映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『しゃべれども しゃべれども』<br>落語と映画の微妙な関係

『ザ・中学教師』『愛を乞う人』『学校の怪談』など売れっ子監督平山秀幸の最新作は、97年度「本の雑誌」ベスト10、第1位に輝いた佐藤多佳子原作による『しゃべれども しゃべれども』。二つ目の若き落語家と彼の周囲の人々との交流が優しく描かれ、平山秀幸ならではの熟練した味わいが楽しめるこの作品ですが、今回「映画芸術DIARY」では、演芸情報誌「東京かわら版」にでコラムを連載している、落語家・夢月亭清麿さんと演芸作家・稲田和浩さんをお招きして感想をうかがうことにしました。実際の落語界と映画で描かれた世界の違いを追いながら、製作者たちの狙いを探っていこうと思います。

清麿 映画に出てきた毘沙門ホールは前座のころから使っていたからよく知っている場所なんですよ。いびつで変なところに柱があってね。

稲田 「創作落語」の会とかで使ってましたよね。

清麿 ただ、仏壇を隠さないで、その前に噺家が出て喋っているのはびっくりしました。普通は幕で隠すんですよ。

稲田 そういう場所で若手が勉強会をやっているんだという意図なんでしょうね。

清麿 あと気になったのは、一門会で今昔亭三つ葉国分太一)が「火焔太鼓」を終えてさがってくるんだけど、舞台そでで待っている師匠・今昔亭小三文(伊東四朗)に、「お先でございました」「勉強させていただきました」と挨拶をしないで、いきなり会話する。高座から降りてきた人間とこれから演る人間は、よほどのことがないとマジな会話はしないんですよね。通常の会だったら、三つ葉が頭を下げたときにトリである師匠の出囃子が鳴り出すんですよ。

稲田 快楽亭ブラックの会で、立川談志がすれ違いざまに「下手クソ」と言ったことがありましたよ(笑)。

清麿 そうですね。言ってもひとこと。師匠は自分の噺に集中しているから、余計なことを言わないで、「ご苦労様です」と言って送り出すのが弟子としての基本文法だよね。

稲田 リアリティを重視するなら、三つ葉が「お先勉強させていただきました」と言ったら、師匠がじろっと睨んで「ヘイマン(一万円)取られちゃったじゃねえか」とだけ言って高座へ出ていく。「え?」と思っている三つ葉に兄弟子が説明するなら可能性あるだろうけど、やっぱり伊東四朗に言わせたかったんでしょうね。

──そこに映画のドラマ作りが見えてきますね。

清麿 二つ目の奴が個人指導ではあっても弟子はとらないだろうし、一般の人が来る落語会を自分の名前ではやらないと思う。

稲田 でもカルチャースクールの講師を二つ目は結構やってますよね。

清麿 カルチャースクールのような不特定多数はわかるけど、個人的に仲の良い人に教えることはあるけど、プロとアマの差は明確にしていると思いますね。映画では描いてないからセーフだけど、お金の問題とか、定期的にやるのかとか、参加を希望する人が他にも来たらどうするのかというのは気になるよね。野球解説者の太一(松重豊)を弟子として受け入れちゃうけど、俺が弟弟子がそういうことをしていたら、考えたほうがいいんじゃないかと言うだろうな。あと、落語的な世界で気になるのは、女の弟子については一人ひとり悩むと思う。いまでも女の弟子はとらない師匠もいるし、三つ葉みたいに、四六時中着物を着て、新作を邪道視して古典一筋、という考え方のキャラクターだったら、普通は女の弟子について悩む。

稲田 あの三人は弟子ではなくて、うちでやってるだけなんじゃないですか。ただ、なんで彼らがあそこまでして落語を学びたいのかはわからなかった。子供が来るのはわかるけど。でも、国分太一の落語はなかなかよかったですよね。「火焔太鼓」はお客さん入れて一席やったみたいですけど、映画ではいいセリフをとって切れ場をつないでいるから、脚本家がうまいんだと思いますよ。

清麿 目線がいいよね。あの目で上下(かみしも)きって、台詞言うとサマになる。普通の落語家を超える器量があるから得だよね。

稲田 国分太一もよかったけど、他の噺家役の俳優さんがみなよかったですね。

清麿 特に子供(森永悠希)はよかった。子供は本当に面白いと思ったものをそのノリでやるからいいんだよ。五月(香里奈)はバックで音楽を入れちゃうのは、しょうがなかったのかな。もう少し見たかったな。

稲田 伊東四朗は伊東節で落語やっててよかったですね。

清麿 伊東四朗古今亭志ん生を聞き込んだ世代だよね。だから志ん生の「火焔太鼓」なんだけど。

稲田 兄弟子連中もうまかった。役者さんは底力ありますね。着物の着方が下手な人もいなかった。

清麿 三つ葉のお母さん・晴子(八千草薫)がお掃除しながら落語を喋って、「私のほうがうまい」。あそこがいちばん笑ったな。

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(C)2007『しゃべれども しゃべれども』製作委員会

稲田 でも、映画はよく出来てましたね。落語的な嘘はそんなになかった。

清麿 『幕末太陽傳』とか『運がよけりゃ』とか落語のネタを使う映画はよくあるけど、落語家の青春像を中心に描いた映画は『羽織の大将』『の・ようなもの』とかあまり多くない。そのなかでは、『しゃべれども しゃべれども』がいちばんすっきりしているよね。いまの落語家は確信犯でしか生きられないんだけど、そういう感覚がよく描かれていた。

稲田 最初は、三つ葉は師匠をコピーするのが意地だったけど、セコな俺を見ているようだと師匠に言われてしまう。実際にそう言われてる噺家さんはいっぱいいるじゃないですか。

清麿 談志師匠や圓生師匠みたいにちゃんとした口調を持った師匠の弟子ほど、似ちゃうんだよ。そこからどう出ていくかは一生をかけた大問題。師匠の影法師では終わりたくないというね。そこを描き出すと小説的な深いドラマになっちゃう。

稲田 『の・ようなもの』もそうでしたけど、そこでいつも引き合いにされて悪者にされるのは新作なんですよね。『しゃべれども~』は新作の噺家がそこそこ面白くやっていて客にウケてたので否定はしてないんでしょうけど、『の・ようなもの』は伊藤克信が扇橋師匠に「お前は下手だから新作やれ」と言われるんですよね(笑)。

清麿 いま、新作の奴はしたたかに理論武装しているから、逆に古典をやるなら理論武装しないと潰されちゃうよ。美学として古典落語をとらえてそれに殉じるのは合理的で意味がありそうだけど、落語の場合、そこに「客」「商売」という問題がついてまわるから、折り合いをどうつけるか難しいんだよね。

稲田 細かいところだけどそばが延びてましたね。あんなそばを出す店はどんな店なんだろうって考えちゃうんですよね。

清麿 あとで落語家として言いたいところも出てくるけど、見ている間は心地いい映画だった。冗談じゃねえという映画じゃないよ。

稲田 私も入り込んで見てました。いちばんよかったのは都電荒川線。荒川線がなくならないのは、こういう映画を撮るためなんじゃないかとさえ思いましたね。

清麿 隅田川とか使いながら落語が溶け込んでいる東京はうまく選んでいるし、落語に違和感ない風景がまだまだ東京に残っていることがわかったのは発見だった。三つ葉と春子が住んでいる家だって、まだ東京に残ってるんもんね。いい家だったな。

稲田 師匠のおかみさんは太っていて現実にいそうな感じでしたね。

清麿 僕は松重豊という役者が好きで実力もあると思っているから、ぶっきらぼう演技をしているとそれだけで嬉しくなる。

稲田 落語監修をやった柳家三三の木戸番がよかったですね。あんな役で出ているのかと(笑)。

──「火焔太鼓」をあのシチュエーションでやるかな?というのは感じたのですが。

清麿 やるのは自由だけど比較されて、世間はまだまだとしか見ないよ。その知恵が商売になっていくわけで、プロはそういうことを考えてる。一門によってネタの扱い方は違っているし、作者がわかりやすいネタとして選んだんだろうけど、現実にはなかなかないシチュエーションだよ。師匠の一門会のヒザ(トリの前)でトリネタの「火焔太鼓」というのは、師匠が認めたならいいけど、モノがわかってないな、素人の集まりだという楽屋批判は受けるだろうね。

稲田 兄弟子が「猫の災難」、休憩があって三つ葉が「火焔太鼓」。弟子二人が大ネタやって、師匠は何やったんだろうというのはありますよね(笑)。

清麿 何年かぶりの一門会で師匠を聞きに来ているんだからね。古典実力派の世界でそれが成立するとは思えない。

稲田 ただ落語界も少しずつ変わってきていて、いまの師匠は優しい方が多いから、やってみろという方もいるらしいですね。

清麿 そういうことに落語家はつい反応しちゃうけど、一般観客相手の映画で取り上げるネタとしてはいいという判断なんでしょうね。

稲田 ヒロインとの関係も含めた「火焔太鼓」というチョイスなんでしょうね。言わなくていいことを言って喧嘩になるという映画に合わせている。

──落語を映画で描くことに関してはどうなんですか。

清麿 落語を芸のレベルでわかってそれをドラマにしてくれたら落語家にとって理想だしありがたいけど、そこまで要求すると映画としては成立しなくなるんでしょうね。三三だったら、師匠の影法師の「百川」と自分の「百川」の違いを演じ分けられるだろうけど、三三が主役のわけにいかないだろうからね。

稲田 インディーズ系の映画でそれをやれば面白いと思いますけどね。

清麿 そう考えると落語という芸は大したものだというか、年季を入れてやらないとなかなか到達しないものなんだなというのは確認できてよかったな。

稲田 ただ、極端な間の違いは感じなかった。他の映画やテレビよりはしっかりしていましたよ。三三と古今亭菊朗(現・菊志ん)が偉いなと思ったのは、5人全員に落語を教えてみんなさまになっていたこと。

清麿 荒川線沿いのクリーニング屋というのがよかったな。町のクリーニング屋という感じがね。

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(C)2007『しゃべれども しゃべれども』製作委員会

──この作品は他の監督も映画にしようとしていて、清麿師匠に相談に来た監督がいたらしいですね。

清麿 この原作が出て話題になった頃だから、98年頃だと思うけど、ある監督が映画化しようとして動いていて、スタッフの人たちに呼ばれて落語界の現状とかを喋ったことがあった。いまのような落語ブームの時代じゃなかったから、景気のいい話にはならなかったな。『しゃべれども~』は「タイガー&ドラゴン」とか、落語ブームがあって成立したんだろうね。落語好きなら毘沙門ホールから深川江戸資料館とか、自分の勝手知ってる場所が出てくると嬉しいよね。東洋館まで出てくるとマニアックだなと思うじゃない。東洋館にたまにああいうおねえちゃん来るんだよ。

稲田 有名な話で若手の会に奇麗なおねえちゃんが来ていて、楽屋で毎日来てるから声をかけたほうがいいんじゃないかという話になって、若手の噺家が声をかけたら、「私は1人になりたくて来ているんです」と怒られちゃった(笑)。

清麿 早朝寄席とか深夜寄席はぽつんと1人若いおねえちゃんがいると、楽屋中は大騒ぎになる。ひょうきんな奴が声をかけて知り合いになっちゃったりね。平山監督にとっては、本物の落語と、一般観客が想像している落語との線引きがすごく難しかったと思う。それを平山監督が引いた線があって、落語マニアからすると物足りない部分があるかもしれないけど、一般の人は「へぇー落語の世界はこうなんだ」と思うかもしれない。その計算は平山監督を軸に製作サイドはとことんしたと思うよね。その線引きがしっかりしているから変な違和感はなかった。いまの落語状況はちゃんと抑えている。

稲田 『の・ようなもの』は公開当時に見た時は違和感もあったけど、10年後に見たら笑えたんですよ。『しゃべれども~』も5年後、10年後にまた見てみたいですね。この時代の落語がどのようなものだったのか研究するときの貴重な資料になっているんじゃないかな。

構成:武田俊彦(「映画芸術」編集部)

夢月亭清麿(むげつてい・きよまろ)

1950年東京都生まれ。73年先代柳家つばめに入門。74年つばめ死去により、柳家小さん門下へ。89年真打昇進。「放送禁止落語会」などをプロデュースし、三遊亭円丈らとともに新作落語ムーブメントの牽引者として活躍。東京の街と歴史をテーマにした作品には定評がある。主な作品「バスドライバー」「千住詣り」など。現在、「東京かわら版」に「夢月亭の炊きたてゴハン」を連載中。

稲田和浩(いなだ・かずひろ)

大衆芸能脚本家。1960年東京都生まれ。演芸台本、邦楽の作詞、演劇の脚本、演出などを中心に手がける。ほかに芸能評論、現代風俗、江戸風俗に関する、執筆、講演など。近著に「食べる落語――いろは うまいものづくし」(教育評論社)がある。現在、「東京かわら版」に「ザッツ・ネタ・エンタテインメント」連載中。

http://www1.cts.ne.jp/~inacolle/

しゃべれども しゃべれども

監督:平山秀幸 原作:佐藤多佳子 脚本:奥寺佐渡

出演:国分太一 香里奈 森永悠希 松重豊 八千草薫 伊東史朗 ほか

製作:『しゃべれどもしゃべれども』製作委員会 

配給:アスミック・エース 

(C)2007『しゃべれども しゃべれども』製作委員会

5月26日(土)、シネスイッチ銀座新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋、ほか全国ロードショー

公式ウェブサイト http://www.shaberedomo.com/