映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

映芸シネマテークvol.3「桃まつりの収穫まつり」トークショー<br>大野敦子 青山あゆみ 沖島勲

 6月8日の映芸マンスリーvol.3では、若手女性監督たちのオムニバス企画「桃まつり」をピックアップ。その上映作品の中から『感じぬ渇きと』(監督:大野敦子)『きつね大回転』(監督:片桐絵梨子)『みかこのブルース』(監督:青山あゆみ)『月夜のバニー』(監督:矢部真弓)『あとのまつり』(監督:瀬田なつき)の5本を上映しました。

 上映後のトークには、大野さん、青山さんに参加していただき、「桃まつり」が立ち上がった経緯から、その後日談などについてお話を伺いました。また、特別ゲストとして参加していただいた沖島勲監督からは、最近の自主映画の動向、あるいは若手監督たちへの思いなどが語られ、映画への熱い思いを持った若手とベテランの思いが交錯する楽しい一夜となりました。

(司会・構成:平澤竹識 構成協力:笠松勇介)

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――トークには今日上映された作品のうち『感じぬ渇きと』の大野敦子監督、『みかこのブルース』の青山あゆみ監督に参加してもらいます。それから特別ゲストとして『一万年、後・・・・。』の沖島勲監督にお越しいただきました。よろしくお願いします。まずは、お二人から簡単なご挨拶を。

青山 約95分の長い上映時間でしたけど、最後まで見ていただきましてどうもありがとうございました。

大野 去年やったものと今年やったものを混ぜた形で上映していただくのは初めてなので、来ていただいた皆さんにその辺りの感想も後々伺ってみたいなと思っています。上映に合わせて呼んでいただく機会があまりないので今日はすごく緊張してるんですが、お手柔らかにお願いします(笑)。

――話に入る前に、どうして今回「桃まつり」を上映したのかということを私からお話ししたいんですけども。今回は事前に編集長の荒井晴彦にも見てもらって相談したんですが、正直に言うと、「桃まつり」をやらなくてもいいんじゃないかという意見だったんです。ただ、「桃まつり」は興行的にも成功してますし、ネット上の媒体や批評を巻き込んでそれなりに話題も作りましたよね。そういうことは自主映画の企画上映としては非常に珍しい例だと思いますので、その成功の要因を掘り下げてみたいなと。それで上映させてもらうことにしたんです。それと、沖島監督に来ていただいたのはですね、かつて若松プロダクションというところで映画に関わられていた時期があって、今は大阪のCO2という自主映画の映画祭の審査員をやられたりしている沖島さんが、「桃まつり」のような企画、上映活動をどう見るんだろうと。その辺のことについて話していただきたかったんですね。で、まずは沖島監督に「桃まつり」の感想を聞かせていただきたいんですけど。

沖島 今日ちょっと風邪薬を飲んでまして、眠気がしていてちゃんとした話をできるかどうか心配なんですけど……(笑)。まあ、「桃まつり」は去年今年と続けて見せてもらって、とてもいいなと思ってました。CO2もやはり自主映画の映画祭っていうことで、ここんところ若い人たちが作る映画をたて続けに見てきましてね、とても希望を持ったんです。僕らは映画のいい時代をわりあい知っている世代なんで、そういう人間から見ると映画がどんどんつまらなくなってきてるのは事実なんですよ。だから、いいものを見たいって気持ちと反比例していくような形で、映画に対する関心や興味がだんだん低下していく、そういう気分の中で「桃まつり」やCO2で作られるような映画が出てきた。将来可能性のある映画ってのは、こういうもんしかないんじゃないかという気がしましたね。特に、女性が監督する作品がこれだけ出てくるのは人類始まって以来のことだよね、かつてはなかった。そこから言っても、これからとっても大きな意味を持つんじゃないかっていう気がします。

――そもそも、女性だけで企画上映することになった経緯はどんなものだったんですか。

大野 先ほど休憩の時にご挨拶をさせていただいた竹本直美が、その当時、万田邦敏監督と一緒に「十善戒」という短編の上映会を企画していまして、それがほぼ男性のみの上映会だったんです。それで、男性の上映会があるのであれば、女性中心の上映企画があってもいいんじゃないかという竹本さんの動機がまずありました。同時に、私は通常プロデューサーとして仕事をしていて、いろんな方とお仕事をするうちに、監督として商業デビューはしていないけれども、面白いことをしている人たちが自分の周りにいるという状況に気づいたんですね。その力がうまく外に出て行く一つのきっかけ作りの場にできたらなと思って竹本さんと一緒に始めたという流れです。

――その時は、大野さんが出られた映画美学校の人間関係が基本にあったんですか。

大野 そうですね、私は映画美学校に関わる以前は、学生時代に映画を撮っていたわけでもなかったので、必然的に映画美学校の人脈を辿ってという形になりました。

――最初は同期の方を中心に集めて上映会をしようというところから始まったと聞いていますが、今年、二回目をやるという時に僕が偉いなぁと思ったのは、一回目とは違うメンバーを大量に入れて普段の友人関係とは違う関係性のなかで企画されていたところでした。その時、メンバーを選ぶ基準はなんだったんですか。

大野 今までの作品を見せていただいたうえで、あとはご本人にお会いして「こういう企画なんだけれども興味がありますか?」というご相談をして、お互いに意気投合すればっていう形でやってきています。ただ、「桃まつり」は完全に自主制作・自主配給・自主宣伝の団体なので、他の誰かが動いてくれるというわけではありません。作品を撮るだけではなく、チラシを作ってそれを撒いたり、媒体の方に見ていただいたり、そういうことを含めて全部やっていかなければならない。上映する時にも、地方も含めて自分達で作品を持って回っていくので、この企画に関わる時間が非常に長いんですね。なので、そういうところまで含めて一緒にやれるかどうかということが重要になってきます。

――つまり、映画を撮りたいという気持ちだけじゃなく、上映や宣伝までちゃんと責任を持って付き合える人っていうことが大事なんですね。

大野 そうですね。

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大野敦子

――青山さんは、声がかかった時どういう感じだったんですか。

青山 私は映画美学校で大野さんの四期ぐらい後輩だったんですけど、大野さんがすでにプロデューサーとして活躍していらして、何度かお世話になる機会があったんです。それで久しぶりに電話がかかってきて、夏に撮りませんかと言っていただいて。それまでの私は、2002年に中編の映画を撮っていたんですけど、それ以来、自分の作品はなかなか撮れずにいました。シナリオを書いたり、人を集めたり、そういう部分でなかなか前に進めなかったんです。そういう時に大野さんから「一緒にやりませんか」と声をかけていただいたことがとても嬉しかったので、とにかくやってみたいなと思いました。

――条件を聞いてちょっと引いたりとか、そういう葛藤はなかったですか。

青山 その時はなかったですね。やり始めてから「おーっ」てなりましたけど(笑)。

――ここまでやらなきゃいけないのかっていうことですよね。それは例えばどういうことなんですか。

青山 まず映画を作るっていうことは、最初に自分でお金を作って人を集めてスケジュールを立ててどうやって撮っていくかということを考えなければいけない、それだけでもけっこう大変なもので。さらにその先に、たくさんの人に見てもらうためには何をしたらいいのかという問題もあります。撮っていない間は「こんなのやりたいな」という空想というか夢があるんですけど、いざ撮りだす段階になると現実が見えてきて、そのギャップがプレッシャーになることはありました。でも「桃まつり」は集団でやっているので、その辛さを分け合える良さもあったというか。

――沖島さんが若松プロにいらした当時はある種の「運動」として映画作りや上映が行われたところがあったと思うんですが、今はそういう動きがほとんど起こっていないじゃないですか。そういう意味でも、「桃まつり」のような動きが出てきたことは重要だと思うんですが、沖島さんが若松プロにいらした当時はどういう雰囲気でみんながワイワイ映画を作っていたのか、当時と今との違いが何かあれば話していただきたいんですが。

沖島 時代や風潮の違いみたいなものはありますよね。僕が若松プロにいたのは64~65年頃でしょ。世の中がなんとなく騒然としてて、若者文化って言うんですか、若者の勢いというのが世の中でも相当認められていたような時代だった。だから、そういう風潮の中で映画に限らず、演劇や他のいろんなジャンルが非常に勢いを持ってたってことはあると思うんです。だからといって、誰も彼もがやってたわけでもなくて、やってたのはよっぽど変わったやつらだったのかもしれない、結果的に言うとね。今、「桃まつり」のような企画が成立する背景には教育っていうのが大きいと思うんです。最近、大学にも映像学科や映画学科がずいぶん増えてきましたよね。僕は日大芸術学部だったんだけど、当時映画をやるっていうと日大しかなかったんですよ。それ以後、いろんな形で他の学校が出来てくると同時に、「映画」に代わって「映像」っていう言葉が使われるようになった。そういう形で映像メディアというものが世の中に拡大していったわりには、映画は興行的に下降していく。映画を教える大学は増えていくけど、その生徒たちの職場をみんなどこで保証してあげるつもりなんだろうっていうのはとても疑問だったの。卒業した後に仕事として成り立つのかってことには非常に無責任なことをやってんじゃないかと。そういう状況が続いて、映像学科は出たけれども仕事に結びつかないでいる人たちがものすごく増えてきたわけでしょ。せっかく勉強し始めたものをなんとか形にしたいって気持ちはおそらく世の中に充満してたと思いますよ。そこで、「桃まつり」やCO2のようなものが回を重ねていくうちに、みんな一本監督やって形にするというのはいいことじゃないですか。その後に何かやれてるのかっていう問題はまた別にあるんだけれども。でも、「桃まつり」の女性という括りは面白いと思う。商業映画はだいたいジャンルで括っていくじゃないですか、アクション映画だとかホラーだとか恋愛映画だとか。ところが女性っていう括り方をすれば、なんでもありっていうことになる。ピンク映画がそうなんだよね。ピンクっていう括りがあるがゆえに、内容的にはどんなものでも入れることができる。そういう自由さがあると思うんですよ。

――今回「桃まつり」が偉いなと思ったのは、まぁ大野さんがユーロスペースにいらしたことも大きいとは思うんですが、上映の場所を自分たちで確保して、いわば一人映画祭みたいなことをやったわけじゃないですか。誰にも依頼されないなら自分たちで上映の場所を作っちゃえ、自分たちで祭にしちゃえとやっていく、それは面白いなと思ったんです。今日、休憩中に「傑・力・珍・怪映画祭」という企画上映の予告編を流しましたけど、同じような形で若い人たちが上映を仕掛けていくことができるんじゃないかと。

沖島 それは大野さんっていう個人の功績も大きいに決まってるんだけど、その背後にはスタッフがいて、キャストがいるわけでしょ。これってとっても大きいんですよ。この映画を支えた人たちをトータルすれば、相当な数の人間がいるわけだよね。おそらく、この勢いをとどめることできないと思いますよ。

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青山あゆみ

――そういう人たちの繋がりでお客さんが生まれていくということですか。

沖島 だと思いますよ。こういうものが結果として表れた時は氷山の一角みたいなもので、その潜在的なパワーはもっともっとあるんですよ。だからそういう意味で言えばね、もう勝負あった、もう大丈夫っていうくらいに強いものが根底にあると思う。

大野 そういうふうに言ってくださるのは嬉しいんですが、「桃まつり」も最初は映画美学校で一日だけ上映会をしようというところから始まって、その後、ユーロスペースでもやってみたらどうかという声があって、という経緯なので、具体的な戦略があったかと言われると全然そうではないんですよ。

沖島 それはね、誰も予想がつかないもんで、やってみたらこうだったっていうことしかないと思います。ましてやプロにだってそこまでは計算できないわけだもん。

――「桃まつり」をやるに当たって、何かモデルケースみたいなものはあったんですか。

大野 イメージリングスのしまだ(ゆきやす)さんがやっている「ガンダーラ映画祭」や「背徳映画祭」であったりとか、あとは映画美学校出身のオガワシンジさんというキャスティングディレクターの方がいるんですが、彼が自分で『Life』という映画をプロデュースしてユーロスペースで公開したことであったりとか、あとは沖島監督の『一万年、後・・・・。』も映画美学校時代の同期生の山川(宗則)君がプロデュースをしていて、上映活動まで中心になって動いていたんです。それで「あっ、自分の周りの人でもこんなことができるんだ」というか、「自分は何をやってんだ」とすごく思いました。とても悔しかったんですよ。なので、とにかく何かまずやりたいなと思った時に、竹本さんが「こんなのどう?」という風にきっかけを与えてくれて、なんか分かんないけどやってみようと、そういう感じだったんです。

――傍から見ているとすごくお客さんが入って成功したように見えるんですが、その過程ではいろいろと問題が起きたりとか、壁に当たったりとかあったんじゃないですか。

青山 うーん……壁はないですね。

――でも、みんな楽しくできてよかったよかったというわけでもないんですよね。

青山 苦労はもちろんありますし、三回目以降もっとたくさんの人に見てもらうためにはまた考えないといけない問題があると思うんですけど、女性だからといったらあれかもしれないですけど、映画を撮り終わって見にきてくださるお客さんがいて、それがあれば壁なんてあったのかしらって思っちゃうような感じでした。

沖島 これは女性に限らず学生を相手にしてる時もそうなんだけど、もう僕らの年代から見るとね、これだけ年齢が違って、時代が急激に変わってしまってみたいなことがあるでしょう、あるいは映画がフィルムからデジタルになるという変化もある。そういうなかで、今の若い人たちがどんな人かってのがはっきり言ってもう見当つかないってところが前提にあるの。いったいこの人らはどういうことを考えて、どういうことを面白いと思うんだろうかっていうね。ほんとのバカなのか、そうでもないのか、よく分からないっていう辺りをじっくり観察するところからしか付き合いが始まらないんですよね。つまり何が言いたいかっていうと、人間が変わりつつあるってことなんですよ。それは非常に微妙なことなんだけど、細胞が変わりつつあるなと感じるような変化が起きている。CO2の映画を見ても必ず感じることなんなんだけど、やっぱりそこと出会いたいんだよね。今日の5本の作品を見ても人間が変わりつつあるなあと感じるんです。もしかすると人間は怪物になるかもしれない。あるいは人間本来の姿というものがあるのなら、そこへ返っていくような変わり方をするのかもしれない。いずれにせよ変わっていってるのは間違いないんですね。

――そういう変化を若い人たち自身が表現してきてほしいと。

沖島 もうそれはとっても興味あるよね、そこしか興味がないっていうくらい。

――「桃まつり」に関しては本当にみんながやりたいようにやってるのが特徴だと思うんですけど、あまり意味不明なものは作らないでくださいとか、事前の取り決めはなかったんですか。

大野 今年に関しては、作品の中に「kiss」を入れてくださいということがありました。前の年はそこまでの規定はなかったんですが、20分前後という長さ、それから納期だけは決めています。ただ、『ユダ』(瀬々敬久監督)の脚本家、佐藤亜紀の初監督作である『emerger』は40分を超えているんですよ。一応規定はあるんですが、枷を設けすぎて世界観を縮めるよりは、やっぱり基本は自主映画なので、何かを作りたいっていう監督の衝動を大切にしたいというか。

――沖島監督は二回目になって全体のレベルが上がったんじゃないかとかおしゃってましたよね。

沖島 一回目のほうが映画にモデルを求めているような、何かモデルがあってそこへ映画を近づけようとする意識を感じるような作品がいくつかあったんだけど、今回それはもうほとんど感じなかったですね。要するに、それぞれに作る理由があるかどうかなんですよ。その作る理由が作品に出てるかどうかっていうことで言えば、みんなに作る理由があるなという意味で二回目のほうがよかったと思いますけど。

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沖島勲

――青山さんの『みかこのブルース』にはご自身の切迫した感情が結構入ってるのかなと思いましたけど。

青山 こういうものを作りたいという意味では、例えばあの主人公役の女の子に出会って、この人の生きてる感じを撮りたいとか、そういう思いはありましたね。先ほど沖島さんが言ってらした「人間が変わっていくかもしれない」っていう話で言うと、私個人だけのことかもしれないですけど、映画を撮るたびに人間らしくなっていくというか、人間らしさを獲得していくような気がします。それは映画を撮るといろんな人と関わらなきゃいけないということもありますし、やっぱり撮ること作ることで自分も変わっていったり、またその変わった自分が何かを作りたいと思って作っていくっていう、そういう何か……。

沖島 変わるっていうことでは、ユーロスペースに「桃まつり」を見に行った時に面白いことを感じたんですよ。芦澤明子トークをやる日に僕ものぞきに行ってね、打ち上げで女流監督さんたちと飲みながら少し話ができた。そうするとね、おしとやかな雰囲気の人やいろんな人がいるんだけど、全員に共通したものがある。それはおそらくね、監督したからそうなったんだろうと僕は思ってるんだけど、一言でいうと「体育会系」になってしまっている(笑)。現場をやるとねえ、さすがやっぱりそうなるんだなっていう。立ち居振る舞いからして体育会系だね。まあ「どすこい系」とでもいうか(笑)。ご本人たちは気が付いてないと思いますよ。それはすごいもんだなあと。だから、現場やるってのは面白いなあと思いましたね。

大野 それはやはり、色気が失われているという理解でよろしいんですかね……。

沖島 まあ非常に言いづらいことではあるんですけど、また別の色気とでもいうか……。

大野 ああ……。

沖島 いや、あの時ほぼ確信しました。僕も現場をずっとやってきた人間だったので、現場をやると体育会系になるのは男だから当たり前みたいに思っていたんだけど、女性もこうなるんだっていうのが新鮮な驚きでね、面白かったねえ。いいことだと思いますよ。とにかく僕は女性が活き活きと仕事しているってのがすごく好きなんですよ。生意気な女性っていうのも好きだし、とにかく女の人がガンガン何かやってくれるってのは嬉しいね。僕は全体的にそういう世界観だね。女性が元気がないのはよくないですよ。

――時間がちょっとないんで、最後に沖島さんから一言ずつお願いします。

沖島 次は他流試合やって欲しいですね。老人監督対「桃まつり」監督なんてのはどうでしょう。

――それは沖島さんが仲間に入りたいという……(笑)。

沖島 いやあ僕は必ず負けるんじゃないかと思います。でもそういう他流試合、ぶつかり稽古ってことだよな。そういうことも考えてみたらどうかと思う。

大野 そうですよね。やっぱり女子の括りがあるんだったら男子の括りがあってもいいんじゃないかという話になるんですよね。

青山 私は今下町が舞台の下町ラブコメを撮ろうと思って話を考えているので、今日こういった機会で皆さまが見にきてくださって、またそういった作品ができたときにはぜひ見に来ていただけるようにがんばりたいと思います。あと、沖島さんとの他流試合も……。

沖島 お願いします(笑)。

桃まつり公式サイト http://www.momomatsuri.com/

※次回の映芸シネマテークは9月1日(火)開催。「インディペンデント映画の変遷」をテーマに井土紀州監督の1998年作品『百年の絶唱』と昨年の水戸短編映画祭でグランプリを受賞した今泉力哉監督の『微温』を上映します。ゲストトークには井土監督、今泉監督の他に、映画芸術からも脚本家の荒井晴彦が参加して、近年のインディペンデント映画について語ってもらう予定です。どうぞお楽しみに(詳細はこちら)。