映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

「新しい宣伝のかたち」を求めて<br> 山下幸洋(映画宣伝)インタビュー

映画雑誌の編集者は、作品の情報を知るために、日々、多くの宣伝担当者とやりとりをしているのですが、そのなかでもなぜか低予算の日本映画ばかり宣伝している人がいました。その人こそ、今回インタビューした山下幸洋さんです。なぜ山下さんがこの世界に飛び込み、陽のあたりにくい作品ばかりを担当してきたのでしょうか。そんな私の疑問に山下さんはひとつひとつ丁寧に答えてくれました。

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--まず映画好きになったきっかけを教えてください。

親に連れられてハリウッド映画を見に行ったりはしてたんですが、中学の頃にビデオレンタル店ができたんです。それで香港映画にはまりました。チョウ・ユンファとかのフィルムノワールですね。香港電影通信も定期購読していましたし、男らしい映画が好きでした。

--山下さんはいつも物腰が穏やかなので、想像できないですね。

こう見えて、中高時代は剣道部に入って硬派だったんです。ストイックで、目標に向って突き進むタイプで(笑)。

--じゃあ大学は国士舘ですか?

一浪して東京造形大学に入学しました。

--全然、香港映画ではないじゃないですか(笑)。

高校まで剣道やってたんですけど、体育会系だけじゃダメだと思ってアート系に目覚めたんです(笑)。香港はなかったことにして(笑)、予備校に通いながらオシャレな映画や難しい映画を見るようになりました。そのときに小柳帝さんというライターとしても活躍されている先生から亀有名画座に行ってこいと言われたんです。で、わからぬまま見に行ったら、石井隆監督特集をやっててものすごいカルチャーショックを受けました。それで日活ロマンポルノや石井監督の作品を追いかけるようになって、日本映画が大好きになっていったんです。

大学に入ると、映画の上映会をやったり、フリーペーパーを作ってました。批評したいという気持ちがあって、映画にのめりこんでいきました。

--その時点で、すでに映画を作るより、周辺のことに興味があったんですね。

バイト仲間と自主映画を作ったこともあったんですけど、自分は向いてないとすぐに挫折しました。違う方法で映画に関わりたいと思って上映会とかやってたんですけど、何をしたいのかはきちんと定まっていなかったですね。就職活動で映画会社を回っても、ホワイトジーンズにカーディガンを着て行って、逆に怒られてくる感じでした(笑)。

--卒業後、映像製作会社に就職したというのは?

セゾン系列のメセナ活動を紹介するようなビデオを作っていたんですけど、セゾン美術館が閉館になって、セゾングループメセナ活動を縮小しはじめたんです。ちょうどバブルが終わって、企業が文化活動から撤退していく時期だったんです。すぐに仕事が来なくなって倒産してしまいました。

--それで村松正浩監督『シンク』の宣伝を手伝うことになったんですか。

村松君とは大学時代に仲良くなって『シンク』も見せてもらってたんですけど、就職して連絡も途絶えていたんです。そうしたら、『シンク』がPFFでグランプリを取って劇場公開することになり、宣伝をやってくれないかと連絡が来たんです。僕はPFFと関わりを持てるだけですごく嬉しくて是非やらせてください、という感じでした。それでPFFの事務局に机をひとつお借りして、本当に何をやればいいのかわからないところからスタートしました。

--宣伝は山下さん一人だったんですか。

宣伝ボランティア募集で来た学生の女の子と二人でした。彼女は服飾の専門学校に通っていて、どんな人に映画を届けたらいいか、どんな雑誌に取り上げてもらったらいいかなど、すごく分かっていたんです。逆に僕は「キネマ旬報」くらいしか読んだことがなかったから、勉強になりました。

--宣伝ノウハウはPFF事務局が教えてくれたんですか。

そういうわけでもありませんでした。特に住所録もなくて、雑誌に掲載されている電話番号にかけてFAX番号を聞いて、というところから始めたので、すごく時間がかかりました。優先順位を決めて、媒体さんに当たっていったほうがいいというアドバイスはいただきましたが、では、どうすれば掲載してくれるのかということが分からず、初めは、とにかく見に来てください!としか言えなかったですね。

--それは大変ですね。

不思議なのは大学1年生のボランティアの女の子が10人くらい集まったんです。課外サークルみたいになっていて、手分けしてチラシを配布したり、チケットも売ってくれたんです。それが即戦力になって、うまくいきました。ボックス東中野(当時)のレイトショーの観客動員歴代1位になったり、漫画家の安野モヨコさん、ロッキング・オン渋谷陽一さん、宮台真司さんとか、突撃で電話して、見てもらってコメントをもらいました。

--その後、PFFの契約スタッフになったというのは、『シンク』の宣伝が楽しかったからでしょうか。

その時は、自分が宣伝に向いているとか全然思わなかったです。映画の世界に憧れていたので、声をかけていただけたのは本当に嬉しかったし、何だってやります!という感じでした。実際入ってみても、映画祭運営のすべてをやっていたので、宣伝という感じはなかったですね。目の前の仕事をこなすので精一杯の4年間だったと思いますね。

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(C)2006 WizOut Project LLP

『Wiz/Out ーウィズ・アウトー』

--宣伝を意識するようになったのはなぜでしょう。

『青~chong~』(李相日監督)を『シンク』と同じようにボックス東中野のレイトで公開することになった時に、宣伝アシスタントをさせていただいたんです。そのときに、宣伝の堀江可奈子さんという女性が外部からきて、宣伝マンの存在を始めて知ったんです。堀江さんはエネルギッシュな人で、媒体の方と様々なかけひきをされていました。それがすごく新鮮でかっこよくて、その時初めて意識するようになりました。それと本や雑誌に記事が掲載されたときの何ともいえない感動が忘れられなかったんです。あたふたと動いてつらい思いをしても、掲載誌を手にすると、やったー!という喜びがあったんですね。

--堀江さんから具体的にはどんなことを学んだのでしょう。

その後の『空の穴』(熊切和嘉監督)も堀江さんの下でやらせていただいたんですが、堀江さんは主演の寺島進さんの取材をガンガン入れていくんです。僕も取材に同行するんですけど、役者さんとの接し方は堀江さんから教わりました。連絡は密にして、きちんと確認しないとダメだと。寺島さんも僕を誘ってくれて二人で飲んだこともあったんです。こういう宣伝はどう?とかアイデアを出してくれて。役者の方とそんな話をしたことはなかったので、嬉しかったです。1本の映画を宣伝するとこういうハプニングもあるんだ。1つの作品に集中するのもいいなあと思いました。

--それでPFFに訣別宣言をしたわけですね。

そんなことないですよ。何を言うんですか(笑)。少し休みたいなあと思ったんですよ。30歳前ですね。だから、辞めたあとも半年くらいぶらぶらしていました。

--そのときはすでに結婚してたんですか。

まだですね。嫁さんとは大学時代からの付き合いなんですけど……。

--あ、そうなんですか。仕事で忙しい時期も会えないから別れようということにはならなかったんですか。

実は最初の会社が倒産してからは同居してるんです。僕が居候みたいにしていたんですけど、嫁さんは雑誌の編集プロダクションにいて、僕より忙しくて収入もよかったんですよ(笑)。

--二人とも家でくたびれているというのはどうなんですか。逆に励ましあっていいんでしょうか(笑)。

いや、ギスギスしていましたね。編集の仕事は締切があるので、神経が昂っているのがわかるんです。僕は僕でいっぱいいっぱいだったし。でも居候していたので、出て行くとしたら僕のほうなんです。だからギクシャクすると、「実家に帰らせていただきます」と僕が実家に帰る(笑)。当時、彼女は明大前に住んでいたんですけど、僕の実家は笹塚。近いんですよ。だから1~2週間実家にいて、すいませんでしたとまた戻っていく(笑)。

--最終的に決裂しなかったのはやっぱり絆ですか。

嫁さんは1人で生きていこうと決意しているような自立心が強かったので、昔から恋人というより家族みたいな気持ちで接していたというのはあると思います。

--少し立ち入った質問ですが、付き合うきっかけはなんだったんですか。

大学の同級生だったんです。映画が好きというので、仲間になってみんなで飲みに行ったりしたのが始まりでしたね。僕は映画しか分からないんですけど、嫁さんは映画以外に音楽とかも好きで、感性も鋭くて文章もうまい。すごく気になる存在で、僕からアタックしました(笑)。

--途中で他の女性とか、寄り道はなかったんですか(笑)。

僕は剣道部ですから硬派なんですよ! 一度決めたら、それを守るタイプなんです。

--素敵ですね。入籍しようというのは何か決め手があったんですか。

嫁さんが体を壊したのがきっかけなんで、仕事場へ行けなくなっちゃったんですよ。彼女の代わりに彼女の会社へ状態を説明に行くんですけど、少し怪しがられたいうか・・・大学時代から付き合っていて同居してると言ってもちょっと胡散臭いと思われたのか、親兄弟じゃなくて何で君なんだと。それで正々堂々、彼女を守りたいと思って、入籍しようと彼女に言ったんですよ。親にも事後報告でした。

--男ですねぇ。

そこは硬派だから、やるときはやるぞと(笑)。

--奥さんは感激してくれました?

いや、嫁さんはクールだから、別にいいけど、みたいな反応でしたね(笑)。彼女によくなってほしいという気持ちがあったんですけど、実は一番変わったのは僕なんですよ。法事とか結婚式とか何か行事があると二人で行くようになって、そうすると自分の意識も変わってきました。生活もきちんとしないといけないと目覚めてきてたんです。

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おそいひと

--それでフリーの宣伝マンとして活動するようになったと。

でも宣伝だけにこだわってたわけではなくて、宣伝や配給会社に入れればいいなと思っていたら、声をかけていただいたんです。

--実際、やり始めてどうだったんですか。

今思うと、僕に求められていたことは宣伝だけではありませんでした。もちろん媒体に取り上げていだくための仕事もありますが、配給や宣伝に関わるあらゆる業務をやることも含めて、声をかけていただいたんだと思います。『紀雄の部屋』(深川栄洋監督)もボランティアが10人くらい集まって、街でチラシを配ったり、広報活動全般をやってました。

--宣伝の仕事は時間があればいくらでもやることはあるじゃないですか。でももらえるお金のこともあるし、宣伝作品歴を拝見すると宣伝予算が少なそうな作品ばかりで、生活はできたんですか。それとも勉強のつもりでやってたんですか。

もちろん宣伝だけでは食べていけなくて、映画のイベントのスタッフをやったりして生活費を稼いでいたんです。2004年、2005年は掛け持ちでやってました。僕に求められることも作品によって違っていて、パブリシティだけの場合もあるし、PRも含めた全般という場合もあるし、あるいは劇場部ブッキングに同行するなんてこともありました。お願いされたことはとりあえずやってたので、作品によっては仕事量が多かったり、少なかったりしました。

--そういう経験から、最初の契約段階で決めておかないとまずいとわかり始めたんですね。

そうなんです。2005年頃から、きちんと仕事の範囲を確認するようになりました。金額とか拘束期間とか・・・。こういうことは誰も教えてくれなかったので、なんで今月こんなに忙しいのに全然収入ないの?とかも、昔はあったんです。

--まさに体で仕事を覚えていったんですね。

ボランティアからこの業界に入っているせいか、映画の仕事をやらせてもらっているという感謝の意識が常にどこかであるんです。お金の話が最も苦手でした。いまこそ普通にできるようになりましたけど、以前は何も話し合わず仕事に入ってバタバタしてました。

--宣伝方法について考えていたことはありますか。

結果的に自分が関わった日本映画は、配給会社があって、製作委員会や監督やプロデューサーがいて、そして宣伝部がいるみたいな作品はあまりなくて、映画監督を始めとする作り手と一緒に宣伝をしていく作品がほとんどだったんです。そこに面白さを感じてしまったんです。きちんと話し合って、少しでもお客さんが来てもらえる可能性を探るのが楽しかったんです。それは宣伝費をかけられないからそうならざるをえない事情があったんでしょうけど、そのことすら昔は分かっていなかった。

--分業化されているメジャーの宣伝よりは、低予算であっても監督やプロデューサーと一緒にやっていくほうが資質的にも合っていると。

そうですね。低予算の作品だと、監督と真剣に話し合うことができるんです。監督も僕らがいいかげんにやってないことは、きっと分かってくれると思うんです。

--ただ監督は自分の作品がすべてですが、山下さんにとっては続いていく仕事の1つじゃないですか。温度差は感じませんか。

それは若干あります。監督からするとその一本一本が勝負で生命線ですから、失敗は許されないです。監督と腹を割ってとことん話してゆくのは時間もかかるし、誠実に監督の話も聞いて理解しないといけない。だからといって、その映画1本だけを3ヶ月やるわけにいかないので、やれる範囲で全力を尽くすしかない。そこは悩むところです。

--そういう山下さんの仕事ぶりを奥様はなんとおっしゃっているんですか。

嫁は鋭いというか、たとえ金額が安くてもいいから自分が本当に面白いと思う仕事をやってほしいと言うんですよ。たくさん受け過ぎてチャンスを逃すともったいないからと。それは本当にそう思います。結果的にパブリシティが散漫になってヒットしなければ、山下に頼んでも微妙だよなとなって仕事も来なくなります。やみくもに仕事を受けてもいいことはないと思ったので、選ぶという感じではないんですけど、お引き受けする際に、一歩立ち止まって考えるようになりました。

--宣伝は通信費や交通費がかかると思うんですが、フリーの方はどう処理するんですか。

最近は交通費込みが多いです。別途請求できる時は全部書くんですけど、大変です。2つの作品が重なると更に大変です。携帯電話は請求しにくいので、かかってくるときはでますけど、自分からかけるときは請求しやすいテレホンカードを使っています。でも、バタバタして携帯を使わざるをえない時も多いです。自宅でのメールやファックスは自分の経費として計算してます。プレスシートやDVDなど資料の発送費も馬鹿にならないので請求します。ただ、毎月支払っていただく場合もあれば、宣伝が終わってからの場合もあって、そうなると準備と宣伝期間で3ヶ月ずっとやっていても入金がない。それこそ半年後の支払いとかになると、本当にきついですね。毎月の家賃もありますので、そこも相談するようになりましたね。固定給がないので、そういうストレスは常につきまといます。細かい話ですみません(笑)。

--プレスシートは自分の部屋に置いておくんですか。

自宅が事務所みたいになっていて、自分で棚を作って作品ごとに分けて置くんです。個人の家とは思えないほど紙などのゴミが出ます(笑)。確定申告のことを考えると、会社組織にしたほうがいいのかもしれないけど、いまは個人事業でやってます。たまにここ使っていいよと映画会社さんに言われるとすごく嬉しい。当たり前のようにメールやFAXが使える喜びはないですね(笑)。ただ、複数の作品を抱えていると、電話で別作品の話はしにくいから能率が悪くなることもあって一概には言えないんですが。

--健康状態は大丈夫なんですか。

剣道で鍛えていたのがよかったのか、お陰さまで体調だけは大丈夫ですね。でもこのまま続けていけるかというと不安もありますね。

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(C)2006 WizOut Project LLP

『Wiz/Out ーウィズ・アウトー』

--2007年に入って、『14歳』(廣末哲万監督)などを担当し、最近では、「ダイゲイ・フィルム・アワード2007 in TOKYO」(大阪芸大映像学科卒業制作作品の上映会)の宣伝もされてますね。

「ダイゲイ・フィルム・アワード」では宣伝だけでなくイベント運営全般をやっていました。でも2日間で500人近くも入ったんですよ。母親が子供と一緒に来るという大学側が望んでいた形で人がたくさん来てくれて、嬉しかったです。

--大阪芸大出身・岡太地監督『屋根の上の赤い女』の宣伝協力というのは?

「ゲイダイ・フィルム・アワード」をやることにしたら、池袋シネマロサの方から、うちで岡監督の作品を公開するのですが、宣伝お願いできませんかと電話をいただいたんです。今はいっぱいいっぱいなので、掛け持ちは難しいですとお断りをしたのですが、岡監督が自分でやりますから指示して下さいと言ってきたんですよ。それでいろいろとノウハウを伝えて。その結果、シネマロサさんとお仕事もさせてもらい、またトリウッドでも大阪芸大出身の友野祐介監督の新作が公開されるなど、いろいろなことが繋がってきました。

--岡監督に「これをやって」と指示できるくらいに宣伝のノウハウはわかってきたと。『シンク』で何もない状態からスタートした時、いまの山下さんみたいな人がいたらどれだけよかったかということですね。

それはあると思いますね。宣伝ってちょっとしたアドバイスで不安は消えるし、安心すれば、後はやる気次第で、すごく動けると思います。

--迷える自主映画作家たちよ、公開するときは俺の門を叩け! ということですね(笑)。

そんなことないですよ(笑)。でも、今年に入ってから自分は監督や作り手の方たちと組んで宣伝してゆくのが苦手じゃないと自覚するようになりました。

--普通の宣伝マンにコンプレックスはあるんですか。

それはもちろんあります。一番は大手、大作をやったことがないことです。役者さんの事務所さんに今まで宣伝した作品を伝えても、マニアックな作品をやっていらっしゃるんですね・・・とつっこまれることもあります。1本でも大作をやってると違うんだろうなあと思います。でも、あまりコンプレックスを抱くのもどうかなと思ったりもします。

--自分の道はそちらではないと。

体育会系の宣伝マンの方からすると生ぬるいと思われるかもしれないですが、自分に求められているのはそういうところじゃないし、自分が今のやり方に面白みを感じているのが一番です。

--そして、山下さんが現在宣伝されている『Wiz/Out【ウィズアウト】』(10月6日公開)ですが、宣伝プロデューサーとしてクレジットされていますね。

この作品は宣伝を監督とプロデューサーと3人でやってます。園田監督のことを面白いと思ったのは、映画館と交渉するときに、普通はとにかく見て下さいと本編のDVDを持参するんですけど、園田さんはDVDを持参しないで、この映画を作った目的とか誰に届けたいのかとか動員目標とかを10枚くらいの宣伝企画書にして持っていったんです。ハイビジョンで撮っているのでわざわざハイビジョン対応のラボに見に来てもらって、そこで初めて劇場のオーケーをいただいたんですよ。僕に対しても、最後まで責任を持って自分も宣伝するから力を貸してくれないかと言うんです。それでプロデューサーも含め、3人の宣伝活動が始まりました。宣伝は公開5ヶ月前から始まっているんですけど、初めての2ヶ月間は週に1度、映画をどう伝えていくのか、ディスカッションをしていました。いちばんびっくりしたのは監督が宣伝に時間をかけることを無駄だと思ってないことなんです。今まで経験してきた日本映画は公開までに時間がなくてスピードが要求されるケースが多かったんです。でも、この作品は夏に公開してもいいよと劇場から言われたのに宣伝の準備期間が足りないので少しずらしてもらったそうです。そういう考え方なんです。見たお客さんにどう受け取られるかは作品の力ですけど、ここまで伝えることを真剣に妥協せずに考えている監督は初めてですね。映画を撮ることと伝えることに優劣がない。新しいタイプの監督なんじゃないかな。

--それこそ山下さんが目指す「新しい宣伝のかたち」だったわけですね。

「新しい宣伝のかたち」といっても突飛なことをするわけじゃなくて、宣伝という意識の持ちようとか、体制を崩さないようにする、ということなんです。でも、そういうことこそが本当の新しさだと思うんですよね。

--見事にいままで話していたことがつながりましたね。それで、その次に宣伝を担当するのが大阪芸大の最終兵器・柴田剛監督の『おそいひと』という問題作なのが、山下さんらしいですね。

彼は本当にクレイジー(笑)。まず連絡がつきにくい。社会人としてどうなんだと。作家のモブ・ノリオさんや漫画家の新井英樹さんからコメントをいただいたり、映画の評判はすごくいいんですが、『Wiz/Out』の園田監督が新人類だとしたらまさに動物。いい意味で鬼畜ですね(笑)。宣伝打ち合わせも平気で遅刻してくるんですから。

--いまどきの映画監督でそういう人がいるのかという驚きがありますね。

柴田君にはせめて打ち合わせに遅れないでと、監督に対する態度とは思えないくらいビシビシ言ってます(笑)。でも、作品は面白いので、「Wiz/Out」同様、是非ご覧になってほしいです。

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おそいひと

(取材・構成:武田俊彦)

【公開予定】

『Wiz/Out ーウィズアウトー』

10月6日(土)~ユーロスペースにてレイトショー

監督:園田 新 出演:沢村純吉 原田佳奈 ほか

製作・配給:Focus Infinity Production

公式サイト http://www.focus-infinity.com/wizout/

おそいひと

12月1日(土)~ポレポレ東中野にてレイトショー

監督:柴田 剛 出演:住田雅晴 製作・配給:シマフィルム

公式サイト http://osoihito.jp/

【山下 幸洋(やました・ゆきひろ)】

1974年東京生まれ。無類の映画好きから大学卒業後、映像製作会社に就職するも1年で倒産。そんな時、友人・村松正浩監督の自主制作映画『シンク』がぴあフィルムフェスティバル(PFF)のグランプリを受賞、劇場公開も決まり、ハローワークに通いながら映画の宣伝を初めて経験する。その後4年間、PFFの契約スタッフとして映画祭運営・広報の経験をつむ。その後、フリーランスの映画宣伝マンとして活動。日本映画のつくり手とタッグを組んだ“新しい宣伝のかたち”を模索し『Wiz/Out』はその第一弾として日々奔走する。

[宣伝担当作品]

1998年『シンク』(村松正浩) 宣伝ボランティア

※映画祭スタッフの時、『シンク』と同じように、『青~chong~』(監督:李相日)、『モル』(監督:タナダユキ)、『犬猫』(監督:井口奈己)など入選作品の劇場公開、PFFスカラシップ『空の穴』(監督:熊切和嘉)の宣伝デスクを担当。

2004年

『紀雄の部屋』(監督:深川栄洋

リバイバル・ブルース』(監督:クロード・ガニオン

吉永小百合森繁久彌など日活の旧作映画 DVD広報

『マスターズ・オブ・カット 映画編集者・浦岡敬一の世界』

2005年

『孕み-HARAMI-白い恐怖』(監督:田尻裕司)

『ゴーグル』(監督:桜井剛)

「アラブ映画祭2005」(主催:国際交流基金)

川島雄三監督特集上映&DVD(東京国際映画祭協賛企画)

17歳の風景』(監督:若松孝二)

『戦争と人間』DVD-BOX広報

2006年

『鴛鴦歌合戦』リバイバル公開

『クール ディメンション』(監督:石井良和)

鈴木清順48番勝負」特集上映&DVD-BOX広報

『マジシャンズ』(監督:ソン・イルゴン)

『ホーンテッド ハイウェイ』(監督:すずきじゅんいち)

『イン・ザ・スープ 15周年アニバーサリー・カット』

(監督:アレクサンダー・ロックウェル)

「アラブ映画祭2006」(主催:国際交流基金)

映画甲子園2006 第1回高校生映画コンクール」

夏音-Caonne』(監督:IZAM)

『島ノ唄』(監督:伊藤憲)

『柔道龍虎房』(監督:ジョニー・トー

『恋するブラジャー大作戦』(監督:チャン・ヒンカン)

「ライフ・シネマティック」(黒澤明ショート・フィルム・コンペティション

2007年

カインの末裔』(監督:奥秀太郎

「アラブ映画祭2007」(主催:国際交流基金)

『14歳』(監督:廣末哲万)

「ダイゲイ・フィルム・アワード2007 in TOKYO」(主催:大阪芸術大学

『屋根の上の赤い女』(監督:岡太地)宣伝協力

『Wiz/Out』(監督:園田新)

今後の予定

「GS(グループサウンズ)映画」DVD&特集上映

おそいひと』(監督:柴田剛)

『ペルソナ』(監督:樫原辰郎

凍える鏡』(監督:大嶋拓)