映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』<br>嫌われ歌姫の一生、或いは女の花道

(1)タイトルについて

 まず思ったのは、映画の配給・宣伝を仕事にする人たちは大変だなあ、ということだ。

 本作の原題は「バラ色の人生」。20世紀の大歌手ピアフの、光よりも影の濃かった劇的な生涯を映画にする上で、極めて申し分ないタイトルだ。全く、「いつみても波瀾万丈」や「中居正広のキンスマ」に本人をゲストに招いたら、2週連続OAでも紹介エピソードの整理に苦労するんじゃないかと思われるほどなのである。劇的というと聞こえはいいが、悲惨なほどの人生方向音痴、と言ったほうが正しい。そこのところを代表曲のタイトルに集約させているのが絶妙。愛と尊敬に一匙の皮肉を垂らして、「バラ色の人生」というわけだ。

 ところが、邦題を『エディット・ピアフ バラ色の人生』にしてみると、不思議なほどアイロニーが消えてしまう。なんだか楽しそうだ。コメディと思われたら元も子もない。大体、日本でピアフといったら、一番ポピュラーなのは(越路吹雪のだけど)「愛の讃歌」じゃないか。『エディット・ピアフ 愛の讃歌』でいこう。しかし、このタイトルは<「愛の讃歌」誕生秘話>を匂わせる。ピアフのヒストリーをよく知る年配の観客ほど、最愛の男性の事故死から立ち直るために生まれた名曲・名唱の、まさにドラマそのものの逸話を期待するだろう。が、肝心の映画はそこを最重要ポイントには置いていないのである。どうしたものか……。

 関係者に成りきった妄想モードに入ってしまったが、他意は無い。「愛の讃歌」の話は案外あっさりしてるのネ、と不満を覚えるだろう御婦人方に、仏日の評価の差についてあらかじめ理解を求めておきたいのである。え? そういう人は映芸のサイトなんか見ない? あのう、では、本作を見たいという方が近くにいらっしゃったら、口頭でお伝え願えますか……。

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(C)2007 LEGENDE-TF1 INTERNATIONAL-TF1 FILMS PRODUCTION OKKO PRODUCTION s.r.o.-SONGBIRD PICTURES LIMITED

(2)内容について

 友人の本が評判になるなんてことは、出版業界にいない限りそう滅多には無い。なので川原テツ名画座番外地』(幻冬舎)の話をさせてもらうが、僕も知っているあの本のヒロイン・米子ちゃんは、本当にすごく優しいんだけど、真性のドSキャラでもある。いつだったか、僕の人生上の失敗をあんまりポンポン笑っていたぶるので、「ひどいなッ」とムキになると、

「なに言ってんのアンタ、他人の不幸は蜜なり! 面白がらなきゃ損なのよ~」

 とあっさり倍返しされ、Mな僕はなぜかそこに、大いなる啓示を感じたのだった。

 他人の不幸は蜜なり。すごい。これはあらゆるエンタテインメントの隠れた本質そのものではないか。一握りの人物の数奇な生涯というのは、人々が(才能のある人はどこか問題を抱えているものなんだわ。自分は後ろめたい過去のない、平凡な人間で良かった……)という現状肯定の安心感を得るために望まれ、物語にされているところがある。女性の映画ファンに、そのストーリーが実話かどうかに妙にこだわる人がいるのも、その心理と無関係ではないだろう。感動と薄情は紙一重。米子ちゃんのようにズバッと言えるタフな人は例外的だろうが、実はみんな、本当はよく分かっていることである。

 その点、本作をあえて露骨に紹介すると、貧困、幼い日のたらい回し、失明、ドサ回り、非行、悪い仲間、不倫、離別、死別、孤独、事故、麻薬……と、これだけの要素が揃っているピアフの人生は、天然のロイヤルゼリーがたっぷり。僕が知る限り、割愛されている不幸なエピソードはまだあるのだ。そんな悲劇の詰め合わせと本人の一級の音楽、両方を楽しめるミュージシャンの伝記映画が内外でコンスタントに製作されているなか、ピアフの映画化は、まさに真打登場といった感じだろう。フランスでは記録的な大ヒットだったそうである。(ピアフの伝記映画は1974年にも一度作られている)

 しかし、ピアフという人は、かなり強烈だ。大体、見てもらえれば分かるが、ふつうだったら完全に嫌われキャラ、なかなか共感できないパーソナリティなのである。ここまでとことんだと、不幸のドラマを楽しみたい気分も次第に萎えてしまうだろう。ロイヤルゼリーの原液なんかホントに飲んだら、強すぎてお腹をこわすようなものだ。

 ピアフの歌手としてのピークは、「愛の讃歌」以降、アルコールと麻薬にのめり込んだ50年代なのに注意されたい。本作に流れる多くの代表曲は、自暴自棄な暮しで急速に肉体が衰えた頃になって生まれているのである。度重なる不幸→芸に昇華、という美しい図式を嘲笑うような、計り知れないところがこの人にはある。

(3)演出・脚本について

 伝記ストーリーには、宿命的な弱点がある。年譜通りに作ると、底辺にいた才能が見出され、スターダムを駆け上がる前半までは躍動していて、スポットライトの影で荒んだ生活が待ち受ける後半になると途端にグルーミーになって、見ていてしんどい、ということがよくある。

 その点を、監督・脚本(共同)を手がけた新進、オリヴィエ・ダアンはよく考えている。基本は年譜に沿った展開ながら、要所要所で、療養中の最晩年や、その数年前のカムバック、さらにその前の交通事故や麻薬禍を、若い時のシークエンスに挿し込み、わざと時間経過を分断させている。取り巻き連に威張り散らす不健康な姿を散々見せてから、卑屈に怯えた少女が大舞台に立つようすを描くのだ。そこには、歌姫ピアフが世に出たことは我々にとって幸福だったが、本人にとっては不幸だったかもしれない、という苦みを含んだ眼差しがある。

 ただ、分断構成をすると、ドラマとしては弱くなるリスクがある。本作も、ピアフを常に見守り続ける人物を配置していないので、当初はどうかと思った。例えば、若く身勝手なピアフをヒンギス教授のごとく厳しく指導し成功に導きながら、高慢になったピアフに解雇されたレイモン・アッソ(実在の作詞家)を一方の主要人物にしたら、物語の太い軸が出来るのに。およそ20年後のカムバック公演をそっと訪ねたアッソが、本番前のピアフと目と目だけで万感の会話をするシーンが、さらに感動の名場面になったのに……。

 しかしこれは、つい伝記映画に新派の芸道物っぽさを期待する僕の感傷。数年毎にピアフを見ると常に取り巻きの顔触れが違う<ゴッドファーザー・サーガのマイケル>のような作りは、生涯の友・伴侶を持てなかったピアフの孤独をそこに反射的に描く、骨っぽいリアリズム演出なのである。(この人、いずれは本格的なフィルム・ノワールを作りそう)

 それに、これまでミュージック・クリップを数多く手がけてきたというダアンの演出には、ピアフの歌をよりエモーショナルに映画の中で聞かせるために時系列の構成を捨てたのではないか、と思わせる節がある。例えば1937年、若いピアフがいよいよ多くの聴衆に認められた瞬間、鮮やかに流れるのは1957年に発表した「群衆」。時系列にこだわっていたら、こういう目の覚めるような選曲は難しい。

 クライマックスは、ピアフの真の魅力はやはりその苛烈な人生ではなく歌にこそあるのだ、と見る人に訴えかけるもので、僕は大いに納得した。映画全体を総括するトドメの一曲は、「バラ色の人生」でもなければ「愛の讃歌」でもなく、1960年の「水に流して(わたしは後悔しない)」なのである。ピアフのCDは昔から持っていたが、こんなにいいとは気付かなかった。映画が教えてくれた。これぞ女の花道、とやっぱり新派っぽいことを言いたくなるほどの、鳥肌が立つような歌だ。

(4)主演女優について

 さて、ようやく、一番紹介したかったことが書ける。映画の中の俳優の演技について書くのはどうしてもアイマイな指摘になりがちなので、なるたけ避けたかったのだが(魅力についてなら書けるが)、ここまで出ずっぱりで各年代に扮している主演女優なら、話は別である。

 マリオン・コティヤール、とんでもない。

 8月に公開された『プロヴァンスの贈りもの』を見た時は、ちょっとクシャとした表情がかわいらしいキレイな女優さんだな、以上の印象は無かったのだが、あれとは全くの別人だ。メイクの力が大きいとはいえ、いまだに同一俳優なのが信じ難い。ピアフ本人と似ているかどうかに関しては、僕は全く興味が無い。チャンスを掴んだ若い女優が現場で全身全霊を捧げている、その気魄がもうビンビン伝わってくることに感動させられるのだ。

(とは言え、ピアフ本人の姿を見られる映画『フレンチ・カンカン』も未見の方はぜひ。また、コンサート映像集とフランスのドキュメンタリー番組をカップリングしたDVDが公開に合わせてリリースされる)

 さっきから書いている時系列の分断構成にしても、ひょっとしたら、当初はここまで大胆に組む予定ではなく、彼女の熱演をしっかり観客に伝えるためにポスト・プロダクションの段階で方向転換をしたのではないか、と僕は想像する。不良娘時代、最晩年、麻薬に苦しむ頃、飛ぶ鳥を落とす勢いの頃……とシャッフルしていけば、全て同じ女優が演じていることの驚きは倍化される。ピアフの生涯を映画にしようというダアンの意欲が、途中から、ここまでピアフ役に打ち込んでくれたマリオンをもっと盛り立てよう! という熱意に変わったのだとしたら、それはそれで素晴らしいことだ。モデルにとことん没入した上で、自分の芸を掴む。伝記映画作りの理想である。

 だから本作を宣伝する人は、<女優誕生!>と自信を持ってガンガン押していいのだ。

 ピアフの人生を知ると同時に、偉大な名前に若い監督と女優が真摯に挑戦した、その眩しさをこそ見てほしい映画です。

text by 若木康輔(放送ライター)

エディット・ピアフ愛の讃歌

LA VIE EN ROSE

2007年フランス=チェコ=イギリス合作

監督+脚本:オリヴィエ・ダアン

脚本:イザベル・ソベルマン

撮影:テツオ・ナガタ

音楽:クリストファー・ガニング

出演:マリオン・コティヤール ジェラール・ドパルデュー ジャン=ピエール・マルタン

配給:ムービーアイ

http://www.movie-eye.com/

9月29日(土)より、有楽座ほか全国拡大ロードショー