映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

映芸マンスリーvol1『ホワイトルーム』 <br>斎藤久志(監督)×カンパニー松尾(劇中AV監督)トークショー

 大量に生産され消費されていく日本映画の中から、隠れた名作を紹介しようと始まった映芸マンスリー。5月14日に行われた1回目は、重松清原作「愛妻日記」シリーズの1本として製作された斎藤久志監督の『ホワイトルーム』を上映しました。

 昨年12月に渋谷ユーロスペースにおいて1週間のみレートショー公開された本作ですが、「映画芸術」本誌のベストテンでは17位に堂々のランクイン。性に潔癖な妻と、妻の心に踏み込めない夫。ふたりが新婚生活を始めたマンションの一室は以前、アダルトビデオの撮影に使われていた部屋だった、という設定の中で夫婦の葛藤がスリリングに描かれます。

 上映終了後、斎藤久志監督とAV部分を演出されたカンパニー松尾監督のお二人に話をうかがいました。

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左からカンパニー松尾監督、斎藤久志監督、野村正昭さん

――劇中のAVを松尾さんに監督してもらうことは、最初から決まっていたんですか。

斎藤 重松さんの原作では、AV部分も小説に具体的に書かれてまして、西田直子の脚本もそれを踏襲した形で書いてありました。でもそれって、原作も含めて嘘っぽいよな、という思いがあって、それを本線のドラマである夫婦の話とは違う世界観で成立させなければいけない。それを僕が撮るとさらに嘘っぽくなる気がした。本物のAVというリアルがそこには絶対に必要だと思ったんですよ。それから撮影日数的に僕が撮るのはキツいという現実的な問題もあった。それで誰が撮るのが一番適してるのかと考えたときに、まず思い浮かんだのが松尾さんだったんですよ。平野(勝之)の飲みの席とかでは何回か松尾さんをお見かけする機会があったんですけど、ちゃんと喋ったことはなかった。予算がない映画なので断られるかもしれないけど、松尾さんにやってもらうのがベストだろうと思って頼んだら、快諾していただけたんです。

――そういうオファーが来たときに、松尾さんはどう思われましたか。

松尾 今回のAVは劇中劇なので、本編部分を撮影するときに、現場でAVを流さなきゃいけない。だから、撮ったものを翌日までに編集してモザイクを入れて納品しなければいけなかったんですね。そういう制約が仕事としては逆に面白そうだなと。

――自分で一本のAVを撮るのと、どういう違いがあったんですか。

松尾 脚本もありますし、劇中劇としてのAVを撮るわけですから、自分の作品を撮るときとは全く違いますね。

斎藤 本当に見事でしたよ。撮影した翌日の深夜3時か4時には完全な形で上がってきましたから。驚きました。

――松尾さんと事前に打ち合わせはしてたんですか。

斎藤 AVの設定と、こういう行為だけはしてくださいという大雑把なことしか伝えていませんでした。女優さんも松尾さんが選んで、仕切りも全てやってもらった。ただ、本編部分と同じ部屋で撮影しなきゃいけないので、松尾さんが部屋で撮影している間に、僕らは別班で他のシーンを撮影して、松尾さんの撮影が終わったら、僕らが部屋に入って撮影をするという、突貫工事のようなことをやっていました。

――松尾さんはこの映画を通して観たときに、どんな印象を持たれましたか。

松尾 脚本をいただいた時点では、女性のトラウマ的なものがAVによって解放されるという流れに納得いってなかったんです。それから、AVに出ている彼女に対して、監督がひどいことをしますよね。母親の写真を持ってこさせて、その写真を行為の最中に女の子の顔に押し付けたりとか。あれは、僕はやらないですよ(笑)。だから、脚本の内容に対して納得はしていなかったんですけど、今日初めて出来上がりを見て、良かったと思います。彼女のトラウマがなくなるわけじゃないですけど、具体的に一つ克服されたというお話として、ちゃんと長い時間を通して見れたという。そういうことは、僕がこの仕事を受けた時点ではわからなかったことですから。

斎藤 重松さんの原作では、トラウマが解放されるということになってるんですが、脚本の西田もこんなことぐらいで、トラウマは解放されないだろうという意見だった。夫は解放されたと思っているけど、妻はトラウマなんか解放なんかされてない。そのズレを、どうやったら表現出来るんだろうと悩みながらホンを作っていたので、松尾さんにそう思ってもらえたのは嬉しいですね。

松尾 僕の印象としては、肉体的なトラウマに関しては一つ解放されたという結論だけで終わってるからいいんです。それが精神的な解放にまで結びついてしまうと、映画の中の話だけでは描ききれないと思うんで。

――斎藤さんにとって、こういう形での仕事は新鮮だったんですか。

斎藤 そうですね。この作品で描かれている性的なトラウマだったり、肉体の解放といったテーマは元々、代々木忠さんのAVではドキュメンタリーの形で散々撮られてきたことですよね。で、ドキュメンタリーには勝てっこないよという思いがあった。なおかつ、松尾さんの作品には生々しいリアルさがある。それと拮抗するフィクションをどうやれば作れるんだという思いがありました。こっちが嘘っぽかったらしらけるじゃないですか。だから、撮影途中で松尾さんが撮ったAV部分を見れたのはいい刺激になった。どう転んでもこっちのセックスは本物は撮れない。芝居です。嘘です。だけど、僕の感じる芝居のリアル、感情のリアルを作れれば本物になれるという思いがあった。結果的に本編がAVの部分にどれだけ拮抗できているのかどうか、それは僕自身が判断できることではないですが、松尾さんと勝負だ、という気分になれたのが良かったのかなと思います。

――AVとのバランスに関して、撮影前に不安はありませんでしたか。

斎藤 元々、松尾さんの作品が好きだったんで、オファーしたときは単純に松尾さんに頼めば映画が良くなるだろうという考えしかなかったですね。だから最初は、作品を面白くするために、リアルさを獲得するために、本職のAV監督に撮ってもらいたかったというだけで。そう考えたときに、カンパニー松尾という名前が浮かんできたんで、当初の思い通り松尾さんに引き受けてもらえたことは、作品にとっても良かったですし、僕自身も面白かったです。

――DVDの特典映像では松尾さんのAVが全て見れますが、本編での使われ方について松尾さんはどう思われましたか。

松尾 いや、長く使ってるなぁと思いましたね。それから、僕(監督)がよく喋ってるなぁと(笑)。

斎藤 最初のAV部分で、女優へのインタビューのところは長いんじゃないかという意見もあったんですが、松尾さんの作品をこっちでハサミを入れるのがいやだった。ブロックで抜粋するのは作品上仕方ないとしても、シーンの中を短縮したくはなかったので、まんま使ってます。それとそのシーンではAVを観ている旦那とその後輩が喋りながらAVの設定を説明していくという脚本だったんですけど、言葉よりも松尾さんの作品が雄弁に語っているのでそこの台詞は全部なくしました。

――その変更に関して、脚本監修の荒井さんから何か言われたりはしなかったんですか(笑)。

斎藤 荒井さんには怒られてないんで、大丈夫だったんじゃないですかね。AV部分をそういう形にすることは結構早い段階で決めていましたから、西田にも了解を取っていたと思います。松尾さんに断られたら誰に頼もうかというぐらい、自分でその部分を撮ることは考えていませんでしたし。

――松尾さんは映画を撮ってみないかと言われたらどうされますか。

松尾 僕はお芝居というか、脚本のあるものに関しては興味がないんですよ。

――松尾さんなりのやり方でどうですか?と言われてもですか。

松尾 それだったらいいですけど、自分でカメラを回したら、映画にはならない。ビデオになっちゃいますね。あと僕が撮ったら、映っちゃいけないものが映っちゃいますし(笑)。AV監督の中には映画みたいに撮りたいと思ってる人もいるかもしれないけど、僕は映画にあまりこだわりがないんですね。映画は観客として見ている方がいい。

――逆に斎藤さんはAVを撮ることに興味はありませんか。

斎藤 僕はAVを撮ってたことがあるんですよ。ちょうど九鬼という会社が全盛の頃だったんですが、僕はドラマじゃないと撮れなかったですけど。

――それは監督経験として、プラスになったということですか。

斎藤 わかんないですけど…、それをやってたおかげで今回、撮る免疫はできてたのかもしれませんけど(笑)。

――ちなみに、この作品は何日ぐらいで撮ったんですか。

斎藤 5日間ぐらいでしたね。

――斎藤さんとしては、そのスケジュールはどうだったんですか。

斎藤 自主映画を撮ってた頃は半年、一年と平気で撮っていたので、職業として映画を作ることになったときに、最初は撮影期間内に撮るのはムリだと思ったんです。でも、やったらやれるもんなんですね。だから、与えられた条件の中でいかに撮るかってことが重要だと思います。たっぷり時間があったからって、映画が傑作になるわけでもないですし。

――今日は関係者の方もたくさんいらっしゃるということなので、斎藤監督の方からご紹介していただければと思います。

《主演のともさと衣さん、川瀬陽太さん、脚本の西田直子さんが登壇》

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左二人目から川瀬陽太さん、ともさと衣さん、西田直子さん

――西田さんは、AV部分の変更についてはどう思われたんですか。

西田 演出ってこういうことか、とすごく感心しました。

斎藤 おれ、言ったよね? 松尾さんに頼むって。

西田 いや、聞いてないですよ。

斎藤 言ってないか。ごめんなさい(笑)。

西田 (笑)だから映画を見て、お?!っていう感じでした。

――主演のお二人にお伺いしたいんですが、事前に撮影されたAVがあって、それを受けて演技するというのはどうだったんでしょうか。

川瀬 松尾さんの作品を見たときは、マジかぁと思いましたね。ともさとさんも僕もセリフは一言一句違えずに、ほぼ脚本通りに演じていたんですが、与えられたシチュエーションの中で作っているという意味では、松尾さんもAVに出ていた女優さんも同じなわけで、お客さんもそういう前提で映画を見る。もちろん監督にはプランがあってそういうことをやってるわけですけど、演じる側としては、AV部分と本編部分に齟齬が出てしまうんじゃないかという不安がありました。当然、差は出てくるんですけど、その差がどう映ってしまうんだろうと。

――ご自分の印象としてはどうだったんですか。

川瀬 今日見ていて思い出したんですが、ともさとさんと初めて通じ合う最後のシーンがありますよね。そこでカメラを任されたんですよ。そのとき、ともさとさんの素晴らしい芝居を撮っていて、面白い、おれもAV監督やりたい、と思いましたね(笑)。松尾さん、HMJMハマジム)に入れてください。

松尾 HMJMは社員募集してますからね(笑)。

――これまでの作品でも、そういう経験はあったんじゃないですか。

川瀬 Vシネマでそういうことはありましたね。でも、斎藤さんは長いシーンを何度も同じようにやらせるわけですよ。そのうち、なんだか僕もよくわからなくなってきて、「いいよぉ、いいよぉ」みたいなことになっていたような気がします(笑)。

斎藤 川瀬がビデオカメラを構えるシーンは15分ぐらいあるんですが、5、6ポジションから撮っていて、全部通しで芝居をしてもらってるんですよ。ほぼ丸一日あのシーンだけに費やしてます。だから、人非人と言われても仕方がないかなと。

――ともさとさんの方はどうでしたか。

ともさと いい子ぶるつもりは全然ないんですけど、あまりに無知で、何も知らなかったので、よくわからないですね。未だに何もわからないです。

――西田さんは、出来上がった映画と脚本とのギャップみたいなものは感じましたか。

西田 脚本を書いたときのイメージって実際に役者さんが動いて喋ったらそれだけで変わってくるものだし、演出によっても変ってくる部分はたくさんありますよね。だから映像になった時点で脚本との差が生じるのは普通じゃないですか。

――本当はこうじゃなかったのに、というところはないですか。

西田 脚本では映画とは違うラストシーンを書いていたんです。そこに至るまでにすごい苦労をしたんですね。さっきも話に出ましたけど、主人公のトラウマが解消されるのかされないのかというところが難しくて。悩みぬいた末にたどり着いたラストだったんです。それを斎藤さんがあっさりやめてしまった(笑)。撮ったのに使わなかったんですよ。でも、そのことで何をやろうとしているのかという基本がズレたわけじゃなかった。斎藤さんとはホン直しの過程で延々話してましたし、これで伝わるという判断なんだなと。だから割とすんなり受け入れられました。

斎藤 ちょっと夫婦の明るい感じがラストにあったんです。そこに、トラウマは解消されていないというようなナレーションが入るという。ただ、繋いでみたらどうもしっくりいかないんで、最終的には編集の段階で落としたんです。

――今日は荒井さんも来ていらっしゃいますが、脚本監修としての立場から、この作品について何かありませんか。『ホワイトルーム』のことは、荒井さんも珍しく誉めていましたが(笑)、この作品に関わった経緯も含めて、その辺のことを具体的に話してもらえないでしょうか。

荒井 脚本監修って、要は脚本担当のプロデューサーなんだよ。そもそもは、アルチンボルドの成田と衛生劇場の森重と撮影所時代の映画の作り方をしようと。作家主義、まず監督ありきじゃなくて、企画があってホンを作って、それから監督を決めて、監督には撮り屋さんに徹してもらおうと、その枠の中でだけ個性を出してもらおうと。さらには監督はいっぱい出てくるけど脚本家は出てこない。このプロジェクトで脚本家を世に出せたらいいなと。ま、若い脚本家、監督の失業対策でもあったわけ。ロマンポルノの再現です。斎藤はおれが推薦したんだけど、人のシナリオで撮るのは初めてなんだよね。だから、今回はそれをやらせてみたかった。『ホワイトルーム』はフェラチオをしてくれない女房がしてくれるようになったっていうだけの話じゃない(笑)。評論家は映画のストーリーとかテーマをいいとか悪いとか言うだけで、結局それは脚本家の仕事なわけじゃない。それを監督の仕事として語ってる。『ホワイトルーム』の面白さは、ストーリーじゃなくて、それをどう撮ったかというところにある。斎藤が演出的に何をやってるかというとこを見て、語ってほしい。カンパニー松尾さんに頼んだっていうのはおれも聞いてなかったんだよ。でも、やられたなと。脚本であそこまで指定すべきだよなって思うよね。ラストは脚本通りに繋げてほしかったけど、「愛妻日記」の6本の中では『ホワイトルーム』一番面白かったんじゃないかな。斎藤はカサヴェテスだって言ってるけど。

――監督はどの辺でカサヴェテスを意識されていたんですか

斎藤 初めて他人の脚本で撮るので、この脚本をどう撮るかだけを考えたんですよ。僕は、俳優の芝居をどう見せるか、嘘の世界の中でリアルな感情をどう作るかということがやってて一番楽しいので、そこだけで勝負してみようと。例えば、セックスシーンに感情の芝居なんか存在しないわけですよ。形でしかないんだけど、それをむりやりそういう風にしてみようと思ったんですよ。僕が思うカサヴェテスの映画って、物語よりも登場人物の感情のやり取りがスリリングで面白い。言ってみれば芝居だけで出来てる。筋だけ追っていると、だからどうしたってことも、すごいドラマチックになる。そういう意味で、一番お手本にしたのが『フェイシズ』です。『フェイシズ』にならって顔だけ撮ればいいと。おっぱいなんか結果、写んなくても役者の表情だけで勝負できるんだって思って撮ってました。スタイリストの宮本茉莉もそれにのってくれて、衣装を60年代ヨーロッパクラシックにしようと。タイトルの出し方とか露骨に真似てますし、あと音楽も。ラストの階段のシーンは、西田に『フェイシズ』を見せて、こういうの書いてって言ってましたから(笑)。

司会:野村正昭(映画評論家)

5月14日 シアター&カンパニー COREDOにて