映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

緊急座談会「『映画芸術DIARY』よ、どこへ行く?」<br>映芸ダイアリーズ

 インターネットの広がりに伴い、誰もが映画について自由に発言することが可能になりました。その結果、映画そのものだけでなく、映画について語られる言葉もまた供給過剰の状態に陥っています。こうした状況の中にあって、観客と作り手と媒体はどのように映画を受容し、発信していくべきなのでしょうか。

 「映画芸術」424号では「ボーダレスクリティック――境界線なき発言者たち」と題した特集を組み、「インディペンデント映画誌座談会」や「インターネット映画評ブログ発信者対談」などの記事を掲載するとともに、16人の作り手に「作品を語る言葉に望むこと」をテーマとした文章を寄稿していただきました。しかし、その特集で明らかになったのは、そうした問いに対する明確な答えなど存在しないということだったように思います。

 では、「映画芸術DIARY」は今後どのようなビジョンを持って活動を展開していくべきなのか。本サイトで映画評を担当する各氏にそれぞれの思いをたっぷり2時間、語り合ってもらいました。

(司会・構成:平澤竹識 構成協力:加瀬修一)

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映芸ダイアリーズ

ザッツ 映芸ダイアリーズ!!

――今日はWEB上での批評行為はどうあるべきか、また今後の「映画芸術DIARY」の方向性はどうあるべきかという流れで話を進めたいと思ってます。そこで、まずはみなさんが現在に至るまでの経緯を話してもらえますか。

若木 「映画芸術」にもちょくちょく書いている通り、日本映画学校出身です。学生時代は映画評論家に憧れてたけど、なり方が分からなかった。脚本ゼミを出てアシスタントから始めましたが、付いた脚本家とどうも合わなくて。その人に魅力を感じないならタダ働きに耐えても無意味だと数年後にやっと気付いて逃げました。新宿昭和館でバイトしながら個人映画・自主映画の世界も少し覗いてみたけど、貧乏はますます酷くなる。このまま映画人と付き合ったら人生を棒に振ると思った(笑)。十年以上前からテレビや企業・官公庁ビデオなどの構成を始めて、この間はもう、映画は観るだけだったんです。Vシネマのホンをゴーストで書いたこともあるんですが、引き上げてもらえるきっかけにはならなかった。一昨年、知り合いに前編集長の武田さんを紹介され、その後で原稿の依頼をもらった時は、二十年近くかけて振り出しに戻ったなあ……と、つくづく思いました。

金子 僕はテレビ番組の構成やシナリオの仕事をしています。映画的な出自で言うと、学生の時に神代辰巳監督の遺作に制作として参加させてもらったり、渡邊文樹監督の『腹腹時計』で撮影助手と出演をやったり。あと、学生時代から個人映画を撮っていて、アートフィルムを美術館やギャラリーを中心に発表しています。批評のほうでは学生時代に週刊誌に初めて原稿を書いて、それ以降は書評や長めの評論を書いたり。自分が過去に書いた文章は「シネマの舞台裏」というブログにまとめているところです。

――商業映画の現場で上を目指そうという気持ちはなかったんですか。

金子 現場で結構いじめられたんですね。それで徒弟制度の中で生きていくのは自分には不可能なんじゃないかと失意のどん底に陥って。そんな時、憧れていたジョナス・メカスにニューヨークまで会いに行ったんです。アンソロジー・フィルム・アーカイヴという、イースト・ヴィレッジの2階が映画館で1階が事務所になっているところなんですが、そこに行ったらメカスが歩いて来て、「メカスさんですね?」と声をかけた。そしたら彼はちょっと考えてから「いや、俺はメカスじゃない。君がメカスだ」と。

一同 (笑)

金子 街路樹を指して、「この枝、この葉、この樹がみんなメカスなんだ」って言うんですよ(笑)。これはもう、彼のフィルム日記を真似して前衛映画を撮るしかないと思って、それからはずっとそういう映画を撮っています。8ミリと16ミリを使って旅日記みたいな形で撮るんですが、これまでにイラクセルビア奄美群島にも行きました。

近藤 僕は昔から映画をたくさん観ていたし、自分で撮りたいと思ってたんですけど、学校に入って学ぶという意識が全くなくて、10代の頃はこのまま撮っていれば監督になれるだろうと思ってたんです。それが浪人時代に熊切和嘉監督の『鬼畜大宴会』をたまたま観て、映画そのものよりも、大学の寮に住んでいるやつらだけで卒業制作を撮ったというところにパワーを感じて、その翌年に熊切監督のいた大阪芸大の映像学科に飛び込みました。ただ、大阪芸大に行ってからは全然面白くなかったんです。みんな映画を観てないんですね。実習でいきなり「アンゲロプロスをやろう」と言っても、みんなチンプンカンプンでノッてこない(笑)。このまま4年間ここにいて映画撮れるのかなと思い始めて、結局2年で中退して東京に戻りました。それから1年に1本映画を撮って公開するということを自分に義務づけて、今までに6本の作品を撮り、アップリンクやトリウッドで上映してきました。最近はCO2に企画書を応募したりして新作の準備をしています。

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近藤典行(映画作家

深田 僕も高校時代から映画を観るのは好きだったんですが、当時は自主映画の存在すら知らなかったし、自分が作る側の人間になれるなんて考えたこともありませんでした。でも、大学に入ってからユーロスペース映画美学校のチラシを見つけて夏期講習を受けてみたんです。講習では生徒同士で話し合い企画を数本選んで映像化するんですが、その時に自分の企画が落ちたんですね。その悔しさもあって、そのまま初等科に進んで3年の研究科まで行きました。卒業後は自主作品を3本撮り、東映アニメーションの企画で『ざくろ屋敷』を撮ったのが2年前。その間スタッフとしていろんな自主映画の手伝いに行きました。プロの現場でやっていた時期もあったんですが、やはり徒弟制度の厳しさに挫折して……。

CHIN なんかそれ、キーワードになりつつあるね(笑)。

近藤 俺も入れとけばよかった(笑)。

深田 ある作品に装飾助手としてレギュラーで入ったんですが、まぁ殴られる、蹴られるの毎日で(笑)。なんとか1ヶ月半は耐え忍びましたけど、プロの現場で下積みから上がっていくことはできなかったですね。

――青年団に入ったのはその後ですか。

深田 そうです。僕は基本的に演出に自信がないんですね。いざ役者を前にして演出をつける時に、方法論もないし、人生経験も乏しいし、どうしたらいいか分からない。その時に青年団の芝居を観て、これはそのまま映画に持ってこられると思ったんですね。基本的に演劇の芝居は映画に持ってくることができない質のものだと思います。でも青年団の芝居というのは、比較的そのまま映画にシフトできるぞと思って、演出部の募集があった時に勉強のつもりで応募してみたんです。その時はまさか受かるとは思いませんでしたが、なんとか拾ってもらって現在に至っています。

加瀬 僕は元々は演技に興味があって、高校では演劇部に所属してどっぷり演劇にはまってました。それで高校を卒業してから舞台芸術学院というところで演技と演出を勉強したんです。特に講師で来ていた劇作家で演出家の金杉忠男さんからは、演技の見方や物事の捉え方などかなり影響を受けました。ただ、僕も閉じた身内意識だったり、理不尽な上下関係だったりにどうしても馴染めなかった。若い頃は自分の了見も狭かったので、創造的なことよりも処世が大事みたいなことが許せなかったんです。でも元々映画が好きだったのでなんとか映画をやる道はないかと、オーディションを受けたりしましたけどダメでしたね。あとは新宿の中古ビデオ屋でヤクザにどやされながらビデオ売ったり、普通に営業やったり、東京現像所で働いたり、よく分からないことばっかりして彷徨ってました(笑)。その間に自主映画みたいなこともやったんですが上手くいかない。人と何かを作り上げることができないのかとどん底の心境になって、もう映画館に入り浸る日々でしたね。

若木 「映画芸術」と関わるきっかけは?

加瀬 僕が中野ブロードウェイの「レコミンツSIDE-B」というDVDの店で働いていて、荒井(晴彦)さんがよくCDの店にお客さんとして来ているのをお見かけしていたんですよ。それで思い切って「サインいただけますか」と声を掛けたんです。そうしたらニコッと笑顔で対応していただいて。ずっとファンだったので嬉しくて、あの笑顔は忘れられませんね。それ以来、何かと気に掛けていただくようになって。ある時、編集部の手伝いに呼ばれて、その縁で今ここにいるという(笑)。

CHIN 僕は高校生までは陸上競技をやってて、長距離でオリンピックとか出たくて……。

一同 (笑)

CHIN ただ映画は子供の頃から好きでした。親が好きで見せてくれてたんですよ。75年生まれだから80年代はジャッキー・チェンばっかり。でも、テレビで観る他の映画も好きで『リオ・ブラボー』に興奮して、お年玉でおもちゃのライフルを買いに行ったりしてました。陸上はケガをして高校2年でやめたんですけど、時間もエネルギーも余っちゃって市民の映画サークルに参加したんです。どこの地区にもありますよね、月1回公民館借りて上映会みたいなやつ。そういうのを手伝っていて、その頃に機関紙にちょっと書いたり、16ミリ映写機の使い方を覚えたりして。それで93年頃、東京にもあったACTミニシアターが、大阪にも小屋を出したんですね。高校3年くらいの時に通いつめて、バイトの人達とも仲良くなって。大阪の大学に入った時にACTでバイトを始めました。劇場で本格的に35ミリの映写をやり始めたのはここからですね。いろんなバイトもやったけど、映画館が一番続いたんですね。掛け持ちで3~4館、映写ばっかりしてました。上京のきっかけは、7年ぐらい前にアテネ・フランセが日本・メキシコ国交100周年みたいなイベントを大阪でやったんですよ。ブニュエルやエミリオ・フェルナンデスの映画。その時に来ていたアテネのスタッフに「映画美学校の試写室の人が辞めるんだけど来ない?」と誘われて上京したという流れです。映画を勉強したい野望もあったけど、結局流されて今に至っているという。

――「映画芸術」に原稿を書くようになったきっかけは?

CHIN 詳しいことは思い出せないんですけど、3~4年前、武田さんに頼まれて、王兵監督『鉄西区』の作品評を書いたのが最初です。「映画芸術」に書く前は、なんか機会があれば書くという感じでした。大阪時代にシネ・ヌーヴォという映画館で働いていたんですけど、上映企画を考えたら企画書を書くし、プレスが無ければ書くし、チラシの文章も書くし、そういうのは昔からやってましたね。

若木 プロフィールって、だいたい「現在に至る」と締めるものだけど、あちこちでつまずいてきた連中がこうして「映画芸術」の編集部に集まるに至るのは、果たしてどうなんだ(笑)。

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若木康輔(ライター)

ネット上での映画批評はどうあるべきか?!

――「ネット上での映画批評はどうあるべきか?」という質問は漠然としているので、「映画芸術」最新号の感想を交じえながら、みなさんが映芸ダイアリーに文章を書く時に意識していることを話してもらえないでしょうか。

若木 古谷利裕さんとモルモット吉田さんのブログ発信者対談で「ブログでは自分さえ分かればいいという一発書きですが、紙媒体に書くときにやはり客観的な視点は持とうとします」という発言があって、それに僕はすごく引っかかった。字数制限とか以外に、僕にはネットと紙で書き分ける意識がないから。

近藤 書き手として、紙媒体とネットの違いはないという考え方はあると思うんですけど、媒体が変われば、いろんな違いが出てくるじゃないですか。一つは本で活字を読む人とパソコンのモニターで見る人の違いがあるし、書き手が意識していなくても受け手の意識は違ってくる。そういう読み手を想定することで、書き手も影響を受けることがあるんじゃないですか。

若木 でも、ブログの世界はだらしないな、と思うのが正直なところなんだよね。そもそもブログでは好き勝手にものが言えるという考えがよく分からない。ネットが自由空間だというのは、幻想なんじゃないかな。

――でも雑誌の依頼で書く場合、どの映画を観るというところから指定されるわけじゃないですか。そういう制約がないという意味でも自由だろうし、雑誌のカラーに影響されずに書くという意味でも自由はあると思いますよ。

若木 そうかもしれない。要は、自由にものを書けるのがそんなにいいことか? と思うんだよ。映芸ダイアリーで『片腕マシンガール』を書いた時、他の評も読んどくべきだと思って検索したら、ちゃんとしたのがなかなか見つからない。プレスに載ってることや誰かの受け売りばかりだった。自分のブログでだよ? それがすごくショックだった。昔は映画評論家になるにはまず配給や宣伝会社で働いたり無署名記事を山ほど書いて経験を積んだり、そういうハードルがあった。確かに今はブログを使って自分で発信できるんだから、地方からもスゴい人がもっと出てきていいはずなのに、みんなでプレスの受け売りを回してる状況は何なんだろう。映画評には実はれっきとした能力が必要だということが、誰もが書ける環境になって初めてハッキリしてきてるんじゃないかな。

――深田さんも本誌でブログに対する違和感を書かれてましたよね。

深田 もちろん中には面白いものもありますけど、僕の根本には、人間なんてそんな面白いもんじゃないという思いがあるんです。「全てのものの9割は屑である」と言った人がいますが、自分も屑のうちの1人だし、自分には価値がないというところから僕の物の見方はスタートしてる。ブログが持てはやされるのは、前提として自分には価値がある、個々人の発言には意味があるという幻想があるからだと思います。ブログはその幻想が並んでいるような感じがしてどうも信じられないんです。

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深田晃司(映画監督)

金子 僕はブログは2種類あると思ってます。若木さんが問題にしているブログというのは、匿名の個人がやっているものですよね。でも匿名性に隠れないで自分の名前をさらしてやっているのが、ブログ発信者対談のお二人だと思うんです。ただ垂れ流している人と発信者になっている人では、発言に対する責任の取り方が全然違う。だから、ブログを一括りの何かとして捉えるんじゃなくて、分けて考えた方がしっくりくると思います。本誌の対談でも、名前を出してる発信者の下に小さな共感コミュニティが出来ているという話がありましたが、彼らが喋り言葉で書く印象批評や感想に近いものが一定のコミュニティにはちゃんと届いている。それはそれで機能しているんじゃないでしょうか。ただ、誰も彼もが名前を出したからといって発信者になれるかというとそんなことはないですが。

深田 インターネットが普及する前に、評論家の方が映画雑誌に書いていた文章の中にも当然、面白いものとそうでないものがあったと思うんです。7:3くらいの割合でつまらないものが多かったかもしれない。だから、今は量が無尽蔵に増えすぎたことで、面白いものが目につきにくくなったという状況もあるんじゃないでしょうか。

――その前に映芸ダイアリーの批評が読者の方に面白いと思われているのかという疑問もありますが……、まぁその話はしないでおきましょう(笑)。

金子 加瀬さんとCHIN-GO!さんに伺いたいんですけど、映芸ダイアリーはクオリティを保つために、紙媒体と同じように長めの文章を載せてるじゃないですか。でも実際にネットで映画の情報や解説を求める人はあの長さで読むのかなという疑問があるんです。あとは文体の問題ですよね。縦書きの雑誌と同じような文体で書いていて、果たして読み手に最後まで読んでもらえるのかどうか。お二人はサイトに書くということで何か工夫はしてますか。CHIN-GO!さんの『デイ・オブ・ザ・デッド』評はブログならではの面白味があると思いました。しゃべり言葉で自分の日常を絡めて書いていたでしょう?

CHIN 書き分けてるわけじゃないんですが、批評とは別個の感想文というか、読み物として書こうという気にはなりましたね。居酒屋の座談と変わらない感じの生きた面白さで書こうと。通りが悪ければどんどん違う言葉に言い替えて、とにかく頭にあるイメージを伝えたい。今は映画も学問になる時代だから、映画についての文章も完成度を誇るというか、脱線せずに破綻のないものを書くのが主流になっている。それぞれの面白さがあると思うんだけど、僕は読み物的な軽い感じを出したいんです。

――ブログの登場で一般の人達が映画を語れる場所ができたんだから、易しい言葉で深く語る批評というのがもっと出てきてもいいと思うんですよね。でも、易しい言葉で語る人達は認識が浅く、認識の深い人達の言葉は難しいという形で、両極端に分離している状況があるような気がします。

金子 そういう意味では、加瀬さんの『ひゃくはち』評は適度な長さで、ストーリーも分かりやすいし、批評もしっかり入ってる。今、平澤君が言った形に一番近い気がします。

加瀬 僕も平澤さんと同じようには感じてますけど、書き分けている意識はありません。ただ、いつも頭にあるのは、どんな映画なのかが分かるように書きたいということです。読む人はまっさらな状態で文章と向き合うわけだから、最低限どんな映画なのかは伝えたい。書き手のテクニックや情報ばかりで映画のことが何も書かれてない文章も多いじゃないですか。そうはしたくないんです。

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加瀬修一(ライター)

どうなる?! 映画芸術DIARY!!

――ひとまずネット上での批評の問題は脇に置いて、映画の批評そのものについて語ってもらえないでしょうか。今の批評というのは大雑把に言うと、物語について語る人と映像について語る人とに二極化していて、その間を繋ぐようなものが足りていないように感じるんですが。

深田 仮にそうだとしても、批評が二極化していることは問題ではないと思うんですよ。例えば、「映画芸術」と「キネマ旬報」にしても、ベストテンに挙げられる作品が重複することは少ないし、水と油みたいに違う。ただ、問題なのは主張の異なる両者の間になんの衝突も起きていないことだと思います。例えば、「カイエデュシネマ」にゴダールトリュフォーが書いていた時代には「ポシティフ」誌という対立雑誌があって、けっこう政治的なケンカがあったみたいなんです。ある映画を「ポシティフ」誌が誉めるから、「カイエデュシネマ」は積極的にけなすとか。まあそこまで極端にならなくても、水と油のように分離したまま、なんとなく共存して何十年も経っているという状況が、映画界の空気を沈滞させてるところがあるような気がします。

若木 「キネマ旬報」は基本的には業界誌なんですね。映画界全体が潤えばいいね、というのが大きな方針だから、映画評論を突きつめて精度を高めていく考えは優先ではないと思います。元のルールが違うから、ケンカの売りようもないんじゃないかな。

金子 そういう意味では、本誌の「インディペンデント映画誌座談会」が面白いなと思いました。映画ミニコミ誌の作り手達というのが、脚本家、学生、DVDメーカー社員、配給宣伝マンという人達なんです。つまり映画界や雑誌メディアの外部にいる人達がムーブメントを起こそうとしている。今、映画雑誌は全然売れない状態なんですよ。例えば「ぴあ」は今年25億円の赤字を出して大規模なリストラをすることになった。老舗の「キネマ旬報」も数年前までは公称5万部と言ってたけど、業界筋によれば実数は2万部くらいだという噂もあります。つまり、「ぴあ」や「キネマ旬報」のような雑誌ですら、みんなが読みたいと思っている映画の情報や解説、批評というものを掬い取れなくなってきている。映画が次々と作られていく状況の中で、雑誌がそのスピードに応じて特集を組んだり、紙面を構成できなくなっているんだろうと思います。ネット・携帯世代の若者は、情報はタダだと思ってますし。

若木 「キネマ旬報」の定期購読者だから言うけど、あそこは映画界全体に目配りしちゃうから、メジャー優先の幕の内弁当にならざるをえない。昔はそのやり方で全体をフォローできたんだろうけど、今はジャンル映画が好きな人はまっすぐ専門誌を読むからね。

深田 そういう形でB級映画ファンの小さなコミュニティができるにしても、そこで何らかの政治が働いて議論が生まれるほうが健全だと思うんです。日本は政治性が忌避される風潮がありますけど、議論が生まれる土壌がなければ、ただコミュニティが大きくなっていくだけで、なんの進展も生まれない。

若木 実は僕、映芸ダイアリーに書き始めてから、仮想敵を探したの。それでこの前、生まれて初めて「映画秘宝」を買ったんですよ。ここかな、と思って。

金子 それはCHIN-GO!さんが反対するでしょう。

CHIN そんなことはないですけど……。今、話の前提になってる対立構造というのがそもそも理解できないんです。自分にとって一番の嫉妬、羨望の対象であり、最大の敵は「映画」そのものなんですよ。映画の作り手でもない。自分の書いた文章が観た映画より面白いかと言ったら絶対にそんなことはないですから。

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CHIN-GO!(映画感想家)

若木 なるほどねえ。でね、「映画秘宝」をめくってみたら意外と感心したんですよ。同好の士が集まって楽しんでるのがよく伝わってくる。個人的には苦手だけど、内輪で盛り上がる文化祭的なノリが魅力なんだろうなあ、と思いました。だから、ここも仮想敵にはならないのかもしれない。

――ただ、せっかく映芸ダイアリーという媒体があるんだから、何らかの議論が起きたほうが面白いんじゃないかという気はしますね。

金子 それは不可能じゃないと思いますよ。長らく蓮實重彦らのいわゆる表層批評が、映画作家に影響を与えてきたじゃないですか。「立教ヌーベルヴァーグ」という言葉もあるぐらいで。あとは「映画秘宝」から登場した人達のホラーやB級映画を中心とする批評も、作り手に影響を与えてきた。彼らは批評家と作り手が相互に刺激を与えあうという点で、幸福な時期をすごしてきたと思います。でも、現実社会への回路を閉ざしてしまうなど、いろいろな功罪もある。10年代にむけてパラダイムが大きく変わろうとしているなかで、表層批評もB級批評も役割を終えようとしているのではないでしょうか。特に僕が一旦こうした流れを断ち切りたいのは、蓮實派にもB級批評にも、一様にペダンティックなところがあるからです。読み手に映画狂的な知識を持つことをうながす批評は、一般の読者を退けて、シネフィルやマニアによる閉鎖的なコミュニティを作り出すことに加担してきたのではないか。だから、今「映画芸術DIARY」としてある立場を取るとしたら、表層批評やB級批評は乗り越えるべき批判の対象になりうる。結局、シネフィルやマニアではない人達に向けて批評を届ける場所を作っていくことが大事なんじゃないかと思います。

若木 同意しますね。本誌最新号でも富田克也石井裕也宮台真司と、期せずして三人の方が、映画は目的じゃなくて、人生という目的のために映画があるんだという意味のことを書いている。

深田 それは脅威ですね。自分の生き方を否定されてるみたいで(笑)。

若木 だから、そこは金子さんが今言った、ペダンチックには気を付けようってことじゃないの? 知ってる固有名詞の数を競い合うゲームはそろそろやめようよというさ。

CHIN 僕が最新号を読んで気になったのは、古澤健さんの『片腕マシンガール』評と松江哲明さんの『TOKYO!』評なんです。この歯切れの悪い語りというのは、映画の作り手でありながら映画について文章を書いてる人達の苦さだと思うんですよ。この人達は本来めちゃくちゃ映画狂なわけです。普段は固有名詞を羅列するような会話ばっかりしてると思います。でも、それを自らに戒めて違うところで映画を語ろうとしている。その困難を引き受けようとする気概を感じて好感を持ちました。やっぱり作り手から文章を募る回路を「映画芸術」が持ってることの意味は大きいですよね。それって一般の観客である読者には親切なことじゃないんです。商業性とか客観性とは無縁の文章にならざるをえないし。でも、それは意味のある偏向、歪みなんじゃないかと思います。

近藤 ただ、そうすると批評が一般の観客からはどんどん遠ざかっていきますよね。

若木 でも作り手に限らず、映画について文章を書こうと思う人って、その時点でもう一般の観客とは違ってきてるわけでしょう。作る人でもなく、見る人でもない。その時点で偏向は生まれているんじゃないかな。

――作る人でも観る人でもないからこそ、その間を繋げられるんじゃないですか。

若木 先日、白鳥あかねさんが「スクリプターは孤独な仕事なんだ」と話すのを聞いたんですよ。現場で突発的に良いアイデアが出て、スタッフ一同がワッと盛り上がる。そこで一人だけ冷静に「でも、これをやると前後のカットがつながりません」と水を差さなきゃいけない役割なんだと。それを聞いて、あ、批評ってこれかなあと思ったわけ。良い映画が出来てみんなが盛り上がり、逆に駄作はみんなが叩く。そんな流れとは離れたところに一人で立って冷静な判断に努める仕事なのかなと。ほんとに孤独な作業だけどね。

金子 それがいいんじゃないですかね。作り手にインタビューをしたり、そういう付き合いは保ちながらも、作り手に対して映画のここは良いとか悪いとかをきちんと言う。また観客に対しては、この映画はこういうものであるみたいな見方を発信するという。

若木 だから、ファン代表のつもりでもいけないのかもしれない。もしかしたらサッカーのサポーターに近いのかな。俺達はこれだけチームに忠誠を誓ってるんだから、言うべきことは言いますよという。

深田 ただ、映画雑誌も資本の流れに逆らえないわけで。そういう意味では、作り手や観客の盛り上がりと隔絶した場所で批評を書くという行為が現実的に可能なのかどうかという問題があるんじゃないですか。

若木 もちろん今言ったことは理想論でね、もしも僕が「キネマ旬報」に原稿を依頼されたらパブ記事でもがんばって書くよ(笑)。それは商売として仕方がないけど、本気で良くないと思う作品まで無理に誉めないことが最低限のモラルになると思う。ただ、日本人は昔も今も、みんなが行くところにダーッと集まる傾向があるから、「いや、ちょっと違うかもよ」と水を差して嫌われる存在はやはり必要なんですよ。逆に言えば「映画芸術」だって、これはと思う隠れた傑作があれば、猛烈にプッシュすることがあってもいい。

深田 そうですね。カイエデュシネマもある映画を誉めたいがために、ある映画を意図的にけなしていくということをやっていた。ヌーヴェルバーグの作家の中には「黒澤明を批判していたのは、溝口健二を擁護しなければいけなかったからだ」と言っていた人もいたぐらいで。もちろん、そういう政治性の良し悪しは判断が分かれるところだと思うんですけど、やっぱり数を軽視しちゃいけないと思うんです。カイエデュシネマだって元々は同人誌なんですよ。それが世界的に影響力のある雑誌にまで成長したのは、そこから優れた監督が何人も出てきたということもあるけど、意図的に他誌との対立構造を作って注目を集めたことも大きいのでは。必ずしもこれと同じことをすべきだとは思いませんが、とかく日本では政治が敬遠されますけど、そういう戦略を持てば資本主義のシステムに乗らなくても読者の数を増やすことはできるんじゃないかと思います。

――そうすることで収益も上がるし、議論もさらに深まっていく可能性があると。

金子 加瀬さんに質問させてもらってもいいですか。映画ライターというのは板ばさみになる立場にいますよね。ある程度は宣伝会社に配慮しなければいけないし、雑誌のカラーにも合わせて書かなくちゃいけない。さらに日本の映画産業、つまりテレビ局、広告代理店、映画会社、配給宣伝会社とメディアは、どんな低級な映画でもカバーして売り込めるような一種のコングロマリットを形成している状況があります。そういう中で映画の一書き手という立場の人間が、映芸ダイアリーのような場所を与えられた時に、どのように戦い、どのような倫理的態度でふるまえばいいのか、と悩むんです。

加瀬 お金をもらえるような仕事はほとんどしていないので答えにならないかもしれませんが、本誌のインタビューで『靖国』の宣伝を担当した吉川正文さんが「既得権益のない人間こそ何かを変えることができる」と話されていてすごく共感したんです。自分も誰かに期待されてるわけじゃないし、思ったことをストレートに書けばいいんじゃないかと思ってます。

若木 例えば「映画秘宝」から、B級ホラーのこの作品を是非プッシュしたいんですよ、と原稿の依頼があったとしたらどうします?

加瀬 自分が良いと思ったことは良いと書くし、ダメだと思ったことはダメだと書くと思います。その原稿で「この人は今回きりだな」と思われても、それはしょうがない。

金子 それはみんな同じですよね。お金をもらってライターの仕事を受けた時点で自立性は保てない。でも、批評精神みたいなものを持ち続けるのは可能なんじゃないでしょうか。だから映芸ダイアリーという場は、既得権益とは関係なく、健筆を振るう場所なのかなと個人的には思ってるんですけど。

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金子遊(映画批評家

加瀬 この前、映芸ダイアリーに映画評を書くために『ビルと動物園』という映画の試写を観たんです。ただ、その作品には良いと言い切れるところが見つからなかった。先ほど金子さんが批評と作り手が刺激し合う関係になればと話していましたが、そういう意味で書くべきことが思いつかなかったんです。それで「すいません、これは勘弁してください」と断らせてもらったんですね。

金子 書かないこともたしかに批評的な態度ではあると思うんですけど、そこで批判や悪口を書けるのも映芸ダイアリーという場の良さだという気もするんですよね。

若木 僕も映芸ダイアリーで書く予定で『ロックンロール★ダイエット!』の試写を見たら、どうにもならないものだった。良い悪い以前に、明らかにダイエットについて勉強してないんです。僕は仕事でダイエットのビデオもやってるから分かるけど、あの映画を真似たら間違いなくリバウンドで苦しむ(笑)。高をくくっておざなりに作っていて、本気で痩せたい太った女の子に対して無礼なんだ。大阪芸大出身者のバブル人気を叩く以外書きようがないけどいいかと平澤君に聞いたら、「じゃあ止しましょう」と。あの時、僕に言った取り上げない理由、みんなにも伝えたほうがいいんじゃないの。映芸ダイアリーのマニフェストとして。

――あの時に言ったことは二つありました。一つは、絶賛するにせよ批判するにせよ、映画評を掲載すること自体に意味の感じられる作品を取り上げたいということです。やっぱりこれだけたくさん映画が公開されていると、お客さんも何を観たらいいのか分からないと思うんですよ。だから、掲載する映画の水準というのは意識していたい。二つめは低予算映画や自主制作映画、ピンク映画という日の当たらない場所でがんばってる作家をできる限り応援したいということです。もちろん全てを観ることは不可能ですが、あちこちの媒体が取り上げる作品を映芸ダイアリーのような場所で取り上げることにあまり意味はないと思うんです。それにネット上でこういうことをやる場合、検索で上位にくるかどうかというのが重要なんですね。小さな作品でも映画評がここにしか載ってなければ検索で上位になる確率も高いし、それはそれで映芸ダイアリーが生き残る戦略としては正しいのかなという気がしています。あとはただ黙々と継続していくことしかないですよね……。では、最後にこれまでの話を踏まえたうえで、映芸ダイアリーが今後どう展開していくべきだと思うか、個人的な意気込みも含めて話してもらえないでしょうか。

加瀬 結果にとらわれて何もしないより、声を上げる、行動を起こすことが重要ですよね。覚悟を持って進むしかない。そしていかに永く細く、その情熱の炎を燃やし続けることができるかだと思います。個人的には「映画」とは偶然にしろ人生を変える力があると信じています。これからも「映画」と「人」との出会いのきっかけを作っていきたいです。

金子 僕は半ば挑発的に「映画批評家」と名乗っています。人は作品さえ作れば「映画監督」や「脚本家」になれます。しかし批評家は職業ではないので、批評を書くだけでは批評家にはなれない。それは一人称によって態度を表明し、作品とぶつかりあう自立した批評を書く人のことで、生き様のようなものです。映画の大量消費の時代のなかで、作り手と批評家、観客と批評家がどうやって繋がっていくか、という問題が見失われていると思います。「批評家なんて必要ない」と言われるのではなく、情況を変えるために、人々と共闘していけるような場や空気を作りたいと切に願っています。

CHIN ウェブとして、ダイアリーズとして(笑)、どうすればいいのかというのはよく分からないですが、こんな場や人に巡り合えたのだから、面白いものを競って書きたいです。映画って面白い。その「面白い」はお気楽とか自堕落とかじゃなく、全身全霊で挑めるものという意味で。だから、それを伝えたい。アホみたいですが、それだけです。それしかないです。

近藤 このまま、6人が6人、バラバラでいいと思います(笑)。それぞれの信念と熱狂を持って、映画に向かい合っているメンバーなんで、後は読者のみなさんが取捨選択をして下さればいいんではないかと。信用するのか、スルーするのか。それが映芸ダイアリーの持つ独自の多様性として活性化されればそこが「売り」になっていくだろうし。映画から批評へ、批評から映画へという、個人的には古き理想とするカタチを、作り手として、書き手として追い求めてみたい気もします。

深田 とにかく僕はまがりなりにも作り手として映画に関わっている人間なので、僕が映画について書く言葉はすべて自分にも跳ね返ってくるものと覚悟して書いていきます。なので、批評というよりは自分なりに映画の見方、映画を成り立たせるために欠くべからざる「映画的」とは何かをこねくりまわす思索の場として、映芸ダイアリーを拝借したいと考えています。どうぞ駄文にお付き合い頂ければ幸いです。

若木 今後の展開については、半年ほど続けたところで改めて検討してはどうでしょうか。閲覧数が上がらなきゃ何らかのテコ入れは必要になるよね。最年長なので、モー娘。のように僕が卒業することになるかも……。まずはお互い、本業に差し支えのない範囲の中でがんばりましょう。それからせっかく結成された非営利ユニットなので、みんなで長距離バスに乗って山形にドキュメンタリーを見に行くとか、サークル活動っぽいこともやろう!

――で、どうしたらいいのか分かったような分からないような感じですが(笑)、今日のお話を参考に良いサイトを作っていきたいと思います。しばらくの間はお付き合いください。よろしくお願いします。

映芸ダイアリーズのプロフィールはこちら

http://eigageijutsu.com/article/108332145.html