映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『ミリキタニの猫』<br>リンダ・ハッテンドーフ監督インタビュー

ミリキタニの猫』は去年の東京国際映画祭で上映されたときに大反響を呼んだ作品である。その前に世界中の映画祭で観客賞を始め、多くの賞を受賞していたわけだが、戦争によって人生を変えられた一人の男の生きざまを静かに見つめるプロデュサー兼監督のリンダ・ハッテンドーフの演出手腕も見事なものだ。

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──ジミー・ミリキタニさんの生活を動画に記録し続けている間に、予期せぬ出来事が次々に起きていき、最後には監督のあなた自身でも思いもよらなかったドラマが展開していきますね。どの時点で「これはドキュメンタリーであっても、確固たるドラマを含んだしっかりした作品になる」と気づかれたのでしょうか?

 ドキュメンタリーというのは、どんどん変化していくものです。はじめてジミーさんと会ったとき、彼は猫の絵をくれて、代わりに写真を撮ってくれと頼んできました。ビデオカメラだったのにスチルカメラと勘違いしてポーズを取るジミーさんに、「いえ、これは動画を撮影するカメラですから、なにか絵のことについて語ってください」と頼んだんです。彼の寝泊りする路上は私のアパートの近所だったので、それこそ毎日通っては撮影して「どうしてそこに居座るようになったのか経緯を聞ければいいだろう」程度に考えていました。カメラを向ければジミーさんは饒舌になりましたから、当初はビデオカメラは単に話を引き出す道具だったんです。はじめは「路上アーティストの四季」くらいの小品にでもまとめるつもりでしたが、そのうちジミーさんを私の家に招き入れるしかなくなり、さらに色々と話を聞いてみると、この人には伝えたいこと、語るべき物語がしっかりとあって、それは歴史的にも重要で、記録にとどめておくべき内容だということがわかってきたわけです。つまり基本的に私はジミーさんを撮り続けていただけなのに、そのプロセス自体がまるで生き物のように成長し、形を変えていったのです

──エンドクレジットにはカメラマンの名前がクレジットされていますが、撮影の分担はどのように行われたのでしょう?

 全編の約90パーセントは私が自分で撮影しました。1年間にわたって、総計200時間以上におよぶ映像を撮りました。私のアパートは狭いですから、マイクの方がレンズより大きいくらいの小さなビデオカメラ、TRV900でジミーさんを至近距離で撮るしかなく、自分以外のカメラクルーなど入り込む余地はありませんでした。料理をしている時はカメラをテーブルに置いたり、2人でテレビを見ている時は書棚に置くなど色々工夫して、とにかく毎日撮り続けました。しかし企画が進むにつれて共同製作者のマサ(マサヒロ・ヨシカワ)の関わる度合いが増えていって、トゥールレイクの巡礼などは彼が撮影したので、私も画面に映っています

──途中で出てくる親戚の話が、本編で結末を迎えずにエンドクレジットでさりげなく語られるなど、適度に抑制がきいて斬新な構成が素晴らしかったです。こういう構成をどうやって考案され、そこに込められた意図というのは、どのようなものだったのでしょうか?

 先ほどのマサに加え、すぐれた編集者のケイコ・デグチ、それ以外にも優秀なアドバイザーたちが、場面の取捨選択について意見をくれました。私が留意したのは、観客が知識として情報を得たり頭で考えるのではなく、自らも追体験し肌で感じることだったので、それに役立つ要素は本編に、そうでない要素は使わなかったり、必要ならエンドクレジットにと振り分けたのです

──やむを得ないとはいえ、ジミーさんを自宅に住まわせたことで、ドキュメンタリーの客観性を損なう危険を感じられませんでしたか?

 ジミーさんを自分のアパートに住まわせた時点で、私の立場はそれまでと異なり、客観的な観察者から、同じ世界の同居人、つまり私自身も作品の中の登場人物に変わってしまうことに気づかざるえなくなりました。私を出さないままで映画をつくりあげようとすることもできたでしょうが、それは事実と異なるし、観客にもウソをつくことになると感じました。作品自体が他者への気遣いとか思いやりの映画なのに、観客にウソをつくのは不誠実だとも感じたのです。また共同製作者は作品から若干距離をおいた立場から見据えてくれて、私が過剰にのめり込みすぎないように指針も与えてくれました。

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(c) lucid dreaming inc.

──ジミーさんがあなたに会って確実に変わっていき、生活が一変したのは明らかですが、あなたがジミーさんに会って訪れた変化はどんなものでしょう?

 まず、こうして来日することになりました(笑)。映画をたずさえて世界中を回ることもできました。どの国を訪れても、平和を希求し戦争は過去のものとして完全に葬り去ろうと願っている方々が多いことがわかって気持ちが明るくなりました。また自国の歴史についても、それまで知らなかったことを学ぶことができました。

──第二次大戦時の日系人強制収容所については、アメリカではどれくらい知られているものなのでしょうか?

 学校の歴史の教科書には、ほんの1行か2行しか記述がなく、アメリカ人の大半は知らないも同然で、私も同じでした。ジミーさんとの交流でよかったことは収容所だけでなく、それ以前とそれ以後についても知ることができたことです。想像もできない遠い昔のことではなく、当時のつらい経験について多くを語りたがらなかった当事者の多くは他界していても、その子孫をたどることならたやすいくらいに近い範囲の出来事です。現在では子どもや孫の世代が2年おきに収容所のあった場所を巡礼して、風化させぜにそこで何が行われたのかを知ろうと努力しています。

──映画の中で収容所を訪れたジミーさんが初めて過去のことではなく、今、目の前にあるものを写生する姿が印象的です。

 彼の中で一つの区切りがついたのでしょう。日本に来てからも写生していましたね。

──映画が撮影されてから5年がたちましたが、ジミーさんには変化が訪れましたか?

 彼は収容所の歴史が消されてしまわないようにと言う思いを込めて、絵を描き続けていたわけですが、収容所を巡礼してからの絵は確実に変わりました。以前なら遠目に映る山並みと、収容所、フェンスと固く閉ざした門があって、自分自身を収容所の中に描き込んでいたのが、最近の絵からはフェンスが消え、門も開かれ、彼の姿は描き込まれなくなりました。あれほど深い心の傷から、ジミーさんくらいの高齢になってから癒されることがあるんだという事実は、観客の皆さんにも希望を与えてくれるでしょう。

──ジミーさんは9.11にもさほど動じている様子がなかったですが、あなたにとって9.11はどんなものでしたか?

 9.11は何もかもをすっかり変えてしまいました。私は戦争を直接体験したことのない世代ですが、とにかくああした惨劇を語る事態は訪れて欲しくないものだと強く感じます。また戦争の惨禍を乗り越えて、平和を願う人々への尊敬と感謝の念がより深まることになりました。

──今回、8月6日に広島を訪れましたが感想は?

 そのインパクトは強烈で、それを言葉に置き換えるのは無理なくらいです。だからこそジミーさんは気持ちを絵で描き表しているわけですが・・・。しかしあれほどの壊滅的な破壊と殺戮の中から、積極的な平和祈念運動がわき起こったというのは、人間の強さを示すことだと強く感じました。子どもたちが読み上げた平和への誓いの中で、文化や歴史の違いを乗り越えて、互いに理解しあうことが大切だと宣言されたことにも心をうたれました」

【取材・構成:わたなべりんたろう

ミリキタニの猫

監督:リンダ・ハッテンドーフ

出演:ジミー・ミリキタニ、リンダ・ハッテンドーフ、ロジャー・シモムラ、ジャニス・ミリキタニ

配給:パンドラ

2006年/アメリカ/74分/DV→35mm

公式サイト http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/

ユーロスペース他にて公開中、全国順次ロードショー