映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『アントキノイノチ』 <br>瀬々敬久(監督)公開インタビュー

  新作『アントキノイノチ』の公開に合わせ、11月9日にタワーレコード新宿店で瀬々敬久監督の公開インタビューを行いました。既に11月19日から全国公開されている本作は、心に傷を負った若い男女が遺品整理の職場で出会い、他者との絆、死者との繋がりに気付いていくというストーリー。その物語展開だけでなく、撮影方法や俳優陣の演技など、前作『ヘヴンズ ストーリー』からの連続性が窺われる内容で、いわゆる「泣ける」メジャー大作映画とは一線を画しています。今回は密室でのインタビューではなく公開イベントということもあって、サービス精神旺盛な瀬々監督、真面目な話から笑える話までいろいろなエピソードを披露してくださいました。 (司会・構成:平澤竹識 構成協力:春日洋一郎、小久保卓馬 協力:タワーレコード新宿店) zeze talk.jpg トークショーの様子 ──この『アントキノイノチ』はモントリオール世界映画祭で「イノベーションアワード」という賞を受賞されましたけども、現地の反応はどうだったんですか。 瀬々 モントリオールはお客さんに老人の方が多くて、おじいさんやおばあさんが「良かったよ」って言ってくれるんですね。この映画は遺品整理を題材にしてるんですけど、やっぱりみんな家族の遺品を片付けたことがあるんですよ。「私は主人の遺品を全部捨てた。とっておくことができなかった」と、たとえばそういうことを涙ながらに話してくれる人が多くて、世界的にも映画のエモーションは通じたなと。  それはそれで良かったんですけど、最終日の授賞式には日本から『わが母の記』(12年公開予定・原田眞人監督)の樹木希林さんたちが来まして、松竹の海外担当の女性も一緒に来たんですよ。海外担当だから英語がペラペラなんですね。で、「もし賞を取ったら『この映画祭と審査員に感謝します』と英語で言ってください」と言われて、僕もそれを英語で覚えたわけです。授賞式は国際批評家連盟賞の発表から始まって、いよいよコンペ部門だと。そしたら最初に『アントキノイノチ』って言われたんですよ。「えっ?!」と思ったんですけど、「イノベーションアワード!」って言われて、「なんだよ、イノベーションアワードって」と(笑)。この賞の意味がまず分からなかった。それで、どんな賞かもよく分からないまま壇上に立ちましたと。そしたら、目の前には2~3千人の外国人の方がいるわけですよ。そこでさっき教えてもらっただけの僕の拙い英語じゃ何も伝わらないだろうと思って、僕は思わず「I am Japanese」と言ってしまったんですね(笑)。その後に、恒例の「元気ですかー!」というセリフを日本語で言ったら結構ウケて、恥ずかしいからそそくさと席に戻ったんですけど、次に登壇したイタリアの監督がですね、みなさんもうだいたい予想はついていると思いますけど・・・(笑)、最初に「I am Italian」と言ってくれたんですね。まあ、そこで日本とイタリアの親善友好が成り立ったという非常にいい話なんですけど(笑)。 ──今の話はですね、さっき瀬々さんから「これは絶対ウケるぞ」と仕込んでもらったネタなんですが、少しあったまってきた感じですかね。(静かな会場)・・・はい、それで『アントキノイノチ』というタイトルなんですけど、これは誰しもあのプロレスラーの方を想起するタイトルじゃないですか。映画の中でも決め台詞的に使われてますけども、あのプロレスラーの方に許可とかは取ってるんですか。 瀬々 映画としては取っていないんですよ。ただ、さださんが原作を書くときに、プロレスラーの方にも連絡して本も送ったということなんで、一応許可は取れてるということだと思います。ただ、アントキの猪木さんには取ってないんですけど(笑)。 ──(静かな会場)・・・だいぶ盛り上がってきた感じですが(笑)、そろそろですね、僕の用意してきた質問を伺いたいんですけれども。 瀬々 すいません、これからシンネリムッツリした話になると思いますけど、我慢して聞いてください。これが「映画芸術」です(笑)。 ──ちょっと「映画芸術」のカラーも出していきたいんで・・・。まず、この映画は原作とかなり違うんですよね。原作のほうは、かつて同級生に殺意を抱いてしまった男の子が遺品整理の仕事を通して命の大切さに気付いていくという、わりとストレートなお話で。映画でも命の重さということはやってますけど、他者との絆みたいな問題にテーマをスライドさせている。原作だと、ゆきちゃんという女の子と主人公の杏平との関わりもかなり薄いんですよね。ゆきちゃんは飲み屋の女の子という設定で、中盤ぐらいまでほとんど出てこない。でも映画のほうは、最初に彼女と遺品整理の職場で出会って、彼女との関係性の中でお話を動かしてるわけですが、どういうことを考えて、こういう脚色をされたんですか。 瀬々 実際に遺品整理という仕事があるんですけど、原作はその仕事に関する描写が多くて、いろんな事例が出てくるんです。でも、それを追求していくと、どうしても伊丹十三的になるのかなと。『お葬式』(84)とか『タンポポ』(85)とか、仕事のディティールに突っ込んでいくと、ハウ・トゥーものみたいになりがちじゃないですか。それは怖いなという気持ちがあったんで、関係性のドラマで持って行こうと。原作では遺品というモノが語る部分が大きいんだけど、それだけでは映画にはしづらいところがあって、やっぱり主人公の杏平(岡田将生)と残された遺族の関わり、それプラス、その職場で出会う同じように過去に傷を持った女性、生き残ってしまったと今も悔恨している女性と出会うことで生まれていくドラマ、杏平とゆき(榮倉奈々)の関わりの中でのドラマ、それを組もうという意識はありました。 ──NHKの「無縁社会」というドキュメンタリーがヒントになったそうですね。 瀬々 数年前、孤独死とか無縁社会という言葉が話題になった頃に、NHKの特集を見たんですよ。そのときに、どうしてこういう風に関係性の薄い世界になってしまったんだろうと思って、それを考えてみようというところから始まったんです。 02258_S#013-1009.jpg ──映画では他者との絆というテーマが遺品整理の仕事と上手く接続されてるんですけど、脚本を作っていくうえで難しさはなかったですか。 瀬々 実際に遺品整理の現場にも行ったんですね。そのときは、一人住まいをされていた高齢の男性の家だったんですけど、二階の布団の上で亡くなっていて、布団には体液の跡があるし、枕には髪の毛がこびり付いてるし。長く発見されなかったんで、虫がたくさんいて、臭いもきついんですけど、そういうところに行くとですね、死の痕跡もあるんですけど、「この人はこんな生活してたんだ」というのがすごく分かるんです。例えば、テレビがあって座布団があって、「あ、ここからテレビ見てたんだ」という発見があったり、領収書が出てきたりすると、「こんなものを買ってたんだ」という驚きがあったり、そこに生きてた人の人生が伝わってくる、それが死を扱う他の仕事とはかなり違うなと思いました。  葬式は、遺族がこれから先どうやって生きていこうかと、その区切りをつけるために死を処理するものだけど、遺品整理は生の痕跡を処理して遺族に渡していく、なんかニュアンスが違うんですよ。その部分を大事にしたいというか、実際そこに住んでた人がどういう人生を生きてたのかというのも重要だし、その後に残る遺族の問題も大事だし、死と生の両方が見える瞬間の場所とでも言えばいいんですかね、そういう空間だったんです。それを重要視しようと思ってたんで、ハウ・トゥー的なものじゃなくて、人間と人間の関係性に話を持って行きたかったっていうのはあるんですけど。 ──原作には現場のディティールが細かく書かれてるんですけど、『おくりびと』みたいな映画と全然違うなと思ったのは・・・。 瀬々 まあ、『おくりびと2』とも言われてるんですけど(笑)。 ──いや、僕も正直・・・。 瀬々 『おくりびと2』だと思った?(笑) ──そうですね(笑)。そういうテイストを予感して見たんですけども、全然違うなと思う点がいくつかあって、そのうちの一つは死ぬということが汚い部分を残すっていう・・・。 瀬々 そう「汚い、汚い」言うなよ、お客さん減るって(笑)。 ──いやいや・・・僕が『おくりびと』に納得いかなかったのは、死んだことによって全部が美化されてしまうような描き方じゃないですか。『アントキノイノチ』は、さださんの原作にあるにしても、死とか死者の汚い部分もちゃんと残してますよね。部屋の汚さもそうですけど、遺品の中にアダルトビデオがあったりとか。そこら辺、どういうバランスで考えてらっしゃったのかなと思ったんですけど。 瀬々 できるだけリアリティを重視しようと思ってたんですよ。僕ら映画のスタッフが実際の遺品整理の現場に行って感じたことからまず始めようと思ったんです。撮影では、実際の空部屋を飾ってるんですけど、美術部の若い人たちは一ヶ月くらい遺品整理の現場に働きに行ってるんですね。プロの遺品整理のスタッフから「うちに就職しろ」と言われるくらい上手くなって帰ってきたんですけど、それくらい調べて作ってるんで、そこはリアリティがあると思います。さらに映画にするうえでは、そこで生きてた人の履歴書を美術部は全部書いて飾ってます。リアルから虚構化の作業がそこで一度行われてる。そういう美術の飾りを通じて役者さんに伝わることも多いですよね。そこでまた役者さんを通して映画としての解釈というか消化の作業が行われる。映画つくりというのはそういう作業の連続なんですね。でも、今回は今、話したようにスタート地点をリアルに置いたんです。なぜそうしたかというと、「現在の」映画にしたかったんですね。現在のリアルから始めたかった。若い人の悩みや苦しみがベースになって通奏低音のように流れていく作品ですから、今を生きてる感じというか、そこを大事にしたかったというのはあります。だからあまりフィクションっぽくしないで、若い人たちが抱えている悩みの部分はリアルに追求しようと思ってました。 ──今回の美術監督は磯見俊裕さんという、東京芸術大学の大学院で教授もされてる方ですよね。 瀬々 日本維新派という劇団で舞台監督とか美術監督をずっとやられていた方なんですよ。一緒に仕事をするのは今回が初めてなんですけど昔からの知り合いで。磯見さんは拾ってきたようなものを使うのが上手いんです(笑)。映画では、SABU監督の『蟹工船』(09)とか、手塚眞さんがやった『白痴』(99)はオープンセットを組んでるんですけど、あれもほとんど拾ってきたものというか(笑)、廃材? そういう風に作っていくのが上手い人なんですね。  今回は亡くなった人たちのことを脚本ではちょっとしか説明してないんですけど、さっきも言ったように、彼は若い衆に全員の履歴書を書かせたらしいんですよ。こういう出身で、こういう学校へ行って、こういう会社に勤めていて、老後は奥さんと海外旅行するのが趣味だったとか。こういう病気で、こういう薬を飲んでいたとか、そういう風に全部人間を作ったうえで部屋を飾ったと、だからすごく飾りが生きてるんですよ。磯見さんはそういうことをやれる人なんで、そこは素晴らしいと思うんですよね。 06854_S#035-1006.jpg ──それは本当に映画に生きてますよね。その遺品整理業というのが一方にありつつ、映画はその職場で出会った岡田君と榮倉さんの関係性を追っていくわけですが、やっぱりもう一つ素晴らしいなと思うのは、岡田君の高校時代のくだりですよね。今出ている映芸の座談会(NO437掲載)の中でもみなさんいいとおっしゃってましたけど、岡田君が抱える心の傷の原因になった人間関係といいますか、現代の混みいった人間関係が非常に丁寧に描かれてます。その辺りも原作とはかなりニュアンスが違うと思うんですけども、そこに瀬々さんが込めていた思いというのはどういうことだったんですかね。 瀬々 原作だと、松坂桃李君が演じてる松井という同級生がいじめっ子で、この人だけがすごく悪いという描き方なんですよ。一人だけ悪い人がいて、他は全員いじめられてるという世界観なんです。でも、映画では松坂君だけが悪いんじゃなくて、みんながどこかコミュニケーション不全だし、主役の岡田君にしても上手く自分の感情を表現できない、高校の中はみんながどこかおかしいという風に変えようと。で、先生を津田寛治さんがやってるんですけど、先生もちょっと変な大人という風に変えました。そういう気持ち悪い世界の中で生きてるという風にしようというのが大きな変化なんです。 ──瀬々さんが以前撮られた『雷魚』(97)や『HYSTERIC』(00)という映画は、罪を犯してしまった人間がいて、その人間が最後に殺されたりするわけですけど、当時はまだ「善と悪」があって「罪と罰」が成立するというか、そんな風に割り切れる世界観だったと思うんですね。それが前作の『ヘヴンズ ストーリー』(10)以降は人間関係が混みいってきて、その中での「罪と罰」とか「被害と加害」の問題をやられている。その過程で瀬々さんの「現在」に対する認識の変化があっただろうなと思うんですが。 瀬々 やっぱり今はすごくグシャっとしてるというか、被害者と加害者が一瞬にしてチェンジしかねない、そういう感じがあると思うんですよ。コミュニケーション不全なのに他人とすごく密着してるというか、そういう感覚が今なんだろうと思うんで、そこは描きたいなと思うんですね。  昔だったらアンチヒーローが成立したわけですよ。高橋伴明さんの『TATOO〔刺青〕あり』(82)なんかもそうですけど、社会からはみ出した悪人が正義と思われてる社会の側をただす、かつてはそういうアンチヒーローが成立したんだけど、僕がピンク映画を撮ってた頃から、アンチヒーローは成立しないという感じになってきた。ただ、犯罪をおかした人間で、アンチヒーローでもなく普通の人と一見変わらないような人間のありようが、決して声高ではないですが、社会の側にひっそりと刃を突き刺すようなことはまだ可能だったような気がするんです。今はそういうことが終わってしまって、日常生活と壊れた世界というのがすごく密接になってると思うんですよ。モザイクみたいになっているというか、そういう時代だと思うんで、そういうことはきっちり設定として置かないとダメだなと思ってました。 ──さっきの『おくりびと』的な映画と違うという話で言うと、正直なところ僕は、瀬々さんがこれまでに撮られた『フライング☆ラビッツ』(08)とか『感染列島』(08)にはメジャー作品特有の物足りなさを感じていたんですね。 瀬々 誠に申し訳ない! (笑) ──ただ、『アントキノイノチ』はそういう臭いが・・・。 瀬々 あ、これは大丈夫? これは自信持って送れる? ──そうですね。 瀬々 本当かな? ──本当です! で、何が違ったかって言うと、まずカメラがすごい動くんですよね。手持ちだから動いてしまうというだけじゃなくて、ズームで寄ったり引いたり、かなり意図的に動かしてると思うんですよ。あの辺の意図はどういうところにあったんですか。 瀬々 さっきの話じゃないけど、やっぱりグチャっとしてる感じが今だと思ったんで、僕らもこの世界の中に入って撮ってる感じにしたかったんですね。当然そこには客観的な目線もなきゃいけないんだけど、上から目線じゃなくて、どこか距離があるんじゃなくて、若者たちの中に入り込んでるような撮り方をしようと。  今回は鍋島さんというキャメラマンに廻してもらっていて、前の『ヘヴンズ ストーリー』も鍋島さんなんですけど、鍋島さんがいいのは、役者さんを至近距離から撮るんですよ。人物の感情に寄り添うように撮るのが上手い人なんで、鍋島さんを選んだからには彼の持ち味を生かしてもらおうというのもあったんですよね。 s00289_S#043-1033.jpg ──カメラが近くに寄るっていうことは、役者さんがカメラを意識しやすいわけじゃないですか。リアルな演技をしてもらいたいときにカメラの存在が邪魔になったりはしないんですか。 瀬々 例えば、観覧車のシーンがあるんですけど、狭い観覧車の中で撮ってるんで、かなりの至近距離になっちゃうんですよね。ただ、撮られてることも気にならないぐらい追い込んでいくというか、のめり込んでもらって役者さんにもやってもらわないと難しいところはあるとは思うんですよね。そういう画面はバランスは悪いんですけど生々しく感じるんです。逆に、遠くから望遠(レンズ)で詰まった画を撮ると、クールでカッコいい画は撮れるんだけど、客観的になっちゃうんですよ。最近なんか違うなと思うようになったんですね。もちろん全撮影をそういう風にしてるわけではないんですが、撮影方法というのも映画に対する思想性みたいなものが現れるのは確かですよね。 ──カメラの動きもそうなんですけど、この映画を見たときに「ノイズ」っていうのをすごく意識したんですね、物語を単線化してないというか。で、もう一つのノイズというのが、主演のお二人の演技だと思ったんです。分かりやすい演技をされてないじゃないですか。役のキャラクターもあると思うんですけど、表情がすごく細やかに動いている。それもメジャー映画では見ることのないものだなと思ったんですけど、その辺はどのように演出されていたんですか。 瀬々 それはたぶん僕が説明下手ということだと思うんですけど(笑)、こういう風に動いてくれとか、真っ当な説明があまりできないんですね。二人ともにっちもさっちもいかないシーンが連続して、そこで一生懸命説明するんですけど、僕の場合、それが明快ではないというか、たぶん自分の中にも明快な芝居がそんなに面白くないときがあるんです。  榮倉さんもインタビューで言ってましたけど、「普段の生活で自分に起こったことが、この映画に出てもいいぐらいの感じでやってた」と。岡田君も「今までは別人の役をやってきたけれども、今回の役は岡田将生自身と思ってもらってもいい」という風に言ってるんですね。僕はいつも、誰かの役になりきるっていうのは大嘘だと思うわけですよ。そんなことはありえないと。映画を見たら、見終わった人は絶対「岡田将生は・・・」って言うし、「永島杏平は・・・」とは言わない。役名なんか誰も覚えてないんですよ。だから結局、役者さん本人の微妙なズレとかブレとか、そういうものが出るのが一番面白いと思ってるところがあるので、そういう感じが今回は非常に出てるとは思います。 ──そこに至るまでには当然、瀬々さんの演出家としての導きみたいなものがあったと思うんですけど。 瀬々 これは後で榮倉さんから聞いた話なんですけど、ラブホテルのシーンでにっちもさっちもいかないときがあって、僕が榮倉さんにピンク映画を撮ってた頃の話をしたらしいんですよ。「僕はピンク映画を撮ってたとき、こういうつもりで撮ってた」と。その言葉はいたく彼女の心を打ったらしいんですけど、僕は何て言ったのか全く覚えてないという(笑)。 ──それだけ瀬々さん自身が裸になって、お二人にぶつかっていったということなんですかね。 瀬々 最後のところで岡田君が泣くシーンがあるんですけど、「監督も泣いてた」と岡田君がインタビューでよく言っていて、若干そういうこともあるんですよ。ただ、泣いてはいるんだけど、それでも監督として「もう一回!」って言うわけです(笑)。入り込まないとダメだと思ってる一方で、どっか引いて見てる自分もいるわけですね、監督って冷徹な観察者みたいなところをどこか持ってないとダメだから。 ──入り込まなきゃダメだと思ってたということですが、『ヘヴンズ ストーリー』の公開前にインタビューさせていただいたときにも「2000年代に入ってから当事者意識みたいなものが乗っかってきた」ということをおっしゃってるんですよね。それで、今号の座談会でも当事者意識について語られてるんですが、そこでは震災の話をされています。震災は、この作品にどういう変化をもたらしたんでしょうか。 瀬々 これは3月1日にクランクインしてるんですけど、4月の半ばにクランクアップしてるんで、3月11日は撮影の真っ最中だったんですよ。だから、この映画はほぼ震災直後の日本で撮ってるんですね。ちょうど11日も町田の団地で撮影してたんだけど、撮影は中断して、スタッフ用にホテルを取ろうとしたんです。でも、ホテルも満室だったんで、その団地にスタッフの何人か寝泊まりするような状況だったんですよ。照明部には宮城県出身の若い子がいて、家族と連絡がつかないし、交通が遮断されて帰れないと。数日後にやっと連絡がついて無事が分かったんですけど、そういう状況になるとスタッフもキャストも心が揺れるわけですよ。映画って、なくても生活に困らないわけですよね。撮影すればライトはたくさん使うし、電気は使うし、そういう中でみんなが悩んでるときに、及川(義幸)さんというライン・プロデューサーの方が「こういう状況ですが、僕たちは粛々とこの撮影は続けていきます。みなさん協力して下さい」って毅然として言ったんです。そのときは泣いてるスタッフもいましたけど、それでひとつの方向に向かっていけたと思います。  だから遺品整理ということに関して言えば、震災直後は瓦礫の中から写真を拾ったり、ランドセルを拾ったり、そういう映像が流れてたんで、こういうことが大事なんだなということを改めて考えさせられたところはありましたね。そういう中で作られてきた映画なんだという実感はあります。 s11282_S#059B-0025.jpg ──クランクインするときは他者との繋がりみたいなテーマに意識が行ってたけれども、震災を経過したことで遺品整理というモチーフ自体に対する見方がだいぶ変わったということなんですか。 瀬々 あまりパーツに分けては考えないんだけど、原作のモデルになったキーパーズの吉田(太一)さんという方がいて、その人が非常に面白いことを言ってたんですよ。「遺品整理をしてるときにふと、その部屋を上から覗き込んでる自分がいる」と。遺品って小さなものなんだけど、もう少し上の視点というか、俯瞰になって人間を見るときがあるって言うわけですね。最初に言ったように遺品というのはすごくリアルな世界なんだけど、そこからフーっと高く一気に飛んじゃうというか、宇宙的な視点まで行ってしまうこともあるということだと思うんですよね。それは死者の視点かもしれないけど、そういう風になる瞬間があると。だから、人との繋がりってことだけじゃなくて、あの世とこの世の繋がりというか、この映画の中でも「元気ですかー」って海に向かって言うシーンがあるんですけど、あの瞬間を撮ったときにもやっぱり津波のことを思ってしまうんですよ。映芸の座談会でも、稲川方人さんが「震災に遭った人たちに向かって言ってるように思えた」と、僕たちも撮ってるときは当然そう思えたし、そういうことですね。人智を越えた自然の脅威というか、日常のリアリティではとても追いつけないようなことが実際起こってしまった。自分の中でも矛盾してるんですがリアルということだけでは片付けられない事態が起こり、それに対して思った。そういうことも今、考えたら映画の中で影響を受けてますよね。遺品整理ということだけではなくて、いろんな部分で震災の影響は受けてると思います、3月11日以降に撮影した部分というのは。 ──シナリオに差し込みが入るとか、そういう変更はなかったんですか。 瀬々 例えば、バスのシーンがあるんですね。二人がバスに乗っていて外を見るという、わりと僕にしてはきれいなシーンなんですが(笑)、そのシーンは当初銀座の街中で撮る予定だったんですよ。孤独な魂を背負った二人がバスから銀座の街を見ると、外にはネオンが輝いていて、家族やカップルが楽しそうに生活してると。それを見て「なんて日常って素晴らしいんだろう」と思うような瞬間があるという風にしようと思ってたんだけど、震災後は東京中どこに行っても真っ暗じゃないですか。そんな幸せそうな人なんて一人も歩いてない。だから、羽田空港なら明るいだろうということで、羽田の周回路でそのシーンを撮って、二人が窓の外に顔を出すんですけど、そこにはネオンしかなくて人はいないというシーンに変わったりしましたね。  あと高校のシーンは、『告白』(10)でも使われてる栃木県の芳賀高校というところで撮影してるんですね。今は廃校なんだけど、そこは撮影スケジュールを前半と後半に分けてたんです。前半は3月の8、9、10ぐらいで撮って、後半は4月の震災以降だった。でも、そこも栃木県だから被災していて、後半の撮影は無理かもしれないという感じになったんですけど、向こうの人が許可してくださったんですね。行ってみると、校庭が瓦礫置き場になっていて、現地のエキストラの人たちも大変だなと思ったんですけど、その人たちから「それでも僕たちは、撮影が来てくれることが却って嬉しいんだ」というようなこと言われた。そういう小さなことが積み重なって出来てる映画ではあるんです。 ──当事者意識ということにこだわると、2000年代以降に当事者意識が変わった、震災でも変わったという瀬々さんの気持ちの動きというのは、具体的にはどういうものだったんですかね。 瀬々 僕は大分県の生まれなんですけど、田舎に帰省すると駅前がシャッター通り化して、国道沿いに大型店が出来てという風に風景に変わってしまった。それがちょうど2000年代以降だと思うんですけど、そういう中での意識の変化というのが大きいですね。世の中の風景がそう変わっていく時期と、さっき言った当事者性を意識し始めた頃ってリンクしてる気がします。  今は全てが均質化してると言われてるわけですよね、のっぺらぼうだと。さっきの話じゃないけど、関係性はのっぺらぼうだけど、のっぺらぼうだからこそ、差異がないからこそ、グチャっとしてるように見えるわけじゃないですか。他者との関係性なんかも全て含めて均質化されてるから、箱の中の人々がグチャっとしてるような感じで違いがあまり見えない、そういう認識に変わってきたような気がするんですよね。 antoki_main.jpg ──映画の作り手として、そこで「当事者意識を持たなきゃいけない」と言った場合、具体的に言うと、そういう変化とどう関わるっていうことになるんですかね。 瀬々 ど真ん中にいないとダメだ、ということだと思うんですよ。最近、吉田修一の「平成猿蟹合戦図」を読んだんだけど、東京の歌舞伎町が舞台なんですね。それが後半になると、均質化された田舎の中で元ホストが地方選挙に出て最後は国政選挙に出る。そういう形で「“場所”を変えていくんだ」みたいな展開になるわけです。吉田修一は「悪人」とか「さよなら渓谷」では「均質化された地方の風景の中でこういう犯罪が起きました」という風に見せていたわけですよね。その彼が次は、こういうことになってしまってるんだ、じゃあそこをどうやって変えていくんだ、みたいなことを元ホストのボンクラを主人公にしてやろうとしてる、それが僕の中では「あ、いいな」と思ったんですよ。  例えば今、ユーロスペースで富田(克也)君の『サウダーヂ』(11)という映画をやってますけど、あの映画も同じだと思う。格差社会格差社会なんだけど、グシャっとした人間関係の中で、こうなった以上どうやって変えていくんだ、どうやって生きていくんだみたいなことをやろうとしてる。それはまさに「ど真ん中でやるしかない」っていうことだと思うんですよ。そういう現状に対して、もはや批評眼的な分析をしてもしょうがないんだ、というように思ってきたということですね。 ──最後にお聞きしたいんですけど、次の作品はもう決まってるんですか。 瀬々 決まってないんですけど、昔からの企画で、女相撲をやりたいなと。これは実際に江戸後期ぐらいからあったんですけど、大正、昭和の頃は興行としても成立していて、小沢昭一さんなんかは早稲田の学生の頃、テントで女相撲の興行が行われているのを見に行ったことがあると。これは面白い話がいっぱいあるんですけど、農村で日照りが続くじゃないですか。そうしたら、女相撲を呼んで興行して雨を降らせると。要するに、女が土俵に上がることはタブーだから、そのタブーをわざと冒して神様を怒らせるということらしいんですけど。そういう女相撲の力士たちと大正のアナーキストたちを絡めて「菊とギロチン」というタイトルで昔、脚本を書いたんです。今は、それを安く仕上げるにはどうすればいいか、格闘してるんですよ。だから今、爆弾作りの本とか読んでるんですけどね(笑)。 ──その企画の何を今の時代にぶつけたいということなんでしょうか。 瀬々 勢いのいい青春映画を作りたいと思ったんですね。あと、ちょうど関東大震災があったときに大杉栄の事件がありましたよね。震災以後の世界じゃないですけど、そういうことも考えてみたいところもありますね。 zeze2.jpg 終了後のサイン会の様子 アントキノイノチ 監督:瀬々敬久 企画・プロデュース:平野隆 下田淳行  脚本:田中幸子 瀬々敬久 原作:さだまさし幻冬社) プロデューサー:上田有史 辻本珠子  撮影:鍋島淳裕 照明:三重野聖一郎 美術:磯見俊裕  録音:白鳥貢 編集:菊池純一 音楽:村松崇継 制作プロダクション:ツインズジャパン 配給:松竹 2011年/131分/カラー/ビスタサイズ/ドルビーデジタル 全国公開中  公式サイト http://antoki.jp/index.html 『アントキノイノチ』予告編