わって、予想通りのブラナーらしい映画化じゃないの、というのが一番率直で正直な感慨です。

 

 驚嘆すべき古典オペラの映画化だの魔術師の手腕だの言われている映画に、まるで正反対のありきたりさを感じてしまったわけですが、それはこのブラナーの現代化や噛み砕いていく明白化の手つきがもはや手垢に塗れた方法=システムにも思えるからかもしれません。

 

 長い上映時間をそう退屈はさせないし、それなりのエンタテインメント商品には仕上がっていますが、まるで「ブラナー・システム」の映画に付き合っただけ、という実感はどうしても残りました。

 ただきっと演劇やオペラ界では賞賛の対象であろう高度な歌唱やその歌いまくりの展開が映画で露骨に描かれると、やはり奇妙な化学反応が起こって、たとえばマキノ正博の『鴛鴦歌合戦』や黒沢清……というよりかつてのパロディアス・ユニティ的な違和感ある歌唱のおかしさとなってしまうことがありますけど、それがこの映画にも溢れているところがあります。

 

 どうやらブラナー自身も、この奇妙な化学変化を楽しんでいるようなところすらあって、特に夜の女王、リューボフ・ペトロヴァが戦車に乗ってやって来て、その機上で歌う口元が軟体動物のように動くその口の形をアップにしたり引いたりして撮っているヘンな絵柄は、まるでオペラを映画化する無理矢理ぶりをブラナー自身が喜んでいるような感触もあってちょっと笑えました(試写室では誰も笑ってませんでしたけど)。

 つまり「ブラナー・システム」の余剰が楽しめる映画でもあるんですけども、まあそこはあくまで私の個人的な愉しみなので……。

text by 大口和久(批評家・映画作家

(C)THE PETER MOORES FOUNDATION-2006

魔笛

2006年イギリス

脚本+監督:ケネス・ブラナー

出演 : ジョセフ・カイザー 、 エイミー・カーソン 、 ルネ・バーベ 、 リューボフ・ペドロヴァ 、 ベンジャミン・デイ・デイビス

配給:ショウゲイト

http://mateki.jp/

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