映画芸術

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『子猫の涙』<br>釘宮慎治(撮影)インタビュー

 これまで映芸DIARYでは、監督へのインタビューを中心に行ってきましたが、映画とは監督一人の力によって作られているものではありません。監督のイメージを具現化する優秀なスタッフがいなければ、優れた映画が生まれることもないでしょう。

 1月26日から公開される『子猫の涙』(森岡利行監督)は、監督の叔父であり、メキシコオリンピックの銅メダリストでもあるボクサー・森岡栄治さんの破天荒な人生を、娘の視点から温かく描いた作品です。本作の撮影を担当した釘宮慎治さんは『蝉しぐれ』でカメラマンデビューを果たした後、『ベルナのしっぽ』や『無花果の顔』などの作品を手がけてきました。作品ごとに異質な映像世界を作り上げる期待の新鋭カメラマンは、今回の作品ではどんな世界の構築を目指したのでしょうか。

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――『子猫の涙』の撮影を担当することになった経緯から教えてもらえますか。

ある日、プロデューサーの上野(境介)さんという方から電話があったんです。僕が撮影を担当した『蝉しぐれ』を気に入ってくださったみたいで「一度お会いしたい」と。そのときに撮影の概要を簡単に聞いたんですけど、先に決まっていた仕事があったので、たぶんできないだろうと伝えたんですね。それでも話だけは聞いてくれということで、企画書と脚本をいただいて。その脚本を読んだらとても面白かったんですが、この業界は先に約束した仕事が最優先ですから、縁がなかったなぁと諦めていました。その後、先に決まっていた仕事の監督と飲んでいるときに、実はこんなことがあったんですと『子猫の涙』の話をしたら、「良い仕事みたいだから、そっちやりなよ」と言ってくれたんですね。そんな経緯があって、この作品に関われることになったんです。その監督には感謝しています。

――脚本を渡されたときは、カメラマンとして最初にどういうことを考えるんですか。

今回の作品は時代設定が昭和なので、言うなれば時代劇ですよね。それが大変だなあと思いました。なにしろ今は普通に外の風景を撮っても、衛星放送のパラボラアンテナが映ってしまいますから。でも、面白い仕事だなとは思ってましたね。

――今回の作品は61年、68年、70年、80年、04年といろんな時代が出てきますよね。その違いについて、どんな撮影プランを立てていたんですか。

メインとなる80年に関しては、一般的な日本映画のタッチよりはカラフルに、コントラストも強くして、大阪の活き活きした感じを出そうと思ってました。逆に04年のパートでは、少し色を抑え目にして、トーンも柔らかい感じにすることによって差をつけようと。あと80年以前(61、68、70年)の映像は、16ミリの銀残しにすることで、時代感と荒々しい雰囲気を作ろうと思ってました。だから、基本となるトーンは大きく言うと三つなんです。中でも80年以前のパートは思った以上にうまくいきましたね。

――色調に関しては、監督との話し合いのなかで決まっていったことなんですか。今回の作品はとてもカラフルなのが特徴的だと思ったんですが。

今話したような撮影の設計はこちらで考えてテストをしたうえで監督に見てもらって決めていくという感じでした。でも、人物ごとにテーマカラーを決めて、衣裳に反映させるというのは監督のアイデアなんです。監督は当時、『親切なクムジャさん』をご覧になっていて、そのイメージがあったみたいなんですが、正直、最初はうまくいくのかなと思っていたんですね。でもやってみたら、すごくよくて。妻の和江(紺野まひる)が家を出ていってしまうところでは、和江の衣裳も橋の色も赤なので、普通はよくないんじゃないかと思いがちなんですけど、ああいうところは印象的で面白くいったなあと。

――釘宮さんが撮影を担当した『無花果の顔』も色使いが派手で、その前にやっている『蝉しぐれ』とは全然印象が違います。そして今回もまたカラフルになっていたので、釘宮さんの好みはそちらのほうなのかと思ったんですが。

なんですかね、TPOと言いますか(笑)。みなさん、カメラマンをタイプ別にカテゴライズしたがるような感じがするんですけど、僕はなんでもできなきゃ技術屋じゃないだろうと思っています。だから、それぞれの作品にとって、いいと思った色使いを選んだだけなんですね。

――つまり監督のプランを聞いたうえで設計した結果、今回はこういう映像になったということですね。

今回の作品は、舞台設定は大阪ですが、撮影はだいたい東京でしています。現代の東京をありのままに、言うなれば冴えないトーンで撮影してリアリティを表現する作品もあると思います。でも、今回は話の内容を考えても、そういう見ていてあまり楽しくない映像にはしたくなかったんです。だから『蝉しぐれ』の撮影のように、山形の山の中へ行けばまた狙いは違ってくるわけで(笑)。

――現場に入る前に監督とは結構打ち合わせをしていたんですか。それとも、映像に関しては任されていた部分が大きかったんでしょうか。

わりと任されていたかもしれないですね。

――ロケーションは釘宮さんが自分で現地へ行って決めたんですか。

ロケハンは通常、製作部が脚本に沿った候補地を見つけてきて、それなりに材料が揃ったところで、監督やメインのスタッフで見に行くんです。そこでああしよう、こうしようという話になるんですね。

――メインの舞台となるアパートの部屋はどういう経緯で決まったんでしょうか。場所が狭いだけに撮影は大変なんじゃないかと思ったんですが。

セットを建てるわけではないので、どこも撮りにくいと言えば撮りにくいんですけど、あのアパートは玄関を開けたところのスペースが変わってるじゃないですか。3階にもかかわらず、洗濯物が干してあったりする。あれが不思議な印象で、現代や東京を感じさせないんですね。それが面白いということで、あのアパートに決まりました。

――ライティングは照明技師と相談しながら決めていくんですか。アメリカ式の撮影監督システムだと、照明もカメラマンが決めていくという話ですが。

今回は照明技師と相談しながら決めていくという形でしたね。

――カット割りについては、どういう形で決めていったんでしょうか。

監督は、事前にコンテをガチガチに固めてくるスタイルではなかったので、現場で芝居を見たうえで、アイデアを出し合いながら決めていくという流れでした。

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(C)2007「子猫の涙」製作委員会

――キャバレーの裏口で、武田さんと広末さんが惹かれ合うシーンは丁寧にカットが割られている印象がありました。

運命的な出会いですよね。監督の演出を見ていたら自然にあのカット割りになりました。魅力的な良いシーンになったと思います。

――カットの細かさで言えば、取調室のシーンも印象的でした。空間としても不思議な場所ですよね。

取調室はセットを建てたいところでしたが、今回は予算も非常にタイトで一切セットは建てられない。候補の物件もいくつかあったんですけど、どれも全然良くなくて、結局時間切れみたいな形でハウススタジオで撮影したんです。正直言って、非常に安っぽくて嘘くさい質感で、勘弁してくれって感じでした。だから苦肉の策として、机の上の電球と窓から入ってくる光以外はなるべく照明を落として暗くして雰囲気を作るようにしたんです。

――ただ、天井までしっかり映っているので、密閉された雰囲気は出ていますよね。

あそこを好意的に評価してくれる声もあるのかと思うと少し安心しますけど(笑)。

――今回の映画ではボクシングをしているシーンが多いですよね。映画でボクシングを撮った作品は過去にもいろいろありますし、新しいアプローチをするのは難しかったんじゃないですか。

最後にあるメキシコオリンピックの準決勝の場面は、当時のテレビ中継をそのまま再現してるんです。それが監督の方針だったので、当時のビデオを何度も見直して、カメラのポジションや栄治の仕草、セコンドの動きに至るまで、ほぼ完全に再現しています。だからオリンピックのシーンに関しては、撮影的に工夫する余地はほとんどなかったんですね。そのぶん他の試合のシーンでは、カッコよくて迫力のある映像を撮りたいと思っていました。ただ、ありえないボクシングシーンにはしたくなかったんですよ。例えば『ロッキー』のボクシングは、アクションとしての見応えはあってもボクシングとしては成立してないじゃないですか。そういう感じにはしたくなかったんですよね。

――ボクシングシーンの撮影で苦労したのはどんなところですか。

撮影は神奈川県民ホールを借りて2日間やってるんですけど、1日目はエキストラをかき集めて客席を埋めてるんです。冒頭のシーンで結構お客さんが入っているのはそのときに撮影してるからなんですね(笑)。でも、お金がなくて2日目はエキストラを呼ぶことができない。それをどうするのかが本当に難題でした。照明技師と二人で会場を下見に行ったりして、やっぱりスモークを焚きながら逆光のライトを作って客席は見えないようにするしかないね、ということになって。それでなんとか乗り切りましたけど。

――リングの中にカメラが入ったりもしていますが、あの辺はやっぱり迫力を出そうとしているわけですか。

そうですね。オリンピックの試合はさっき話したような撮り方だったので、カメラは絶対リングに入らない。そのぶん、他の試合では思いっきり入っていこうと。

――ボクシング以外にも、映画館前での喧嘩のシーンや組長が襲撃されるシーンなど、アクションシーンが豊富でした。

映画館のところは、ある意味で一番のアクションシーンですよね。あれは栄治が一番ヤンチャだった頃のエピソードなので、メチャクチャ派手にやって、痛快なアクションシーンにしようという狙いがありました。

――栄治が高校に入学するところで、山崎邦正さんの頭が突然フレーム・インしてきたりとか、多少マンガ的な描写もありましたね。

ノリとテンポの良さを出すために、そういうこともしてますね。ああいう描写がテレビのバラエティみたいになると嫌なんですけど、「映画」の範疇に収まってる中での遊びというか、ギャグのつもりでやっています。

――キャバレーのシーンは、場所も広いのに人がたくさん映っていますよね。手前でメインの人物に芝居をさせて、奥にも大勢の人が映っています。

さっきのボクシング会場の話ではありませんけど、人を呼ぶというのはイコールお金の問題が絡んできます。だから予算がない時は、必ずそういうところに貧しさが表れるんですね。その点、今回は監督がストレイドッグという劇団を主宰なさっているので、そこの若い役者さんやその知り合いの方を総動員してくれて。お金がないながらも、貧しい画にしないように、監督もすごくがんばってくれました。キャバレーのシーンに人が多いのはそういう理由があるんです。

――ミラーボールは元々あったものなんですか。

あれは持ち込んだものですね。キャバレーって案外サエない場所なんですよ。普通のお店は面白いライティングなんかしてないですし。ミラーボールを持ち込んで逆効果にならないか不安もあったんですけど思い切ってやってみました。

――今回の作品では、路地やトンネル、部屋といった場所で縦の構図が多いように感じました。小学校で治子がいじめられてるときに公平(渡辺悠)が立ち上がって、いじめっ子を殴るところも縦目の構図で長回しにしてますよね。

教室のシーンを撮ったときは本当に時間がなかったんですよ。1時間後には学校から完全撤収しなければいけないような状況でした。もしも時間があれば、まず引きの画があって、次に公平に寄って、ちょっと引いてアクションをカットバックした後に、公平と治子のアップみたいな、普通の撮り方になっていたと思うんです。ただ、あまりにも時間がなくて切羽詰った状況だったので、引きのポジションでバーッと芝居を作って撮り始めたら、あそこまでいけちゃったんですよ。監督がカットをかけないから、子供たちもお芝居をやめないんですね。結果的にはものすごくいいシーンになって、これがワンカットでいけるんだと驚きました。ああいうときは現場にいても嬉しい瞬間ですね。その後、「治子のアップだけ撮っておいて」と監督に言われて、それだけ撮ってから大騒ぎで撤収したんですけど、後になってから、殴った後の公平の表情を撮っていないことに気が付いて。それで次のシーンは、校門から出てくる公平から始めることにしたんです。…まぁ、撮影は非常にライブですね(笑)。

――基本的な質問になりますが、大人と子供を同じフレームで映すことに苦労はないんですか。身長に大きな差があるので狭い場所で撮影するのは難しいのかなと思ったんですが。

今回そういう難しさは感じなかったですね。『ベルナのしっぽ』という作品を撮ったときは、立っている人間と犬を一緒のフレームに入れることにかなり苦労しましたけど。

――プロフィールについてもお伺いしたいんですが、釘宮さんは大学を卒業してから日本映画学校に進まれたそうですね。やっぱり映画の世界に行きたいという思いは早い段階からあったんですか。

あまり真剣には考えてなかったですね(笑)。映画学校に入ったときは漠然と映画監督になりたいと思っていました。でも、映画の現場を見学したときにカメラマンの存在がすごくカッコよく見えて。それからですね、カメラマンを意識するようになったのは。

――その後、映画の現場に進まれて、カメラマンとしてのデビュー作がいきなりメジャーの時代劇(『蝉しぐれ』)というのは珍しいですよね。この仕事が決まったときは、どんな気持ちだったんでしょうか。

監督の選択もかなり向こう見ずですよね(笑)。でも、本当にありがたかったし、嬉しかったです。普通の作品よりは撮休も多くて、監督と話し合ったり、一人で考える時間をかなり持てたので、そういう仕事が最初だったのは幸運だったなと思います。

――完成した作品を見た時にどんな感想を持たれましたか。

一本の映画として観て、凄く感動しました。だから、こんな良い作品に関われたって事が嬉しかったし、誇りに思っています。

――その後、着実にカメラマンとしてのキャリアを積んでいますが、邦画界の現状についてなにか感じることはありますか。

ここ数年でビデオ機材が急激に発展してきて、そのことがものすごく現場を変えているという印象があります。10年前ならまともな作品はフィルム以外考えられなかったじゃないですか。Vシネマも元々は16ミリで撮っていたし、いくら低予算と言っても五千万ぐらいはかかっていた。そういう状況がどんどん変容してきて、予算が一千万に満たないような作品が普通に存在しています。しかも、それを劇場にかけてしまうような状況がある。そういう意味では、カメラマンの力量も含めて、非常にレベルの低い作品も多いように感じますね。プロフェッショナルが作ったとは思えないようなものでもパッケージ化されて作品として流通している。でも、品質のいい作品もそうでない作品も劇場で公開されれば同じ値段なんですよね。これは映画の人たちが自分で自分の首を絞めるようなことだと思います。お客さんを馬鹿にしていることでもあるし、お客さんのレベルを低下させてしまうことでもありますから。だから僕は、あるレベルをきちんとキープした作品を作らなきゃいけないなとは思ってますね。

――カメラマンとして今後のビジョンはなにかありますか。

ジャンルはあまり気にしてないんですけど、とにかくいい企画に巡り合いたいなと思いますね。一生懸命仕事をしていれば、いい企画にも巡り合えるだろうと思って頑張るしかないですけど(笑)。あとは、今ものすごく安い機材がある一方で、いわゆるDシネマと呼ばれる機材も内容が充実してきてるんですね。例えば『マイアミ・バイス』で使っている機材なんかがそうなんですけど、フィルムに比肩するクオリティが出せるんじゃないかというレベルまできはじめている。今のプロデューサーの方というのは、デジタル機材を使えばフィルムより安く済むだろうという発想が出発点にあるんですが、そうではなくて、クオリティの高い作品を作るための選択肢の一つとして、デジタル機材にも挑戦してみたいと思いますね。

(取材:武田俊彦 構成:平澤竹識)

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(C)2007「子猫の涙」製作委員会

子猫の涙

脚本・監督:森岡利行

撮影:釘宮慎治 照明:舟橋正生 録音:小宮 元 

美術:佐々木記貴 編集:矢船陽介 音楽:奥野敦士

出演:武田真治藤本七海広末涼子紺野まひる赤井英和、ほか

製作:「子猫の涙」製作委員会 配給:トルネード・フィルム

1月26日より新宿ガーデンシネマ、渋谷シネ・アミューズユナイテッド・シネマ豊洲ほか全国ロードショー

子猫の涙』公式サイト:http://www.koneko-namida.com/