映画芸術

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東京芸大大学院一期生インタビュー1<br>〈芸大映画週間〉を前に

日本初の国立映画大学院として東京芸術大学に新設された映像研究科の一期生が、5月19日より渋谷ユーロスペースで始まる〈芸大映画週間〉において学外にその成果を問う。2年次に製作したオムニバス映画『新訳:今昔物語』の一篇『女の事情』で脚本を担当した大石三知子(脚本領域)、修了作品『兎のダンス』を監督した池田千尋(監督領域)、修了作品『A Bao A Qu』のプロデューサーを務めた杉原永純(製作領域)の3人を迎え、今回の見所や製作時の苦労などについて聞いた。

今昔物語WrestleJanne写真05.JPG

『新訳:今昔物語』より『Wrestler Jeanne』

(C)東京藝術大学大学院映像研究科

『新訳:今昔物語』:翻案作品の見所について

――大石さんは『新訳:今昔物語』の一篇『女の事情』の脚本を書かれていますが、映像化するまでにはどんな過程があったんですか。

大石 『今昔物語』は最初、プロデューサーから原作を渡されて脚本を書き始めたんですが、その脚本が完成した時点で監督と交渉をして、どの脚本をどの監督が撮るかということを決めました。

――『女の事情』の翻案のポイントはどこにあるんでしょうか。

大石 「今昔物語」に共通していることですが、原作の「女盗賊」という話にはかなり幻想的な部分があるんですね。その一方で、この企画には現代の話に置き換えるという条件が付いていました。だから、目に見えないものや霊的なものをどう処理するのか、それが脚本化に当たって一番苦労したところです。原作からは女のしたたかさと男の愚かさとが際立って読み取れたので、そのモチーフを現代の話に置き換えたらどうなるかということを考えながら脚本を書きました。脚本執筆から始まり撮影にも参加して、大変なこともありましたが、今は学校外の人たちにどのように受け止められるのかドキドキしています。

――プロデューサーの立場から、杉原さんは『今昔物語』の見所はどの辺りにあると思いますか。

杉原 どの作品も荒削りではあるんですけど、その分ストレートなんですよね。原作の突拍子もないところが、結構生々しい形で映像になっていたので、そこは一般の方が見ても楽しめるところじゃないでしょうか。それから、『今昔物語』はどれも人間がある状況に巻き込まれていく話なんですが、巻き込まれていく過程に垣間見える荒々しさみたいなものが、映画のおもしろさにつながっていると思います。

今昔物語女の事情写真02.JPG

『新訳:今昔物語』より『女の事情』

(C)東京藝術大学大学院映像研究科

『兎のダンス』:計算されたカメラワークと自然な演技を両立させた演出について

――それでは『兎のダンス』を監督した池田さんに話をうかがいましょう。今回はフィルムで撮るか、ビデオで撮るかを選べたそうですが、ビデオでの撮影を選んだ理由はなんですか。

池田 最初はフィルムで撮りたかったんですけど、スタッフの人数が少ないうえに、子供の話なのでどれだけフィルムが回ってしまうかわからない。さらにフィルムでの撮影は照明のセッティングに時間がかかるといった問題もあって、最終的には機動力の高いビデオでの撮影を選びました。

――撮影期間はどれくらいだったんですか。

池田 学校側に決められた日数は10日だったんですけど、制作の方に、非常に合理的なスケジュールを組まれてしまって(笑)、結果的には8日で撮りました。

――「こんなスケジュールじゃ撮れねぇ!」とはならなかったんですか(笑)。

池田 そうやることもたぶんできたんですけど、他のところに予算を割かなければいけないとか、いろんな事情があって、結局その日数で撮るのがベストだと思ったんですね。

――キャスティングは監督の意向に沿ったものだったんですか。

池田 はい。主演の女の子と妹役の子に関してはオーディションをしましたが、渡辺真起子さんと三浦誠己さんに関してはこちらからお願いして出ていただきました。思い通りの役者さんに出ていただけてとても感謝しています。

――渡辺さんや三浦さんはどんな映画を観たときに興味を持たれたんですか。

池田 ご自身で製作にも関わっている『TAMPEN』(01)という映画の渡辺さんがとても好きで、今回、三十代後半のお母さん役に誰がいいだろうと考えたときにパッと思い浮かんだのが渡辺さんでした。三浦さんに関しては、癖のある役を演じられていることが多いのですが、反対に今回のようなストレートな男性の役を演じていただけたらおもしろいんじゃないかと思ってお願いしました。

――映画の中の二人はとても自然に見えましたが、プロの俳優を演出する難しさや気負いのようなものはありませんでしたか。

池田 以前、芸大の企画で『四谷怪談』という長編を撮ったときに、初めてプロの役者さん、しかも自分の好きな役者さんを演出するという機会を一度いただいていたので、今回、特に気負いのようなものはありませんでした。ただ単純に、この役者さんはどういうタイプの人で、現場にどう立つ人なのか、私がどう伝えたら気持ちよく演じてもらえるのかということだけを探りながら演出していました。

――子役の二人も良かったですね。

池田 主演の伊藤(沙莉)さんはテレビドラマの仕事をよくしていて、天才子役と呼ばれていたぐらいお芝居が上手なんです。こういう気持ちで、こう動いてと指示したときに、その通りに「こなせてしまう」という子に会ったのが初めての経験だったので、最初はこちらがすごく動揺してしまったんですね。何か違和感があった。撮影を始めて二日目に、心情と簡単な動きのルートを説明した後で、彼女から、ここでこうして、最後にちょっとうつむけばいいんですね、みたいなことを言われて。そのときに、そうじゃない、と。お芝居するのに、何が正解っていうことは絶対にないんだよというような話をしたんです。悲しいからうつむくの?そうじゃなくてもしかしたらいきなり走り出すかもしれないよ、と。それ以降は、まず彼女にあなたはどう思う?「さなえ」はどうすると思う?と問いかけながら演出していきました。彼女もう~んと悩みながら考えるようになっていって。彼女の中に「さなえ」という役の時間をきちんと流していきたかったんです。そういう作業を続けていくうちに、私が何もしなくても彼女は自然に「さなえ」としてカメラの前に存在するようになっていって、ラストシーンでの存在感に辿りついたんです。

――リハーサルはしなかったんですか。

池田 現場に入る前に一度だけ、伊藤さんと妹役の女の子(大森百香)を会わせて、ただ一緒に遊ばせるということはやりました。主演の伊藤さんには、役の最初から最後までの心情の流れについて説明したりしたんですけど、そのとき妹役の子には特に何も言いませんでした。ただ、彼女がどういう子なのかを見せてもらって、こういうことをやらせてみようかなとか、そういうアイデアだけをもらった感じですね。妹役の子は緊張すると硬くなっちゃうタイプなんですけど、普段はとっても伸び伸びしているので、とにかく自由にやらせたかった。彼女は「よーいハイ!」の声をかけると、自分がカメラに映っていようがいまいが、ここからは役になりきらなきゃいけないということはちゃんとわかってたんです。だから妹役の子は楽しく自由にやらせたら、ああいう形になったという感じですね。

――自由にやらせたということですが、役者とカメラの動きはかなり計算されているように見えました。それでも役者の演技が自然なところがすごいと思ったんですが、あのように撮ろうとした場合、役者の自由を制限せざるを得ない部分も出てくるんじゃないですか。

池田 もちろん、ピントの問題などもあるので、立ち位置はある程度決めておかなければいけません。ただ、子供の場合、立ち位置をシビアに決めたり、動きを制限してしまうとその瞬間に固まってしまいます。だから子供には、わかりやすい言葉で心情を説明しながら動きをつけて、彼女自身が自分の意思でそこに行くのだ、という風に思わせる。そして細かい動きは制限しない。テストで何度も動かすことで、簡単なルートはすぐに覚えてしまいます。あと撮影に関しては、カメラマン(馬場一幸)の力が大きかったです。私がこういう演出を付けたいと言うと、それを踏まえたうえで的確に撮ってくれました。

――カメラポジションはどの段階で決めていたんですか。

池田 撮影前にだいたいのカット割りはカメラマンと相談して決めていたんです。だから現場では、私が役者の演出をしている間に、カメラマンが撮影の段取りを決めてくれるという感じでした。カメラマンの馬場さんとは撮影に入る前にある程度コミュニケーションが取れていたのでとってもやりやすかったですね。

藝大「兎のダンス」池田千尋監督ikeda2.jpg

修了作品『兎のダンス』

(C)東京藝術大学大学院映像研究科

――主人公の女の子が部屋に戻ってきて、妹からハーモニカを受け取る冒頭の長回しでは、カメラは僅かにパンするだけですが、いろんな意味で動きを感じさせるいいカットだと思いました。あのカットの撮影にはどれぐらいの時間をかけたんですか。

池田 あれは撮影に入って2カット目に撮ったカットなんですが、4テイクぐらい撮っているので、1時間半ぐらいはかかっていると思います。

――もう一つ、葬儀の準備をしているシーンの長回しが印象的でした。花を持ってきた葬儀屋を追ってカメラが屋外から室内にパンした後、奥の台所にいる少女の姿をフィックスの画面で捉える。それからしばらくして、少女の動きに合わせて横移動していきます。ああいう風に撮ろうというのはカメラマンのアイデアなんですか。

池田 そうですね。それは完全にカメラマンのアイデアです。あの一軒家をロケハンで最初に見たときには、彼はもうそれを思いついていました。ここならこんな横移動が撮れる、と。それで私の方が、それならこの配置で、こうやって人を動かすといいですね、というようなやりとりで生まれたカットです。

――女の子がおじいちゃんの死体を見ているときに妹の吹くハーモニカが聴こえてきて、彼女が妹からハーモニカを取り上げるところがありますね。あの場面でも、カメラがトラックバックをしていくと、主要な人物だけが画面に残るように工夫されています。

池田 あそこは私がなるべくワンカットで撮りたいと言ったら、カメラマンがああいう撮り方を提案してくれたんです。最初は彼女と妹だけが映っているんだけど、彼女を取り囲むように人が入ってくることで、追いつめられて独りぼっちになっていく彼女の心理を表そうと。

――主要な人物以外の人たちに観客の意識が散らないようにうまく撮っていると思いましたが、そういうことは意識していたんでしょうか。

池田 そうですね。風景とまではいかないけれど、状況の中にいる人たちとして映るようには意識しました。その感じが、主人公の女の子が感じている周りの人間との距離感なんだと。

――監督は以前から少女をモチーフにして映画を撮られているそうですが、なぜ少女を撮ることにこだわるんでしょうか。

池田 実は、少女をモチーフにした映画を撮ったのはこれが初めてなんです。なぜか周りからも誤認されていますが…。今まで20代初期の女性を何本かと、5歳の少年、13歳の少年、30代の男女が主役の作品を撮ってきましたが、ど真ん中少女の作品は今回初めて挑戦しました。子供が主役の作品が多いとも言われますが、子供主役の映画を撮ったのも芸大に入って初めて挑戦して、それがたまたま2本続いたというくらいの感じです。どちらかというと、以前は少女を描くことには抵抗がありました。私は、映画を撮るとき、自身の実感が一つの原動力になる場合が多いですし、それが映画に力を与えるとも思っているんですが、その実感というのは、きちんと整理できなければ、そこから物語を構築して、映画にすることはできません。以前の自分にとって、少女という時代の実感は、なんとなく、整理して眺められるものではなかったんです。今回、少女を主役に据えようと思ったのは、自分自身がこの年齢になり、以前に比べて映画についての考えも、演出の方法も多くを獲得してきた、今ならば客観的に少女を描けるだろうという自信ができたからです。そして、これを最初で最後にしようとも撮る前には思っていたのですが、まだやり残したことも多かったりするので、どうなるかはわかりませんね。

――『兎のダンス』を観て、監督は「映画」を撮ろうとしていると感じました。特に、セリフに頼らず映像だけで少女の成長を表したラストシーンは非常に映画的だと思います。監督自身は映画をどのようなものだと考えているんでしょうか。

池田 これは映画観というよりも、私の人間観なんですけど、人間の本当の姿、本当の感情というのは、言葉じゃないところにこそ表れるのだと思っています。映画の中では、ある出来事によって、人間が普段抑えていたり、自身ですら気づいていなかったような感情が突然露わになってしまう瞬間を描きたいとはいつも思っているのですが、その瞬間は、きっと言葉ではなく、何かよく意味もわからないような行動だったりすると思うんです。だから、全体についても言葉と言葉のやりとりではなく、例えば人間を取り巻いている状況や物、人間のアクションといったもので、人物の心理を表現したいという意識はありますね。

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修了作品『A Bao A Qu』

(C)東京藝術大学大学院映像研究科

修了作品6本の見所と各監督の持ち味について

――最後に、6作品の見所と各監督の個性、そして今後にかける期待を、芸大での活動を見てきた杉原さんにプロデューサー的な視点から語ってもらえますか。

杉原 まず全体に関して言うと、修了制作は芸大で撮った4本目の作品になるので、各監督が自分の作家性を見極めたうえで、その集大成的な映画を作っていると思います。製作状況としても、スタッフ間の意思疎通ができるようになっていたので、緊張の中でも思考はある程度リラックスした状態で作れたんじゃないかと思うんですね。僕としては、ようやくその段階まで来たなという感慨があるんですが…(笑)。池田さんについては、以前から芸大内でも子供の演出に関して定評があったので、最後もやっぱり子供を出してきたかと(笑)。彼女は役者さんに対してとても集中力のある監督で、演出という面では芸大内でも屈指だと思います。次はぜひ、大人の映画を撮ってほしいですね。僕が現場に携わった加藤(直輝)監督の『A Bao A Qu』には、彼がこれまでやってきたことがほぼ全て出ています。池田さんが演出の人だとすると、彼は画面と音に強い意識を持っている人ですね。たぶん印象としては、青山真治とかミヒャエル・ハネケなどと比較されると思うんですけど、そういう90年代的な映画の次にジャンプするためには何かもう一つないと辛いのかもしれません。『エイリアンズ』の渡辺(裕子)さんは芸大のなかでも特殊な作家ですね。他の監督の作品は既存の映画と比較して語れるんですが、渡辺さんの作品は既存の映画に喩えられない。『エイリアンズ』では、冒頭に三弦か何かの音を入れたり、長唄のような語りを入れたり、映画全体を見通す力は非常に強い人だと思いますが、作品世界が新しいゆえに、それを評価する物差しがないんじゃないかと。今後、彼女の作品が既存の日本映画のなかに飛び込んだとき、その作家性がどういった形で受け止められていくのか興味があります。『from DARK』の大門(未希生)監督は結構なシネフィルで、ジャンル映画への意識が強い。今回の作品でもSF、スリラーというジャンルをかなり強く意識して、そのセオリーを踏まえながら撮っているので、映画の力は強いんですよ。そういう意味では、渡辺さんとは対照的かもしれません。ただ、ジャンル映画へのこだわりというのは先行世代に対するオマージュにとどまってしまいがちなので、次のステップへ行くためには大きなジャンプが必要かもしれないですね。『CREEP』の酒井(耕)君は人間的には変態なんですが(笑)、その映画については語るのが難しいですね…。

池田 私は『CREEP』の現場に付いていたんですが、酒井さんの場合は彼自身が狙っているのものが、ストレートにそのままにはならないんですよ。何か歪んだ形で映画に表れてきて、それが映画全体を変な感触にする、その狙っていないおもしろさが私は好きなんですけど。今回は酒井さんも自分で書いた脚本を演出するのが久しぶりだったので苦労していて、現場でも迷いがあったみたいですが、役者さんのおかげで映画に一本太い芯が通っていると思います。

――自分が変態であることを認めた方がいいということなんですかね(笑)。

池田 それは認めてるんですけど、映画を撮るときはそれを別にして考えてるのかもしれないですね(笑)。

――利重剛さんや役所広司さんなども出演されている『心』についてはどうですか。

杉原 『心』の月川(翔)君は現場で演出しながら、助監督の仕事もやって、なおかつ編集を考えながら撮るというタイプの人で、現場ではものすごい早撮りなんですね。今回の作品はHDVのカメラで撮っているんですが、多いときは3台ぐらいのカメラを置いて、1日に何十カットも撮っていました。彼は自分の欲しいイメージを短時間でものにするために最適な手段をいつも考えている。そういう力量は芸大内でもトップクラスだと思います。今回のシナリオは彼がずっと練り上げていたものらしいんですが、本読みの段階で主演の利重(剛)さんにかなり突っ込まれて、3日ぐらい夜通しで大幅に書き直しているんですね(笑)。そういう過程を経ているので、最終的にはかなり力強い作品に仕上がっています。彼はオリジナルの脚本にこだわるタイプの監督なので、今後は他の人が書いた全く世界観の違う脚本を演出するということを体験して、さらに世界観を広げられたらいいんじゃないでしょうか。

東京芸術大学大学院映像研究科修了生

製作領域 杉原永純

監督領域 池田千尋

脚本領域 大石三知子

聞き手:武田俊彦、平澤竹識(「映画芸術」編集部)

《芸大映画週間》

東京芸術大学大学院映像研究科第一期生修了展

5月19日(土)~24日(木)ユーロスペースにてレイトショー

http://www.fnm.geidai.ac.jp/eiga_shuryoten/index.htm

東京芸術大学大学院映像研究科 黒沢清北野武ゼミ作品

『新訳:今昔物語』

製作:東京芸術大学大学院映像研究科

製作協力:モブシネマパートナーズ

5月25日(金)~6月1日(金)ユーロスペースにてレイトショー

http://www.new-konjaku.jp/  

*上映作品の詳細、スケジュールなど詳細は公式ウェブサイトをご覧ください。