映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『中華学校の子どもたち』 </br>言葉が形成されるとき、民族もまたつくられる<br> 金子遊(映画批評家)

中華街と中華学校  2009年に横浜が開港150周年をむかえるが、それは横浜中華街が同じだけの年輪を重ねてきたことを意味する。中華街を訪れる観光客は増えつづけているが、その形成の歴史を知る人は意外と少ない。横浜中華街の形成のうらには、欧米諸国による植民地主義日中戦争文化大革命といった世界史的な背景が濃縮されて詰めこまれているのだ。 chuka1.JPG  『中華学校の子どもたち』は、横浜山手中華学校の小学部1年生の日常を3年にわたって記録した映画である。さまざまな政治と歴史の苦悩を経験してきた華僑・華人の子どもたちは、現代ではむじゃきに学校生活を楽しんでいる。「華僑」は中華人民共和国の国籍を保持する移民のことだが、「華人」は現地の国籍をもつ2世、3世のことをさす。そして、子どもたちのほとんどが「華人」である。  この中華学校は中華街に店をもつ人などの子女が、日本にいながら中国語と中国文化を学ぶための学校であるから、授業は日本語と中国語(北京語)の二ヶ国語でおこなわれる。入学当初は授業中に日本語でおしゃべりしていた子たちが、徐々に中国語との混成的な状況に入っていくさまが映画のなかでとらえられていて、おもしろい。 chuka2.JPG チャイニーズ・クレオール  映画を観ながら耳をすませると、子どもたちが自然に独特のミックス言語を話していることがわかる。たとえば「我(ウォー)はねえ」とか「ニーはあっちいって」のように主語を中国語にしたり、名詞の一部を中国語にしたりして話す。どうやら中学生くらいになると、センテンス単位で日本語と中国語を自由に往還するようになり、また両者がセンテンス内で混淆した「ピジン語」を自在に使いこなしている様子である。  ピジン語は、もともと英語の「business」という単語が、中国語的に「pidgin」と発音されたのが語源だといわれる。つまり、貿易商人などの外部の人と現地人との間で、意思疎通のために自然につくられた接触言語なのだ。これが旧植民地で根づいて母国語になるとクレオール語となるが、中華学校における混成語はそこまでにはいたっていない。 chuka5.JPG  それにしても、この中華学校の子どもたちの軽やかな言語感覚はどこからきているのか。それを知るためには、横浜中華街の成立時にまで歴史をさかのぼる必要があるだろう。19世紀にヨーロッパがインドや清国を植民地化して、1853年にはアメリカのペリーが率いる黒船が横須賀の浦賀沖に現れる。そして、日米修好通商条約が締結され、それに沿って1859年に横浜に港が開かれた。  幕末に横浜が開港すると、多くの欧米人が横浜にやってきたが、彼らはヨーロッパやアメリカ本土からではなく、先に開国していた清国から移動してきた。このときに欧米人が居留地での生活のためにコックや会計係、通訳として連れてきたのが中国人だった。なぜなら、中国人は筆談で日本人と意志の疎通ができ、日本より先に開港していたので西洋流のビジネス習慣になじんでいたからである。最初から欧米の言語と日本語のあいだに立ち、両者を仲立ちする立場として日本にきた移民の末裔なのだから、言語感覚がすぐれているのも当然といえば当然なのだ。 chuka4.JPG 中華学校と歴史  『中華学校の子どもたち』という映画を観ていると、子どもたちの日常のドキュメンタリーや関係者のインタビューを通じて、その背後に中華系移民がもつさまざまな歴史性がみえてくる。そのなかでも、この映画の中心におかれているのが、1952年に発生した「学校事件」と華僑・華人アイデンティティの問題である。中国で何かが起きるたびに真っ先に反応し、翻弄されてきたのが、この移民者のコミュニティであったからだ。  1949年に、内戦で敗北した蒋介石ら国民党が台湾へ撤退すると、中国は2つに分裂した。それを受けて、中華学校でも1952年に「学校事件」が起きる。大陸系と台湾系が対立し、日本の警察が介入する流血事件となった。中華学校に台湾系が残り、校舎への立ち入りを禁止された大陸系の教師と生徒は、職場や住居を山手に移して仮設教室で授業を行った。これが後の「横浜山手中華学校」となる。台湾系の「横浜中華学院」は現在も中華街の内側にある。映画のインタビューにもでてくるが、いまだに華僑・華人の老年者のなかには、「大陸か台湾か」といった政治意識を鮮明にしている者が少なくないようである。 chuka3.JPG  このような分裂の背景には、やはり言語の問題が隠されているのだろう。多民族で広大な中国では地域によって方言の差が大きく、同じ国内どころか同じ省内でも言葉が通じないことがある。だから、海外にでた華僑の場合、言葉の通じる同郷者が助け合ってコミュニティを形成することになる。そして、商売をはじめた経営者が同郷の人をやとい、それが独立して同業を行うことがくり返され、同業者のコミュニティを形成するのだ。  このような集団化された華人社会の集団は「幇(パン)」と呼ばれる。これは外部の人間にはなかなか理解しづらいが、任侠的な性格があり、海外で一族や集団が経済的に助け合う反面、秘密結社的な働きをして黒社会や闇組織の形成にもつながったりする。ドキュメンタリー映画でそこまで踏みこむのは難しいかもしれないが、ぜひ続編を撮りつづけ、もっとも身近な「他者」である中華街の華人社会の本質に切りこんでいってほしいものである。 中華学校の子どもたち』 監督・撮影:片岡希 2008年/日本/配給:ブロードメディア・スタジオ/86分 11月22日(土)横浜ニューテアトルにて公開 12月6日(土)より銀座シネパトス他にて全国順次公開 公式サイト http://www.chukagakko-movie.jp/