映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『BOX 袴田事件 命とは』 <br>高橋伴明(監督)インタビュー

 終戦から20年近く経ち、日本が高度経済成長の只中にあった1966年、静岡県清水市で起きた強盗殺人放火事件、いわゆる「袴田事件」とその後を描いた『BOX 袴田事件 命とは』が5月22日から全国順次公開となります。戦後の主な冤罪事件の一つと言われるこの事件の映画化に挑んだのは、これまで『TATOO〈刺青〉あり』(82)や『愛の新世界』(94)、『光の雨』(01)など数々の野心作を世に問うてきた高橋伴明監督。本作にもまた、監督の今の時代に対する率直な思いが表れているようです。今回のインタビューでは、昭和の事件を今なぜ映画化したのか、その裏に隠された苛立ちを語ってくださいました。

(取材・構成:平澤竹識 構成協力:春日洋一郎)

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――1966年(昭和41年)に起きた「袴田事件」を今、映画にしたのはどんな狙いからなんでしょうか。

高橋 去年、共同脚本の夏井(辰徳)君から「これを映画にしたいんだけど」という話があったんですよ。シナリオにはなってなかったんだけど、原型になる文章があった。それを読んで、事件そのものにも興味があったし、ちょうど裁判員制度が始まるというタイミングもあって、ふたりでホン作りに入ったんです。

――この映画は「あなたならこの事件をどう裁きますか?」という趣旨の問いかけで終わっています。ただ、映画のなかで描かれる時間は袴田巌さんが生まれた昭和11年から天皇崩御の昭和64年までが中心で、かなり意識的に昭和史というものが盛り込まれてますよね。

高橋 自分自身も途中から昭和史に関わってるわけで、昭和という時代をやっておきたかったというのは大きくありますね。夏井君から話があったときから、そういうことは思ってました。

――冒頭に時代背景を示す映像がモンタージュされて、台詞が最初に入るのは戦後の墨塗り教科書の場面になっています。ああいう昭和の時代状況が、この冤罪事件を生む土壌になったんじゃないかという思いがあったんでしょうか。

高橋 教科書の墨塗りに象徴されるように、国とか組織の都合で物事の価値観は簡単に変わるし、国とか組織は間違うことがある。そういうことが、この事件のベースにはきっとあるんだろうな、という思いなんですよ。台詞のなかで袴田さんのことを「遠州もん」と言うところがありますけれども、遠州というのは要するに荒くれ者を集めた場所なんですね、そこを敵の侵入から守る防波堤にしていた歴史的な背景がある。だから、事件の起きた“土地”をある種の組織だと思えば、そこでの人の考え方というのは自ずと袴田さんを犯人に仕立て上げるほうに作用するし、警察という組織もある正義を感じつつ理不尽な取り調べがやれたりするわけでしょう。司法のあり方にしても、被疑者の供述であったり証拠であったり、それを前提にしか裁判は進んでいかない。基本的に供述とか証拠の裏側にあるものについては協議されないんだよね。そういう組織の危うさみたいなものは、戦後日本の構造を象徴的に表してる気がします。

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――今回の映画ではナレーションやテロップが使われてますけれども、袴田さん(新井浩文)が強制された嘘の供述を画にして見せていたり、拷問のような取り調べのシーンもひたすら映像として見せています。とにかく画にして見せるというこだわりを感じたんですが、演出上のプランはどんなものだったんでしょうか。

高橋 今回は事件の不透明さもあるし、いわゆる裁判用語というか難しい言葉がいろいろ出てくるんで、どんな角度から見ても分りやすいようにという意識は強くありました。あとは、どんなに厳しい場面も画にすることで、袴田さん自身の痛みだけじゃなく、そのことを考えてる熊本裁判官(萩原聖人)の痛みにも通じていくんじゃないかという思いがあったんですね。

――この映画を拝見した直後、最近あまり見ない社会派ドラマの王道だな、という印象を受けました。それはもしかすると、今言われたような分かりやすさとか、白黒がはっきりしたキャラクターのせいだったのかもしれません。ただ、実在の事件がベースになってるということもあるので、その明快な語り口に若干の疑問も湧きました。どこまで分かりやすくするのか、どこまで事実に寄り添うのかという点については、どのように考えていたんでしょうか。

高橋 まず思ったのは、自分の立ち位置は明確にしようということなんですよ。「私はこれは冤罪だと思います」と、今回そこは明確にして映画を作ろうと思ってました。そうすると、自ずとそういう方向の人物設定になっていくわけですよね。最近の映画は「あなたが考えなさい」とか「これはこうであるかもしれない」みたいな、どんな風にも受け取れる作りが多いけど、今回それをやっちゃうと卑怯かなと思ったんです。

――実在の事件がベースにあるというのもそうですが、萩原聖人さんが語り部であるという点で『光の雨』(01)との共通性を感じました。今回再び萩原さんをキャスティングした理由は何だったんでしょうか。

高橋 何人か候補はいたんだけど、彼には生真面目なところがあるんですよ。ナンパしたり、麻雀ばっかりやってるようなところが表に出てるかもしれないけど(笑)、仕事に対しては極めて真面目に向き合う人間だということは分ってたんで、最終的に彼をキャスティングしました。あとは台詞の確かさだよね。この役は法律用語とか難しい台詞も多いから、その技術がすごく大事だと思ってたんですよ。

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――逆に、普段はヒール役の多い新井浩文さんが、ただひたすら耐える役を演じられていることが新鮮でした。

高橋 彼に関しては、そこに存在する空気感みたいなのが好きだったんだよ。一緒に仕事をするのは初めてだったけど、前からちょっとやりたかったのね。この映画は前半戦で「こいつ、犯人じゃないの?」とお客さんに思ってもらわなくちゃいけない。そう考えたときに、彼は犯人ぽいじゃないですか。そういう意味でもいいかなと思ったんですよ。

――実際、現場をご一緒されてどうでしたか。

高橋 期待通りの変なやつですよ(笑)。なんにも考えてないようで、実は考えてるんだな。それと風情が変。どれだけ寒くても裸足にサンダルでヒョコヒョコ歩いてるし、知らない人が見たら、ちょっと気持ち悪いやつですよ。

――この映画では劇的な物語が短いカットの繋がりでテンポよく語られていきますが、人物の感情が流れることなく要所要所できっちり表現されていたと思います。例えば、新井さんが刑事に対して「なんで僕だったんですか……」と言う場面の切迫感みたいなもの、ああいう演技を短いカットのなかでどういう風に引き出してるんでしょうか。

高橋 新井に関しては放置プレーですね。まず、具体的な指示は出さない。あと、カットが変わるときなんかに待ち時間があるじゃないですか。そういうときに、僕は役者と直に話したりするほうなんだけど、彼とはなるべく口をきかないようにしてました。彼も僕もタバコを吸うんだけど、その場所で一緒になっても口をきかないとかね。

――逆に萩原さんとか他の役者さんには気さくに話しかけられたり?

高橋 うん、そう。

――そういう現場外の駆け引きみたいなことで、俳優さんの演技は大きく変わってくるものなんですか。

高橋 多少は影響あるんじゃないですかね。みんなからぽつんと離れてみたり、自分でそういう風に追い込んでいく役者もいるし。ただ、彼はどっちかっていうと人懐っこいんですよ。

――役者さんのキャラクターを見ながら、その辺りの接し方を考えられてるんですね。

高橋 取り調べする刑事役の役者にも「手加減しないで思い切りやれ」とかって耳打ちしてたから、あいつは実際、相当痛い目に遭ってると思う。精神的にもギリギリまで行ってたかもしれないね。

――そのストレスが実際の演技にも反映されたと。

高橋 反映されたんじゃないかと思います。ちょっとサドやっちゃったよね(笑)。

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――話は変わりますが、袴田さんが死刑判決を受けた直後に照明が落ちてスポットに切り替わり、その後、エンディングの幻想的なシーンに飛躍していきます。あの演劇的な演出は、どういう計算があってのことだったんでしょうか。

高橋 袴田と熊本のふたりがひとつになるエンディングを望んでたんですよ。それで、あの死刑判決の後からふたりだけの世界に移っていく。見る側からしたら「嘘つけよ」みたいなシーンかもしれないけど、その気分に乗ってもらえるように、スイッチを切り替えてもらうための導入部として、裁判の最後でああいうことをしてるんですね。

――あのエンディングへの飛躍がとてもいいなと思いました。ただ、どう解釈したらいいのか迷うところもあったんですが。

高橋 事件が起こる前のモノクロ映像のところで、ふたりが同じ列車に乗り合わせて駅で別れていくシーンがあるじゃないですか。要するに、昭和という混沌とした時代状況のなかで何かが違っていれば、死刑囚が裁判官であり裁判官が死刑囚であったかもしれない、みたいなことですよね。

――タイトルは箱という意味の「BOX」かと思っていたんですが、映画を見たらボクシングの「始め!」という合図のことなんですね。

高橋 「やり合え」みたいなね。ただ、袴田死刑囚の話ともつながる気はしたんですよ。それこそ、「箱」というか「檻の中」の意味にも通じるし。そして、「闘え」と。

――国家に対してもということですか。

高橋 そうですね。あと、「BOX」には「○」と「×」の記号が含まれてるから、この事件がマルかバツなのかって意味でも、いいタイトルだなと思ったんだけど。

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――「闘え」という意味では、監督自身が今の時代や映画状況に対して溜まった思いが込められているようにも感じました。

高橋 そういうことを語ると、それこそこれが社会派の映画になってきたりするような気がするんでね……。実はあんまり社会派って言われたくないんですよ。この映画が持ってる気分の部分だけで表に出て行ければいいなと思う。久しぶりにまた組織化されたものに腹が立ってるんですよね、なんであれ。操られることにも腹が立ってる。

――それは映画で言えば、お金のあるテレビ局や広告代理店が大量のスポットCMで観客を誘導してるとか、そういうことですか。

高橋 映画状況のことで言えば、そういうことですよ。あとは、始まりから終わりまで考えて映画を作らなきゃいけないとかね。終わりがDVDになるのかテレビ放送になるのか分らないけれども、今はそういう出口まで考えて物作りをしなきゃいけない。純粋に映画のことだけ考えてやらせてよ、みたいな思いがあるんでね、そういう気持ちが自ずと出てしまったのかもしれない。これ以上残虐に撮っちゃいけないとか、映倫どうなんだろうとか、自然と自主規制してる自分にも嫌になってるんだよ。

――監督は「組織化されたもの」とおっしゃいましたけど、そういう「システム」の抑圧が今とても強くなってる気がします。作り手である監督ご自身も、そういう抑圧は感じられてるんですね。

高橋 それはありますよ。知らず知らずのうちに自主規制してるぐらいだから。

――僕は今32ですが、自分も含めた同世代の人たちは叩かれないように、傷つかないように、どこか利口になりすぎてるような気がします。だから、高橋さんのような方にどんどん突き抜けていただけると……。

高橋 人に頼るなよ(笑)。

――そうですね(笑)、若いやつは若いやつでやれと。でも、今回の映画は昭和をあまり知らない若い人たちにとっても刺激的なんじゃないかなと思いました。

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撮影時のスナップ

『BOX 袴田事件 命とは』

監督:高橋伴明 脚本:夏井辰徳 高橋伴明 

プロデューサー:西健二郎 林淳一郎

撮影:林淳一郎 照明:豊見山明長 録音:福田伸 

美術:丸尾知行 編集:菊池純一 音楽:林祐介

出演:萩原聖人 新井浩文 石橋 凌 村野武範 保阪尚希 塩見三省  

制作プロダクション:ブリックス 

製作:BOX製作プロジェクト

配給:スローラーナー 

(2010年/日本映画/35mm/1時間57分/DTSステレオ)

2010年モントリオール世界映画祭コンペティション部門正式出品

© BOX製作プロジェクト2010

公式サイト http://www.box-hakamadacase.com

2010年5月29日(土)より渋谷・ユーロスペース、銀座シネパトスにてロードショー

名古屋シネマテーク、シネ・リーブル梅田、京都シネマ、他全国順次公開