映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

『息を殺して』(監督:五十嵐耕平)レビュー

文・大沢 愛
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C 2014 東京藝術大学大学院映像研究科
 広大で無機質な工場内を彷徨う五人と二人の幽霊、そして一匹の犬。静謐な空間のなかで微かに響くノイズは私たちの生活に潜む小さな不安のようだ。  2017年12月30日の夜。工場事務のタニちゃん(谷口蘭)は工場に迷い込んだ犬を探すが、見つからない。新年の飾り付けをするヤナさん(原田浩二)、タニちゃんと不倫関係にある足立さん(足立智充)、テレビゲームに夢中のケン(稲葉雄介)とゴウ(嶺豪一)。彼らもまた、新年を前にした夜のゴミ処理場でひっそりと生きている。そして、結婚、不倫、戦死した友人、家族関係に各々が悩みを抱えているなかで、二人の幽霊が工場に現れる。それは、タニちゃんの父親でもある元工場長(あらい汎)と、戦死したはずの安藤(稲垣雄基)だった。  鳥のさえずりが聞こえる森林で足音を忍ばせる一人の男、そして、銃声。まさに「息を殺して」生きる人々の姿を比喩しているともいえるシーンから、この物語は始まる。広大なゴミ処理工場で漂うように、ひっそりと生きている五人の職員。この作品が描く、行き場のない不安は、天井から滴り落ちる雨水のように、少しずつ私たちの心に染み渡る。  また、この作品で特徴的なのは、職員たちの苦悩や生き方を直接彼らの口から語らせるのではなく、「工場」というロケーションと画面の構図でそれを表現している点である。まず、夜の工場に残っていた五人は仕事に追われているわけでもなく、自由に行動をしているが、この「工場」という場の無機質で強固なイメージから何かに「囚われている」ような感じを私たちに自然と与える。そして、答えの出ない不倫関係に囚われている女性、タニちゃん。崩壊した家族関係に囚われている、ヤナさんと足立さん。そして、恋人との結婚、友人の死に囚われているケンとゴウの姿が「工場」という場でさらに浮かび上がってくる。
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 そして、画面の構図については、広い空間の中央に人物を置いたショットが多く用いられていることに注目したい。被写体の周りに空間をつくることは、開放感を観客に与えるが、同時に寂寥感を与えることもできる。例えば、工場に迷い込んだ犬を探すタニちゃんと足立さんが会話をしているシーン。彼らは奥行きの深い廊下で、対峙して会話をしている。これは、彼らの関係がもつれ始めていることを暗示するとともに、世間から取り残されてしまった二人を表現しているといえるだろう。また、タニちゃんが事務所のデスクに座って涙を流すシーンでは、誰もいない広い事務所に一人佇む構図が彼女の孤独感を表現している。  さらに、この物語に登場する「犬」や「幽霊」の存在は、幻想的な雰囲気を添えるだけではなく、新年目前の人気のない工場を歩く五人の姿に酷似している。そして、犬を探すため、新年の飾り付けをするため、そして各々の悩みに対する答えを見つけるために彷徨う彼らは、自らの姿を確認するかのように「犬」や「幽霊」を追いかける。  実は工場に迷い込んだ犬の姿は、序盤を含めてわずかしか映されていないし、最後に犬がきちんと保護されたかどうかも明かされていない。しかし、ケンはクリスマスプレゼントに彼女へ犬を贈り、足立さんの携帯電話には子供と犬の写真ばかり、タニちゃんは昔犬を飼っていた、など犬に関するエピソードが多く語られている点からも、彼らと工場に迷い込んだ犬が無関係だとはいえないだろう。  さて、ここで前述した冒頭部分の話しに少し戻ってみたい。冒頭のシーンだけを見ると、どこかの戦地で闘う兵士が倒れた描写であるように感じられる。しかし、12月31日に工場の五人はゴウが夢中になっているサバイバル・ゲーム(サバゲー)に出かけ、恐らく冒頭シーンはここに繋がっていることがわかる。森林のなかで彼ら五人は息を殺し、木陰に身を隠す。そして、タニちゃんはスナイパーライフルを模した銃で足立さんを狙い、ゴウは「俺が生きて帰ってこれたら結婚してほしい」とタニちゃんに告白する。このシーンには、サバイバル・ゲームをしている空間がこの五人の生きている世界そのものであるように錯覚させる力がある。また、工場で働いているのにも関わらず、機械の扱いが下手なヤナさんがここでも描かれており、人物描写の細かさも垣間見ることができるだろう。  考えてみると、この作品に関係する工場、犬、幽霊、サバイバル・ゲームなどの要素は五十嵐監督の作品特有の「生命感の希薄さ」を象徴しているといえるかもしれない。ふみふみこ原作のオムニバス映画『恋につきもの』(2014)の『豆腐の家』でも、本作に出演している谷口蘭を起用してミステリアスな夫婦生活を描いているが、真っ白で四角い家や、食事に出される豆腐はやはり生命感を相殺させるような要素だった。しかし、不思議なことに、五十嵐監督の作品ではそうした演出のなかで生命感溢れるシーンが突然登場することがある。  本作のなかでは、タニちゃんが足立さんとの関係に答えを出そうと、彼に語りかけるシーンが挙げられる。いままでの画面の構図では、広い空間に人物が配置されていたのに対し、このシーンはタニちゃんと足立さんのミディアム・クローズアップで画面がほぼ埋まっている。そして、タニちゃんの鋭い眼差しと言葉が一気に人間らしい情熱を生みだしているといえるだろう。  作家の中村文則は書籍のあとがきを「ともに生きましょう」という言葉で締めくくる。不安や行き詰まった人生を見つめ続けた人が、その言葉を発するとき、私たちは救われたような気持ちになるだろう。そして、この『息を殺して』という作品においても、人間の精神を見つめ続けた五十嵐監督の「ともに生きましょう」という力強い言葉を、映像のなかから感じることができるのではないだろうか。  
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おおさわ めぐみ◎1994年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中。映画理論・批評を専攻。 『息を殺して』 監督・脚本:五十嵐耕平 プロデューサー:大木真琴 加藤圭祐 助監督:廣原 暁 撮影・照明:髙橋 航 録音・整音:稲村健太郎 編集:姜銀花 美術:河股 藍 衣装:谷本佳菜子 音楽:Sleepy Lemon + YSD & The Tinker 宣伝・配給:NOVO 2014年/日本/85分  *6月20日(土)より渋谷ユーロスペースにてレイトショーほか全国順次公開 http://ikikoro.tumblr.com/