映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『ねこタクシー』 <br>猫の映画がまた公開される、NIYAGO <br>若木康輔(ライター)

 映画評は、小学生の作文の積み立てかたで書ければ、実はそれが一番ではないかと思う。

 今回の場合だと、こんな感じ。「『ねこタクシー』という映画を見ました。タクシーの運転手さんが猫となかよしになります。わたしは、とてもいいなーと思いました。どーしてかっていうとォ……」

 本作が、こう素直に書き進めたくなる映画なのが、とても嬉しい。

 そうは言いつつ『ねこタクシー』、前半に関しては僕、およそノレなかった。小学生を見習ううえは「どーしてかっていうとォ」と、きびしい印象から順番に始めます。

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 〈主人公の間瀬垣さん=さえない中年男〉という大前提が、ピンとこない。

 タクシー運転中は失敗ばかり、営業成績は最下位、中学生の娘にシカトされる、妻からもらう小遣いは1日わずか500円、などと描写を重ね、さらに本人のぼやきモノローグまで入れて実に丁寧に念を押している。しかし、僕から見たら間瀬垣さんは、シャイ過ぎるのが玉にキズなだけでまったく問題のない、ちゃんとした人だ。ふつうの職場なら、「しょうがねえなあマセさんは」なんてみんなにいじられつつ、じゅうぶん愛される類の人だよ。それが、猫との出会いによって変わっていくドラマ展開の都合、道具立てのために、無理やり〈さえない〉ことにされている。書き割りキャラクターのレッテルに押し込められている。そんな気がしてしかたない。

 今は、人間の心が分からなくても知識さえあれば映画が作れるし批評だって書ける時代なので、僕も半分あきらめて、いちいち不満を持たないよう努めてはいる。が、『幼獣マメシバ』(09)のスタッフが作る新作ならそんなことはないだろうと思っていた。本作は夜の都会を切り取る、官能的なほどの映像がひとつの世界を作っているし、主役のカンニング竹山を巡って塚本高史高橋長英甲本雅裕がヤラしい人物芝居をリレーで見せる辺りは通好みの興趣。なので余計、主人公の書き割りキャラクター振りがもどかしかった。

 かつて身近に、「嫁はオレの命令に絶対従う」とか常に威張ってる割には背広の肩口がいつまでも綻んだままで、僕を含めて誰もそれを教えてあげる気になれない人がいた。本当の〈さえないオッサン〉というのは、こういうものだ。間瀬垣さんみたいな好人物をダメ人間とみなす目線がまだまかり通っているようでは、世の中、マジで闇だぜ。

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 ともあれそんな間瀬垣さんが、タクシーに乗るのが好きな猫と出会う。「御子神」と書いた首輪を付けているから、ノラではなく迷い猫か捨て猫かだと思うが、そこはあっさりスルーされる。間瀬垣さんが試しに猫=御子神さんを乗せたまま営業してみると、物事がどんどん好転しだす。

 あーあ、土台の日常部分がギクシャクしているのに、おはなしが動き始めちゃった。後はもうハートウォーミングでちょっぴりファンタジックな展開になるんだろう。クライマックスは、映画ファン好みのほっこりした奇跡が起きます、なんてことになったら、もう目も当てられんぞ……。

 ところがぎっちょん。本作はここから、オセロで隅を取った白が黒をダーッとひっくり返す、あれに似た勢いで、僕の不満をことごとく覆すのだ。

 助手席ににゃあと居座った御子神さんが間瀬垣さんの相棒になる 〈秋の珍事〉が起きた途端、話が落ち着き、締まってくる。書き割りキャラクターが、みるみる生きた人になってくる。

 スタンダードなドラマツルギーの場合、さえない日常を送る主人公は、予期せぬ出会いによって日常をブレイクスルーし、変化、または成長を遂げる。そこがカタルシスになる。

 『ねこタクシー』は逆に、それほどひどい状況じゃないのになぜか必要以上に境遇を卑下していた主人公が、予期せぬ出会いによって確かな日常を取り戻していく。前半はまるで、〈アナタはさえない〉と作り手に洗脳されたトラウマ・ファンタジーの住人のようだった間瀬垣さんは、〈秋の珍事〉を受け入れたことをきっかけに、地に足のついた本来の自分の価値に気づいていく。

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 一見かなりユニークなドラマ構造と思えたが、よく考えれば、自分の可能性を縛っているものを自分の手で解きほぐしていく作業に挑むのは、立派な、素晴らしい成長だ。監督の亀井亨、脚本の永森裕二+イケタニマサオの狙いは変化球のようで、極めて正統。僕にはずいぶん気になった前半のギクシャクさも、全て計算づくならば驚嘆すべき天才集団である。

 もしそうではなく、ホントに〈さえない中年男〉のつもりで前半の間瀬垣さんを描いたのだとしたら、これはもう、見解の相違としか言いようが無い。それでも後半の、人間と猫の相棒コメディを重心の低い方向へ持っていく意欲は、やはり見事。亀井組の本領は、どうしたってこっちにある。地味なドラマになればなるほど映画が面白くなるなんて、プロならではの芸当だからだ。

 ねこタクシーを続けたいと望む間瀬垣さんの前に、保健所職員の宗形が立ちはだかる。

 宗形はまず、動物取扱責任者の資格を有していないのに猫を乗せた営業は許されない、と法認可の面でダメを出し、さらに、仮に資格を有したとしても、動物愛護の観点から私は認めません、と宣言する。

 間瀬垣さんはこの高い壁に、どう立ち向かうか。「夢にときめけ」ライクな熱い思いの長ゼリフを延々聞かせて、宗形の氷のハートを強引に溶かすのか?……間瀬垣さんは大人だし、しかも口下手なので、そんなことはしない。宗形のダメ出しは全て正しいと納得し、あくまで常識に沿った行動によって問題のクリアに務めるのである。

 公務員の生真面目さが、キーとなる。この展開が、本作の最大のキモ。

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 小市民や小役人を常に憎んだ巨匠・黒澤明の『生きる』(52)が強烈過ぎるからか。成績を現在の興収に換算したら今なお史上最大のヒット作との説がある『君の名は』(53~)で、春樹と真知子の愛の障害となる憎まれ役が「公務員は事なかれ主義が一番だからね」と卑屈に笑う役場勤めだったところから始まっているのか。日本映画は伝統的に公務員に冷淡だ。もちろん映画人が育んできた気概の裏返しでもあるのだろう。だからなおさら、本作における宗形の〈お役所仕事〉な態度を、誠実な、ブレない良識として描く視点に、目を見開かされた。

 

 長身の内藤剛志がポーカーフェイスで演じる宗形は、まるで『十二人の怒れる男』(57)のヘンリー・フォンダのよう。惚れ惚れする。それにつられて、保健所内のシーンは細かいところまで目がいく。積み重なり、くたびれた書類ファイルの山によってOA化の進んでいない(予算の少ない)役場の雰囲気を一発で表現したロケセットの美術、素晴らしいです。宗形はきっと、あの書類一枚ずつに丁寧に目を通してきた人なんだろうな、とイメージが膨らむ。

 嫌われるのを恐れず、ハートウォーミングな同調圧力に負けず、正しいと信じたルールを守る宗形が〈敵役〉になることで、ペットを飼う人に必要な覚悟、愛玩用動物と使役動物の違い、そしてペットロスといった話題がドラマのなかにやんわり溶け込む。宗形のダメ出しは一種の行政指導でありつつ、芯に情のあるアドバイス。間瀬垣さんとその家族、同僚たちを、より良き人たちへと変えてくれる。宗形のようなオトナになりたい、とつくづく思う。

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 公務員のそこらへんの美点を、こんなによく描出している日本映画を見るのは、僕は初めてかもしれない。いろいろある批判意見も分かるが、こういう人たちが各市町村の行政の場で真面目に働いてくれているから、大臣がコロコロ変ろうと日本は決定的な社会不安を引き起こさずに済んでいる。そこは忘れてはいけない。わざわざキリギリス的生き方を選んでいる僕が、公務員へのあこがれを語るのもおかしなハナシだ。でも、無いものねだりの投影のなかに生き方のヒントを見つけられるのが、映画のよいところ、です。

ねこタクシー

監督:亀井亨

プロデューサー:飯塚逹介+森角威之 原作・脚本:永森裕二

脚本:イケタニマサオ 撮影:中尾正人 美術:西村徹 録音:甲斐田哲也 音楽:野中“まさ”雄一

出演:カンニング竹山 鶴田真由 山下リオ 芦名星 室井滋 内藤剛志 高橋長英 甲本雅裕

企画・配給:AMGエンタテインメント

配給協力:中目黒製作所

(2010年/カラー/106分/ビスタサイズ/DTSステレオ)

© 2010「ねこタクシー」製作委員会

6月12日(土)よりシネマスクエアとうきゅうほか全国順次公開

公式サイト http://www.nekotaku.info/