映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

短期連載「大阪CO2に見るインディペンデント映画のいま」第2回 <br>助成監督5人に聞く、4ヶ月間の激走を終えて

 CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪エキシビション)第7回上映展が、いよいよ2月21日~27日の日程で始まる。  CO2というプロジェクトは、企画を募集、予選選考を通過した10人の監督によるプレゼンテーションを経て、5人の助成監督を決定。各監督はシナリオを完成させ、最大60万円の助成金を活用し、映画を作り上げる。5本の作品をサポートすることで、映画を作りたい! と希望する映画制作者たちがよりチャンスを得やすくなるという点では、特筆に値するプロジェクトと言えるだろう。  助成監督が決定したのが9月下旬。それから1月末納品という約4ヶ月の短いスパンで、実際参加した監督たちは何を感じ、プロジェクトや映画製作にどういった課題が残されたのか。  新生CO2の行方を探る本連載の第2回目は、5人の助成監督たちに話を伺った。 (取材・構成:デューイ松田) 『新世界の夜明け』リム・カーワイ監督 CO2の制限は逆手に取ってアピールできる lim.JPG ――CO2に至るまでの経歴を簡単に教えてください。  僕はマレーシア出身で、日本に来て大阪大学で電気工学を学びました。映画が好きだったので原一男監督の「CINEMA塾」に参加しましたが、その間映画を作るには至らなかったんです。卒業後は東京で6年間サラリーマンとして働きましたが、一番凄いときは年に映画を500本観た事もあって、いかに働いてないか分かりますよね(笑)。 ――それが撮るという行動に出たきっかけは?  映画は好きですが、あまり生産性がないなと気付いて。他に何も出来ないし、見る事自体が強迫観念になってしまうし。そんな生活を続けるのも悪くないんですが、もったいない気がして。貯金して会社を辞めて北京の映画学校へ入りました。監督コースだったんですが、全然面白くなかったんです。講義がメインで制作もあったけど、先生はコメントするくらいで自分の自慢話ばかり。学費も結構高くて、年間60~70万円なんですけど、中国の生活では高いんですよ。そのお金を使えば映画を1本撮れると思って、半年で辞めました。 ――学校では全く得るものがなかったんでしょうか。  映画関係の人とのネットワークが出来たのは良かったと思います。6年前、日中合作が盛んな頃に、撮影監督の通訳とコーディネーターとして商業映画の現場に入りました。アンディ・ラウの『墨攻』(07)、本木雅弘の『夜の上海』(07)、ツイ・ハークの映画もありました。オダギリジョーブラジル映画『PLASTIC CITY』(08)では助監督として参加しました。商業映画の現場の経験は凄く役に立ちました。そうこうするうちに自分の映画を撮りたいという気持ちも出てきて、2年前に自分のお金で制作したのが『after all these years』(09)。邦題は『それから』で、アジアン・ミーティング大阪2010で上映されました。CO2は、石井裕也監督や横浜聡子監督を輩出してるって事で注目してたんですが、今回のプロデューサーになった友永勇介くんに「国籍は関係ないから」と勧められて応募しました。 sinnsekai_g.JPG 『新世界の夜明け』現場写真 (C)新世界の夜明け ――実際参加していかがでしたか。  やってみると結構大変でした。助成金が少ないという事で(笑)。これは不満ではないですよ。普通に映画を撮ろうと思ったら、1年半くらいかかるので、このスパンでやるのはしんどいと思いました。とは言っても、全員完成した訳です。そこから考えるに、映画を作るのに必要なのは、お金でも時間でもなくて“やる気”じゃないかと。CO2は「短い」という問題があるかもしれないですけど、逆手にとってアピールできるんじゃないかと。実際自主映画を作る人は一杯いても、一歩進まない。色々理由を探すんです。投資者がいないとか、お金がない、時間がない、ネットワークがない・・・。でも実はそうじゃないとCO2で示せるんじゃないかと思います。僕は商業映画の現場を見て自主映画を作っているので、映画制作に物理的な制限がつきまとうのは仕方ないと思っています。割り切りながらベストを尽くすのが一番。悔しい気持ちは次回作にぶつければいいんじゃないかと思います。 ――今回のテーマを教えてください。  今、日本と中国っていろいろ問題を抱えていて、映画に少し反映されているんですけど、表面的な部分に留まっています。脚本・・・ようするに僕の限界の問題なんですけど、時間があって色々リサーチやインタビュー出来ていれば、今の日本と中国の人たちの複雑な関係を表すものが出来たと思います。  僕はこの何年間か、ずっと日本と中国の間に行ったり来たりしてるんですけど、1つとても気になる事があって。日本人は中国の事をあまり知らないし、中国人も日本の事はあまり知らないという事です。  今はインターネット社会で簡単に色々な事をgoogle出来るのに、しかも日本と中国はこんなに近いにも関わらず、これは本当に驚くしかない。世界は小さく見えると同時に、実はとても大きいし、世界は近く見えると同時に、実はとても遠いんですよ。  これは単なるコミュニケーションの問題ではないと思います。僕の解釈としては多分、皆は自分が理解できるようなフィクションにしか生きられないんじゃないかな。 ――作品の見所はどんなところですか?  誰も見た事がない「新世界」。難しい前2作と比べると分かりやすいし、楽しい映画です。撮影では色々難しい事はあったんですが、新世界の人たちは結構協力的でした。ロケが多くて合わせて20くらいあると思う。自主映画からするとかなり無謀ですね。しかも北京でも撮影した訳ですから。でも撮影日数は14日しかないんですよ。1日15時間以上労働して、みんなには苦労かけました。制作費はだいたい180万円くらいです。 ――『新世界の夜明け』の今後については何か考えていらっしゃいますか。  今年は新世界100周年だし、日本と中国の現状を描いていて、かなりタイムリーな映画だと思いますので、ぜひ今年中に劇場公開できたら。興味を持ってくれる配給会社があれば一番いいですが、自主配給も考えています。せっかく作ったからなるべくたくさんの人に見てもらいたいですし、映画祭に出すのはいい事ですが、劇場公開につながるかどうかは微妙ですから。  去年から今年までいきなり長編映画を三本作りましたが、全部自主映画という形でやっているから正直に言うとかなりしんどいです。  『新世界の夜明け』の後は、とりあえず休もうと考えています。そして今までのような映画の作り方、予算ない!準備する時間もない!自分のお金で映画を作る! をしばらくやめようと。  CO2をきっかけに、どこかの映画会社やプロデューサーの目に留まって、私の次回作・・・商業映画にしろ、アート映画にしろ、興味をもってくれればいいんですけど。 ――リムさんご自身の目標はありますか。  インディペンデントにしろ、商業映画にしろ、もし職業として成り立つ事ができなかったら、映画を作る事を止めるかもしれません。  そのため、私が目指すのはただ一つ。“飯を食える映画監督”。まぁこれはホントに大変難しいですね。特に今の日本では・・・。 sinsekai.jpg 『新世界の夜明け』 (C)新世界の夜明け 『スクラップ・ファミリー』加治屋彰人監督 作品を“成立”させるのではなく、“創作”したい kajiya_akihito.jpg ――簡単に自己紹介をお願いします。  85年に大阪で生まれた大阪育ちです。2004年に大阪芸術大学の映像学科に入学して、在学中に中編・短編合わせて7、8本の映画を自主制作しました。卒業後は2年間大学で助手のような仕事をしていたんですが、去年の4月に東京へ行きまして、現在はフリーで助監督として活動しています。大阪芸大の卒業制作で撮った『chain』(07)という映画が、2008年のTAMA NEW WAVEでグランプリ、PFFアワード2009では審査員特別賞をいただきました。 ――今回の作品のテーマを教えてください。  ざっくり言うと“家族”です。子供の世代が親の世代に抵抗するというものです。3、4年前から“子供VS大人”という図式に興味があって、そこを追求してみました。  今の現代社会を動かしているのは40代、50代の大人たちですが、ゆくゆくは子供たちがそのポジションになるわけです。それにも関わらず、上の世代から下の世代への無理解、エゴの押し付けがある現状に対する苛立ちがありますね。時代は移るんだよっていう反発。それは政治のニュースを見て思ったり、職場でも感じる事があって。このテーマを取り上げるのは初めてです。 ――今回の見所は?  主役が12歳の男の子なんですが、大人に向かって闘いを挑んでいく姿が見所です。ネタばれになるのでこれくらいで(笑)。 ――一番苦労したのはどんな所でしたか。  シナリオですね。企画をシナリオにする段階で富岡さんや僕のプロデューサーの田口稔から色々指摘があって、手を加えていく過程で何が面白いのか分からなくなることが多々ありました(笑)。第一稿からは8割くらいは変わりましたね。指摘を受けた部分に関しては、7割8割くらいは納得して受け止めました(笑)。出来上がったものに関しては、会心の出来になったと思っています。 ――シナリオに他の意見が入るというのは今まであまりなかった事ですか。  そうでもないんですけど、途中で何をやりたかったか分からなくなって、着地点が見えなくなったという点で戸惑いましたね。改稿を重ねて次第に明確になったという感じです。撮影は15、16日くらいで編集は1週間。撮影と同時並行で進めてもらっていたので、それを元にまた撮影を進める、といった感じで、割合すんなり出来ました。 scurap_g.jpg 『スクラップ・ファミリー』現場写真 (C)Akihito Kajiya ――富岡さんから「最近のインディペンデント映画の傾向として、私的なものを追い求めて内々に入って行く」という指摘がありましたが、何かお感じになりますか。  僕の大学時代の先生は、そういう映画のことを“半径5m以内の映画”と呼んでいました。インディーズ映画はそんなに観ない方なんですが、たまに観るとそう感じますね。自己表現でしかないもので、僕が観たい映画とは違います。僕は、社会に何らかの怒りや意見を表現しているものが好きですね。 ――ご自分の映画もそういう傾向ですか。  出発点は怒りが多いですね。ただ今回、この映画を撮ることで、1つ決着がついたような・・・。上の世代がこちらに向き合わない気がしていたんですが、それはこちらにも言えることだと。シナリオを作り直したり話している過程で、お互いに向き合うことが大切だと感じました。一歩成長させていただきました(笑)。 ――CO2に応募されたのは初めてですか。  2回目です。去年全く同じ企画で応募したんですが、見事に落ちまして(笑)。東京でフリーの助監督の仕事をしていたんですが、これではあかんなって心境の変化がありました。よく、“作品を成立させる”って言いますが、“成立”ではなく、“創作”しなければ! とあせりを感じまして。助監督の仕事をしている間に応募したんですよ。 ――実際参加していかがでしたか。  ちょっと無謀かな、と思いました(笑)。9月末に助成監督選考の結果が出て、1月末納品だったので。今の日本の映画産業の現状では、これくらいじゃないとつとまらないんだろうなとも思うんですが、クランクインの2週間前までシナリオの作業をしていたので、各スタッフには本当に迷惑をかけました。あと、もうひと月募集が早ければ、という気持ちはありますね。冬の映画しか撮れないし(笑)。  あとは、他の組の事は分からないんですが、ポストプロダクションにかける時間がなかったんじゃないでしょうかね。僕の所は同時編集で進めていたので大丈夫でしたが、そういった事に対するアドバイスなんかもあれば良かったと思います。 ――今後のCO2に期待することはありますか。  可能であれば助成金を少し増やしていただけると有難いです(笑)。  あとは、毎年やっているプロジェクトなので、2年越しのプロジェクトにできれば、時間のことも解決できるし、映画に合った季節を追えるし素敵かなと。予算の問題で作品数が減ってしまうのかなとも思いますが・・・。 ――それは面白いですね。最後に今後の展開でご予定などありましたら。  公開に関しては映画館に直談判に行くのか、配給会社に持ち込むのか、分からないことだらけで・・・。そういう事を相談できる場があれば嬉しいですね。取り敢えず東京国際映画祭のオープンコンペに出してみるつもりです。いい結果が出ればいいなと思いつつ、その後で映画館に相談してみようかと考えています。 scrap.jpg 『スクラップ・ファミリー』 (C)Akihito Kajiya 『適切な距離』大江崇允監督 自分の中の問い掛け「原点って何だろう?」を追い続ける ooe.JPG ――まず簡単に経歴をお願いします。  近畿大学経営学科に入学して、プログラマーか会計士を目指そうと漠然と考えていたんですが、パソコンに向いてないことに気付いて、演劇専攻へ転部して舞台活動を始めました。演劇も最初は見方が分からなくて、1年くらい不安に思いながらやってたんですが、パフォーミングアーツを観た事で“演劇って体験するものなんだ”と面白さに目覚めました。劇団を立ち上げて、演出は全部で6、7本やりましたね。俳優としては、自分の劇団の公演、授業公演に先輩の自主公演、他劇団の客演など、始めの数年は年間10本の舞台に立つ生活が続きました。これらが自分の基盤になっていると思います。 ――演劇漬けの日々が、どうやって映画につながったんでしょうか。  ひょんなことから、交流のあった後輩の戸田彬弘の映画に出るようになって、『花の袋』(08)では、企画に関わりたくて1年がかりで制作しました。その後、食っていくためにはどうしたら良いか考えて、どうやら僕は舞台演出や俳優としては食っていけないんじゃないかって思って、それなら自分の映画を作ってみようかと。それが前作の『美しい術』(09)で、シネ・ドライヴ2010の監督賞をいただきました。今回の『適切な距離』は前作に続く2作目になります。 ――今回のテーマを教えてください。  『美しい術』では、女の子二人がどう動くかを追えば映画になると思って作りました。“原点って何だろう”“カットって何で割るんだろう”“フレーミングってどうやって決めるんだろう”。そんなことを追求しながら撮りましたが、今回挑戦したのは「物語って何だろう」ということ。  お母さんと息子が直接話せずに、日記でコミュニケーションを取っていくというストーリーで、日記を読み合うという状態が、映画や演劇を作る過程とリンクしてきたんです。嘘だから価値がないのか? 嘘でも、ある瞬間体験したくらいの価値を得ることができるのでは、と考えました。映画の価値はそういう目に見えないところにあるんじゃないでしょうか。そこを追求してみたいですね。  今回は特に、フレームに写ってないものをお客さんに想像させてやろうという意識が強かったです。 ――作品の見どころはどういったところでしょう。  内容以外では、例えば80万で撮ったってことでしょうか。戸田プロデューサーが管理してくれたのと、撮影監督とカメラマンが機材のレンタルに尽力してくれたお陰です。ロケは脚本段階で、夜のロケをほぼなくして夜は家の中のシーンのみ。夜の屋外は画面のクオリティーが悲惨だからやめようと。ほとんど昼に撮れるように設定しましたが、逆に夜撮影した方がやり易いからと言われてシーンを作ったくらいです。移動費がかからなかったのも大きいですね。60%が家の中の撮影で、外ロケは道を歩いているか、喫茶店、誰かの家とか。 tekisetu_g.JPG 『適切な距離』現場写真 (C)チーズfilm ――予算管理は重要視しましたか?  頭がいい方じゃないから管理は苦手だけど、それくらいはやりたいなと(笑)。大きな割合を占めたのは照明・撮影費ですね。後は車のレンタル費でしょうか。  撮影は大体18日くらいでした。1カットに2時間半はかけましたので、カット割を減らして1カットをきっちり撮る時間の使い方をしました。 ――最近のインディーズ映画が内々に入る傾向が強いという富岡さんからの指摘がありますが、それについて何かご意見はありますか。  単純に、富岡さんの言う“内々の人”って出し切ってない、または自分が内々であることを意識せずにやってるだけかもしれないです。劇団では年間4本舞台をやらないと成立しないんです。相当な量を消費して、自分の中は空っぽ。閉じる自我が既にない。アウトプットする前にインプットするものを探さないといけない状態です。傾向としては人間一人を追いたいタイプなので、そういう意味では僕は内々。でもそれを自ら選んで、そこで全部出し切っています。 ――今回CO2に参加していかがでしたか?  もっと時間があったらよかったですね。脚本が出来たのが11月半ばで、コンテを切ったりロケ地を探す時間がなかったですね。俳優と12月から2週間練習して。1日8時間やりましたが、詰めてやる状態では、そのキャラクターとしての動きがなかなか体に浸透しないんです。制作費が少ないのは声を大にして言いたい(笑)。・・・と言いつつ、本当は感謝しかないです。元々資金を貰えずに撮ってきたので、制作費を助成していただいて、作って色々な人に観てもらえる場ですから。本当に有難いです。 ――この作品やご自身の今後の展開は何かお考えですか?  興行したいですね。まずは絶対に赤字の20万円分を回収しないと。僕らはいつもそうやって来たので。もちろん色々な映画祭にも出したいと思っています。  許されるなら死ぬまで映画を撮り続けたいですが、今後作品を撮り続けられるかは微妙です。 tekisetu.jpg 『適切な距離』 (C)チーズfilm 「大野リバーサイドパーク」尾﨑香仁監督 様々な外からの刺激を受けて、変化していきたい ozaki.JPG ――まず、簡単に経歴を教えてください。  もともとファンタジー系の映画が好きで、高校生の頃から作ってみたいと思っていて。その後、字幕翻訳のような映画に関わる仕事ができたらいいなということで、名古屋の外国語大学に入学しました。映画を撮るようになったのは、映研に入ってからなんですが、1本目に撮ったのがコメディホラー。それから次の作品を撮るまでの3、4年の間に、ミヒャエル・ハネケ監督やラース・フォン・トリアー監督の作品など、ただ楽しませるだけではなく新しい挑戦をしているものに惹かれるようになりました。2本目に撮った自縄自縛をテーマにした『その子供』は、PFFアワード2007で準グランプリをいただきました。続いて制作した家族の愛の欠乏をテーマにした『死ぬほど好きだよ、おねえちゃん』が、翌年のPFFアワード2008に入選しまして、その後、NHK教育テレビの『中学生日記』の脚本を数本担当しています。CO2に応募したのはこれが初めてです。 ――今回の作品のテーマはどんな内容でしょうか。  母親にずれた育てられ方をした主人公が自分の性格に苦しんで、その葛藤が自分の子どもを巻き込んだ無理心中に発展します。それは、主人公だけの責任と言えないと思うんですね。こんな風に半加害者になってしまう事は、度合いの大小あれ誰でも経験があるはずです。心ならずも半加害者になってしまった者の痛みを切実に描くこと、家族を離れて外部との関わりを始める事をテーマにしました。 ――非常に重いテーマですね。見所はどんな所でしょう。  役者の顔です。主人公が占部房子さんなんですが、過去の主演映画『バッシング』(05年/小林政広監督)を拝見して、表情がコロコロ変わるのが面白いなと思ったんです。今回Aカメで撮影しながらBカメで「顔」をテーマに占部さんの表情を追いました。子供を殺して逃げた占部さんが色々な人と出会うことによって、どういった出口を見つけるか。その変化がどんな表情で表されているかを見ていただけたらと思います。 ――今までの作品も顔にこだわるという傾向があったんでしょうか。  顔にこだわって撮るのは今回初めてです。占部さんの存在が大きいです。前作は4カット49分というフォーマットだったんですけど、今回のカット数は段違いに多いですね。 oono_g.JPG 『大野リバーサイドパーク』現場写真 (C)OZAKI ――制作費はどれくらいかかりましたか。  120万くらいで考えていたのが、半年働かずに暮らせる金額くらいオーバーしました(笑)助成金の他に個人的にプロデューサーがついて出資してくれたんですが、それでは足りずに自己資金を追加しました。今回は車両費が大きく占めましたね。特に車両費は、ガス代、駐車場代、高速代などですが、富田林市から枚方市まで通って撮影しましたので、べらぼうに(笑)。メインのロケ場所は富田林市だったんですけど、特に重要な川だけは枚方の方に行かないと撮れなかったのでこんな形になりました。 ――CO2事務局長の富岡さんから「最近のインディペンデント映画は内に向かう傾向にある」というお話がありましたが、ご自分の作品についてはいかがですか。  今回の作品は、精神的には内に向かいますが、展開は外に転がっていくように撮りました。企画段階でのあらすじは、主人公が死んだ子どもバッグに入れて、「ただ苦しみ、最後に自首する」というもので。富岡さんからは「物語が展開しないので面白くない、主人公の内面の変化を描いているだけで、具体的なストーリーがない」と言われました。その指摘を基に、主人公が死体のバッグを持って漂着した地で、主人公のその後の人生に深く関わる女性との出会いを追加しました。主人公の内面の変化を発端とするのではなくて、物語の中に事件を描く事で、外側からのアプローチによってストーリーを展開させるようにしました。  前2作は、展開があまりなく状態を見せるものだったので、話の作り方は全く変わっています。これからも、様々な外からの刺激を受けて、変化していきたいと思います。 ――CO2に参加した感想をお願いします。  助成なのは十分分かっていますが、助成監督5人の枠はキープしつつ、予算が増えると嬉しいですね(笑)。あと、制作に当たって迷うことが多かったので、もっと相談すべきでした。今回助監督で編集を担当してくれた荒川慎吾とも話してたんですが、贅沢を言うと、それぞれの組にスタッフルームがあると便利だと思いました。もし準備期間1ヶ月そこに合宿できたら、余分な出費も減り制作費に回せるでしょうし。 ――最後にこの作品の今後の展開はどうお考えですか。  映画はずっと撮り続けたいと思っています。この作品は日本や海外の映画祭に出してなるべく注目してもらえるようにした上で、劇場公開できればと思っています。詳細はまだこれからですが、今回出資してくれたプロデューサーに相談しながら進めていきたいと思っています。 oono.jpg 『大野リバーサイドパーク』 (C)OZAKI 『聴こえてる、ふりをしただけ』今泉かおり監督 現実を知って大人になる子供を描きたかった imaizumi_kaori.jpg ――今までの経歴を簡単に教えてください。  大分で生まれ育ったんですけど、地元の看護系の大学を卒業後、大阪で看護婦として就職しました。大学時代から映画に興味はあったんですが、大阪で初めて自主映画を見て、映画を作りたいという気持ちになりました。映画館でCO2のチラシを見て、インターンスタッフに登録して、ケータリングの制作スタッフとして参加しました。現場で一緒になった人に、“映画を作りたいですけど、みんなどうしてるんでしょうね”って尋ねると“映画の学校に入るならENBUゼミナールがいいよ”って。仕事を辞めて上京して、ENBUで1年間勉強しました。ENBUでは授業や卒業制作で作品を作って、監督として脚本も書きました。 ――凄い行動力ですね!  CO2に参加したのが2005年だったんですけど、本当はその時仕事を辞めて上京しようかと思ったんですが、勇気がなくて・・・。1年間迷って26歳で上京したんです。 ――インターンスタッフの経験がその原動力になったんでしょうか。  それだけではないんですが、インディペンデント映画を初めて観て、“私と同い年の人がこんな面白い映画を作るんだ!”って圧倒されました。その作品は真利子哲也監督の『極東のマンション』(03)です。今まで観たこともないような自由さとフェイクドキュメンタリーの面白さに初めて触れたのが大きいです。元々はただ観るのが好きで、作る側になりたいという憧れからですね。 ――今回完成した『聴こえてる、ふりをしただけ』ですが、どういったことがテーマですか。  11歳の女の子が主人公なんですけど、私の中では11歳・・・小学5年生って割とふわふわしたファンタジーの世界にいた時期なんです。6年生の時に家族が病気になって、そういうのって、TVでは観たことがあるけど実際に自分に襲い掛かって来るとは思った事もなくて。その時初めてファンタジーみたいな世界から現実を知ったような。自分では中々抜け切れなくて、色々葛藤がありました。物語では、世の中は夢みたいな事ばかりじゃないとか、むなしい事もたくさんあると知って大人になる子供を描きたくて・・・。それがテーマです。 kikoeteru_g.JPG 『聴こえてる、ふりをしただけ』現場写真 (C)Kaori Imaizumi ――それではこの作品の見所を教えてください。  主演の女の子のお芝居が、主人公のキャラクターに合っている所です。子供の演出は特に得意というわけではないんですが、どうしても自分が描きたくなるストーリーは子供が主人公なので。口で説明してもなかなか出来ないので、今回はリハーサルを結構やったのと、私が演じて見せて理解してもらうようにしました。 ――撮影は土日と伺いましたが、苦労した点はありますか。  たくさんありましたよ(笑)。主演の子が中学生で事務所に入っている子ではないので、当然学校が優先になります。それで土日祝に限定しました。スタッフの確保も土日祝のみの長期となると難しくて、同じように学校も、撮影日が限られると借りられる場所が少なくて苦労しました。  それから、制作をしてくれる人、プロデューサー的な人がいなくて、全部自分でやったので凄く大変でしたね。 ――最近のインディペンデント映画の傾向が内々に入る傾向にあるという富岡さんからの指摘がありましたが、どう思われますか。  私はそういう映画が結構好きなので、それはそれでいいんじゃないかと思います。自分のことで言えば、最初に書いた作品がそういうものでしたが、富岡さんの指摘であまり内側じゃないところに着地する終わりになったと思います。 ――具体的には?  始めは主人公が現実を受け止めて終わるというラストだったんですが、それでは悲しすぎるから、もう少し未来を感じさせるものにしたらどうかという指摘でした。なかなか上手いことできなくて(笑)。何度も直しましたが、撮影にインしないと間に合わない状態になってしまいました。 ――CO2に参加していかがでしたか。  シナリオをもっと十分考えてやりたかったですね。時間がないというより、富岡さんとのやり取りがスムーズに出来なかったので、結果的にスケジュールが押してしまいました。シナリオが完成しないと準備に入れないので、すぐにレスポンスが来るようなシステムが欲しいですね。 ――今後の展開は何かご予定されてますか。  昨日完成したばかりなので(※インタビュー時)まだそこまで考える余裕がなかったんですけど・・・。でも映画は、また機会があれば作ってみたいですね。 kikoeteru.JPG 『聴こえてる、ふりをしただけ』 (C)Kaori Imaizumi CO2上映展  2月21日~25日 大阪・九条 シネ・ヌーヴォ 2月26日~27日 大阪・梅田 HEP HALL 公式サイト http://www.co2ex.org/ <CO2の仕組み> 全国から企画を公募→予選通過監督10名決定→プレゼンテーション→助成監督5名を選抜→→脚本完成→映画制作→上映展開催 という流れで5本の助成映画を制作。助成金は50万円。大阪のロケならばさらに10万円がプラスされる。 <CO2をきっかけに活躍する監督たち> これまでに作品を完成させた助成監督は30人。その中には、『君と歩こう』『川の底からこんにちは』の石井裕也監督や『ウルトラミラクルラブストーリー』の横浜聡子監督など、その個性的な作品が注目を集める。 石井裕也監督:『ラヴ・ジャパン』で第1回CO2審査員奨励賞を受賞。助成金で制作した『ガール・スパークス』は、第3回シネアスト・オーガニゼーション大阪エキシビション Panasonic技術賞・DoCoMo女優賞受賞。 横浜聡子監督:『ちえみちゃんとこっくんぱっちょ』で第2回CO2オープンコンペ部門最優秀賞受賞。その助成金で制作した『ジャーマン+雨』で第3回CO2シネアスト大阪市長賞を受賞。