映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

川崎アートセンター アルテリオ映像館<br>野々川千恵子(ディレクター)インタビュー

 例えば、05年に封切られた映画の公開状況を主要都市ごとに見てみると、最も多い東京(区部)が98%、最も低い下関市は3%と、全国的に上映環境の格差が広がっていることがわかります。地方の映画上映を支えるのは近年増加するシネコンですが、その一方で単館系の作品を上映し、地域住民が独自に映画館などを運営する「コミュニティシネマ」の取り組みが各地で広がっています。

 そうした流れのなかで昨年10月、川崎市が映像ホール(アルテリオ映像館)や劇場(アルテリオ小劇場)を擁する公共施設「川崎市アートセンター」を設立しました。映画館はどうすれば街の一部として親しまれ、映画はどうすれば生活の一部として浸透するのでしょうか。そんな問題に実地で取り組んでいる映像部門のディレクター・野々川 千恵子さんに、映画との関わりを含め、現在の仕事に就くまでの経緯などについて聞いてみました。

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――野々川さんは元々、しんゆり映画祭のスタッフをされていたそうですが、昔から映画に対する思い入れが強かったんですか。

小さいときに父親に連れられてチャンバラ映画を観に行ったりとか、『ウェストサイド物語』を観るために5回も劇場に足を運んだりとか、映画に親しんだ世代ではあるんです。その後、二十代の学生運動が盛んだった当時、人権が侵害されている状況に対して政治が果たす役割ってあるなあと思って、政治を自分の仕事にしたいと考えるようになりました。そんなころに『ひまわり』を観たんですよ。あの作品では、戦争反対なんて一言も言ってないのに、政治家の演説よりもずっと強く戦争に反対する意志が私の心に届いてきた。そのとき、感性の世界を選ぶのか、政治の世界を選ぶのか、自分のなかで葛藤がありました。

――で、そのときはどちらの道を選んだんですか。

私が30になったときだから、26年前ですね、新百合ヶ丘に引っ越してきたんです。それと同時に、麻生区から立候補して川崎市議になったんですね。政治の仕事はおもしろいし、やりがいもあったんですけど、同時に自分の力不足を痛感しました。私生活でも離婚を経験して、私は直接政治をやるよりも違う生き方を選んだほうがいいんだなあと思うようになったんですね。それで市議を辞めた矢先に、日本映画学校が横浜から新百合ヶ丘に引っ越してくることを知ったんです。すぐにパンフレットを取り寄せて何度も読み直したりして(笑)、この学校に入りたいと思ったんですが、そのときは次女がまだ4、5歳で、長女が小学校5年生ぐらい。私自身、離婚もする、恋人もいるという状況で…(笑)。もし映画学校に入ったら、きっとのめり込むだろうし、子供をちゃんと育てられるような状況ではなくなってしまうだろうなと思って、映画学校に入るのは諦めたんですね。

――その後、しんゆり映画祭に関わるようになったんですね。

市議を辞めた後にいくつかの仕事を経て、東急ケーブルテレビのリポーターや番組構成の仕事なんかもやるようになったんです。そこでいろんな取材をするうちに、どんな人にも固有の人生があって、聞けば聞くほど味わい深いなぁと思うようになりました。それを伝えることに人生の時間を費やしたいと考えるようになったんですね。ただ、そう思えば思うほど、貧乏だから映画の学校へ行けないとか、そういう抑圧のない、個人の才能が活かされるような社会になったらいいなぁと思うようになって。もしそういう抑圧があるとしたら、社会のサポートが不十分なんじゃないかと感じるようになったんですね。そんなときに、しんゆり映画祭のスタッフ募集を見つけて応募してみることにしたんです。

――映画祭のスタッフを続けていけた理由はなんですか。

最初に携わった第2回の映画祭は、周防正行監督の『shall we ダンス?』が公開された年だったんですけれども、それが新作で上映できなかったので、代わりに『シコふんじゃった』を上映して、周防監督をお招きしたんです。そのときにトークの司会をやることになったんですが、ちょうどボランティアのおじさんが社交ダンスを習ってると聞いたので、『shall we ダンス?』の撮影現場を再現しようということになって。周防監督がスタートの声をかけて音楽が流れ始めると、ボランティアのおじさんと、その方が普段習っている先生がダンスを始めるとか(笑)、そういうことをやったんですね。他にもいろんなことをやらせていただいて、初めての映画祭で夢のような時間を過ごしました。それで映画祭が終わった後に、やっぱり自分はこっちの世界にいきたいなと思ったんですね。

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川崎アートセンター外観

――それからは映画祭にのめりこんでいく感じだったんですか。

その後は映画祭の実行委員を続けながら、元実行委員長でプロデューサーの武重(邦夫)さんたちと企画集団みたいなものを作って、地方自治体の記録映画をプロデュースさせてもらったり、グループホームドキュメンタリー映画を企画したり。他にもNHKの番組をプロデュースしたりとか、そういうことをこの7~8年でやってきたんです。映画祭の方では、2000年から副実行委員長を務めることになったんですが、そうすると普段の仕事もあり、映像のこともあり、それでお金も稼がなければいけないということになってきて、自分でも目一杯で矛盾も生まれてきたんですね。

――その矛盾というのはどういうものだったんでしょうか。

10年ほど前、新百合ヶ丘ワーナーマイカルができた当時は単純に映画館ができてよかったなぁと思ってたんです。でも、シネコンで単館系の作品が上映されることはほとんどありません。その代わりに映画祭で単館系の作品を上映すると、お客様が楽しみにしてくださってるんですよ。都内までは行けないけれども、そういう作品を待っている方がたくさんいるということを実感したんです。映画祭だと予算をかけて10ヶ月ぐらい準備をしても30本程度の作品しか上映できない。だったら映画祭で通常的な上映をやるよりも、常設館を作ったほうがいいと思うようになったんですね。映画館という形態で上映するほうが、事業として収益も上げられるし、経済的にも自治体から自立できるんじゃないかと。反対に、映画祭では映画祭でなければできないことをやればいい。例えば、コンペティションをして普段とは違うお祭りにするとか、そういう住み分けをしたほうがいいと考えるようになりました。

――そんなところへアートセンターの構想が持ち上がってきたと。

アートセンターの計画は15年ぐらい前にあったんですけれども、財政難で一回凍結されたんですね。それが5年ほど前に縮小された形で復活して、そのときアートセンターの方向性を決めるために整備推進協議会というのができまして、私もその委員になったんです。1回目の会議で、私は映画館を作ったらどうかと提案したんですが、会議を重ねていくうちにギャラリーがいいとか音楽ホールがいいとか、いろんな意見が出てきました。そうしたら昭和音楽大学の理事長が、大学でオペラハウスを建てる計画があるから、ここにないもの…映画祭もやってきたし、映画学校もあるんだから、映画を上映する場所が必要なんじゃないかと言ってくださったんですね。あと、川崎には演劇の専門劇場がないから演劇ホールも必要だろうということになって、だんだん計画がまとまっていきました。それで最終的に映画と演劇のホールを作るということに決まったんですよね。それが2年前のことです。

――そのときは何か組織があったんですか。

アートセンターのことをきっかけに、映画祭の実行委員会が中心になってNPOを作ることになりました。当初からアートセンターは市の直営ではなく、指定管理者が運営するという方針が出てたので、我々がNPOを作って自分たちで運営していこうという話になったんですね。映画学校の佐藤忠男校長や昭和音大の理事長、それに演出家や建築家の方も加わって錚々たるメンバーの理事会を作りまして、一昨年、NPO法人「KAWASAKIアーツ」を立ち上げたんです。

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アルテリオ映像館 館内

――NPOにすることで、どういうメリットが出るんですか。

実行委員会はあくまでも任意の団体なので、例えば赤字が出た場合に個人の責任になってしまうんです。繰越金が出ても市に返さなきゃいけないとか、他にもいろんな制約が出てきます。ちゃんとした組織体がなければ、人材を育てたり、長期的な戦略を立てることもできない。最初の5~6年はおもしろいことばかりだから、それでよかったんですよ。でも続けてくると、新たにやりたいことも出てくるし、事業もどんどん拡大してくる。その度に、大過なく映画祭を運営して、お客さんを満足させて、収支も合わせてと、結果を求められるわけですよね。でもその結果と責任を、個人や単年度の予算枠では負いきれない。それで、私たちの理想を形にするためには、組織としての母体がどうしても必要だと思っていました。それがアートセンターの話が持ち上がったことで具体的に動き出したんです。

――それで今はそのNPOがアートセンターを運営しているんでしょうか。

今は川崎市文化財団とアートネットワーク・ジャパンというNPOの共同事業体が運営しています。私たちのNPOは指定管理者に応募して落選したんですね。それが昨年1月のことだったんですが、その後、川崎市文化財団と協議して、私たちも運営に参加できるようになりました。アートセンターは、芸術のまちづくりの継承・発展が運営理念です。13年間、ソフト先行で芸術のまちづくりの活動をしてきた映画祭の実績と映画・映像事業のノウハウと提案が受け入れられ、映像の関連は映画祭のメンバーに任せるということになったんです。だから今、アルテリオ映像館に関わっているスタッフは、個人として文化財団と契約して運営に携わっている形なんです。

――映像館を運営していくうえで映画祭の経験が生きたことはありますか。

しんゆり映画祭で得たことの一つは上映作品の選び方ですね。普通なら、映画祭のコンセプトに沿ってディレクターが選んでいきますよね。でも、しんゆり映画祭は市民映画祭という側面を持っていたので、実行委員会のメンバーでプログラム委員会というものを作って、複数の目で作品選びをしてきたんですね。映画ってどうしても個人の好みが端的に表れますし、年齢や価値観の違いでもいいと思う作品が変わってくる。それってやっぱりすごく重要だなって思ったんです。映画自体が世界の様々な価値観や状況のなかで作られているのに、ある一定の見方、価値観だけで選ぶのは違うんじゃないかと。特に公共的な場での上映という面を考えると、多様であることの豊かさを、上映作品や環境を通じて感じてもらうほうがいいんじゃないかと思うようになりました。それによって、お客さんの選択肢も広がるし、自分の考え方が変わったりするような経験をすることもできるわけですからね。

――今はどんな形でプログラムを組んでるんですか。

先週発足したばかりなんですけれども、佐藤忠男さんを始めとする外部の専門家にお願いして企画委員会というのを立ち上げたんです。それで2ヶ月に1度、企画委員会から助言をいただくことにしたんですね。そういう形にしたのも、「多様な目」というのをこの映像館の基本にしたいという思いがあったからなんです。基本的には、新作と特集、名画座の三つを柱にしようと考えていますが、何を上映するかは我々スタッフが提案しつつ、企画委員会と相談しながら決めていくことになると思います。

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録音室

――常設館を運営していく場合、映画祭で映画を上映していたときよりも経済的にはシビアになってくるんじゃないですか。

私の感覚では同じですね。映画祭でも決められた予算をいかに効率よく使って、いい作品を上映できるか、観客と製作者を繋げることができるかということを考えていました。その発想は今も全く同じです。

――ちなみにしんゆり映画祭の収支は毎年黒字になってたんですか。

予算は残しちゃいけないんですよね、役所の方式として。残してしまうと、次年度の予算を減らしても大丈夫でしょうという話になってしまいますから。だから、赤字にならないように、予算をどう使うかを考える。次の活動のための費用は必要なので、それは確保しておくにしても、お金儲けをするのが目的ではないですからね。その点はここも映画祭と同じなんです。

――想定されている観客はやっぱり川崎の市民なんでしょうか。

そうですね。まず近くに住んでいる人たちに地域の映画館として認知していただいて、日常的に来てもらいたい。そういう日常を大切にしたプログラムをベースとしてやっていこうと思っています。そういう中で、認知度は低いけど面白いという作品なんかもスポット的に上映していきたいですね。

――これからのビジョンを教えてください。

自分たちのNPOが指定管理者に選ばれなかったときに、やれないことの辛さを痛感したんですよね。映画祭も本当に大変なんですけれども、やりたいことができてるうえでの苦しみよりも、それができない苦しみのほうがずっと辛い。私は昨年の7月からアートセンターの準備業務に入って、10月から本格的に関わったんですけど、人生で一番ハードな3ヶ月を過ごしたと思うんです。それでもこうして続けてるのは、やりたいことをやれる喜びが大きいからなんですよね。人生を変えるような映画が必ずあって、そういう作品を上映したり、製作者と観客との出会いが生まれたり、この場所ではいろんなことができる。そういう可能性の坩堝にいるような感覚が今はあります。だから、現実を踏まえたうえで気張らずに、たくさんの方に来てもらって喜んでもらう。そういう活動を続けて、2~3年後には結果を出したいと思っています。

――ある程度の流れを作ってから次のステップにいきたいと。

そうですね。そのためにいろんな方の知恵を拝借しながら、私がこの場をコーディネイトしていければいいなと思います。とにかく黒子に徹して基盤を作って、それが成功すれば、その基盤をずっと引き継いでもらいたい。だから作り手の方にもどんどん投げかけてほしいと思います。私たちはその思いを謙虚に受け止めながら、お客さんにどう繋げられるかっていうことを考えたい。そういうことはシネコンの支配人にはできないじゃないですか。でもここは地域と映画と作り手の思いを繋いでいける場所だと思ってるんですよね。今は音楽ホールや演劇ホールは公共の施設がたくさんあるのに、公共の映画館は珍しがられる。そういう文化を変えたいですね(笑)。

(取材・構成:平澤 竹識)

川崎市アートセンター公式サイト:http://kawasaki-ac.jp/

3月の上映情報:http://kawasaki-ac.jp/calendar/cinema.html