映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『プライド in ブルー』<br>フットボールは(本当に)世界をむすぶ

本格サッカー映画が日本についに現れた

 『プライドinブルー』は、日本映画史にほぼ初めて登場した、本格的なサッカー映画だ。

 以前にSMAP主演の『シュート!』があったけど、あれはあくまで青春映画の題材としてサッカーを選んだ秀作と解釈したい。こういうことは、本当は研究家的態度できちんと裏を取ってから言わなくてはいけないのだが、実際の公式戦をフィーチャーしながら、フットボールの魅力や魔力の核心に本作ほど迫った日本映画は、かつて無かったはずだ。

 日本のサッカーA代表がFIFAワールドカップに初出場して以来、ビデオ作品や番組が大量に製作される一方で、公式記録“映画”が生まれないのを常々残念に思っていたので、青いユニフォームがピッチを駆ける姿をスクリーンで見られることに、僕はいたく感激した。

 試合で点を取ったり取られたりするたび、試写室の、静かに見ていたあちこちの席からアッ、ウッと声が上がった。そういう映画であることを、なによりも先に強調しておきたい。

 そう、ハンディキャップサッカーであっても、代表の青いユニフォームに袖を通して世界選手権で戦うからには、彼らは死ぬ気でやるし、やってもらわないと困るのだ!「参加できて良かったね」と優しく見守って良しとすることで、シピレる思いでピッチに立った彼らの闘志までふやけて伝わってしまうことを、本作は『プライドinブルー』というタイトルによって、毅然と拒否している。

もうひとつの<日本代表ドイツ戦記>

 4年に一度、FIFAワールドカップと同じ年に、知的障害者によるINAS-FIDサッカー選手権大会が開催される。『プライドinブルー』は、ドイツW杯の後、同じドイツで開かれた第4回大会に出場を決めた選手たちの、出発前から大会参加、その後までを10ヶ月にわたって撮影したドキュメンタリーである。

 晴れてハンディキャップサッカー日本代表になった彼らがドイツで精一杯戦い、さまざまな国の人たちと触れ合い、チームメイトと信頼を強めていく姿や、応援する親御さんや周囲の姿を、丁寧に追った作品だ。これだけでもう十分、秀作。しかし、明らかに本作の監督・中村和彦は、サッカー好きである。好き者の男ゆえ、掘り下げかたが一味違う。

 ギリギリで代表選考から漏れて、日本に残る選手がいる。レギュラー組と控え組の間に、かすかな壁が生じる。采配への、あからさまな不満がある。過信の後の痛恨の失点がある。ファウルでPKを与えてしまった選手の、汚名挽回を期した大活躍がある。大一番の試合を落とした後のロッカールームは、奈落に落ちたような悔し泣きで静まり返る。

 勝利に飢え、おしゃれにもうるさい彼らは素敵なほどに業の深い、一人前のサッカー選手だ。連携不足が課題とか、そこまでは似なくもいい、というとこまでA代表そっくり!

 以前、「なぜスポーツ雑誌はジダンのようなスターの顔を表紙にするのだ。フットボールについて書くなら、ボールを表紙にすべきだ」と、言わんとしていることは分かるけどやっぱり無理筋なことを言うフランス人のインタビュー記事を読み、そんなイチャモンをつけるオッサンは誰じゃいなと思ったら、あいにくジャン=リュック・ゴダールと同一人物だったのだが。

 世界選手権出場で生活の保障が得られるわけではない彼らが、それでもサッカーを求めなければいけない“何か”を探った本作は、ゴダール叔父さんのヘンクツな要求に、かなり近づき得ている映画かもしれない。

「サッカーは世界共通の言語」を証明する映画

 サッカーを求めるのは、ハンディキャップサッカー日本代表だけではない。『プライドinブルー』を見ながら、僕は、そうだ、僕自身もサッカーに救われたことがあるのだ、と強烈に思い出した。

 チビで何事にもドンくさかった小学生の僕は、スポーツと国旗が大嫌いだった。週に三回、剣道の道場に通っていたのがマズかった。教える老人は、やたらと軍隊時代を懐かしみ、祝日には団員が家の前に“自主的に”日の丸を掲揚しているかを見てまわる、まあ完全にそっち方向の人で、指導も何かと極端だった。僕のように試合でコロコロ負ける子は、顔を真っ赤にして罵った。ダメだ、グズだと何度も言われると、さすがにこたえた。

 老人の前で竹刀を持つと、体が石のように重くなるのが常だったから、六年生のクラブ活動でサッカーを知ったときは、なんて面白いんだとビックリした。味方がボールを持ったら上がる、取られたら下がるを繰り返し、パスは相手の足元へ確実に蹴る。サッカーは地道なプレーを愚直にやる子どもに、居場所を与えてくれるスポーツなのだ。

 小体連にはフルバックで出場し、一回戦で負けたが、体を動かすことは気持ちがいいと、生まれて初めて知った。おかげで、道場はもうやめたいと親に言う勇気を持つことができた。

 サッカーは世界共通の言語。ボールが一つあれば、誰もがコミュニケーションを取ることができる。こうした言葉は真実なのだと、本作の監督は信じている。それをハンディキャップサッカーが証明してくれると信じている、と言ってもいい。

 ドイツの宿泊先で、代表メンバーが地元の子供たちとボールの取り合いっこをして遊ぶ姿。重度知的障害の生徒たちが、養護学校のグラウンドでボールを追いかける姿が、とてもいい。微笑ましいスケッチのなかに、テーマが実にしなやかに表現されている。

アウェーで戦うということ

 僕は、サッカー・ファン歴が長いほうではない。一度は小学校でその気になったものの、地元の中学校にサッカー部は無く、あっさり縁が途絶えた。スタジアムにまめに足を運ぶようになったのは、ジョホール・バルで中田英寿が「みなさん、Jリーグにももっと来て下さい」と言うのをテレビで見て真に受けて以来で、観戦キャリアはかなりオクテのほうだ。

 サッカーのほうが映画よりも好き、ということは無かったが、去年はドイツに行って、ドルトムントのスタジアム前でチケットを何とか入手し、ブラジル戦の惨劇を目の当たりにした。顔に日の丸のペイントまでしといて、後半(能活が一番しんどかった時)ビールを買いに下へ降りていった同胞を見た時の怒り。試合中は罵り合い、アカンベーをし合ったが、ホイッスルの後つい泣いてしまった僕の肩を抱いたり、頭を撫でながら何か言ってくれたブラジル人夫婦やアンちゃんたちの優しさ。今も忘れない。ちなみに僕のサッカー指南役であり、旅行のリーダーだった粂田剛は、『ストロベリー・ショート・ケイクス』の助監督である。

 なもので、映画のなかに僕たちも宿をとった古都ケルンが登場し、僕たちも散歩したライン川沿いの遊歩道でハンディキャップサッカー代表メンバーが寛ぐ場面には、嬉しくなった。

 しかし、「もう日本に帰りたくないなあ」「でも帰らなきゃ」とポツポツ話す彼らの話題は、帰国後の、つまり養護学校を出てからの仕事についてがもっぱらなのだった。

 檜舞台に立った後も人生は続くし、そっちのほうが長い。増してや彼らには、仕事とサッカーの両立は難しいという現実的な困難がある。社会に出るということは、シビアなアウェー戦を戦うようなものだ。サッカーを断念する選手たちが、元日本代表の<青い誇り>を持って、日常のアウェーでも力を発揮できることを祈りたい。

 それに、この映画自体が、理解のある人たち向けの上映会(いわばホーム戦)ではなく、堂々と劇場公開を選択しているのだから、『ダイ・ハード』『ハリー・ポッター』の最新作や『西遊記』などを敵にまわした、ガッチガチのアウェー戦に挑むようなものなのだ!ぜひ、ゴールネット裏の自由席に陣取るサポーターのような気持ちで見てほしいと思う。応援しがいのある映画ですから。

text by 若木康輔(放送ライター)

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(C)バイオタイド+パンドラ

『プライドinブルー』

監督:中村和彦

編集:矢船陽介 藤掛順子

音楽:ハル

ナレーション:寺田農

配給:パンドラ

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公式ウェブサイト:http://www.pib-line.jp/

7月14日よりテアトル新宿にてモーニングショー

以後全国順次公開