映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『ショージとタカオ』 <br>映画のあらゆる場面に尊厳を探している <br>若木康輔(ライター)

 3月上旬まで地方局の番組の仕事で仙台に数日いたばかりだった。11日以来なにに手をつけても落ち着かない。義援金を振込に行くぐらいしかまともな活動ができない。知人友人の家族が被災していた。おそらく少なくない数の方と同様、(とても映画どころじゃない)という気持ち。終日やたらと眠い。『ショージとタカオ』について書く予定もやめさせてもらおう、と思っていた。しかし、締切に遅れている別の原稿仕事の編集者から「いくらオロオロしたところで、オマエなんか物書き以外役に立たない」と電話で叱られた。シンプルな突き放しはこういう場合とてもありがたい。間もなく、番組で一緒だったスタッフは無事と連絡がつながった。みんな不休で現地の状況を伝えています、とのことだった。ボンヤリしているのが恥ずかしかった。とにかく、11日以前に決めたことは投げ出さないことにした。  映画と関係ない前書きで申し訳ないが、書きだすまでを整理しておかないと、(とても映画どころじゃない)と闘えなかった。 二人写真.jpg  『ショージとタカオ』は、1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件・布川事件の罪に問われて29年も獄中にいたショージさんとタカオさんのドキュメンタリー。2人は96年に仮釈放されてから粘り強く裁判のやり直しを求めてきた。  人から依頼されて仮釈放を記録しに出向いたのがきっかけだったという監督(クレジットでは構成・撮影・編集)の井手洋子は、ほとんど浦島太郎のような状態だった2人が、社会復帰に努力し、前向きに失われた時間を取り戻す姿を、時間をかけて追っている。また同時に、犯行の自白は強引な取り調べによる虚偽のものであると、獄中にいる時から無罪を訴えてきた2人とその支援者の主張を聞き取り、検証している。現在は、最高裁で2人の訴えが認められて再審が行われ、判決を待つ状態だという。ショージさんとタカオさんの判決はなにしろリアルタイムのことなので、詳しく情報を知りたい方は本作の公式サイトなどを見て頂きたい。  自白の信用性がいかに冤罪(密室下での供述調書のねつ造)を生みやすい危なっかしいものか、組織優先の精神構造がどれだけ深刻な人権侵害を侵すものか、告発し問題提起するのは今井正『真昼の暗黒』(56)以来、戦後の日本映画の重要な役割のひとつとなってきた。基本的に映画は娯楽産業だが、こういう作品を継続的に生む作り手の努力によって良心と公益性が摩耗を免れている、といってよい。  しかし、『ショージとタカオ』のような力作が未だに世の中に必要とされる、それ自体にはガックリさせられるのも正直なところ。テレビ・ドラマでも最近強く心に残ったのは、TBSで1月放送の「私は屈しない~特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日~」(脚本・上杉隆之)だった。09年の厚生労働省局長の逮捕から無罪確定までを本人の手記をもとに、丁寧にドラマ化したもの。女性局長は1年余の間にあれだけの辛い思いをした。ショージさんとタカオさんの受けた屈辱、耐えた年月の長さは、想像を絶する。 aribai.jpg  こうした重いテーマに関わらず、本作は見る人に爽やかな印象を与える。ショージさんとタカオさんの率直な人柄がよく伝わり、一つ一つは挙げないが巧まぬユーモアが立ち現れる場面が多い。着実にしっかりした生活者に戻りながらなおも名誉回復の活動をあきらめない2人に長い取材を通して付き合いながら、応援せねば、という意識が作り手のなかに強く育まれている。その過程が記録のなかに、素直に滲み出ているからだろう。  感動的な場面、いい場面がたくさんあるというより、それだけ2人と周囲にカメラを向けながら心動かされる瞬間がたくさんあったのだ、と捉えたほうが本作の場合は正確に近い。特にショージさんを支える奥さんのインタビュー場面は、愛情とは何かを教えてくれる珠玉の数分間。  全体を満たしている人なつっこさ、まず告発ありきでスタートすると逆に伝わりにくくなる人間信頼の温かさ。これが見る人にとってどれだけ魅力的に映るかは、「キネマ旬報」2月下旬決算特別号の選評を読んでもよく分かる。本作は第84回キネマ旬報文化映画ベスト・テンの第1位を獲得した。すでに高い評価と支持を受けての、今春の劇場公開となる。  しかし……、僕はどこか引っかかるのである。試写で見せてもらった後、人に「どうでしたか」と聞かれて、いい映画だと思っているのに「よかった」とスムーズに言えなかった。いい映画だと思ったこと自体に気づまりを覚える、妙な感覚で舌がもつれた。 tginza.jpg  『ショージとタカオ』というタイトルにはすごく好感を覚えている。リズム感がいいし、昭和芸人のコンビ名みたいな素朴な響きが、少年時代はあまり仲が良くなかったらしいのに苦労を分かち合う関係になった2人の運命をしみじみと表現している。が、どうもそれだけではない感じがあり、しばらくして、ああ〈サッコとヴァンゼッティ〉を踏まえているのかと気付いた。  サッコとヴァンゼッティ事件は1920年代、殺人容疑で逮捕された2人のイタリア移民の死刑が公正を欠いた裁判によって強行され、大きな物議を醸した事件のこと。目撃者の視認証言は信憑性が薄いとするコンセンサスは、この事件への反省で固まったと言われている。学生時代の乱読で大岡昇平「無罪」と常盤新平アメリカンジャズエイジ」を続けて読んだ時、偶然どちらにも紹介されていたのでよく覚えていた。僕は未見だけれど、71年のイタリア映画『死刑台のメロディ』はこの事件の映画化作品。  靴職人のサッコと魚行商人のヴァンゼッティが仕事の傍ら無政府主義のビラを配る活動家だったこと、当時はアメリカ全土に〈赤色恐怖〉がインフルエンザのように広がっていたこと、それに人種偏見などが絡みあって、合衆国裁判史上の汚点と呼ばれる冤罪が起きた。〈サッコとヴァンゼッティ〉の悲劇を繰り返すまい、という願いを込めて似せたタイトル、『ショージとタカオ』なのだと想像する。素晴らしい志とセンスだと思う。 sjitensya.jpg  それゆえ、この映画を素直に「よかった」と言えなかった点について考えてしまう。  ショージさんとタカオさんはがんばっているな、生きることに真摯で頭が下がるな、それにチャーミングなところが一杯だな……と見ていて良い気分にさせてもらえるほどに、焦点がぼやけていくようなもどかしさ、と言ったらいいだろうか。  この映画が求めていたはずのものは、虐げられた立場の人間、過酷な重荷を背負った人間が逆境のなかで見せる、何者も侵すことのできない尊厳の輝きである。そして作り手は、2人のそれを見る人に伝えることにほぼ成功している。しかし、尊厳は誰にでもある。いい人だけでなく、ずるい人、いやな人、つまらない人、どんな人にもある。2人が魅力的なキャラクターかどうかは、2人の尊厳には本来なんの関係もないことだ。  要するに僕は、本作の場合は見る人の受け取り方にこそ注意が必要なのだと感じている。  ショージさんとタカオさんの人間性を柔らかく感じ取り、ここまでカメラに収めたのもまたドキュメンタリスト・井手洋子の人間性あってのことで。きっととても人間が好きな作り手のお人柄がよく伝わる作品であるだけ、そこには問題も含まれている。  井手洋子が井手洋子の人柄で作ったものをそのまんま受け取り、〈2人がとてもいい感じ→だから応援したくなる→国家権力は許せない!〉という一直線な心の動きのままに本作を評価すると、かえって目を曇らせてしまう。せっかくの映画の柔らかさが台無しになってしまう。  獄中で繊細な詩をせっせと書いていたショージさんは仮釈放されてから間もない時に、実際に会うと詩のイメージと違いますね云々と支援者から言われるのがイヤで……とポツリと漏らす。茨城のとっぽい不良少年だったことがどれだけ検察のしぶとい予断の壁となったか、骨の髄まで味わった人のボヤキである。『ショージとタカオ』のヘソは、実はここだ。 reSチラシ3.jpg  〈どんなシリアスな人生かと思ったら、意外とかわいくてステキなオジサンたちでした〉という共感のあり方は陽性のものだから健全なようだけど、陰と陽の違いだけで予断の根は同じかもしれない。もしもショージさんとタカオさんが被写体としては退屈で陰気な、おもしろくもなんともない人たちであったとしたら、その記録映画をどう見たか。僕らはそこまで自省して、もう少しヒヤヒヤしたほうがいい。権力とミーハーは常に異父兄妹の関係にあるからだ。  噛み応えのある作品のおかげで、(とても映画どころじゃない)となんとか闘えた。感謝。だが、このまま映画評なんか書くのを金輪際やめちまって〈時々しか映画を見ない人〉にまた戻れるチャンスを逸してしまったのかもしれない、という気持ちもほんの少しだけよぎる。  観賞本数や知識を競う(『カルトQ』という番組に出たことすらある)のに嫌気がさして、しばらくは逃げ続けたのに、またフラフラと映画の近くに戻ってしまったことを、ちゃんと自己検証しておくべきなのだろう。映画を見るのが好きと曇りなく人に言えた時代は、実際のところ中学までで終わっている。あとはなにかしらの苦痛と負担、羞恥が常に少しずつ付きまとってきた。僕を臆病にさせるのは、知ったかぶりめ、専門バカめ、と責める僕自身の声だ。それでもなぜ映画を見ざるを得ないか。書かざるを得ないか。世の中の役に立たないと改めて分かった今の僕にとっては、生きるとは何か、と同じ問題である。 『ショージとタカオ』 構成・撮影・編集:井手洋子 撮影協力:西尾清 藤江潔 他 整音:久保田幸雄 音楽:寺嶋琢哉 (C)「ショージとタカオ」上映委員会 (2010/カラー/158分) 【上映情報】 3/19~ 新宿K's cinema(10:30、18:40) 、横浜ニューテアトル(10:30、18:20) 4/2~ 名古屋シネマスコーレ 5月以降 札幌・蠍座、大阪・第七藝術劇場 公式ホームページ http://shojitakao.com 【問い合わせ先】 「ショージとタカオ」上映委員会 03-6273-2324 shojitakao★gmail.com  ★を@に変換して下さい