映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

■試写室だより『ノーカントリー』<br><世界の外部の闇>を映画は露見させる

1980年代のテキサスで、モス(ジョシュ・ブローリン)はある時多くの死体が散乱する殺人現場に遭遇するが、そこで大量のヘロインと200万ドルの大金をみつける。

ヤバイ金であることを知りつつもモスは金を持ち去るが、彼を異様な、まるで神か悪魔のような存在の殺し屋シュガー(ハビエル・バルデム)が執拗に追跡してくる。

そして事件を捜査していた老いた保安官(トミー・リー・ジョーンズ)も、事件とこの2人を追うことになる。

 

まずこの映画の原作である、コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」が素晴らしい。

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(c)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

マッカーシーの原作は引用符無し、句読点も無しで書かれた癖のある文章で、ほとんど感情や内面が描かれず、人物の行動と出来事をメインに描いている。

 

それ故に心理主義的な小説にはない映像的な風土が色濃く形成されており、そこから生まれる緊迫感が実に映画的なものになっている。

ジョエル・コーエンイーサン・コーエンは、シナリオ以上に映画的に描き込まれているとも言える原作が持つ<映画的緊張感>を、ほとんど忠実に映像化し得ている。

 

そこが一番の魅力と言えるだろう。

 

それと殺し屋シュガー=ハビエル・バルデムの強烈な存在感もあまりに素晴らしすぎる。

 

シュガーは確かに凄腕の殺し屋ではあるが、決して超能力を持ってるわけでも超人的な身体性を備えているわけでもない。

あくまで生身の人間である。

 

そのことはシュガーが拳銃で撃たれたりして怪我をした後、スーパーマンのような回復力を示すことなく、自分の生身の身体を淡々と一人で治療していく描写にて顕著に表現されている。

 

シュガーは淡々とした普通の日常性のまま、それと地続きで人も平気で殺す、境界線がまるでないところが何とも不気味なのである。

 

これはすぐに北野武のデビュー作『その男、凶暴につき』のキヨヒロ(白竜)を想起させる。

 

実際、特にモスとシュガーの追跡劇や銃撃シーンなどには、『その男、凶暴につき』にあった、感情をほとんど描かず行動と出来事だけを不気味なまでに淡々と描いた暴力タッチを彷彿とさせる。

きっと原作の描写を忠実に映画化したことでそうなったのだろう。

さらにシュガーが異様なのはそれだけではない。

 

それは前半のスタンドでの店主とのやりとりにてシュガーの不気味な哲学が語られる、ちょっとコミカルな日常描写が一挙にサイコホラー映画のように様変わりしていく場面や、後半、逃げていたモスの妻(ケリー・マクドナルド)の元にシュガーが赴き、そこで自分が殺されなければならない理由がわからない彼女に、まるで悪運 の審判を下すような哲学=世界の闇の原則のようなものを延々と語る描写などによく現れている。

シュガーはどこかこの世を超越した闇の世界の執行者のような様相を呈しているのだ。

 

勿論シュガーは神ではない。

彼は偶然の事故を回避出来ないからだ。

終盤、シュガーが事故の災難から脱出し生き延びようとする姿が、前にモスがシュガーに追撃されて怪我をして逃げ延びようとした時の姿と同じく、まるで無力な人間のように描かれているのは意図的な描写だろう。

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(c)2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

原作では老保安官のモノローグが随所に挿入され、ほとんど主役の語り部的存在となっているが、映画の方ではこの保安官の描写はあまり目立たず、あくまでシュガーの存在感がより強烈に目立つように描かれている。

 

きっとコーエン兄弟は、シュガーという存在を強調して描くことで、<世界の外部の闇>を映画全土に、原作以上に充満させたかったのだろう。

この映画がこれまでのコーエン兄弟の作品と比べて一番異彩を放っているところはそこである。

コーエン兄弟の映画はこれまでどちらかというと巧い作風、という印象の方が強かった。

しかしこの映画にはそれに加えて強烈な闇の気配が濃厚すぎるのだ。

おそらく彼らは原作の中にある闇の気配と、その闇の中心にいるような不気味なシュガーという存在に深く冒されてしまったのではないだろうか。

そしてそんな不気味な闇をこそ、映画で描くことを目指したのだろう。

ところが恐ろしいことに「映画」は<世界の外部の闇>を、この作品において平気で生々しく露見させてしまうことにおよそ暴力的に同調してしまっているのだ。

 

この作品が、さらに優れて映画的なるものになったのは、きっと原作にある外部の闇の気配を、「映画」が強烈に露見させることに加担してしまったからだろう。

映画にはそういう恐ろしいところがあるのだ。

text by 大口和久(批評家・映画作家

ノーカントリー

脚本/監督:ジョエル・コーエン イーサン・コーエン

原作:コーマック・マッカーシー

出演:トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン 他

原題:NO COUNTRY FOR OLD MEN

2007年/アメリカ映画

配給:パラマウントショウゲート

3月15日、日比谷シャンテシネ他全国ロードショー

〈公式サイト〉http://www.nocountry.jp/