映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『kocorono』川口潤(監督)インタビュー

 ハードコアバンド、ブラッドサースティ・ブッチャーズ(bloodthirsty butchers)の現在を追うドキュメンタリー『kocorono』は、結成から23年を迎えて閉塞状態に陥ったバンドの葛藤を赤裸々に描出していきます。長い時間を共有しているがゆえに起こるコミュニケーション不全、音楽と生活の狭間で浮き彫りになる方向性の違いなど、様々な軋みを抱えながらも一つの音を鳴らし続けるバンドの姿には、他者と共に生きることの喜びと苦悩が凝縮されているのかもしれません。

 本作を監督した川口潤さんは、音楽番組の制作会社でキャリアをスタートさせ、近年ではボアダムスのライブドキュメント『77BOADRUM』(08)の監督や『アナーキー』(09)のリミックス(編集)を担当、音楽映像の分野で着実に成果を上げてきました。とはいえ、既に親交があったというバンドのネガティブな側面に踏み込んでいくことに躊躇いはなかったのでしょうか。これまでの歩みも含めて、お話を伺ってきました。

(取材・構成:平澤竹識 構成協力:岸本麻衣)

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――川口さんは『砂の影』(08)の甲斐田祐輔監督の自主映画にも俳優として出演されてると伺いました。一方で、ボアダムスの『77BOADRUM』(08)を始め、Shing02イースタン・ユースのDVDを作られたり、『アナーキー』(09)のリミックス(編集)を担当されたりしてますよね。その辺のことを含めて、この業界に足を踏み入れるまでの経緯を教えていただけますか。

 音楽は中学くらいから好きで、高校の頃からギターを弾いたりしてたんです。映画のほうは、中学高校の頃から松田優作さんがすごく好きで、日本映画にこだわってビデオを借りて見るような感じだったんですね。

 それで19のときに、バイト先のレコード屋で甲斐田と知り会ったんです。店舗は別だったんですけど、なぜかよく遊ぶようになって。彼は当時から映画の世界を目指していて、「映画撮ろうよ」って言われたんですよ。彼がHi-8のカメラを友達から借りてきて、「俺が回すから、おまえ出てよ」と言われて、「え、マジで?」みたいな(笑)、ほんとに自主映画のノリですよね。それで一緒にやったのが20歳くらいだったのかな。そのときに映画を作るのはすごく面白いなと思ったんですね。そういう流れで、甲斐田が映画を作るときはできるだけ一緒にやっていったという感じなんです。

 僕は73年生まれなんで、世代的に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85~90)とか「ターミネーター」(84~09)とかは普通に見てましたけど、ヨーロッパ映画とか文学的な作品はあまり見てなかった。クラブ系の人たちがカッコつけて見てるイメージがあったんで、「なんだ、そのオシャレ系な映画は」という思いもあったんですよ。でも、甲斐田から「これ、面白いよ」とヨーロッパの映画とかを教えてもらって、ちゃんと見たら面白くて、そういう映画も見るようになりましたね。

――甲斐田さんの作品ではスタッフ的な関わりもされてたんですか。

 最初は二人でやってたんで、映画に出て、撮られて、移動するときも二人だけという感じでした。2001年に甲斐田が西島(秀俊)君と『すべては夜から生まれる』を撮った頃は、手伝えることは可能な限りやってましたし、僕が出てない作品でもAD(アシスタント・ディレクター)をやったり、挙げ句の果ては劇場営業までやらされたりしてました(笑)。

 映画を作っても劇場でかけられない時期が必ずあるじゃないですか。かけられるわけがないんですけど、「俺たちのやってることは間違ってねえから映画館でかけたい!」と。そこで映画館にいきなり持ち込むのもバカなんですけど(笑)、吉祥寺バウスシアターとか中野武蔵野ホールにビデオを持って行ったりしてましたね。その当時、シブヤ・シネマ・ソサエティという映画館があって、そこで『kocorono』のプロデューサーでもある近藤(順也)さんが働いていて、そのときに一度出会ってるんですよ。

――音楽関係の映像のお仕事はいつから?

 話は20 歳の頃に戻るんですけど、甲斐田と一緒にやる映画とは別に、僕はバンドもやってたんですよ。ただ、僕なんかよりもバンドで鳴らしてる人はたくさんいるわけじゃないですか。22、3で仕事をどうするかという時期に、音楽もすごく好きだったんですけど、バンドは辞めちゃったんで、仕事しないと食えないという状況になって。甲斐田と映画を作るなかで映像も面白いなと思い始めてたんで、ドキュメンタリー番組を作ってる制作会社にアプローチするようになって、スペースシャワーTVの番組を作ってる会社にアルバイトとして採用されたんです。まだ学生だったんですけど、半年アルバイトとしてテストされて、23歳になる年に契約社員として採用された。それでスペースシャワーTVの番組だったり、プロモーションビデオのADだったり、要はペーペーの仕事をやらされてました(笑)。

 だから、甲斐田の自主映画と平行して、音楽関係の映像制作は仕事として続けてたんですけど、2000年に会社を辞めてフリーになったんですね。ちょうど甲斐田も2001年に西島君の主演で映画を撮れるところまで行って、「ここまで一緒にやってきたんだし、おまえを使いたいから」と言われて、僕も半年くらい仕事せずに映画作りに徹したという感じなんです。

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――作品の話も伺っていきたいんですが、音楽ドキュメンタリーと言うと、最近の『ドキュメンタリー頭脳警察』(09/瀬々敬久)から始まって、『イヤー・オブ・ザ・ホース』(97/ジム・ジャームッシュ)とか名作と言われるようなものがたくさんあると思うんですよ。森直人さんがコメントで引き合いに出されてる『メタリカ:真実の瞬間』(04/ジョー・バーリンジャー ブルース・シノフスキー)は『kocorono』と同じようにバンドの閉塞状況を描いた内容ですが、今回の映画を撮るに当たって参考にした作品はあったんですか?

 それが正直ないんですよ。瀬々さんの『~頭脳警察』もメタリカのも見てなくて。ジャームッシュは好きだったんで、『イヤー・オブ・ザ・ホース』はリアルタイムで見てましたけど……。作ってる時期に何か見ちゃうとそれを真似るか、反面教師にしてそれとは違うもの作ろうという感じになっちゃうから、2010年はあえて映画を見なかったですね。

 キングレコードの長谷川(英行)さんと日販の近藤さんから「ブッチャーズのドキュメンタリーを撮らないか」という話をいただいたときに、僕自身、ブッチャーズのことはすごく好きだし、長い付き合いになるんですけど、それが売り物になるのか分からなかったんです。これまでの活動歴を輝かしいものとして捉えつつ、いろんな人のインタビューを集めて作るパターンがまず一つあるよなとか、いろいろ考えたんですけど、そういう型には嵌めたくなかった。『アメリカン・ハードコア』(06)みたいにインタビューやライブ映像を矢継ぎ早に繋げていく方法もあるよなと思ったりもしたんですけど、それに近いことは『アナーキー』の編集でもやってたんで、いま自分がそれをやりたいわけじゃないなと。

 それでバンドのメンバーに映画のことを話したら「やろうやろう」って即答だし、「どうすりゃいいんだろう」と思っていて。でも、バンドの現状がぎくしゃくしていることは知ってたんで、それは面白いかもしれないと思ったんですね。それをできるところまで観察してみようかなと。だから、撮影してる間も編集中もどういう形にまとめたらいいのかずっと考えてました。

――アーティストのドキュメンタリーの場合、観客もどこかで「結局、プロモーションでしょ?」と穿った見方をしてしまうと思うんです。今回、プロデューサー側からある程度、作品を方向付けられるようなことはなかったんでしょうか。

 まず、バンドに媚びたものは作らないでくれと言われてました。そこが長谷川さんや近藤さんのクレイジーなところだと思うんですけど(笑)、僕としても、バンドじゃなくて、自分のところに来た初めての仕事だったんですね。映画のことも、僕からバンドに訊いてほしいということだったので、どちらかと言うと、僕のほうにアドバンテージがあると思っていて、バンドにも制作費から出演料を出すことにしたんです。そうすれば、ある程度は対等な関係で撮影できるじゃないですか。どんな作品になるか分からないし、ブッチャーズは自分にとっても大先輩だけど、バンドの言いなりにはならないよと。そういう前提で進めていきましたね。

――そこはこの映画の面白いところですよね。作り手の誇張もないし、バンドの人間関係をかき乱してるわけでもない。誠実な作りだなと思いました。

 想田(和弘)監督の『選挙』(07)という映画があったじゃないですか。あれをテレビで見たときにすごく面白かったんですね。ずっと観察に徹していて、見る側が全部考えられる。結局、僕はバンドと仲もいいし、喋りの流れで撮っちゃうところもあって、観察に徹しきれてないというのは分かってるんですけど、ああいうアプローチをしたいというのはどっかで考えてたと思います。

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――先ほど、どうまとめたらいいか分からなかったという話がありましたけど、出来上がった映画では、レコードの上を廻る一万円札のインサートカットに象徴されるように、音楽とお金というか、表現と生活の葛藤に絞り込んだ構成になってますよね。

 映画のなかで、ベースの射守矢(雄)さんが北海道時代の音楽仲間が亡くなった話をされてましたけれども、札幌から一緒に上京してきた怒髪天イースタン・ユースとの青春群像みたいな構成にもできたんじゃないかという気がしたんです。川口さんが編集した『アナーキー』はそういうアプローチだったと思うんですが、今回はあくまでも現在のバンドの閉塞状況に焦点を絞っています。そこに至るまでの試行錯誤はどのようなものだったんですか。

 確かに、札幌時代の仲間の証言を集めて青春群像的なものも作れましたよね。でも、まずブッチャーズの映画にしたいという思いがあったんですよ。だから、証言インタビューも極力入れたくなかった。ただ、2010年の9月頭にバンドの撮影が終わった後に、バンドの歴史的なことを説明するためにも最低限は必要だなと思って、周囲の人たちのインタビューを撮り足していきました。

 ただ、彼らを神話化するようなインタビューは入れたくなかったんですよね、バンドがすごいことは重々分かってる、でも今回の映画はそういうことじゃないと思ってたんで。僕はむしろ、彼らがすごく庶民的なレベルで悩んでる部分があるんだなと感じてたんです。それは僕自身の危機感でもあるし、そこに自分を重ねていたところがあったのかもしれません。表現とお金の問題は何百年も前から続くテーマじゃないですか。僕自身もそういうことを常に考えていたから、最終的にああいう形になったんだと思います。

――どこかで川口さん自身もそういった問題に……。

 それはもう常に(笑)。自分の好きなことが見つかったときに、それで生計を立てられたらいいなって誰でも考えると思うんですね。射守矢さんみたいに「生活と表現は別だよ」と割り切りながら、表現をちゃんと形にしてる人もいて、それは素晴らしいことだと思うけど、やっぱりお金って重要じゃないですか。そういうことは僕も常に考えますよね、どうやったら好きなことだけやりながら食いっぱぐれずに生きていけるか、と。そろそろ限界だよな、とか常に葛藤はありますから。

――この映画ではタイトルが明けてすぐにメンバーが契約書を書くシーンがありますよね。あの場面を頭に持ってきたのもそういう狙いがあったからなんですか。

 そうですね。でも、あれはわりと撮影を始めて最初の頃だったんです。だから、編集で時制を入れ替えてるところもあるんですけど、なるべく時間軸に沿った流れを意識して繋ぎました。あのときは、僕も「いきなりこういう場面を撮るのかよ」という思いもあったけど、バンドがそういう葛藤を抱えてるのは撮影前から分かってたんで、「あ、きたな」と思いましたね。

――「これは内輪すぎる話だから、ちょっと撮影はよしてくれ」とか、バンドからのクレームはなかったんですか。

 バンドの言いなりにはならないということと、嫌だったら言ってくれということは最初に伝えてあったんですよ。「撮らないでくれ」と言われるまでは撮るから、という話をしてたんです。そのうえで、何か起こりそうな雰囲気は常にあったから、マネージャーさんには「何か打ち合わせとかがあるときは絶対に呼んでくれ」と言ってありました。そういう話で始まった映画なので、「ここから先はやめてくれ」とかは言われなかったですね。いつか言われるかなと思ってたんですけど(笑)。

――撮影を始める前からバンドと親交があったということですけど、その関係性のなかにカメラを持ち込むことで、以前とは違って見えてくることはありましたか?

 僕がバンドと面識を持ったのはスペースシャワーTVの仕事をやってた頃なので、常に映像が絡んだ付き合いだったんですよね。フリーになってからもバンドのライブを撮ったりはしてたんですけど、常にカメラは持ってるという関係だったんです。だから、今回もあまり変わらないですよね。そういう関係だったから、バンドもカメラの前で普通にいられたのかもしれない。思ってた以上にメンバーが「あれは絶対、八つ当たりでしょ」とか「ほんとはさあ……」とか本音を話してくれて、逆にこっちが「カメラ回ってますけど?」と思うことはありましたけど(笑)。もしかしたら、みんないろんな思いが溜まっていて、それを映画というハコの中にとりあえずぶち込んでおきたいという思いがあったのかもしれないですね。

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――それぞれに毒を吐き出してるんだけど、全体として嫌な感じにはなってないですよね。バンドが再生するきっかけとして、メンバー自身がそれを望んでいたということなんでしょうか。

 そういうところがあったかもしれないですね。要は、バンド自体が鬱屈してる状態だったわけじゃないですか。そこに外部の人が入ると少し風通し変わるというか、そういう効果があるのかなというのは、僕も撮りながら感じてました。そういう部分を表現することで、バンドにとってはカッコ悪い映画になるのかもしれないけど、一度その鬱屈を形にしちゃったらバンドも次のステージに行くしかない。この映画がそういうきっかけになればいいなと思ってたんです。マネージャーさんが僕でOKしたのも、そういう効果を期待してた部分があると思うんですよ。それは思い起こすと、やっぱりリーダーの吉村(秀樹)さんが思い詰めて起こした嵐に、僕ら全員が巻き込まれたということなんじゃないかなという気がするんですけど。

――ブッチャーズは、吉村さんというカリスマがいて、初期からのメンバーであるドラムの小松(正宏)さんも射守矢さんもどこかその魅力に引きずられてきてるわけですよね。ただ、最近は吉村さんが自閉的になっていて、おふたりとの間に軋轢が生まれている。映画のなかでも小松さんと射守矢さんは率直にそういう思いを語られていますけど、欲を言えば吉村さん自身がどう思ってるのか知りたいなという気がしたんですが……。

 最後にそれぞれのメンバーにインタビューしたんですけど、他のメンバーは僕が質問したことに対して答えてくれるんです。でも、吉村さんだけは僕が求めている通りには答えてくれなくて、そういう意味では、僕はそこで負けたんですよ。

 結局、彼のなかでそういう問題はとっくに解決済みで、それを踏まえたうえでどうするかということを悩んでる感じなんですね。唯一、「昔からそんなに物分かりがよければ、とっくにこのバンドは成功してるよ」みたいなことを言ってくれてるんですけど、どれだけ訊いてもメンバーとの関係について具体的には言ってくれませんでした。

 でも、そこまで作為的に掘り下げるのも変だから、吉村さんはこういう人なんだと捉えてもらうしかないかなと。僕じゃない人がインタビューしたほうが意外とそこは引き出せたのかもしれません。昔から知ってるがゆえに、「川口君もそんなことは分かってるでしょ?」という感じだったんじゃないですかね。

――最初に拝見したときはそこが物足りないなと思ったんですけど、二回目に見たときは、この塩梅が逆にいいのかなという気もしたんです。他のバンドの方が「ブッチャーズがすごいのは同じメンバーでやっていく覚悟が決まってることだ」みたいな発言をされるじゃないですか。それは吉村さんのポリシーでもあるわけですよね。プラス、射守矢さんが最後に「結局、俺は吉村に生かされてるところもあるし」みたいなことをおっしゃっていて、そういうことが間接的に見えてきたときにちょっと感動したんです。

 そうですね。僕が吉村さんから明確な言葉を引き出せればもちろん使ってたし、結果的にインタビューでは僕が負けたんで、そのときは正直「この野郎、吉村!」って思ったんですけど(笑)、じゃあ吉村さんのメンバーに対する思いを出せなかったかといえば、そうでもないと思ってるんですね。そこは編集で格闘して、最後のほうに吉村さんがソロでやってるときに、「やっぱり後ろにメンバーがいないとダメなんだよね」みたいなことを言う、そういうところで伝わればいいなと思ってました。

 物足りないというのはよく分かるんですけど、映画は全部説明しなくてもいいのかなと思ってたし、「この人、何考えてるんだろう?」でもいいかなとも思っていて。でも、彼のなかにバンドに対する愛はちゃんとあるんだっていうのは、ギリギリ映画のなかに入ったかなと思ってます。

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――音楽ドキュメンタリーの場合、演奏シーンをどう見せるかということが重要になると思うんですね。例えば『~頭脳警察』を見てると、歌詞がストレートで耳に入ってきやすいので、日常の振る舞いと歌詞のギャップとかで、こちらが受け取れるものが多かった気がするんです。ただ、ブッチャーズの歌詞は直截的にはモノを言ってないし、演奏の音も大きいので歌詞があまり耳に残らないんですよね。そのときに歌詞を字幕で出すというダサい手は使わないにしても、「吉村さんの本心は歌詞にあるよ」みたいなやり方もあったのかなって気はしたんですが……。

 そこは自分なりに、この曲はここじゃないと意味がないとか、一応そういうことは考えながら使ってるんですよ。ただ、見てる人に歌詞が入ってこないというのはすごくよく分かります。

 自分が『フェスティバル・エクスプレス』(03)を見たときにジャニス・ジョプリンとかザ・バンドの歌詞が出ていて、その言葉がめちゃくちゃ入ってきたときに、「これやばいわ。本物だわ」というのが分かったんです。だから、歌詞を載せるという選択肢を全然ダサいとは思ってなくて、それもありだなとは思ってました。ただ、このバンドは歌詞のメッセージ性だけじゃないんですよね。音も含めた全部でブッチャーズだから、歌詞が聞き取れなくてもいいんだよっていうバンドなんです。だから言ってしまえば、音楽全体で捉えてほしいというところに踏みとどまったという感じかもしれません。

 僕の場合はもともと音楽が好きで、ジャニスとかザ・バンドの歌詞を見て理解が深まったんですけど、今回はブッチャーズを知らない人たちも見るわけだし、歌詞から何かを受け取るのは次の段階だと思うんですよ。あと、僕はバンドの全員が素晴らしい表現者だと思ってるから、リリックだけにしたくないという思いもありました。バンドのそのままを知ってほしかったんですね。例えば、ブッチャーズ の「kocorono」というアルバムは、歌詞カードが入ってるんですけど、白プリントになってて文字が見えない。そういうことも表現の一つだなと思ったり、いろいろ考えて今回は歌詞を入れませんでした。

――「kocorono」は1996年に出たアルバムで、ギターの田渕(ひさ子)さんが加入する前のものですよね。映画のなかでも、小松さんが「kocorono」の話をした後に当時のライブ映像が繋がれるだけで、それ以外の言及はありません。どうして最近出た「無題」というアルバムではなく、「kocorono」を映画のタイトルにしたんでしょうか。

 いまのバンドの状態が、小松さんが映画のなかで話してるような「kocorono」 を作ってたときの状態と近いのかなという思いはありました。あの頃はバンドの内部というよりは外部に対して「なんで俺たち、こんなに上手くいかねえんだよ」みたいな鬱屈を抱えていた。そういう意味では、この映画で起きてることがいまの「kocorono」 だなと思ったんです。

 あと、ブッチャーズにはこれまで「kocorono」という名作が付きまとってきたんですね。「kocorono」の前後にも素晴らしい作品いっぱいあるんですけど、表面的にはやっぱり“「kocorono」のブッチャーズ”という取り上げられ方をする。バンドもそこは仕方がないことだと思ってるんだけれども、どこか「kocorono」の呪縛があるような気がしてたんです。だから、それを映画のタイトルにすることで、逆にこの呪縛が解けたらいいんじゃないかなという思いがありました。

 そういう思いはありつつも、メンバーに「タイトル決めなきゃいけないんですけど、どうしましょうか。『kocorono』とか『無題』とか『kocorono無題』とかいろいろ案はあるんですけど」と訊いたら、吉村さんが「『kocorono』でいいんじゃないかな」って軽く言ったんですよ。たぶんそのとき吉村さんは何も考えてなかったと思うんですけど(笑)、「じゃあ、『kocorono』でいいですね」って感じで決まりました。

――お話を伺ってると、川口さんがブッチャーズの音楽とか、音楽に対する姿勢を一回飲み込んだものを映像として吐き出したのが、この映画なのかなという気がするんですけど。

 ブッチャーズを映像で表現するみたいな大それたことは意識してなかったですね。でも、僕もブッチャーズの音楽が持ってるマジックにヤられてる人間だから、そう言われたらそうかもしれません。

――「バンドには媚びないよ」という姿勢もある意味“ロック”とか“パンク”なわけじゃないですか。そこで通じ合えてるから、バンドも受け入れてくれて、という循環が起きてたのかなという気はします。

 確かに、ブッチャーズに限らず自分が影響を受けたものが映像に出てるならすごく嬉しいですね。それが「ブッチャーズだったらこう」という表現になってるとしたら、僕のなかでは一個ハードルをクリアしたのかもしれません。自分の色を出そうという気持ちはあまりないんですけど、そうなってるんだったら嬉しいです。

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――話がずれちゃうんですけど、プロモーションビデオにおける音楽の見せ方と、映画における音楽の見せ方というのは違うと思うんですが、その辺はどう考えてたんですか。

 ライブの撮影では僕以外の人にもカメラ頼んでるし、ある程度の指示はしますけど、これは映画だからあんまり振り回しちゃいけないとかは言わなかったですね。言ったとしても撮れる範囲は決まってるんで。

 でも、映画の真ん中で流れる「プールサイド」という曲はフル尺で使っていて、あそこは大画面で見せることを前提に映画を意識した編集をしましたね。プロモーションビデオ的に画面を細かく割ったりするのは僕も好きなんですけど、この映画に関してはそれじゃないなと。この流れで吉村さんの画が長く入ると、お客さんの気持ちの入り方も違うんじゃないかと思ったんです。だから、まずは吉村さんの目がどう映るかとか、そういうことは意識してました。

――一カ所、ステージの横にカメラが入ってるライブの映像がありますよね。右奥に吉村さんがいて、左奥に小松さんがいて、手前に射守矢さんがいる。吉村さんと射守矢さんを捉えていたカメラが左に振れると、射守矢さんと小松さんの二人がフレームに収まる、あそこで少しグッときました。

 それがまさに「プールサイド」を演奏してるライブで、あれは僕が撮った画なんですよ。これは絶対に大画面で見たら映画的に見えるはずだ、とか思いながら撮ってました。あそこは僕も大好きなところなんで、嬉しいですね。

――普段はいろいろあっても、この人たちは音楽で会話してるんだな、みたいなことを感じますよね。

 それでしかないというか、ステージだけは別なんでしょうね。そこはすごいところだと思います。みんなバンドや自分たちの音楽に誇りを持っていて、バンドの関係は煮詰まっていても、結局好きだからやってるんですよね。それが伝わればいいなという思いはありました。

――最後の質問になりますが、今後どういう風に活動していきたいと思われてるんでしょうか。

 僕としては、ドキュメンタリー作家のつもりは全然ないんです。今回の映画もドキュメントに徹してはいるんですけど、僕なりの映画になればいいなと思って作ったから、ドキュメンタリーとか劇映画とかの線引きはあんまりないんです。

 ただ、劇映画は作り方が違うし、かかるお金も違う。劇映画もやりたいというのは常に思ってるんですけど、僕は映画学校を出てるわけでもないし、僕なりのやり方で作っていきたいという思いはありますね。甲斐田とやるときは、あくまで監督は甲斐田で、僕は出るか手伝うかだし、グループとしてやってるつもりはないんです。だから、劇映画にしても、ドキュメンタリーにしても、自分の興味があるものをやっていけたらいいなと思います。そうやって映画を続けていけたらいいですけど、それだけで食っていくのは本当に大変ですよね。

――この映画のように、最後は金じゃねえっていうようには……。

 吹っ切れないですよね(笑)。映画監督っていっぱいいるじゃないですか。食えてる人もいると思うんですけど、自分がやりたい映画だけを作りながら食えてる人はどれだけいるのかな。すごく有名な監督さんですらCMで稼いだりしてますし、映画だけで食ってくのは難しいですよね。常にそこは格闘しながらやらないといけないと思うんですけど。

 ただ、映画だけにこだわるんじゃなくて、アーティストのDVDとか音楽のプロモーションビデオも続けられるならやっていきたいと思ってます。ここまで自力で――自力でと言うのもおこがましいんですけど――、『77BOADRUM』も自主でやって、僕なりの門の叩き方でやってこれたんで、少しずつ地道に続けられればいいなと。なので、よろしくお願いしますという感じなんですけど(笑)。

kocorono

監督:川口 潤 製作:長谷川英行、近藤順也、渡邊恭子

撮影・監督補佐:大石規湖 撮影:梅田 航、工藤慶邦、中谷育代、渡辺泉

録音・ミックスエンジニア:kazuaki noguchi 編集:鶴尾正彦 MA:横田智昭

出演:吉村秀樹、射守矢 雄、小松正弘、田渕ひさ子

配給:日本出版販売

2010年/HD/ビスタサイズ/116分/デジタル上映

*2月5日よりシアターN渋谷ほかにて全国順次公開

公式サイト http://www.kocorono-movie.com/

映画『kocorono』予告編