映画芸術

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映芸マンスリーvol2 <br>太田綾花監督『花のこえ』トークショー

上映機会の少ない優れた作品を紹介しようと始まった映芸マンスリー。2回目の上映作品は、旧韮山町立南小学校高原分校が廃校になるまでの一年を、卒業生である太田綾花さんが記録したドキュメンタリー『花のこえ』でした。本作は武蔵野美術大学の卒業制作として完成後、トリウッドでの劇場公開をはたし、その後も全国で上映会が開催されています。映芸マンスリーでは太田監督と元ポレポレ東中野編成担当の吉川正文さんを迎え、映画評論家の野村正昭さんも交えて大いに語っていただきました。

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左から野村正昭さん、太田綾花監督、吉川正文さん

吉川 この作品は武蔵野美術大学の卒業制作として撮られたということですが、映像制作でもいろんな選択肢がある中で、なぜドキュメンタリー映画を撮ろうと思われたんですか。

太田 元々この作品を卒業制作にしようという気持ちはあまり持っていませんでした。私の担任だった古屋先生が定年退職されると伺って、最後の授業をビデオに撮って先生にプレゼントできたらいいなというぐらいの気持ちで撮り始めたんです。でも撮影の途中で様々なことに気づかされたり、分校が閉校することが決まることで使命感が湧いてきた。何か形に残せないかと考えたんですね。

吉川 太田さんは以前、『トントンギコギコ・図工の時間』という映画の上映スタッフをされていましたが、監督の野中真理子さんと一緒に仕事をしたことは、『花のこえ』にも影響しているんでしょうか。

太田 『花のこえ』を撮ろうと考えていた時に、女性の映画スタッフの集まりがあり、そこで野中さんにお会いしました。彼女は保育園や小学校のドキュメンタリー映画を撮っている方ですから、「私も今度、小学校のドキュメンタリー映画を撮るんですが、何かアドバイスをいただけませんか」とご挨拶したんです。それがきっかけで『トントンギコギコ図工の時間』の宣伝のお手伝いをすることになりました。彼女は映画の製作費を集めるところから、配給と宣伝、上映までを全て自分でやってしまう、とても情熱のある方なんですね。「映画は作るだけじゃだめ!たくさんの人に観てもらって、初めて映画になる」というのがモットーで、映画館での上映のみならず、“自主上映会”という方法で全国を巡っているんです。『花のこえ』も完成したら、自主上映会をひらいて全国を廻るんだ!という気持ちになりました。

吉川 映画の内容的な部分や撮影方法などに関してはどうですか。

太田 極力テロップを入れずに映像だけで見せるというところは、野中さんの作り方の影響かもしれません。それと、最初に彼女から言われたのは「あなたの卒業した小学校の映画なんだから、あなたを前面に出しなさい」ということでした。実際、そのアドバイスを基に、私の分身として少女を映画の中に登場させたりしていますね。

吉川 少女の存在自体はいわばフィクションですね。そういう存在を持ち込んでドキュメンタリー映画を作るという発想はどこから出てきたんですか。

太田 私が分校へ通っていた頃は生徒が20人ぐらいいたんですね。でも撮影を始めてみたら、今の分校には生徒が6人しかいなかった。私も教わった“植物観察”という授業にしても、自分が通っていた頃と今の分校の姿にギャップを感じたんです。例えば、私達の頃は模造紙にマジックで書いて発表していたのに、現在はパソコンを駆使してデータをまとめたり、パワーポイントを使ってレベルの高い発表をしているんですね。そういうことにとても驚いたんです。「単なるのどかな田舎の学校じゃない!」って。自分の母校ではあるけれども、自分が通っていた頃とは違う時間が流れる学校なのだということを、うまい距離感で表せないかなと考えていました。その時にふと、自分の分身として少女を登場させることを思いついたんです。

吉川 あの少女が出てくることによって適度に対象が相対化されていると感じます。その辺の距離感がうまいと思いました。野村さんはどう感じましたか。

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野村 非常に素朴な疑問なんですが、そうするとこの作品は「ドキュメンタリー」になるんですかね。

太田 どうなんでしょう。分校の雰囲気をそのまま映像に残したいという気持ちで撮っていたので、私としては「ドキュメンタリー」というこだわりはないのですが。

野村 少女を出しているところに新鮮さは感じましたが、60年代にこういう作品をよく見たなという印象も受けました。その頃の作品の影響はあるんですか。

吉川 監督の話を聞いたところでは、そういう過去の作品は見ていなかったらしいです。

太田 勉強不足で…。

吉川 ですから、完全に自分の発想でああいう作り方をしているわけで、それは監督のセンスなのかなという気がします。ところで、武蔵野美大の卒業制作にはいろんな作品があると思いますが、その中にはドキュメンタリー作品もあったんですか。

太田 そうですね。他の作品は在日やハンセン病などの社会問題を扱っていたんですが、私には今回の作品をいわゆる社会的な作品にしようという意識はありませんでした。もしかすると、そういう意識で撮ったことがドキュメンタリー的じゃないという印象を与えるのかもしれないですね。もちろん強い思いを込めたメッセージはあるのですが。

野村 一般的なドキュメンタリーの視点で言うと、この映画を見て疑問に思うのは、古屋先生ってこれからどうするのかなっていうことなんですね。きっと太田さんが大事に思っている方なんだろうけど、その気持ちがあまり見えてこない。だから、もうちょっと古屋先生を見せてほしかったなというのはありますよね。

吉川 この映画のモチーフである植物観察は、あの分校では以前から行われていたものなんですか。

太田 私が分校へ転校する以前から取り組まれていて、閉校になるまで通算すると19年続いていたそうです。植物観察というのは、古屋先生の授業というより、高原分校独自の取り組み学習ですね。私が分校へ転校する前は、埼玉の普通の小学校へ通っていたんですが、花と言えばチューリップとタンポポぐらいしか知らなかった。それが分校へ行ってみると、「これはセイヨウタンポポで、こっちがカントウタンポポ、あれはシロバナタンポポで…」と同級生に言われるわけですね。自分の知らない世界を知った驚きがありました。

吉川 顕微鏡の写真を撮ったり、植物の標本を作ったり、生徒一人一人の研究している内容が本当に専門的ですね。ああいうことは生徒全員がやっているんですか。

太田 そうですね。一年生の頃は草花遊びをして名前を覚えますが、高学年になると一人一人がテーマを決めてそれぞれの研究をします。高原分校は、小さな学校なので先生や父兄は、子供達が街の中学校に入ってからいじめられるんじゃないかとか(笑)、社会に出てから肩身の狭い思いをするんじゃないかとか、いろんな心配をしてるんですよ。そこで、子供達が自信の糧にできるようなものを一つでも持ってほしいという思いで、植物観察を続けてるんです。大人の前で発表会をするのも、そういう場所で堂々とできる子供に育ってほしいという思いがあるからなんですね。

吉川 同級生の前ならまだしも、大人達の前で発表するのは相当緊張するでしょうね。

太田 毎年、地元のテレビ局が植物観察の取材に来ているので、逆に子供達がテレビ慣れしているようなところもあって(笑)、私が撮影していても殆どカメラを意識しないんです。

吉川 発表ではプロジェクターまで使っていて、まるで何かの学会のようでした(笑)。ああいう発表の仕方も子供達が自分で考えるんですか。

太田 私達の頃は上級生の発表を見ながら、自分は来年ああしようこうしようと考えていた記憶があります。ずっと引き継がれていたみたいですね。

野村 撮影の時は普通の授業風景も撮ってたんですか。

太田 撮りました。全部で70時間ぐらいはテープを回しています。分校には他の大きな学校には通えない子供もいて、そういう子供と先生とのやり取りはそれだけで1本の映画になるんじゃないかと思えるようなシーンもありました。でも、映画を撮る前から、花のこえが聴こえるような分校の生活を撮ろうと思っていたので、それ以外のところは編集の段階で切ったんです。

吉川 つまり、分校の中にはドキュメンタリー的な素材もあったのに、それを敢えて切ったということですよね。その判断を今はどう思われてますか。

太田 分校には現代の教育問題の縮図とも言える状況がありました。いろんな子供たちが通っていて…でも、彼らはドキュメンタリーの素材として面白いというより、独自の感性を持つ、とても魅力的な子供達に見えた。だから、そんな子供達の個々の魅力を引き出せるような映画をいつか撮れたらいいなと思っています。

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吉川 太田監督は何歳から何歳まで高原分校に通っていたんですか。

太田 9歳から12歳までですね。それから、中学高校まで同じ韮山町(現・伊豆の国市)に住んでいました。

吉川 その後、武蔵野美大に進まれているわけですが、映画を撮りたいと思ったのはどうしてなんですか。

太田 高校生の時に岩井俊二監督の作品を見て、映画にもこういうものがあるんだということを知ったんですね。それまでは、金曜ロードショーでやっているようなハリウッド映画とかジブリとか、そういうものばかりが映画と思っていたのですが、自分の感性に正直に撮っている映画があるんだなぁと。それがきっかけで、私もやってみたいと思うようになりました。

吉川 そこからドキュメンタリー映画を撮るまでにはどんな展開があったんですか。

太田 大学にドキュメンタリーを勉強するコースがあって、その中で撮り始めたという感じなんです。だから最初は何をどう撮っていいかわからないところから始まり、『花のこえ』を撮影している間にいろんな子供達に出会ったり、分校が閉校になることが決まったり、いろんな問題に直面していく中でテーマが決まっていきました。映画と一緒に自分自身が成長できたかなという感じがありますね。

吉川 フィクションの場合には、他の監督の作品を見て、自分ならこういう映画を撮るというところから映画を着想することができると思います。でもドキュメンタリーの場合は一つのテーマを措定しなければいけない。そういう意味で、今回の映画では分校の存在が監督にとってのテーマだったと言えるんでしょうか。

太田 本当に偶然の流れで、その前に撮ったドラマ作品を古屋先生に見ていただいた時に、先生から「分校もあと何年かもしれないんだよ」とお聞きして、それなら次は分校を撮ってみようかなという感じでした。そうしたら撮影中に閉校が決まったりして…。

吉川 太田監督は今後もドキュメンタリー映画を撮り続けていきたいという意思を持っているようですが、何か温めている企画やテーマはありますか。

太田 まだ全然まとまっていないんですけど、今は社会派と言われるようなものよりも、自分にとって身近なテーマで、こんな幸せもあるよね、という作品を撮りたいと思っています。家族や故郷など…見た人が清々しい気持ちになれるようなものがいいですね。

吉川 この作品でも、分校の閉鎖や古屋先生の退職という出来事を通過しながら、作品全体がウェットにはなっていません。むしろ爽やかというか、清々しい印象を残します。その辺は狙いなんですか。

太田 私が子供の頃や撮影中など、よくテレビ局が分校の取材に来てたんです。それらを見ると、分校の寂しさや先生の退職を、お涙頂戴の映像に仕上げている。そういう傾向に違和感を持っていました。私は分校に吹いている風や鳥のさえずりなど、分校の姿ありのままを映像にしたいという思いがありました。だからきっと、この作品が清々しいのは、高原分校という場所が自然に満ちているからなんでしょうね。

野村 ドキュメンタリーにはいわゆる「子供もの」と言われるようなジャンルがあって、ポレポレ東中野でも『トントンギコギコ図工の時間』のような作品が上映されています。そういうジャンルを意識して今回の作品を撮ったというわけではないんですか。

太田 これは今になって思うことですが、子供や学校をテーマにして撮ったというよりは、私自身がテーマだったんだと思います。自分が幼い頃に見て輝いていたものを撮ったという気持ちが強いです。それが、この先も無くなって欲しくないなと願うわけですが。

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吉川 当然、野中監督にもこの作品を見せたと思いますが、どんなことを言われましたか。

太田 いっぱい言われましたけど…(笑)。最後の古屋先生の授業は絶対に要らないと言われました。『花のこえ』なんだから、植物観察一本でいきなさいと。でも、古屋先生を撮ろうという思いで撮り始めた映画なので、私の中でどうしてもそこを切れなかったんです。

吉川 最初に編集したバージョンはもっと長いもので、内容的にも少し違っていたそうですね。

太田 卒業制作で完成させた時は50分ぐらいありました。その頃は分校が廃校になる直前の時期だったので、「なんでこんないい学校が終っちゃうんだ!」って毎日泣きながら編集して(笑)、出来上がった映画もすごく熱い内容になっていたんです。なぜこの学校が?!みたいな(笑)。でも、学内の講評で、もう少し短くしてタイトにした方がいいと言われたり、その後の閉校式や誰もいなくなった校舎を撮影したりするうちに、だんだん私も客観的に見れるようになったんですね。それから編集し直したので、最終的には分校とは少し距離感を置いた作品になりました。前の方が泣けたって言う人もいるんですけど、私は今の方が何度も見れていいかなと思っています。

吉川 そうすると、前のバーションからだいぶ変わっているんですね。

太田 同じ素材を使っているのに、作品から受ける印象がこんなに変わるのかと、自分でも不思議でした。

吉川 前のバージョンにも監督の分身の少女は出てくるんですか。

太田 出てきます。友達には「あれ、綾ちゃんのちっちゃいころなの?美化しすぎ~」って言われましたけど(笑)。

吉川 『花のこえ』は40分と短い映画なので、おまけと言ってはなんですが、今日は監督が昔撮られた作品を持ってきていただきました。

太田 本当は新作を見せられたらよかったんですけど、まだ全然形になっていなくて、今日は4年前に初めて撮ったドラマを持ってきました。技術的には本当に拙いんですけど、これも思いのこもった作品なので、よかったら見てください。

《太田監督の旧作『六月の花火』を上映》

太田 すいません(笑)。

野村 一貫してるじゃん(笑)。

太田 なんか『花のこえ』と繋がってますね。

吉川 それでは、何か監督への質問などはないでしょうか。

観客 分校が廃校になるというと、普通は少子化や過疎なんかの問題が出てくるんでしょうけど、この作品にはその辺りの事情を説明するナレーションもなく、そういう問題には入っていかない。現実だけを撮ってるんですね。ただ、現実だけ撮っていても観客は関心を持てない。そこへ監督の分身である少女を置くことで、観客が監督の心情に同化できるわけですね。しかもそれが追憶に対する批評のようなものになっている。先ほど野村さんが言われたように、ドキュメンタリーの中にフィクションを持ち込むのはよくある手法ですが、ある意味でそれは映画の持つマジックの原点みたいなものだと思います。あの少女の存在によって、一つの風景が全然違った魅力を持ってくるんですね。

太田 ありがとうございます。

野村 今のご意見を受けて少し話したいんですけど、60年代辺りにフィクション的な手法をドキュメンタリーに使っていた監督さんは大概ドラマの方へ行ってますよね。そういう意味では、太田さんもフィクションをやられた方がいいんじゃないかという気もします。河瀬直美監督もそういう形でフィクションに移っていった方ですから。

吉川 ちなみに太田監督は河瀬さんの作品にはどういう印象を持たれてるんですか。

太田 河瀬さんが20代で撮っている『につつまれて』や『追憶のダンス』などの作品は本当に好きですね。彼女も地に足を着けて生きたいということで、奈良で映画を撮り続けているじゃないですか。私もそういう気持ちはすごく分かるんです。それで、今見ていただいた作品も韮山にある自分の高校で撮っています。やはり撮りたい風景が静岡にあるので、これからも東京で仕事をしながら静岡で作品を撮っていけたらいいなと思いますね。

吉川 地元に根ざした映画として何か企画はあるんですか。

太田 今、探しています(笑)。『六月の花火』はもう一度リテイクしたいと思ってるんですけど。

吉川 それでは監督の今後に期待しています。

『花のこえ』公式ウェブサイト:http://www.hana-no-koe.com/

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