映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

「脚本家 荒井晴彦」特集上映<br>荒井晴彦インタビュー

 『赫い髪の女』(神代辰巳監督)や『遠雷』(根岸吉太郎監督)、『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)や『ヴァイブレータ』(廣木隆一監督)などの脚本家であり、「映画芸術」の編集発行人である荒井晴彦の特集上映が12月6日から川崎市市民ミュージアムで開かれています。映画芸術DIARYでは今回の特集上映に当たって、荒井晴彦へのインタビューを行い、過去と現在の仕事について聞いてみました。

(取材・構成:平澤竹識)

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――当初は監督別に映画を上映する案や、年代ごとに上映するという案も出たそうですが、最終的にこういうプログラムの組み方になったのはどうしてなんですか。

 一人の脚本家の抱えているモチーフとかスタイルで観てよってことだよ。映画は監督の側からしか観られてこなかったわけで、いつも監督の世界で括られる。でも、脚本家の側から括れば、『遠雷』(81)と『噛む女』(88)は家族崩壊の明と暗を描いてるとか、『身も心も』(97)と『ダブルベッド』(83)は違う原作で同じ題材を描いてるとか、そういう共通性や連続性があるわけじゃない。

――僕自身は『ヴァイブレータ』(03)を観た後に『ベッド・イン』(86)の脚本を読んで、同じスタイルで書かれた脚本でも、完成した映画は全然違うものになるんだと実感させられた経験があるので、このプログラムの組み方はとても親切だと思いました。

 監督の側から観ていたら分からないことでも、脚本を書いた人間が同じということで観ていったら違う様相が浮かび上がってくるんだよ。『ベッド・イン』と『ヴァイブレータ』はどっちも字幕を使った映画だけど、それも監督がやってると思う人がいるわけじゃない。『ヴァイブレータ』の時は宣伝してる人たちまで、字幕をやったのは監督だと思ってたぐらいだから。

――荒井さんのフィルモグラフィーには『KT』(02)や『絆』(98)、『皆月』(99)や『眠らない街 新宿鮫』(93)のように、男性的な世界を描いた映画の系譜もあると思うんですけど、今回はそういう作品がほとんど含まれていませんね。

 男の映画だからっていうわけじゃなくて、出来上がりにおれがいまひとつ納得してないというだけだよ。

――個人的には今回上映されない『ありふれた愛に関する調査』(92)や『もどり川』(83)のような作品に荒井晴彦的な世界が強く出ていると思うんですが。

 脚本はそうなんだけど、脚本の狙いと完成した映画のズレが大きかったからね。

――今回の特集ではトークのゲストが豪華ですよね。ただ、『Wの悲劇』(84)や『恋人たちの時刻』(87)の上映があるのに、監督の澤井信一郎さんは『猥歌』と『母子監禁』の日のゲストですし、根岸吉太郎監督も自作の『暴行儀式』(80)や『遠雷』の上映がない日のゲストになっています。これはどうしてなんですか。

 基本的に、監督は自分の作品を上映する時は呼ばないようにしたんだよ。「自作を語る」みたいなことはやめて、批評的にいこうと。蓮實(重彦)さんが「フランス映画の秘宝」のトークショーで、監督というのは自分の作品以外に興味を持たないのが普通だ、そういう監督が多い中で青山真治は他の監督の作品も平気で語るし「開かれた男」だと話してたけど、ほんとにそういう監督っていないんだよ。「映画芸術」に関しても、おれが監督の新作インタビューはなるべくやめようって言うのも同じ意図からなんだけど。

――自作について語らせるより、他人の作品について語らせるべきだと。

 そのほうが面白くない? 自作だと自慢か反省かしかないじゃない。結局、監督のインタビュー本ていうのは、あの時に現場でこうだった、ああだったみたいな話しかしてない。笠原和夫の本(「昭和の劇」)はそうしたくなかった。「ヒッチコック トリュフォー」も現場の裏話とはちょっと違うわけじゃないか。『Wの悲劇』を上映して、「あの楽屋口の階段で降りてくる時、刺されるショットはヒッチコックやってみました」って澤井さんが喋ってもいいんだけど。それじゃフツーでしょ。

――荒井さんが「映画芸術」を20年近くやってることも、そういう意識と関係あるんでしょうか。

 まぁね。シナリオライターになってみて、自分が脚本を書いた映画の評を読んだりすると、おれが書いたセリフなのに「○○監督らしいセリフだった」なんて書かれる。藤田(敏八)さんはずっと若者専門の監督と言われてて、『スローなブギにしてくれ』(81)と『ダイアモンドは傷つかない』(82)で初めて山崎努さんをメインに使って中年男を描くようになったんだよ。で、その後の『ダブルベッド』が30代の男女が中心の話でしょう。そうすると、評論家が「なんで今度は30代なんですか?」みたいな質問をするわけだ。けど、それは当時のおれが30代だから30代の話を書いてるだけでね、そのシナリオを監督が撮ったんだよ。映画の思想はシナリオにあるんだ。それなのに、映画のことは全部監督が決めてるみたいに思われることが納得いかなかった。その映画の世界を書いてるのはこっちだと思うわけだよ。

 映画っていうのは、企画を出すのが監督のこともあれば、脚本家のこともあるし、俳優の場合だってあるわけで、作り手が会社の注文を受けて嫌々やってる場合だってあるわけじゃない。それを一緒くたにして、「○○監督の世界」と論を立てていくことへの疑問ていうか、それは「映画芸術」をやってる1つの要因ではあるよね。

――荒井さんの映画からは脚本家の個性を強く感じます。でも実際は、脚本のテーマもスタイルも幅広いですよね。普通は、あるスタイルで成功した後はそれを守ろうとするものだと思うんですけど、荒井さんがそうならないのはどうしてなんでしょう。

 おれはそんなにいっぱい書いてこなかったからさ(笑)。でも、やっぱり常に違うことをやってみたいっていう気持ちはあるし、「物語」に飽きたという感覚もずっとあるからね。それに昔の監督のフィルモグラフィーを見たら、みんな何でもやってるじゃないか。そりゃ、小津さんみたいな巨匠は違うよ。巨匠はそれでいいかもしれないけど、おれはいろんなことやってこそプロだと思うからさ。プログラムピクチャーを観て育ってきたからね。

――世間的には、荒井さんは非常に頑固な人だと認識されていると思うんです。でも、本当に頑固ならこれだけ多様な作品は書けないですよね。

 そう思われるのは、みんながおれを誤解してるからだよ。今回もその誤解を解くために『新宿鮫』とか『絆』とかメジャーのエンターテインメント映画も入れたほうがいいんじゃないかって言われた。でもそれなら『MR.ジレンマン 色情狂い』(79)とか『快楽学園 禁じられた遊び』(80)とかのスラップスティックコメディもあるし、おれ自身そういう非常にナンセンスなものも好きだしね。でも、それじゃ18本に収まりきらない。

――これは今まで何度も聞かれたことだと思うんですけど、やっぱり女性を描くことへのこだわりみたいなものはあるんですか。

 おれが育ったピンクやロマンポルノというジャンルは女が主人公というのが前提だったからね。べつにおれが女を描きたいわけじゃなくて、それは会社の要請なわけ。女の裸があって初めて成立するのがピンクやロマンポルノだから。まぁ、かといって裸を出せばいいってもんじゃないだろうってことは考えたし、ヒロイン像とか主人公像とかを考える中で、自分の女性観や経験がいろいろ入ってはくるけどね。

――そういうジャンルの中で女性という存在を意識せざるをえなかったと。

 女を描くのが上手いとか言われるのはありがたいんだけど、現実には、冗談じゃないわよ、何が分かってんのよって感じなわけでさ(笑)。

 今日『ハッピーフライト』を観てきたけど、あの映画にはキャビンアテンダントがたくさん出てくるじゃない。でも、「女」というだけで、それ以上でも以下でもない。まぁ、群像劇だからしょうがないのかも分かんないけど、キャラクターに名前が付いてても、その人間固有の何かが見えないんだよ。職業は描いてるかもしれないけど、人間を描いてない。おれは職業だけじゃないところの人間の何かを描きたいと思ってきたからさ。

――荒井さん自身が脚本を書いている時に、ここまで書ければOKという基準はあるんですか。

 ちょっとした仕草とかセリフとかで、この女はこういう人間なんだって捕まえることができればね、いけるかなとは思うけど。そういうディテールを見つけるのが大変なんだよ。変わったことをさせたり言わせたりすれば、いいってもんじゃないからね。

――荒井さんはよく、かつては映画の中に自分を探してたとおっしゃってますよね。だから、みんなが良いと言う黒澤明の映画は観なかったんだと。僕は、荒井さんの映画に自分を見つけて慰められたほうなんですね。ダメなのは自分だけじゃないんだと。それで思うのは、荒井さんは自分がかつて求めていた映画を、ずっと作ろうとしてきたんじゃないかということなんですが。

 おれは18歳、19歳の時、どうやって生きていけばいいんだって、生きるモデルを映画の中に探してた。そして自分よりも暗いというか、悲惨な人生を生きてるヤツが出てくると、おれなんかまだマシじゃないかと元気づけられたんだ。だから、本当の映画ファンではなかったと思う。映画はおれにとって娯楽じゃなくて人生論だった。だから、情けない人間やダメ人間を描くことが多い。ダメでもいいんだよと。

 『ダブルベッド』の中に、岸部一徳がセックスの後でお尻出したまま「戻ってきてくれ」って大谷直子に頭を下げるシーンがあるけど、それを「こんなのみっともない」って言う人もいるわけでさ。そういう人たちに向けては作ってないっていう気持ちはあるよ。

――でもステップアップするに従って、より多くの人に受け入れられる映画を作ろうという欲が出てくるものじゃないんですか。

 表側だけ描いてても面白くないんだよ。やっぱり裏側もあるのが人間じゃないか。街歩いて、こいつらみんなセックスしてんだなと思ったら、それってなんか異様じゃない。つまり、人間には動物的なところもあるんだけど、それも含めて人間なんだとみんな平気で肯定してるわけ。でも、そういう人に限って自分の動物的なところには目を向けないで「エロ映画はいけない」とか言うんだよ。

 かつてロマンポルノが猥褻罪で摘発されたこともあったけど、猥褻の基準は時代ごとにどんどん変わってるわけじゃない。今ならヘアはOKになってるけど、ロマンポルノはヘアを映してなくても罪に問われた。でも当時、寺山修司が言ったんだよ。ヤクザ映画や時代劇で人を殺しても殺人罪に問われないのに、なんで映画の中でセックスしてると猥褻罪に問われるんだと。明快でしょう。結婚してなくて子供ができるとダメと言い、結婚して子供ができないとダメと言う、そういう世の中のおかしさに対する違和感はおれの中にずっとあるからね。100人いたら100人にウケる映画を作りたいとは思わない。

――若い頃はみんな自分の汚さみたいなものに敏感だったりするじゃないですか。ただ、大抵の人は年を取るに従って、そういう感覚を鈍らせていくし、そうしないと生きづらくなるんだと思います。でも、荒井さんは自分の持ってる汚さとか、日本人の持ってる汚さというものにずっと自覚的ですよね。

 でもさ、そういう意味では、いわゆる普通の生活をしてないってことのツケが今になってまわってきてると思うんだよ。映画に対してはニュートラルな姿勢で居続けようという思いはあるけど、そのぶん普通の社会人としての何かを放棄してるのかもしれない。最近、そういう反省はありますよ(笑)。「家庭が幸せなやつに良いシナリオは書けねぇよ」って平気で言ってるけど、おれはシナリオのために何かを犠牲にしたのかなっていう。

――『やわらかい生活』以降、新作が公開されていませんが、それは荒井さんの社会や人間に対する批評精神みたいなものが映画業界に受け入れられないということなんでしょうか。

 自分では何でも書くライターだと思ってるんだけど、世間がそうは認知していないってことがあると思う。荒井といえば“男と女のグチャグチャした話を書く人”ということで通っちゃってるんだよ。それに面倒臭そうな脚本家だと思われてるからね。それは「映画芸術」をやってることも関係あるんじゃないかな。他人の映画の悪口を平気で言ったりしてるから。

 この間、ロマンポルノの同窓会で中島丈博さんに「元気?」と聞かれて「仕事がない」と言ったら、「『母べえ』を批判なんかするからだよ。小津安ニ郎以来の映画監督芸術院会員を悪く言っちゃダメよ。でも『母べえ』良くないけどね」って。だから、もう口を閉ざそうかなって。

――それは業界の変化とも関係があるんですか。

 今は、当たるものが良い映画で、当たらないものは良くない映画という基準が蔓延しちゃってるから、「当たらなくてもいいから、良い映画作ろうよ」みたいなことを言ってると「キチガイじゃないか、こいつ」って思われて、なかなか注文はこないだろう。

 『おくりびと』が見事なのは、とにかく観客にウケるツボを押さえてるところだよね。さすがテレビの構成作家だなと思った。おれが観た時に隣りの席に座ってた男はメガネ外して泣いてたよ(笑)。まぁ、作るほうだって全勢力を傾けてそうやって作ってるわけだから、泣くのはいいんだよ。けどさ、泣くのと「この映画ちょっとおかしいぞ」と思うことは別。死んだ父親が石ころを握ってるのは、作り手や主人公にとって必要なんだけど、父親の側がその都合だけでいる。父親はいつあの石ころを握ったのか、主人公がそれを見ると確信してたのかと疑問が出てくると、あの映画の薄っぺらな作りが見えてくる。

――「当たらなくてもいいから、良い映画作ろう」という意識を共有できるプロデューサーや監督が減ったという印象はありますか。

 減ったと思う。撮影所の監督たちは当たるかどうかはおれたちの仕事じゃないという感じだった。それは宣伝部や営業部がやる仕事で、自分たちは良い映画を作るだけだと。だから、監督自らチケット売ったりするようになったのは90年代以降じゃないかな。

 おれも『身も心も』を撮った時にはチケット売ったし、『KT』で阪本とケンカした時もチケットは売った。でも、今はチケットを手売りするどころじゃなくて、監督とか脚本家が会社よりも「当てましょう」と思ってるんじゃないのかな。昔、作り手は会社とぶつかってたような気がするけど、今は最初から作り手と会社の意見が一致してるんじゃないかと思う。やっぱり『躍る大捜査線』(98)の興行収入が100億を超えた時点で何かが変わっちゃったんじゃないかな。

 昔の監督でも、評論家に誉められる監督と無視される監督がいて、無視される監督は面白くないから、評論家なんてどうでもいい、おれは当ててんだからっていう感じだった。逆に、神代さんとか藤田さんの映画なんかは、客が入らない二月と八月にいつも公開されてたんだよ。会社も最初から二人の映画で当てることを期待してないわけ。だけど、会社の重役が言ってたのは、要は名刺代わりなんだと。うちもベストテンに入るような良い映画も作ってますよっていう。出版社にとっての文芸誌みたいなもんだよね。どこの出版社も売れなくても看板として出してるじゃない。だから今に限らず、賞か客かみたいな二律背反はあるんだよ。作り手も何かを支えにやっていかざるをえないからさ。だけど言ってしまえば、客を入れて賞も獲るのが一番目指すところなわけですよ。ただ、それがもうどんどん乖離してるんじゃないのかな。

――映画化はされていなくても、『やわらかい生活』の後、脚本は何本か書かれてるわけですよね。

 脚本は書いたけど、なかなか成立しない。「退廃姉妹」(島田雅彦著)とか「この国の空」(高井有一著)とか「クルー」(石和鷹著)とか。あとは20年前に根岸とやろうとして流れた「オンリー・イエスタデイ」(清水辰夫著)もなんとかならないかって書き直したけど、うまくいかないね。

――それぞれの脚本で荒井さんが描こうとしたテーマは全く違うものなんですか。

 「退廃姉妹」は戦争が終わってすぐ占領軍用に国策売春施設を作った日本という国のありようと、戦争責任と戦後の問題。「この国の空」はみんな死ぬと思って妻子持ちの男に身を任せたのに、ある日突然に戦争が終わって良かったと思えなかった女の子の話。「クルー」はガンの妻の病院の待合室でナンパしてしまう中年男が主人公で、人間のどうしようもなさっていうかな、そういうものを描いた話。

――傍から見ている限りでは、最近、荒井さんの問題意識が戦争というものにグッと引き付けられている印象があるんですが。

 戦争を経験してる人たちが映画の世界でもどんどんいなくなっちゃてるからね。笠原さんが亡くなって、深作さんが亡くなってという辺りから、彼らがエンターテインメントの中に突っ込んできた「戦争」をどう継承するのかっていう意識はあるかもしれない。あとは、映画学校なんかで教えてるとさ、若い連中があまりにもそういうことに対して無知だから。

――このままじゃヤバいという雰囲気をじかに感じているわけですね。

 戦争みたいに大きなテーマを映画の素材として全然考えない世代なんだよな。おれたちが学生の頃は学生運動やってたから、世の中について多少なりとも考えてたわけだよ。でも、今の学生が書いてくるホンはホラーとかダラダラした自分探しみたいな話とか、しょうもないラブストーリーとかだから。

――最後の質問になりますが、今回上映される作品の中に荒井さんが驚かれた演出というのはありますか。有名なところでは、『赫い髪の女』(79)の中で荒井さんが「ラーメンを食べる」と書いたト書きを、神代監督は宮下順子さんが七輪を鍋にかけながらラーメンを食べるように演出したりとか、『母娘監禁』の中で前川麻子さんが冷蔵庫に入る芝居は脚本に書かれていなかったという話がありますよね。それ以外に何かそういう演出があったらお聞きしたいんですけど。

 んー…自分が書いてないことをやられて、それがおれより上行ってるなぁと思ったのはその二つじゃないかな。細かく言えばもっとあったんだろうけど。

〈今後の上映日程〉

12月20日(土)

13:30- 秘花(70分)

14:50- ゲストトーク足立正生・平沢剛

16:00- 暴行儀式(69分)

12月21日(日)

13:30- やわらかい生活(126分)

15:45- ゲストトーク:荒井美早・新藤風

16:40- 恋人たちの時刻(99分)

12月23日(火・祝)

13:30- 噛む女(102分)

15:20- ゲストトーク青山真治

16:30- 遠雷(136分)

12月26日(金)

15:30- 嗚呼!おんなたち 猥歌(83分)

17:00- ゲストトーク澤井信一郎中原昌也

18:00- 母娘監禁 牝〈めす〉(75分)

12月27日(土)

13:30- 身も心も(126分)

15:45- ゲストトーク:白鳥あかね・土田環

16:40- ダブルベッド(102分)

トークには毎回、荒井晴彦も参加します

詳細は川崎市市民ミュージアム公式サイトをご覧ください。

http://www.kawasaki-museum.jp/display/cinema/