映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

荒井晴彦の映画×歴史講義 第三回<br>『軍旗はためく下に』(72)

 脚本家・荒井晴彦が映画とそこに描かれた歴史的事件について語る好評連載「荒井晴彦の映画×歴史講義」。本連載は日本映画学校脚本ゼミの卒業生を対象にした勉強会を採録したもので、映画『無能の人』などで知られる脚本家の丸内敏治さんがともに講師役を務めています。3回目に取り上げる映画は、結城昌治直木賞受賞作品を深作欣二が映画化した『軍旗はためく下に』です。

 「自分なりの戦後史というのは何かというと、否応なく天皇制とそして国家とのかかわりであったわけです」と語った深作監督自ら原作者との交渉にあたり、映画化権の許諾を得たこの作品は、太平洋戦争中、ニューギニア戦線で処刑された兵隊たちの隠された真実を追い、〈皇軍〉の実態を仮借なく描き出しています。日本の〈戦後〉そして〈天皇制〉とは果たして――。

(司会・構成:川崎龍太

〈解説〉 

 昭和27年、「戦没者遺族援護法」が施行されたが、厚生省援護局は戦争未亡人となった富樫サキエ(左幸子)の遺族年金請求を却下した。亡夫・富樫軍曹(丹波哲郎)の死亡理由は、昭和20年8月、南太平洋の最前線において、「敵前逃亡」により処刑されたと伝えられていた。遺族援護法には「軍法会議により処刑された軍人の遺族は国家扶助の恩典は与えられない」と記されていた。ところが、富樫の処刑を裏付ける軍法会議の判決書など何ひとつなく、敵前逃亡の事実さえ明確ではなかった。亡き夫の死に疑問を抱いたサキエは、以来、毎年8月15日に「不服申立書」を提出するが、厚生省は「無罪を立証する積極的証拠なし」の判定をくり返すだけだった。

 サキエはある日、亡夫の所属していた部隊の生存者で、当局の照会に返事をよこさなかった者が4人いたことを知る。藁にもすがる思いでサキエはこの4人を追及していくが、敵前逃亡、友軍相殺、人肉嗜食、上官殺害等々、彼女の前で明らかにされたのは、戦場でのショッキングな実相だった……。

×        ×       ×

――原作は、回想録作成のために戦友会の編集委員が、軍法会議で処刑された戦友の話を聞いて回る構成です。証言を中心としたダイアローグ形式なので、証言者である元兵士の現況はほとんど描かれていません。ヤミ酒で失明したマッサージ師の越智憲兵軍曹(市川祥之助)は原作にも登場しましたが、ゴミ埋立地で豚を飼っている寺島上等兵三谷昇)や、漫才師の秋葉伍長(関武志)、高校教師の大橋少尉(内藤武敏)などの職業は映画(脚本)で肉付けされたものです。それぞれの性格と重なり、人物像がさらに深まっていました。ほかにも東南アジア開発公団の役員になっている師団参謀千田少佐(中村翫右衛門)は、原作だと運送会社の社長なんですよね。

荒井 埋め立て地の豚を考えたのは深作さんでしょ。

――「原作を読んでるうちにアイデアがぼんぼん出てきましたからね」と深作さんが「映画監督 深作欣二」(深作欣二山根貞男ワイズ出版刊)で言っていますね。

荒井 豚が好きだからな(笑)。豚とか夢の島みたいなゴミの埋立地やスラムは、「仁義なき戦い」シリーズ(73~76)以前の深作さんのヤクザ映画にはよく出てくるよ。『血染の代紋』(70)とか。戦後そのもの、焼け跡、廃墟からつながっているということなんだろうな。

丸内 あそこは良かったですね。そういう人物を持ってくるという感覚、俺は好きです。

荒井 でも左幸子が弱い。なぜそこまで執拗に真相を知りたがるのか全然分からない。

丸内 夫の名誉というか、意地ということでしょう。村では脱走兵の家族と白い目で見られているわけだし。

――三谷昇の最初の証言は、勇敢に斬り込んで立派に戦死した、という内容ですよね。遺族ならこの時点で満足してもおかしくないのに、左幸子はその後も聞いて回ります。その執念は何なのか。

丸内 確かにそこは気になった。三谷から漫才師に行く間に何か一つあればノッていけた。何か引っ掛かることが左幸子にあれば。

荒井 父ちゃんは脱走するような人間じゃない、と言うけど、たかだか半年の結婚生活でしょ。夫婦の絆が左幸子の行動原理というのが弱いよ。26年という時間が見えない。毎年、不服申立書を提出しても却下されて金が貰えない、というだけじゃ足りないんだよ。左幸子を突き動かす何かが一つ必要だったな。

丸内 でも深作さんは、自明の事として作っていると思いますよ。左幸子のあの執念は、水俣病患者がしつこく裁判しているのと同じじゃないかな。

荒井 患者は当事者だろ。

丸内 彼らにとっても金より名誉なんですよ。謝らせたい一念なんです。俺たちはなぜこんなにコケにされなくちゃいけないんだ、という怨念みたいな。

荒井 だったら、左幸子がコケにされている状態を描かないと。「昔なら脱走兵の家族は村八分にされて当たり前だ」というセリフがあるけど、じゃあ今はどうなのか。BC級戦犯合祀が昭和34年だから、靖国の問題も扱えるわけじゃない。合祀して、遺族年金や軍人恩給を出せるようにと、靖国の戦犯合祀は厚生省が画策したわけだから。戦犯には軍人恩給が出ないわけでしょ。そこには、日本人が日本人を裁いて銃殺するのはいいけど、勝者が敗者を裁いた東京裁判は認めないという、明らかなイデオロギーがあるわけじゃん。

――三谷と左幸子の間にドラマを作れば、また違いますよね?

荒井 深作さん=左幸子、ならいいけど、そこにズレがあるからな。深作さんが14、5歳の時に終戦だろ。深作さんの世代は、真実の追究にいかないと思う。大人たちに対する何か、不信とか鬱憤とかはあるだろうけど。

――三谷には、世の中が綺麗になっていくことへの苛立ちがありました。

荒井 仲間を裏切って、人肉喰って、日本に帰ったら焼け跡、闇市だった。それが良かったと三谷は言ってるよね。『仁義なき戦い』(73)の冒頭と一緒だよ。深作さんのギャング映画は、日本の経済成長に合わせてヤクザも変化していく。そこに出所した元組員が立ち向かうパターンだよね。だから『解散式』(67)の最後はコンビナートで変わったヤクザと変われないヤクザが決闘して終わる。近代化に対するアンチだよ。『血染の代紋』もその図式だし、ヤクザ映画は大体がそう。襲撃する連中は着流しにドスという古い形で、襲撃される側はネクタイとスーツにピストル。この構図が多いよ。

丸内 芋泥棒だったという証言の回想でも夫役の丹波哲郎が演じますよね。でも丹波哲郎が芋泥棒をしたかどうか実際は分からないはずだから、その回想を丹波哲郎が演じるのはどうなんだろう。

荒井 話を聞いた左幸子が想像して、あの人が……と回想シーンに入るわけだから、別の役者はありえないでしょ。後藤少尉の江原真二郎だって別の回想に出てくるわけだし。それより日本軍の二重、三重の隠蔽工作をもっとスムーズにしないと。千田は捕虜虐殺を隠すために、丹波哲郎たちを殺したわけでしょ。カラーとモノクロの違いは計算?

丸内 佐藤忠男さんの評論には、計算していると書いてあります。(映画評論1972年4月号)

荒井 カラー部分が事実なの?

丸内 佐藤さんは「現実と記憶が混交していって、どこまでが事実で、どこまでが記憶か、ふっと錯覚を生じさせるような手法として効果的である」と。上官殺害と最後の処刑場面は事実ということでしょうね。処刑前に丹波哲郎が「日本人らしく米の飯が食いてえ」と頼むシーンは良かったな。

荒井 あの少ない米をどう食べたらいいか考えただろうね。役者としては勝負所じゃない。

――涙を舐めたら塩の味がして、自分の体の中にこんな旨いものが残ってる。そして急激に餓えを感じ始めた、という三谷の独白は凄いですよね。

荒井 あれは原作にある?

――ありません。

荒井 あのアイデアを見つけるのは、体験者じゃないと大変だよ。

丸内 他にも、死んだ戦友の遺骨を取るために小指を切り取って焼いていたら、その匂いを嗅いで食欲がそそられた、とかさ。俺なんか、とても思いつかない。新藤さんは戦場に行ってないはずだから、取材なんでしょうけど。

――左幸子戦没者追悼式の時に天皇から「おことば」をいただいたり、菊の花を貰えないことを、冒頭では残念に思っていますよね。それが結末では「父ちゃん、あんたはやっぱし天皇イカに花をあげて貰うわけにはいかねえだねえ」と呟きますが、その結論に至るまでの過程が曖昧でした。

荒井 「貰わない」じゃなくて、「いらない」にならないと。それに、天皇陛下から花を貰うこと、靖国に奉られることが左幸子の願いで、そのために真実を追究しているのか。そこも含めてよく分からないんだよ。千田の孫が菊の花を持ってくるときに引っ掛けるのかと思ったけど、何も無かったし。

丸内 あれは現場で考えた感じがしますね。

荒井 助監督が花の種類を訊いてきて、「菊だろう、やっぱり」とか答えたんだろうね(笑)。

丸内 シナリオの段階で「菊の花」と指定していたなら、扱い方も違うと思います。

――シナリオには「小さな花」と書いてあります。

丸内 新藤さんが加減したのかな。靖国にハッキリ背を向けることはどうかと。

荒井 最初に「我が国の軍隊は世々天皇の統率給う所にぞある」と、軍人勅諭(※脚注1)から入るでしょ。深作さんのターゲットは明らかに天皇だよ。だったらもう少し掘り下げないと。やっぱり「あの人は敵前逃亡するような人じゃない」と言う左幸子が引っ掛かる。戦争中の教育だと、国のため天皇陛下のために尽くすのが大日本帝国臣民の務めで、敵前逃亡はそれに背くわけだ。左幸子が戦争中の価値基準で語っているのか、人間として卑怯なことをする人じゃない、と信じているのか今一つ分からない。左幸子自身に実害はないわけじゃないか。あるとしたら恩給が貰えないことだけ。だったら金の問題で引っ張るのも手だよ。観念的だから、なぜ真実を知りたいのか動機が見えない。尺の問題もあるけどね。あと二、三十分あれば、もっと重層的になったと思う。

丸内 なるほど、金で引っ張るという手はありますね。村八分でロクな仕事もなくて困窮していて。恨みを経済で見せる。

――荒井さんがさっき言ったように、A級戦犯が貰えて何で私は貰えないのか、例えばそれを行動原理にして描くのはどうですか。

荒井 それも論理だからな。理屈ではないことを見つけないと。結婚生活もほとんど描かれてないじゃない。召集令状が届いた夜、布団の中で抱き合って、堪えられなくなった左幸子が便所で泣き崩れるだけでしょ。それだけで「あの人は敵前逃亡するような人じゃない」と思ってしまうのが……。例えば『パッチギ! LOVE&PEACE』(07)は、朝鮮人のお父さんが日本軍に徴兵されたけど、そこから逃亡して生き延びてくれたから私が生まれた、と逃げたことを肯定している。この映画は逃げたことを否定から入っているよね。当時の庶民がタテマエで敵前逃亡を否定するのは当然だけど、そこからの描き方だよ。左幸子があそこまで執拗に知りたがる動機を、もう少し描けば戦後批判になった。戦争中の軍隊だけじゃなくて、戦後の日本も同じだと。「勝手に始めた戦争のケツだけ取らされる」というセリフもあるし、師団参謀だった千田は、東南アジア開発公団の幹部になって儲けたんでしょ? そういう戦後の有り様。自分たちは戦争をしないけど、よその国の戦争で儲けて日本は豊かになったわけじゃない。朝鮮戦争ベトナム戦争がそうだよ。戦争でメチャクチャにしといて、戦後はその賠償としてインフラ整備を請け負って儲けたんでしょ。

丸内 千田は引退している姿より現役にしたほうが良かったですね。顧問をしているところに左幸子が訪ねてくる展開にして。

荒井 そっちで考えると、どんどん膨らむ。ただ、孫娘と歩いている千田が振り返ると左幸子が立っている、あのカットの繋ぎは上手かった。

――上官殺しについてはどう思っているのか、夫の真相に対する左幸子の評価がないですよね。佐藤忠男さんは「兵隊が上官を殺すということ以外に戦争の真の解決はない、ということを語りかけている。そして、上官殺害の意味を追究することなく、それを死刑にしてさらに遺族年金のあり方、といったところに問題を縮小していったのが戦後だ」と書いています。

荒井 その論理を敷衍すれば、天皇を殺せと言っているわけだ。『私は貝になりたい』(59)がリメイクされたけど、上官の命令で捕虜を殺しても有罪になる。理不尽な命令には反抗しなければいけない、という東京裁判の論理があるからでしょ。でも、上官の命令は天皇陛下の命令なんだよ。命令に逆らうなんて日本軍ではありえない。そう抗弁しても、BC級戦犯はほとんど死刑になった。それに対するアンチとして、とんでもない命令を下す上官は殺してもいい、という論理は分かるけど、それは東京裁判の論理だよ。アメリカ軍だって、上官の命令に背いてもいいってことになったら、軍隊が成り立たないでしょ。そういうヒドイ命令を出す上官はいないという前提なんだろうな。あるテーマに向かって作ったのは分かるけどさ。実際、上官殺しは結構あったと思う。「弾は前から飛んでくるだけじゃない」と言われていたらしいから。

――「天皇陛下……」と絶叫したまま、セリフの途中で丹波哲郎が処刑されますよね。「……万歳というつもりだったのでしょうね」と訊ねる左幸子に向かって、三谷が「いや、そうは聞こえなかった……何か訴えかけるような……いや、抗議するような……そんな叫び方でした……」と言います。これも天皇批判ということですか?

荒井 何を言うつもりだったのかで、天皇批判に繋げている。天皇(制)批判の程度、ホドかと思うけど、もう少し突っ込んでほしいな。『大日本帝国』(82)で笠原さんは、BC級戦犯容疑で絞首刑にされる篠田三郎に「天皇陛下、お先に参ります」と言わせてる。

丸内 笠原さんのメッセージは強烈だった。当時『大日本帝国』を見て、激しく揺さぶられたのを覚えています。

荒井 ただ、左翼からは言葉の表面的な意味を捉えられて、大日本帝国を肯定している映画、右翼からは天皇を批判している映画だと、双方から批判された。笠原さんに本当の狙いを聞いたら、そりゃあ決まってるだろ。後から来いよ、責任とって死ねという意味だよと。

丸内 『軍旗はためく下に』は三谷が言っている分、弱いですね。

荒井 もう一押しなんだよ。例えば、真実が判明した後、遺族年金が支給されて、天皇からも菊の花が貰えることになった。そこで左幸子がどんなアクションをするのか。深作さんだったら、菊の花を「いらない」と投げ飛ばしたところでストップモーションだろ、とか材料があるから色々考えられる。戦争中にニューギニアで起こった出来事だけじゃなくて、戦後の左幸子や三谷の在り方で「何かを無かったことにしていく日本の戦後」を描けたよ。でも天皇を扱うのはタブーに近いから、深作さんのやりたいことができなかったのかもしれない。俺もいざ自分がやるとなったら怖いものがありますよ。

――天皇批判に対して、当時は賛否両論あったんですか?

荒井 当時、俺は観てなかった。社会派映画の括りだったから。マジメな映画作って、深作欣二はどうしちゃったんだと思った。『君が若者なら』(70)も作った新星映画社は共産党系の独立プロなんだよ。後年、深作さんが自分の金で原作を買ったと知って、そうかマジだったのかと思った。

丸内 公開していたのは覚えてるけど、俺も当時、観に行きたいと思わなかった。

荒井 丸内はこの頃、何やってたの?

丸内 裁判中ですよ。大学のバリケード封鎖解除でパクられて保釈されて。これからは学生じゃない、差別・抑圧された人たちが世の中変えるんだって、部落に住んで鉄筋工になって、工事現場で働いてた。

荒井 72年って連赤の年で、これからどうしよう、みたいな時期だよな。日本の戦争映画自体、観る気がしなかった。俺が観たのはだいぶ後だよ。初めてこの映画を観た時は、深作さん本気で怒ってるなと思った。

丸内 俺もそんな感じだったけど、なぜか『大日本帝国』は当時観たんですね。

荒井 それも俺なんか観たくなくて、笠原さんにインタビューするので観た。『二百三高地』(80)も観てなかったし。日本の戦争映画は嫌なんだよ。どうしてこんなにバカなんだ、理不尽なんだって、日本や日本人のダメなところを見せつけられて、結局、なんでこんな戦争を始めたんだ、誰が悪いんだ、何が悪いんだというところにいかざるを得なくなるから。ただ、アメリカの戦争映画は好きよ、勝つから(笑)。ナチスものも好きだなあ。『地獄に堕ちた勇者ども』(69)、『愛の嵐』(73)、『将軍たちの夜』(66)、『ブルー・マックス』(66)、『戦争のはらわた』(75)とか。

――当時の評論はどれも「深作欣二最良の映画」と書いてありました。キネ旬のベストテンでも2位にランクインしています。

丸内 2位なの? この手の映画に弱いね、評論家は。

荒井 社会的なテーマを扱うだけで“最良”なんだよ。『闇の子供たち』(08)も阪本順治最良の映画になっているんじゃないの。告発する主体をどう設定するかが一番難しいのに、『闇の子供たち』はそこが駄目。タイにおける幼児買売春、臓器売買を暴露しただけで、センセーショナリズムに乗っかった客が入ったんだよ。描かれたテーマだけが評価されて、どう描かれたのか、映画としてどうなのかが全く論じられていない。

――『軍旗はためく下に』にしても、告発する左幸子の設定をどうするかですよね。ただの狂言回しになったらつまらないし。

荒井 それに色々な証言によって、事件の真相が解明されていく形式だからドラマになりにくい。戦友たちの遺書を届けるという『あゝ声なき友』(72)にしても結局エピソード集になっちゃう。だから左幸子にドラマを作らないと。戦争に行かないでくれと言えなくて、左幸子が便所で泣いているシーンがあるけど、「名誉の戦死をしてこい」と夫を送り出した女房もたくさんいるわけじゃない。でもそれはタテマエで、敵前逃亡してでも生きて帰ってほしいという、二面性もあるわけだよね。例えばそこを掘り下げるとかさ。あとは、意味のない娘(藤田弓子)なんか出さずに、丹波哲郎の親を出して、母親と女房の立場の違いを描くとかね。あと、日本が戦争映画を作ると必ず欠落しているのが、加害の問題と現地にいる人間が全然出てこないこと。

――ニューギニア戦線は、土民からの攻撃もあったんですよね。

荒井 戦艦武蔵が沈んで、生き残った兵が泳いで島に辿り着くと、待ち構えている土民に殺された。

――新藤さんの初稿は、日本兵が現地の女を夜這いするシーンから始まるそうです。

荒井 東京裁判極東国際軍事裁判/※脚注2)で連合軍が裁かなかったのは植民地の問題。それは連合国側もやってきたことだから。パール判事(※脚注3)が「裁く手は汚れていないのか」と無罪を主張したわけ。イギリスの植民地だったインドの出身なんだよ、パール判事は。だからその考え方ができた。それと連合国は化学兵器、細菌兵器の問題も裁かず、その研究成果と取引する形で不問に付した。裁いたら、自分たちの手を縛ることになるからね。案の定、後年になって自分たちがベトナム戦争で枯れ葉剤を使った。

――左幸子じゃないと主人公になりえないですかね。例えば三谷を主人公にして、左幸子が訪ねてくるところから始めるとか。三谷は真実を隠しながら左幸子と行動を共にするんです。

荒井 当事者は真実に迫ろうとしないでしょ。戦争経験のない世代から出てくるんだよ。内部告発はなかなか出てこない。『ゆきゆきて、神軍』(87)の奥崎謙三がいるけど。奥崎もニューギニア戦線だね。作さん、どうして「ヤマザキ天皇を撃て!」をやらなかったのかなあ。

丸内 内部告発は描き方、難しいよね。『ひかりごけ』(92)があるけど。

荒井 映画になってないけど「『暁に祈る』事件」もあるよ。シベリア抑留で日本人捕虜の隊長を任された上官が、労働のノルマを上げるために日本人をシゴいてたの。捕虜になっても上下関係と階級制は残るからさ。結果、連合赤軍みたいにリンチで何人も殺しちゃった。国会でも取り上げられたんだよ。日本に戻ってから告発があったんでしょ。あと、最後にタイトルが出るよね。「太平洋戦争戦没者 戦闘員240万人、非戦闘員70万人」と。今はそれより多くて340万ぐらいだけど、戦死と言ってもほとんどが餓死と病死なんだよ。アメリカ軍の銃弾で死んだわけじゃない。食料は現地調達が日本の伝統だから、自分たちの分を確保するので手一杯。捕虜をとっても、食料がないから殺すことになる。南京大虐殺(※脚注4)もそれ。自国の兵を餓死させた指導部、これは連合軍は裁かなかったわけだから、日本人が裁くべきだよ。

――天皇制に対する考え方は、時代を経ても変化はありませんか?

荒井 徐々に変化しているとは思うけど、戦争責任なんて考えない連中が圧倒的多数でしょ。お正月にあれだけ皇居に人が集まるんだから。愛子さまがどうした、雅子さまどうした、週刊誌ネタも相変わらず多いし。深作さんが紫綬褒章を貰ったときは、どうなのよと思った。あんなに天皇批判をした人なのにさ。紫綬褒章は勲章と違って天皇が出すわけじゃない、という言い訳もあるけど。とはいえ天皇問題は微妙だよ。笠原さんにしても、自宅に行くと紫綬褒章が飾ってあった。現実に自分が選考されたらどうするか考えるよね。昔、大岡昇平文化勲章を授与されることになったんだけど、私はフィリピンのレイテ島でアメリカ軍捕虜になった経験があるので、とてもじゃないけど天皇陛下からの勲章は貰えないと断った。つまり、生きて虜囚の辱めを受けたということだね。これは痛烈な皮肉だよ。そういうことがあったから、受け取るかどうか前もって確認するようになったみたい。受け取らない人は発表しないわけ。断られたことになるからさ。だけど、この映画で天皇の戦争責任、天皇が悪い、とはなかなか結びつかないんじゃない?

――人肉喰いや上官殺害のインパクトが強かったです。

荒井 上官の命令は天皇陛下の命令、ということは兵隊がした責任は天皇にあるわけ。東京裁判の時に「天皇の命令に背いたことをするわけないじゃないか」と東条が証言しようとしたら、それはマズいと止められたんだよ。戦争を始めたのも天皇の責任になるからね。天皇を守るため、国体護持のため、東條が罪を背負うと決意して、戦争責任は東條たちA級戦犯にすり替えられた。天皇免責は連合軍と東条というか、日本の指導層の合作だよ。東京裁判はおかしいと言いながら、そこだけ頂いて、天皇は戦争に反対だったけど、軍部が暴走したという考えで正月から皇居に行って、万歳万歳。どうしようもないね。中国も同じで、文化大革命毛沢東がはじめたことなのに、四人組(※脚注5)のせいにして毛沢東を免責している。ドイツもヒットラーナチスに責任を押しつけるけど、ナチスを支持して、ヒトラーを首相にしたドイツ国民は何も悪くなかったのか。靖国の問題にしてもそう。日中国交回復の時、悪いのは一部の軍国主義者(A級戦犯)で一般の日本国民は悪くないという、内向けの公式的な見解を中国共産党が出して中国国民を納得させたわけ。それなのに、日本がA級戦犯靖国神社に奉ったら中国人は納得しないよ。

――劇中、アレンジされた「君が代」が流れていましたね。

荒井 ウッドストックのジミヘン(※脚注6)みたいに国歌をボロボロに演奏してたね。あれが1969年だから、当然その影響があると思うよ。

――音楽・林光、とクレジットされています。

荒井 左翼の作曲家だよ。

――脚本に連名されている長田紀生という方は。

荒井 長田さんは当時二十代後半だったかな。戦後派としてどこを書いたんだろう。

丸内 新藤さんと一緒に書いたんですか?

荒井 降旗康男の『地獄の掟に明日はない』(66)、深作さんの『博徒解散式』(68)、『恐喝こそわが人生』(68)を神波(史男)さんと、藤田(敏八)さんの『修羅雪姫 怨み恋歌』(74)、市川崑の『犬神家の一族』(76)を書いて、『ナンバーテンブルース』(74)というのを監督してる。深作さんが引っ張ってきたんじゃないかな。新藤さんのシナリオをだいぶ直したんだと思う。直したいとお願いしたら、新藤さんは「“僕は”直しません」と答えたらしいよ。直したいのなら、どうぞご勝手にということらしい。新藤さんが直さないのは有名じゃない。俺は直すのに、プロデューサーの間では荒井は直さないという評判が立ってるから困るんだよ。

丸内 イメージが先行するんですよ。実際は直していても、普段言っていることが違うから。

荒井 俺は、他人に直されるくらいなら自分で直すよ。

(2008年10月11日 日本映画学校にて)

【脚注】

脚注1 軍人勅諭……正式名称は「陸海軍軍人に賜はりたる勅諭」。1880年天皇親率の軍隊としての性格を付与するために勅諭の形式をもって発布された。高揚した自由民権運動に対する弾圧と統帥権の確立による絶対的権力の保持を目的としている。

脚注2 東京裁判……第二次世界大戦後、連合国によって行なわれた日本の戦前・戦中の指導者二十八人(昭和天皇は訴追せず)を「重大戦争犯罪人」として審理した国際軍事裁判。裁く側がすべて戦勝国だったことから、"勝者の裁き"とも呼ばれる。

脚注3 パール判事……本名はラダ・ビノード・パール 。インドの法学者、裁判官。日本では主に東京裁判の判事を務め、十一人の判事の中で唯一、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)を作成した。

脚注4 南京大虐殺……日中戦争初期の1937年に、日本軍が中華民国の首都・南京市を占領した際、多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。

脚注5 四人組……文化大革命を主導した政治局員、江青張春橋姚文元王洪文の総称。「文革四人組」や「文革カルテット」とも呼ばれる。プロレタリア独裁・文化革命を隠れ蓑にして極端な政策を実行し、反対派を徹底的に弾圧したが、毛沢東の死後に失脚し、特別法廷で死刑や終身刑などの判決を受けた。

脚注6 ウッドストックのジミヘン……1969年8月、ジミ・ヘンドリックスが六人編成でウッドストック・フェスティバルのトリを務め、音楽史に残る名演「The Star-Spangled Banner」(アメリカ合衆国の国歌)を演奏。フィードバックやアーミングといったエレクトリックギターの特殊奏法の限りを尽くし、空襲で民衆が泣き叫び逃げまどう様子を完璧に再現してみせた。これは泥沼化して先が見えないベトナム戦争と、希望のない戦争にのめり込むアメリカ合衆国への痛烈な批判だった。後年、ミック・ジャガーローリング・ストーンズ)はヘンドリックスのアメリカ国歌演奏を「1960年代最大のロック・パフォーマンス」と賛美している。

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