映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『堀川中立売』 <br>京都迷宮案内――デタラメなこの世界を生き抜くために <br>萩野亮(映画批評)

 ほりかわなかたちうり、と読む。  舞鶴に拠点を置くシマフィルムの「京都連続」シリーズは、皮切りとなる本作に続いて『天使突抜六丁目』(山田雅史監督)も先ごろ完成を見たが、土地になじみのないひとはまず何と読めばよいかわからないこれらのタイトルは、京都に実在する地名である。堀川中立売は堀川通りと中立売通りが交差するあたりで、冒頭のひとを喰ったような説明字幕でもふれられているように、平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明を祀る晴明神社のすぐ近くでもある(ちなみに京ことばでは、一文字目の「ほ」にアクセントが置かれる)。  至極平易な漢字五つが窮屈そうにならんだこの奇妙な地名から、さらに奇妙なフィルムを発想したのが監督の柴田剛だ。大阪芸術大学出身の柴田は、原爆の爆音に苛まれその音像の再現に勤しむ男を描いた処女作『NN-891102』(99)で存分にそのカルトな資質を開示してみせ、つづく『おそいひと』(04)では重度身体障害者の連続殺人という前代未聞のテーマに切り込んだ。一転して第3作『青空ポンチ』(07)は、香川へ帰った青年のバンド結成をめぐる爽快な青春映画である。 horinaka_eigei1.jpg  『堀川中立売』は、ほとんど言葉による要約を受けつけない。昨年11月の東京フィルメックスでの上映以来都合三度このフィルムを見ているが、いまだによくわからない。たとえここで、「ヒモの石井モタコとホームレスの山本剛史が、サイキッカーの堀田直蔵に「式神」として雇われ、秦浩司演じる「加藤the cat walkドーマンセーマン」によって妖怪化した人間たちと戦う、血沸き肉踊るギャラクティック・ムーヴィーだ」と述べたところで、何も明らかになっていない。『NN-891102』や『おそいひと』では、ある種のスキャンダリズムが映画を貫いていたわけだが、今回の作品にはそうしたものがない。上がる下がるで住所が表記される、おそるべき京都の路地の複雑さをそのままに、『堀川中立売』はいくつもの筋立てをはりめぐらしては、どんつき(突き当たり)での事件と出会いを演出する。あたかも京都そのもののような「路地の映画」だ。ロケーションでもまさに路地と町家が多用され、京都の観光化された寺社仏閣のイメージとは隔てられた、現代京都の「わりとふつうの」暮らしが映っている。家々の庇が作り出す複雑な陰影、上がりかまちのある町家など実にいい。  「テレビはいつも政治家たちの手中にある」とはゴダールの言だが、世界で初めてのテレビ放送がナチスドイツ下における出来事だったという史実(諸説あり)を引くまでもなく、テレビは施政者たちの格好のメディアであり続けている。作中に登場する「加藤the cat walkドーマンセーマンタワー」は、悪の施政者・加藤the cat walkドーマンセーマンが発信する「加藤the TV」のための電波塔としての役割をもっており、巧みなCGによって京都タワーよりも3割ほど高い建築物として描かれている(内部ではなんとタージンが働いている!)。ところで京都タワーが建設される折、東寺の五重塔よりも高い建築物は建てるべきではない、という美観論争が起き、この議論が72年に制定された京都市の景観条例に反映されたことはつとに知られているが、つまり加藤タワーはこの条例に反して建築されている。五重塔はいうまでもなく仏塔であり、京都タワーは展望塔である。『堀川中立売』の京都には、三種類の塔が聳え建っており、あたかも宗教、商業、マスメディアという三つの民心掌握の方法とその段階化を示しているかのようだ。地上デジタル放送の電波塔として、いままさに建設の進められている東京スカイツリーがここでアナロジャイズされていることは、あらためて強調するまでもないだろう。 horinaka_eigei4.jpg  ドーマンセーマンは「加藤the TV」を放送することで大衆の「悪意」を組織しようとするわけだが、これは何ということのない、わたしたちが日々目にするワイドショーをあからさまに誇張した代物だ。そこではホームレスは排除されるべきであると当然のように報道がなされ、消費者金融の社長が殺害された事件を、資本主義を憎悪した少年による「正義感殺人」として物語化しては、同様の事件が起きるとその「模倣犯」として躊躇なく直結させる。こうした単純化された語り口が、過剰な字幕スーパーで猥雑に粉飾される。ワイドショーを実にうまくパロディ化している。映画はこれに対し、刑期を終えて社会復帰を目指す元少年(野口雄介)の呟きにこそ、リアリティを認めようとしている。「ただムカついてやっただけだよ」。  ともあれこうして「加藤the TV」はひとびとに危機意識を植え付ける。「正義感殺人」を起こした元少年は、格好の監視対象として、日々ひとびとの好奇と危機の目にさらされるようになる。『監視社会』(01)の著者デイヴィッド・ライアンが指摘したように、高度情報化社会にとって監視社会化は避けられないことだが、その様相は、たとえばオーウェルディストピア小説1984年』(49)が予測した「ビッグブラザー」のような中央集権的な監視主体によるものではなく、企業や個人が(ときに知らずしらずのうちに)その担い手となる。『堀川中立売』では、まさに個人が監視の主体となって監視サイトによるネットワークを形成する(彼らは画面上で目線を隠され、「匿名性」を表現されている)。庇のふれあう路地の人間関係、いわゆる「本音とタテマエ」を基本とする、ステロタイプの京都社会の過剰なありようをここで見て取ることもできるかもしれない。付言すると、ここにtwitterが登場しないことが、このフィルムを2010年ではなく、あくまで2009年の作品にしている(ちなみにFacebookの誕生についてはデイヴィッド・フィンチャーが新作『ソーシャル・ネットワーク』で描いてみせたが、twitterが映画やテレビドラマのモチーフとなるのはおそらく時間の問題だろう)。  そして映画は終盤、ひとつの円還を描き出す。かつてサラ金の社長を殺害した元少年は、ドーマンセーマンの陰謀によって、いつしか自分がサラ金の勤め人にされ、自分が取り立てた会社社長(桂雀々)の息子に刃物で襲われるに至る。元少年の男は、むしろ自分を刺しに来た少年を歓迎する。彼を強く抱きしめることで刃を腹に突き刺し、元「少年」が「少年」を抱え込むことで、自分の犯罪から始まった一連の「物語」を完結させようとするのだ。この大きな「物語」の円還に向けて、三度繰り返される目覚まし時計のジリジリというアラームが、重要なノイズ=句点として用いられている。不眠と偽の覚醒というサイクルが繰り返されるなか、アラームがまさに字義通りの警告音として、彼を現実へ引き戻す。この不眠と覚醒のはざまの夜に、ヒモとホームレスという「持たざるもの」と人間たちによる「戦争」が起きているのだ。 DomanSeman_04.jpg  この元少年を演じる野口雄介が実にすばらしい。柴田映画はこれまでも一貫して非職業俳優を巧みに起用してきたが、石井モタコ(オシリペンペンズ)や堀田直蔵(バミューダバガボンド)、清水佐絵(HATENA TAXI)など、バンドマンの曲者という曲者が、「妖怪」の跋扈する現代京都の路地に生き生きと配置されている(ピンクローターの電池をヒモに買いに行かせる清水佐絵が最高だ)。彼らがこのフィルムの戯画化された部分を担っているとすれば、野口雄介の人物像だけはリアリズムに貫かれている。『おそいひと』では、重度障害を患う住田雅清を本人役で起用することでリアリズムを担保しようとしていたが、住田はここでは元少年の保護司(兼漫画家)という、およそありえない役どころで起用され、「戯画」と「悪意」の側にきわどく位置づけられている。ざらついた野口の無表情に対置されているのは、結局どういう位置づけで登場していたのか判明でない子どもたちの中心にいる、祈キララの大人びた無表情かもしれない。ふいに挿入される彼らのクロースアップにある視線は、わたしたちを動揺させる。それは『おそいひと』の住田とも通じる、あきらめを通過したその視線が、わたしたちの「悪意」を撃つからだ。    『堀川中立売』は、複雑な筋立てとともに、こうした演技の層を重層させ、ノイズとサウンドを反響させることで、映画をとことん混沌と混乱と狂熱のうちに焼き尽くしてしまおうとする。この一見デタラメなフィルムを見終えて抱くのは、この世の中をどうやって生き抜くべきか、という案外シビアな現状認識だったりするのだ。
(文中敬称略)
※『おそいひと』DVD発売時に行なった柴田剛監督のインタビューはコチラ (『堀川中立売』についてもお話されています) 『堀川中立売』 監督:柴田剛 製作総指揮:志摩敏樹 脚本:松永後彦 柴田剛 撮影:高木風太 照明:岸田和也 録音:東岳志 美術:金林剛 編集:高倉雅昭 アソシエイトプロデューサー:田中誠一 松本伸哉 出演:石井モタコ 山本剛史 野口雄介 堀田直蔵 祷キララ 秦浩司 清水佐絵 2009年/HD35mm/カラー/124分 (C)2010 SHIMA FILMS 2010年11月20日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー 吉祥寺バウスシアターにて期間限定爆音レイトショー 公式サイト http://www.horikawanakatachiuri.jp/ 公式ツイッター http://twitter.com/hori_naka 映画『堀川中立売』 おふだチケット(当たりつき)をプレゼント!! ticket.jpg 11月20日(土)よりポレポレ東中野吉祥寺バウスシアターで公開の柴田剛監督最新作『堀川中立売』のおふだチケット(スタッフによる手作りの前売券)を5名の方にプレゼントいたします。 作品の中で重要なアイテムとして登場するペットボトルをモチーフに、スタッフ自らがペットボトルを回収し、チケット半券・おふだ・麻の実を封入しました(麻の実には加熱処理が施されておりますので芽は出ません。ご了承下さい。)。しおり状の半券に“もう一回”と書かれていれば、もう一回本編をご覧いただけます。 ※おふだチケットはポレポレ東中野吉祥寺バウスシアターで有効の前売券になります。 ご希望の方は①氏名 ②ご住所をご記入の上、info★brownie-project.com(※★を@に変換)へメールをお送り下さい。その際、件名に必ず【『堀川中立売』おふだチケット希望】とご記入下さい。締め切りは11月7日(日)の23時。当選者の方にはおふだチケットを発送させていただきます。たくさんのご応募をお待ちしております! ※応募者の方からお寄せいただきました個人情報は第三者へ売却、貸与および譲渡することは一切ありません。