どうもすみません!今年4月に刊行され、早々に映画芸術編集部の方から渡されていた本の書評が、ひとえにこちらの勝手な都合で夏場にずれ込んでしまいました。
出版に携わった皆さんには恐縮至極なのですが、この夏には原田眞人監督三年振りの新作『伝染歌』が公開され、さらに『魍魎の匣』が待機しています。せめて、これを機に原田作品を振り返る上で格好の書、と時期に合わせた紹介をさせて下さい。
以下、内容については、本著の構成にちなんで、ひとりQ&A方式で。
Q.1 これはどういう本なのか?
タイトルが簡潔に示す通り、原田眞人が、これから映画づくりの中心に関わりたい人たちに参考にしてもらうことを念頭に書いた本。
これまでの監督経験で蓄積した、企画や構想、脚本執筆、準備から撮影、編集や仕上げに至るまでの現場の一連の流れのノウハウ。スタッフとの協働。幸福な体験と悪い体験の両方。そこから得た教訓が詳細に述べられている。
「キネマ旬報」1484号(6月上旬号)に、映画評論家の増當竜也氏による本著のレビューが掲載されていて、端的な書評としてはこの文に尽きる。端的なのに、「必読」と二度繰り返して強調されている。
Q.2 必読書と面白い本は、微妙に違う。面白かったのか?
面白かった。つい線を引こうと赤ペンを手に取り、預かりものなのを思い出して止めたことが数回。映画鑑賞遍歴についても興味深く書いてあるので、ヴォリームたっぷり。
ただし、巨匠の名作の分析から自作の現場での体験談へと縦横に行き来する本だから、予備知識の無い人が読んだら、間違いなく、途中でくたびれる。
最低限、原田眞人が海外生活の長い映画評論家出身であり、助監督経験の無いまま長編デビューし、80年代の<異業種監督ブーム>到来まではかなり異色の存在だった事実は知っておいたほうがいい。それから名刺代わりの代表作、『KAMIKAZE TAXI』や『バウンス Ko GALS』位は見ておかないと、話に入りづらいだろう。(とエラそうに書いているが、僕もフィルモグラフィの全てを見ていません)
Q.3 本著を読めば映画監督になれるのか?
いや、それは無理。というか、話が別。
(映画監督になるのにも国家試験があれぱ、目標が分かりやすくなっていいのに…)と、ついつい全体主義国家的な願望を抱いてしまう人って、実はとても多いと思う。そういう心優しき秀才さんたちの不安を慰めるために、今日もあらゆるジャンルでハウツー本が増刷される。本著も、センスのいいデザインによって“こっちの水は甘いぞ”的な雰囲気を随分と醸し出してはいるのだが、書かれていることは突き詰めて言うと、創作の現場では受験勉強で作られた受け身の頭脳とは全く別種のスキルが必要ですよ、ということ。どちらかと言えば「この本を読んで、あきらめがつきました…」と言う人のほうが多そう。
実際、原田眞人本人には、監督志望者への具体的な指南書を作りたい希望と同時に、ユルい気持ちで業界に入ってくる相当数の若者をあらかじめ篩にかけて落としたい意識が、確実にあったと思う。
本文の引用(1)
「生きていればだれでも映画監督になれる機会はめぐってくる。重要なのは映画監督になることではなくて映画監督のキャリアを編むこと。」
三文放送ライターである僕のところにさえ、時々、「ライターになるにはどうしたらいいですか?」と聞いてくる秀才さんがいる。ほぼ引用(1)と同じ、「映画監督」を「ライター」に置き換えた答えを用意しているので、マジで監督になりたいのか青春の思い出作りなのか、はっきりしない連中への軽い苛立ちは、よく分かる気がするのだ。もっとも僕の場合、「○万円払ってくれれば、どんな台本でもアナタが書いたことにしてあげる…」と半分本気で持ちかけて、イヤ~な顔をされるのだが。
もちろん、本気で映画監督を将来の職業にしたい人には、とても効能の高い本だ。
スクエアな自分を一度リセットする勇気を持ち、すごく古い映画やそれを作った人たちをバカにせず尊敬して学び取る心を持ち、多方面にわたる知識や能力を求めるゼネラリストの精神を持つ人なら…、あ、本著を読むまでもなく、とっくにチャレンジを始めているか。
でも、もう何らかの形でロング・アンド・ワインディング・ロードを歩き出している人が読めば、エグゼクティヴへの企画プレゼンのコツ、脚本の構成の立て方、リハーサルで俳優に求めるべきこと、カメラマンとの作業分担…等々といったアドバイスが、どんどん体に染み込むはずだ。「この原田って人のやり方は、オレ(ワタシ)とは違うなあ」と言えるようなら大したものだが、まずは若いうちは、素直に聞いておいて損は無い。
Q.4 監督以外のスタッフを志望する人が読んでも得るものがあるか?
プロデューサー、俳優、カメラマン、編集マン、音楽家、録音技師、ほかどのパートの志望者が読んでもいいはず。それぞれのパートに監督は何を求め、どんなスタッフに心からの信頼を寄せるものなのかが、率直に述べられているので。
本文の引用(2)
「監督がバカでもメイン・スタッフが優秀ならば「名作」は出来上がる。」
こういうことを監督本人が言うのは、なかなか勇気がいることではないか。
Q.5 原田眞人は自ら脚本を書く監督だが、脚本家志望でも同様か?
そう、脚本に関しては常に自分で書く人なので、脚本家との関係ではなく、自分自身の執筆歴に基づいて書かれている。つまり、本書の前半の相当のページが<原田眞人の脚本術>として書内独立している。僕が自分の仕事と照らし合わせながら、最も興味深く読んだのも、この辺り。
本文の引用(3)
「良い脚本とは、主役が生きているかどうか、に尽きる。」
「そんなの当たり前だろ」と言う人がいるかもしれないが、脚本作りにトライして発狂寸前まで追い詰められた経験を持つ人なら、ほとんど蜃気楼を掴むように難しいポイントなのが分かるだろう。実現のために、どんな名作が参考になるか、どんな工夫をすべきか、そして、どれだけ苦労するものかが、みっちり書き込まれている。
それに、ショックを受けたのが「日本の脚本の書き方は、伝統的に情報量が薄い。英語脚本の60%程度」という、著者らしい指摘。
放送台本でも、ト書きとセリフを書いたものと、その収録に必要であろうデータやリサーチした情報を別々の文書にしてスタッフに渡すことに、不便さを感じることがちょくちょくある。しかし、「あんまりト書きにいろいろ書き込むな。それが足枷になって、現場に嫌がられるから」と昔、言われたことがあるんだ! どっちがいいものか、かなり考えさせられる。
Q.6 映画ファンが読んでも興趣はあるのか?
我ながら、しつこいな!…当然。
今だから話せるあのスターの素顔や撮影現場のおもしろエピソードが満載、というタイプの本ではない。けれど、より丁寧に映画を見たい、鑑賞眼を高めたいと思う人にはヒントのショーケースだ。『突撃隊』『山河遥かなり』『七人の侍』『トラフィック』『評決』『スイミング・プール』『チョコレート』『旅情』『ラスト・ショー』…といった映画の、具体的にどこがどう良いのか、<原田眞人の鑑賞術>が惜し気も無く開陳されている。
本文の引用(4)
「学問の王道と同様、映画の王道はある。(中略)明解に何が偉大なのか語り継ぐところから監督術に関する教育は始められなければいけない。」
映画評論家時代の原田眞人を僕は知らない。初めてまとまった文章を読んだのは『アイズ・ワイド・シャット』パンフレットに載っていた『突撃』評だったと思う。軽いエッセイ風に平易な例えと同業者の謙虚な共感で話を進めながら、次第にスタンリー・キューブリックの作品世界の奥にある意外な“青春の熱”を探り当てるのを、離れ業のように感じた。
本著でも、筋金入りの映画ファンの憧れと、監督経験で培った解剖医の如き冷静な視点が、あちこちで激突。特に、『突撃隊』から考察する俳優と監督の現場の力学と、『旅情』に見る演出の色彩設計の件では、行間から閃光が走っている。
なる。本著自体がクリエイターとしての“新作”なのだから、まあ、愚問に近いが。
原田眞人の活動をずっと注意してきた、という人(業界に多いか)なら面白くて仕方ないだろう。実践的な内容をサンドイッチするように、前半と後半では映画鑑賞遍歴とともに、自身の生まれ育った環境、家庭のようすが細かに紹介され、現在の原田眞人の資質を形作る過程が解き明かされている。
本文の引用(5)
「幼児体験は映画の宝庫である。」
映画が好きで、老舗の旅館業を(まさに現場の指揮官のように)切り盛りする母と、何事にも無感動で無関心な父の両極端な姿を、モデルガンを片手にしながら敏感に観察している小太り坊やの姿が浮かぶ。
ただし、この回想パートにも映画監督になるための普遍的なアドバイスが注入されている。ユニークな家庭に生まれ、映画を浴びるように見なければ才能は育たない、わけではない。少年の日の原風景を忘れず、常に立ち返ってみることが創作のインフラになる、と思いを述べる辺りは、誰の心にも響く本著のクライマックスだろう。
これまで見た監督作の印象を引き比べると、青春時代ではなく少年時代というのが、とても著者らしいと感じられる。黒澤明と橋本忍への少年時代の熱烈な崇拝とやがて迎える精神的卒業。実父への複雑な感情。それに以前から公言している通り、生涯ベストワンが『赤い河』であること。もしオレが映画評論家で原田眞人の作家論を依頼されたら、まずはこの三点をベースにしてみるなあ、と妄想した。読み解く際のキーワードは…本著の中にしっかり書いてある。
Q.8 原田作品のファンなのか?
きましたね。しかし、ここまで書いといて避けては通れないセルフ・クエスチョンである。
実は、原田作品特定のファンとは言えない。先に代表作として挙げた二本は面白かったから僕も好き、という程度だから、大半の映画ファンと変わらない距離感だと思う。
でも、二度ほど、原田眞人に大きく注目した(ファンになりかけた)時期がある。
一度目は、高校三年生だった1986年。
森田芳光監督・とんねるず主演の(当時の)夢のコラボ作を見に行ったら、100%バカにしていたおニャン子クラブの併映のほうが十倍以上面白かった。
それからおよそ一ヶ月後。エンジンの付いたものなら全て大好きな工業高校の奴からジャイアンのリサイタルのように強制的に見せられた、パリ=ダカール・ラリーのドキュメンタリー。イヤイヤ見たら、これがまた、すごく良かった。
思いがけず、が二度続いたのが嬉しくて、これからは原田眞人という人を応援しようと決めたものの、次の映画はどこで公開されたかも分からず、その次のSF映画は、見てもどう言ったらいいのかよく分からないものだった。ここで一旦、気持ちが切れてしまう。
二度目は、原田作品が世の好評を集め出してから。1999年。
CSの番組に出演をお願いしたある大ベテランの俳優さんが、偶然すぐ近所に住んでいたよしみで自宅に招いてくれたことがある。舞台に立つ傍ら、今井正、市川崑、小林正樹、熊井啓、吉田喜重らの作品に出演してきた黄金のキャリアについて伺うのを楽しみにしていたら、御本人は拍子抜けするほど、最新出演作のことばかり積極的に話すのだった。
それは高杉良の経済小説を原作にした映画で、株主総会のシーンに出演したが、その撮影がとてもエキサイティングで、監督の演出もとても納得のできる、気持ちよく演じられるものだったという。
「原田眞人クンはこれからの日本映画をしょって立つ人材ですよ。キミも勉強になるから、見ておくといい」
そこまで言われてかなり驚き、人の影響を受けやすいタイプなので、あさま山荘事件を題材にした映画までは、かなり注目した。感想を細かく言うと個別の作品評になるのでよすが、力作揃いだとは思いつつ、本著を渡されるまでの数年のうちに、いつのまにか原田眞人の名前はマイリストからすっかり抜けていた。これが、正直なところ。
Q.9 原田作品を好まない人でも、読むべきか?
言いにくいんだけど、やっぱり言ってしまうと、原田眞人は、あらゆる面で日本映画よりハリウッドの製作体制のほうがいい、と昔からズバズバ発言してきた分、より凡作との落差も目立つ人で、あまり映画ファンの母性本能をくすぐるタイプの映画監督ではない。かつての僕だって、キューブリック元帥に『フルメタル・ジャケット』の日本語字幕を直々に御指名された著者がまるで受勲者のように紹介されるのを、鼻に付く、と感じていた。 「原田眞人に何を教えられるってんだ…」と揶揄したくなる人が少なくないことは、肌でビンビン分かる。
では、功成り名を遂げた巨匠の本が、ここまで実践的だったことがあるだろうか?
映画の歴史を作ってきた巨人の回想録は確かに面白い。読者にロマンティックな野心を植え付けるカリスマがある。例えばマキノ雅弘の「映画渡世」なんて、その極北。僕の学生時代からの愛読書でもある…が、英雄の冒険譚は、町場のテキストにはなりにくい。
一方で原田眞人は、何かと躓きの多いキャリアの中で犯したミステイクや反省点、二度と繰り返したくないトラブルと対処の実例を、若い人の教訓のために、そして、自身の今後の活動のために、率直に検証している。
本文の引用(6)
「監督の仕事はスケジュール通りに撮影を進めることよりもスケジュールに狂いが生じたときに何を優先させて何を削っていくのかの決断力にポイントがある。」
僕にも勝手に戦友だと思い、信頼する何人かのディレクターがいる。だからこの一文に、低予算の番組やビデオの現場で戦い、時には傷を負いながらも逃げ出さない彼や彼女の姿が重なって、ちょっとグッときた。(ホンペンから離れた場所にも戦士はいるのよ!)
好き嫌いは致し方ない。ただ、ふんぞりかえって私のスキルを伝授してあげよう、とのたまっている本でないことだけは、アンチ原田な方々にも知っておいてほしい。
本著の真のテーマは、原田眞人自身の捲土重来。オレもこれからいい映画を作れるよう戦うから、キミたちも頑張れ!…要するに、そういうメッセージで貫かれている本なのだ。
ここまで書くともうすっかり原田ファンみたいだが、出し惜しみをせず、逃げも隠れもしないフェアな文章を書く人に、好感を持つなというほうが無理だ。
本著をじっくり読み終わった今、僕にとっては三度目の原田眞人注目シーズンがやってきつつある。…いやほら、人の影響を受けやすいタイプなもんですから。
text by 若木康輔(放送ライター)
「原田眞人の監督術」
2007年刊
著者:原田眞人
発行:雷鳥社
定価:1,900円+税