映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

■映画館だより『ランジェ公爵夫人』<br>不在の力学

 ジャック・リヴェット監督の最新作『ランジェ公爵夫人』は、映画ファンとバルザックファンを兼任する者たちを、長らく待ちわびた恋人に出会えたような気分に浸らせてくれるのではないだろうか。ようやく、バルザックの文学世界が、確かなる映画的感性のもと過不足なくスクリーンに投影されたのだ。

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(c) 2006 Pierre Grise Productions - Arte France Cinema - Cinemaundici

映画と原作

 映画は、その100年余りの短い歴史において、数多の文学や戯曲をその原作に求め、貪欲に消費してきた。ときには監督やプロデューサーの、原作に対する深い愛情から企画の歯車が動き始めることもあるが、そういう美しい話は実際には稀で、大抵の場合は映画がやたら滅法お金のかかるゲイジュツであるため、先立つものを集める担保としての原作が求められた。寄らば大樹の陰、というわけである。

 しかし、おもしろい文学が必ずしもおもしろい映画になるとは限らず、箸にも棒にも掛からないような小説から傑作が生まれてしまったりもするので、世の中は分からない。「文学史上に輝く傑作、ついに映画化!」などといった惹句に騙されてはいけないのである。他方で、映画史に祝福されたかのような、幸福な原作というものが、確かに存在する。

 例えば、ルイス・ブニュエルウィリアム・ワイラージャック・リヴェット吉田喜重といった錚々たる監督たちの手によって映画化されてきたブロンテの『嵐が丘』は、それにあたるだろう。あるいは、オーソン・ウェルズが『審判』で、ストローブ=ユイレが『アメリカ(階級関係)』で、それぞれ傑作を残しているカフカも、映画史に祝福されている、といえるかも知れない。

 では、バルザックはどうだろうか。バルザックの名前でまず思い起こされるのは、ヌーヴェル・ヴァーグとの関わりである。フランソワ・トリュフォーバルザック愛好者として知られ、代表作『大人は判ってくれない』において、主人公アントワーヌ・ドワネル少年が神様のように奉っていたのはバルザックの写真であった。また、ロメールはあるインタビューで、自身がラクロやマリヴォー、ジャック・シャルドンヌなどの作家たちとよく比較されることを挙げ、「私の作家とは彼らではない。それはバルザックとヴィクトール・ユゴーだ」と語り(※1)、ゴダールヒッチコックの『間違えられた男』への論評において、ヒロインのローズとバルザックの描くヒロインの近似性を指摘している(※2)。

 このように、バルザックヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの作品や言説を通して映画史と接続しているのであるが、その小説の映画化ということに関しては、なかなか決定打といえるような作品に恵まれなかった。いや、フランスでもハリウッドでも、既に戦前からその時代ごとにバルザックは映画化されているので、「恵まれなかった」というキメツケには異論が出るかも知れない。ともあれ私見では、バルザックの描いた作品群『人間喜劇』の文学史に占める巨大さと比べ、映画史に深く名前を刻みえた映画化作品はどうにも少ないように思えるのだ。

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(c) 2006 Pierre Grise Productions - Arte France Cinema - Cinemaundici

リヴェットとバルザック

 それゆえに、ジャック・リヴェットが今回『ランジェ公爵夫人』を映画化したとの一報に、文学と映画とは別物であると分かりながらも、そわそわと期待しないわけにはいかない。

 リヴェット自身、バルザックの熱心な読者であることを公言しているが、創作のうえでもその縁は古く、1970年に撮られた12時間にも及ぶ常識外れの大作『アウト・ワン』では、すでにバルザックの連作『十三人組物語』が下敷きとされていた。また、日本においては主演女優の陰毛を隠すか隠さないか、という下世話な興味で話題になった秀作『美しき諍い女』(1991)も、短編『知られざる傑作』が原作となっている。

 リヴェットにカンヌ映画祭グランプリをもたらしたこの映画は、よくある「文芸映画」のように文学世界の絵解きに堕することなく、老画家とそのモデルとなるヒロインの、描く者と描かれる者、つまりは「見る、見られる、見る者を見返す」という極めて映画的な視線の応酬によって、4時間の長尺を持たせてしまう恐るべき映画であった。しかし本作においては、時代設定が17世紀から現代へと置き換えられ、また絵画論・芸術論がページの大半を占めていた原作への大幅な脚色が施されていたが、これに対し、今回の『ランジェ公爵夫人』は、驚くほど原作に忠実なる映画化であった。

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(c) 2006 Pierre Grise Productions - Arte France Cinema - Cinemaundici

ランジェ公爵夫人

 『ランジェ公爵夫人』は、『セリーヌとジュリーは舟でゆく』や『北の橋』での、遊び心に満ちたリヴェットを期待する者にはやや物足りなさを感じさせるかも知れない。むしろ、厳密なる空間造形に生真面目に向き合う『修道女』や『嵐が丘』といった作品を思い出させるが、それらの旧作ほど文学的叙情性を濃密に漂わせるわけでもない。では、この映画がつまらないかというと、否である。2時間17分とリヴェットにしては短めのこの映画において、強く印象づけられるのは、映画における「不在」の力学である。

 冒頭、修道院から海へと向かうギョーム・ドパルデュー演じる将軍の歩行を捉えたパンワークが、「歩く」というアクションを正しくスクリーンに定着させていることに、まずは安堵させられる。ドパルデューは片足が偽足であり、軽く引きずるように歩む。そのバランスを欠いた揺れもまた心地よい。

 片足を欠いた、どこか不安定に世界に居場所を確保しているような無骨な男が、パリの社交界の中心人物であるランジェ公爵夫人ジャンヌ・バリバール)と恋愛ゲームを繰り広げるというのが、この映画の骨子である。それは、恋愛戦争と言った方がふさわしいような、名誉と貞操を賭けたイノチガケの駆け引きである。

 この戦いにおいて最初に主導権を握るのは、夫人であった。夫人は、社交界の耳目を集める花形で、男を魅了することで自尊心を満たしてきたような女性である。正面からただ押してくるだけの粗野な将軍に、そう易々と屈服するわけはない。城は守るよりも攻める方が難しいのである。

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(c) 2006 Pierre Grise Productions - Arte France Cinema - Cinemaundici

 絵画的というよりは建築的な、豊かな奥行きを持って描かれる映像の中で、二人の距離感は繊細な配慮のもとに演出され、いくつもの扉がドパルデューが夫人との恋を実らせることの難しさを簡潔に明示する(冒頭、二人を隔絶していた鉄格子の記憶によって、その印象はさらに強まる)。その均衡はドパルデューによる夫人へのある暴挙によって一変するのだが、決定的に二人の力関係が覆るのは、夫人の目の前からドパルデューが姿を消したその瞬間からであった。

 映画において、不在は一種の強大な権力である。ヒッチコックの描いた「レベッカ」は、スクリーンに一度も姿を見せることなく、彼女にまつわる在りし日の記憶と痕跡のみによって、主人公たちを支配下に置いた。あるいはエイリアンも吸血鬼も、それが眼前に現れるときよりも、画面の外側からその気配によって主人公を脅かすときこそが、恐いのである。不在者は、その不在ゆえにスクリーンの外部から絶えざる干渉を行い、誰もそれにあらがう術を持ちえないのである。

 そして、『ランジェ公爵夫人』においてもまた、恋愛戦争に勝利したのは、「完全なる不在」を相手に突きつけた者であった。

 リヴェットは、バルザックの原作から不在のモチーフを掴み取り、またそれが堅固な物語構成と分かち難く結びついていることを理解していたのだろう。ある原作と接するとき、監督に求められる条件の一つは、その原作に対していかに批評的な態度が取れるかどうかである。リヴェットの原作に対する分析的信頼は、全体の構成をほとんど変更していない点、また映画の後半における最低限のアクションの積み重ねによる物語処理に、十分に読み取ることができる。

 遊び心も叙情性も希薄といえるこの映画は、物語構成が些細な仕草や立ち姿ひとつに重層的な意味を付加するのに果たす基本的な役割を思い出させてくれる。そして、「何を映し、何を映さないか」という二者択一を常に迫られる映画という表現手法において、映画監督は不在者をこそ意識しなくてはならないことを教えてくれるのである。

 ともかく、バルザックを愛する者たちは、この19世紀の文豪が久しぶりに映画史に祝福されたことを素直に喜ぶことにしよう。そして、ファンの一人として、バルザック文学には映画を創るためのエモーションの種子がまだまだ隠されていることを声高に主張して、この文章を締めくくりたい。

【出典】

(※1)「美の味わい」エリック・ロメール 梅本洋一武田潔 訳 勁草書房

(※2)「ゴダール全批評・全発言Ⅰ」ジャン・リュック・ゴダール 奥村昭夫 訳 筑摩書房

text by 深田晃司(映画『ざくろ屋敷』監督)

※映画『ざくろ屋敷』公式サイト:http://www.lagrenadiere.jp/

(c) 2006 Pierre Grise Productions - Arte France Cinema - Cinemaundici

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ランジェ公爵夫人

監督・脚本:ジャック・リヴェット

原作:オノレ・ド・バルザック

出演:ジャンヌ・バリバール、ギョーム・ドパルデュー、ビュル・オジエミシェル・ピコリ

配給:セテラ・インターナショナル

岩波ホールにて公開中 ほか全国順次ロードショー

公式サイト:http://www.cetera.co.jp/Langeais/