『胡同の理髪師』は〈人間の生活の営みの基本〉を見せつけられる映画です。
この映画に登場する主人公は、役者ではなく、本当に93歳で理髪師をしているチン・クイさん本人なのです。
この老理髪師が早起きして三輪自転車で常連客を回り、出張して理髪師の仕事をする姿や、TVばかり見ているお客の寝たきりの老人などに優しく接しながら髪を刈る描写、または仲間とマージャンをして過ごし、胡同の古い民家が取り壊されていく再開発の波の中で静かに生きている姿などがシンプルかつ淡々と素描されています 。
しかしそうした描写の端々に、チン・クイさんの人柄と人間としての居住まいの正しさ、その細やかな人情味などが誇張されることなく自然と滲み出ています。
確かにこの映画には物語的なものもありますが、チン老人の佇まいを見ているだけでも、人間の営みの自然を痛感させられます。
また老人の周辺には、常に儚い崩壊の気配が漂っており、その微弱な気配の貴重さをも絶えず意識させられます。
映画は後半になると、ただ淡々と日常を生きてきたこの老人に〈死〉を意識させます。
同じように老齢な友人が孤独にこの世を去っていく現実に残酷な形で立ち会わされるチン老人は、映画のクライマックスにおいて、ある〈行為〉を密かに行うのですが……。
このクライマックスシーンには、〈死〉というものをめぐる胸苦しくなるようなサスペンスが醸成されています。
老人をずっと取り巻いてきた〈儚き崩壊の気配〉が、ここへ来て強烈な危機感となって顕れてくるのです。
監督のハスチョローはそのことがよく判っているようで、絶妙なサスペンス描写を施しています。
しかし、チン老理髪師と知り合い、彼を中心に映画を作り上げようとした監督の愛惜の想いもまたこのシーンには溢れ返っています。
爽やかな印象を残す終わり方をしていますが、それもきっと監督の彼への儚き願いの顕れでしょう。
数々の名言が老人の口から語られるにもかかわらず、〈人の背中を見て生きる事を学ぶ〉ということを、説教なしで自然と教えてくれるような得難い瞬間に溢れた秀作です。
text by 大口和久(批評家・映画作家)
『胡同の理髪師』
監督:ハスチョロー
出演 : チン・クイ チャン・ヤオシン ワン・ホンタオ
2006/中国/ヴィスタ/ドルビーSRD/105分
配給:アニープラネット
岩波ホール他全国順次公開中