映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『おそいひと』『堀川中立売』 <br>柴田剛(監督)インタビュー

 昨年の東京フィルメックスで賛否両論を巻き起こした2010年最大の問題作『堀川中立売』。今年、同作の公開を控える柴田剛監督に、『おそいひと』(04)のDVD発売に合わせてインタビューを敢行! 重度の身体障害者が殺人鬼となっていく様をモノクロの無軌道な映像で一気呵成に描ききった『おそいひと』から一転、新作の『堀川中立売』では妖怪と陰陽師の戦いをベースとして、現代の混沌を時に荒々しく時にコミカルに描いています。『おそいひと』から『堀川中立売』に至る過程で監督の心中にどのような変化があったのか。その辺りの話題を中心にお話を伺ってきました。

(取材・構成:平澤竹識 構成協力:春日洋一郎)

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○自分実験場としての『おそいひと

――『おそいひと』(04)のときは、障害者が殺人を犯すというモチーフがあって、そこで一点突破的に作っていったところがあったんじゃないですか。エピソードの繋がりよりも、映像的な部分に重心が置かれてるように見えたんですが。

柴田 話としては大掴みの流れがあるだけで、初めから終わりまでの映像が浮んでたんです。主演の住田(雅清)さんの世界、肢体不自由者の世界と健常者の世界は全然違うと思うんですけど、映像が浮んでたからすっきりいけたところはありました。映像を間に挟んで見ることができたぶん、住田さんをより深く知ることができたというか。

――柴田さんにとっては、ある種のドキュメンタリーでもあったと。

柴田 そうです。撮影中は撮影してるんだかヘルパーしてるんだか分からないような感じで、それが映画作りにも大きく影響してますね。僕はヘルパーをするつもりはなかったけど、いつの間にかすることになってたんですよ。それを許せたのも、ずっと映画を間に挟んだ関係でいるうちに、住田さんと同じ映像が見れるようになっていたからだと思います。ドキュメンタリーという意味では、住田さんの先輩役の福永(年久)さんは、阪神障害者解放センターというところの代表をやっていて、その下で事務局長をやってたのが住田さんなんですね。だから、現実の関係をそのまんま映画でも生かしてるという。

――障害者の方は視線に強いですね、カメラに全然負けてない。『おそいひと』の撮影は、普通の俳優を使った撮影とは全然違う行為だったんじゃないですか。

柴田 たしかに『おそいひと』は役者と監督という関係とは違ったと思います。僕が現場で住田さんに対してオープンでいたというのは前のインタビュー(「映画芸術No430」所収)で言った通りなんですけど、住田さんも同じなんですよね。映画の人間は何をするか分からないから、住田さんのほうもオープンでいてくれた。映画撮ってるときは、とりあえず「撮り切んなきゃいけない」という前提で動くでしょう。それは当たり前のルールだけど、それが住田さんには分からないんですよ。ある時間が経てばトイレに行きたいとか、障害者の人の生理があるから、スケジュール先行の撮影は身の危険にも繋がりかねない。そういうところで、お互いに分かり合っとかなきゃいけないし、オープンにしとかなきゃいけないんです。

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――住田さんを撮影すれば、ビジネスライクじゃない付き合いまで踏み込まなきゃいけなくなるわけですね。

柴田 当時は、評価される映画を作って未来へのステップにしたいと思いながらも、撮影してるのとヘルパーしてるのと半々の気持ちでいたから、ホッとした時間に揺れが生じることもありました。特に、障害者が殺人を犯すっていう攻撃的な内容だから、疚しい気持ちになったりするんですね。ヘルパーさんたちを見てると、そっちのほうがよっぽど食えてるし真っ当な仕事だし、かといって自分たちがカメラや三脚を捨ててヘルパーになれるわけじゃない。僕も含めてメンバーにはそういう迷いもありました。

――柴田さんは理屈よりも感覚を大事にされてるようですが、映画を作るときも感覚に導かれて後から理屈がついてくるみたいな感じなんですか。

柴田 理屈を先に立ててしまうと四角四面ばって生真面目になっちゃうというか、生真面目の服を着てしまうんですよ。似合わない鋲ジャンを着てしまうから、「気合い」が「気負い」になってずっこける(笑)。それは自分の悪いところだと分かってるんで、映画を作るときは手順を反対にするようにしてます。

――普通は、理詰めでシナリオを作ってから現場で自由にやるほうが……。

柴田 効率はいいですね。そういうやり方も実はできます(笑)。関西の連続ドラマを演出したときは、そういう「はめる」仕事をやってたんですよ。それはそれで面白いけど、それをしていいのかなと思うんですね、企画次第というか。そういうことを自覚したのは『おそいひと』の現場からで、そもそもこの映画は僕の発案じゃないんですよ。ヘルパーの仲(悟志)さんという人が住田さんの介助者をやっていて、共通の友人を介して仲さんから映画の企画の話がきた。だから、『おそいひと』も請負みたいなところから始まってるんですね。でも、そのサイズが途方もなくデカすぎて、これを「当てはめ仕事」でやってたら、自分で見たくもない映画を作ることになりそうだと思って、そういうやり方はしないようにしたんです。

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――柴田さんの場合は、自分のなかに「遊び」があったほうがいいんですね。

柴田 前の『NN-891102』(99)のときは生真面目にホンを書いてたんですよ。撮影も世界観を頭からケツまで決めて、カメラマンに「好きに(フレームを)切ってください」という感じだったから、大変なことになった。その反省も踏まえて、『おそいひと』はやり方を逆にしたんですね。住田さんはインパクトが強いから、この人を映すと後ろに何か映るはずだと思って撮影してました。そうすれば、僕もいい感じでタガが外れていけるのかなと思って。「自分実験場」みたいなものですね。「実験的な映画」にするつもりは全然ないんだけど、「自分の実験場」ではあるという感じで。

――柴田さんなりの方法論を確立した転機的な作品だったと。

柴田 そうですね。もうああいう風にはできないし、したくないですけど。

――『おそいひと』のときは撮影が一時中断したんですよね。

柴田 撮影を中断したのは、自分たちが抱えてるものの大きさに気づいて、自信が持てなくなったからなんです。大きい世界を抱え込んだんだから、物語もそれに見合うような世界観に広げようとして、いろんなキャストを立てて追加撮影をしていったらキリがなくなって。素直にA地点からB地点に行けばいいのに、なんかあるはずだと思っていろんなことをしたんです。

――それは完成した映画にも残ってるんですか。

柴田 DVDに収録されてるのは83分版なんですけど、その前に108分版と120分版があるんですよ。そのバージョンは、住田さんとヘルパーのタケの関係についての描写がいっぱいあったんですね、見てて幸せになるような二人の関係性の描写が。もう一つは福永さんの背景ですね、健常者の息子が義肢義足工場を経営しているという感じの。そういうところに頭でっかちが出てたんです。でも現実を見たら、そういう広がりを持った関わりを障害者の人たちが健常者の人たちとやっていて、現実にあるんだから映画でやんなくていいだろうという決断になったんですよ。

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○『堀川中立売』の新しさ

――新作の『堀川中立売』では、感覚で攻めてる部分と拮抗する形で話の理屈が見えてきますよね。そのバランスがいいなと思ったんですけど、『おそいひと』から『堀川~』に至る過程で映画に対する考えが変化したところもあったんですか。

柴田 たぶん『おそいひと』で映画の背後にある現実世界の描写を切った、その部分を描くことに今回もう1度チャレンジしようとしたんですね。それをパラレルワールドの話にすれば、頭でっかちにならずに話を進めることができるんじゃないかと思って。

――『堀川中立売』に出てくるニート(石井モタコ)とホームレス(山本剛史)の二人は現実世界ではしょーもないやつらなんだけど、式神として操られてる世界ではヒーローみたいな活躍をするわけじゃないですか。それって、障害者の方が現実世界では身体的な不自由をこうむってる反面、内面的には豊かなものを持ってたりすることに近い気がします。

柴田 住田さんもそうですもんね。ボイスマシーンで話すときは相当毒舌だしギャグレベル高いですから。そんなこと考えてたのかって思いますよ。一度、住田さんに言われたんです。「僕は柴田君に教えてあげてるんだよ、この障害者の世界を。そういうつもりでやってるんだから、よろしくね」って。最初は「なんで上から目線なんだよ」ってカチンときたんですけど(笑)、映画やってる最中に「そうかもしれないな」って思いました。

――『堀川~』は、「ニート」や「ホームレス」というレッテルからはみ出す部分で人間を描いてるじゃないですか。それに、相容れない種類の人たちが同じ世界の中に存在しちゃってる、そういう人間と世界の捉え方がすごくいいなと思いました。『おそいひと』を作っていくなかで、人間とか世界の見方が鍛えられたところもあったんですか。

柴田 『堀川~』の撮影前にも障害者の人たちと一緒にいたりしてたんで、そういう経験が生かされてるかもしれないですね。一緒にいることで障害者の人たちが見てる世界を見せてもらえた。そういう感覚はたまに忘れちゃうんですよ、仕事してると忙殺されて。だから、たまに自分を調律して、思い出すことが大事なんです。他の監督も同じだと思うんですけど、自分の経験を寄せ集めて作らないとただの嘘つきですよ。

――前のインタビューで、脚本の松永さんが「柴田さんは『映画だからこうしましょう』みたいな考え方を一番嫌う」と話されていたんです。でも、一方で柴田さんは映画にこだわって、ものを作ってるわけですよね。なんで映画だったんですか。

柴田 一通りやってたんですよ。絵を3年やって、8ミリ映画を撮りつつ、バンドも結成して。でも、映画に留まっている理由の一つは、現時点でなんとか4本も撮らしてもらえてる、それって映画に生かされてるってことだと思うんですよね。

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――4本撮って、この破壊衝動を維持してるのはすごいと思います。

柴田 僕は映画以外のことをやってても、同じことをしてるんだと思います。映画文法の落とし方としては、1回広げたものを最後にまとめるのが普通で、そうするとお客さんも分かりやすいじゃないですか。僕が好きで見る映画もそういう作り方をしてるんですよ。ただ、自分で作るとなったら、そういう意識が全くないんですね。まとめるんじゃなくて、発散したままスッと終わる。音楽も絵もそういうのが好きなんです。現代アートインスタレーションとか、そういう人たちは安穏と文法に寄りかかってない、それがかっこいいなと思うんですよ。例えば、ヨーゼフ・ボイスとか。なれないですよ、真似なんか不可能ですもん。

――あらゆるものに対してそういう視点で見てるっていうことなんですね。

柴田 そうしないと自分が作る意味がないと思うんですよ。映画文法に則って映画を作る人はいっぱいいるじゃないですか。でも、僕は映画文法が上手だっていうところで映画に感動した覚えが一度もない。そういう見方をするのは、高校2年で終わったんです。高2のときに渋谷の映画館で『わが心のボルチモア』(90)を見たんですよ。ホラー映画とかにしか興味がなかったんだけど、それしかやってないから見たら、泣いちゃって。映画って泣けるんだと思った最初の体験が『わが心のボルチモア』(笑)。あとは、その後にNHKでやってた『素晴らしき哉、人生!』(46)ですね。それ以来、映画を文法として分解するようなことはやめたんです。だから、今も映画は飛び込みで見るんですよ。そっちのほうが、その映画を自分のものにできるし。

――柴田さんは大阪芸大出身ですけど、同世代に熊切和嘉さんとか山下敦弘さんとか向井康介さんがいたわけですよね。そういうなかで、映画に対する自分なりの道を確信したところもあったんじゃないですか。

柴田 その当時は確信してないです。むしろ、いろんなことを知りたかったから、いろんな人の映画を手伝ってましたし、それも全部同じようにフラットに見えてました。本田隆一さんはパチモンのGS映画を撮ってるし、熊切さんは運動の時代の映画を撮ってるし……。そういえば、熊切さんの『鬼畜大宴会』(98)はPFFで準グランプリを獲りましたけど、そのときグランプリを獲った『シンク』(98)の村松(正浩)さんが『おそいひと』のリバイバル上映を見に来てくれたんですよ。『シンク』はデジタルビデオカメラで映画を作った最初ということになってますよね。16ミリで人の間にカメラが入ると重たくなるじゃないですか、カット割りもしなきゃいけないし。でも、村松さんはそこにビデオで入るから、サラッサラッて感じで普通の会話に近いものが撮れる。今は当たり前ですけど、当時そういう映画はなかったから新鮮でした。あの映画の影響で、『おそいひと』はビデオカメラで撮影したところもあったんです。あとは当時、ラース・フォン・トリアーが「ドグマ」をやってたし、そういう文法があるならそれでやろうと。よく考えれば、僕らは学生時代Hi‐8でやってたんですよね。

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――柴田さんもフィルム、Hi‐8、デジタルビデオという流れのなかで試行錯誤しながらやってきてるわけですね。

柴田 前はHi‐8とか8ミリとか16ミリの質感が「よし、映画やるぞ」という気合いのうちに入ってたんですけど、最近はデジタルカメラで映画を作ってるから、そういう感覚は薄れてきてますね。今はなるべくカメラマンがやりたいように提案を聞いて、それが自分に響けばデジタルだろうがフィルムだろうがかまわない。大学を出てから10年ぐらい経つんで、カメラマンやってる人間たちのほうが、こっちがやりたいことを分かってくれてるんですよね。すごい信頼できる。じゃあ、僕が質感にこだわることはないなという感じなんです。

――『堀川中立売』も後輩の高木風太君がカメラを廻してますよね。

柴田 『堀川中立売』はいろんな要素が多すぎた映画だけど、頑張って付いてきてくれたと思います。この前にテレビドラマ2話分を一緒にやったんですよ。そのときは二人で寝泊まりしてたんで、鍋つつきながら『マグノリア』(99)を見て、彼の映画観とか視点をいっぱい獲得できた。「じゃあ、画コンテも任す」と言ったら、「それはダメだ」と断られましたけど(笑)。

――『おそいひと』に比べると、『堀川~』のカメラは安定してる気がしました。

柴田 そうでしょう。『おそいひと』は画が出てきたから、画の狙いで行ったんです。その部分で住田さんたちと世界を共有しようとしてたんで。風太は自分が持ってるイメージの方向を提示してくるから、結果的には『堀川~』を一緒にやって良かったと思います。現場の最中は一時、「俺と違う方向にカメラを向けやがって」と思うこともありましたけど。

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――お客さんには『堀川中立売』をどう見て欲しいですか。

柴田 『堀川中立売』は今年中に公開ってことになってます。最初は5月公開の予定だったんですけど、5月に上映したら5月の『堀川中立売』があるはずなんですよ。それが何月になってもその時の『堀川中立売』があるんです。去年11月下旬の東京フィルメックスでは11月の『堀川中立売』がありましたよね。

――まだ動いてるわけですよね、作品の中身が。

柴田 この映画は怖いですよ、龍が自分の尻尾を食わんばかりにバタバタバタバタってやってる感じだから。

――公開の時点でどうなってるかはまだ分からないと。

柴田 背骨は一緒です。あと、攻撃的な映画です。その攻撃に気づいてもらえると嬉しいですね。

おそいひと

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監督:柴田剛

製作:志摩敏樹 原案:仲悟志

撮影:高倉雅昭 竹内敦 録音:森野順 編集:市川恵太 鈴木啓介 熊切和嘉 柴田剛

音響効果:宇野隆史 音楽:world's end girlfriend バミューダバガボンド

出演:住田雅清 とりいまり 堀田直蔵 白井純子 福永年久 有田アリコ

2004年/35mm/モノクロ(一部カラー)/83分

(C)2010 Shima Films All Rights Reserved.

4月2日DVDリリース

83分(セル版のみ特典映像+約40分)/モノクロ/

片面1層/音声1:日本語/画面:16:9 ビスタサイズ

価格:3800円(税抜)

レンタル:7月2日開始

発売:トランスフォーマー

公式サイト http://osoihito.jp/top/index.html

『堀川中立売』

監督:柴田剛

製作総指揮:志摩敏樹 脚本:松永後彦 柴田剛

撮影:高木風太 照明:岸田和也 録音:東岳志 美術:金林剛 編集:高倉雅昭

アソシエイトプロデューサー:田中誠一 松本伸哉

出演:石井モタコ 山本剛史 野口雄介 堀田直蔵 祷キララ 秦浩司 清水佐絵

2009年/HD35mm/カラー/124分

2010年、ポレポレ東中野吉祥寺バウスシアターほかにて全国公開予定

公式サイト http://www.horikawanakatachiuri.jp/