「映画評ってのは、(その作品やジャンルが)好きなのに書かせるだけじゃ面白くなっていかないんだ。たまには、あの映画じゃノレない、書きたくないって言う奴に無理に書かせてみろよ」
夏がそろそろ始まる頃、本誌発行人がサイト担当・平澤青年へ怖い知恵を授ける場に僕は居合わせ、こっそり聞き耳を立てていたのだ。本サイトの批評がそれぞれ、本誌とはまた違う形で屈折率が高いのは、そのためだろう。もちろん加瀬修一の『ひゃくはち』評のように、好ましく思う映画をまっすぐ書いた好文だってちゃんとある。バランスは取れているとは思うが、たまによその映画評サイトを覗くと毛色の違いにびっくりすることがあるからね。
というわけで今回の試写室だよりも、やや屈折気味。(旅番組のナレーション調で)『真木栗ノ穴』と『ボディ・ジャック』、二本の異色作の見どころを求めて、秋の日本映画オルタナ街道を歩きます。
『真木栗ノ穴』
「書きたくない奴に書かせる」のは編集する側の企みとして面白い。しかし、書かされるほうはしんどい。これから紹介する二本についてはスミマセン、持ちかけられた段階ではおよそ感じるものが無くて、グズりました。しかし、“荒井メソッド”と格闘しないことには本サイトで書く意味自体が問われることになる。「じゃあどんなのがいいんですか」と聞かれて、「キネ旬ベストテンに入りそうなやつ」とうっかり答えたコンサバ野郎にこそ、チャレンジが必要かもしれない。
椎名林檎のアルバムみたいな漢字題名で原作が角川ホラー文庫だから、と、ほとんどイチャモンに近い理由でスルーしようとしていた『真木栗ノ穴』だが、いやいや、映画は実際に見なきゃ分からないもんですね! 自信を持って言うが、前半に関してはほとんど傑作である。
売れない作家・真木栗(西島秀俊)が編集者と会った別れ際、そういえば次回作の相談が無い、ああ切られた、とようやく気が付き、憮然と食堂に入ったら、パートの中年女(キムラ緑子)の部屋にずるずる上がり込むことになる。その間に独居の安アパートが空巣に入られ、被害者として週刊誌の取材に応じると、官能小説の連載を依頼される。構想に詰まっていたら、憂いのある若い女(粟田麗)が隣室に越してくる。壁にはこっそり覗ける穴が開いていて……。
ここらあたりのアレ、アレと話が転がる軽妙さ、カランと乾いた寂寥感には、うまいもんだと舌を巻いた。大人のホラ話を聞く味わいと言えばいいか。つげ義春の漫画や川崎長太郎の小説を読むと、どうにもさびしくておかしくて後を引く、という人が見たら、しみじみと嬉しいはず。
『真木栗ノ穴』
大体、西島秀俊が、ここまでファニーな可笑しさを放射する俳優だとは思わなかった。むっつりスケベで、マジメで短気で。本誌423号の対談での、森繁久彌やフランキー堺が大好きという発言をしっかり裏付ける快演だ。天下の二枚目でこれなんだから、すごい幅である。もし東宝の『社長』シリーズがリメイクされる日があれば、小林桂樹がよくやってた部下役はきっとこの人の当て書きで話が進む。本作では時々、往年の小泉博そっくりの表情でゾクッとさせてくれる。
ところが、本題である妖異譚が本格的に進行し始めると、おかしな味がみるみる消えていくのである。僕が大事なポイントを見逃している可能性もあるが、後半には何かこう、意外な展開に向けてルーティン通りに進みますみたいな、やや窮屈な印象を受けた。恐怖/幻想ジャンルへの理解が全体的に足りない人間なので、本作の向かう先が円朝の「怪談牡丹燈籠」とどう違うのか、よく分からないのが正直なところ。
真木栗の部屋には、胸の膨らみがピチピチと眩しくて健康的な……こういうオッサンな表現がよく似合う若い女性編集者(木下あゆ美)が定期的に訪ねてくるのだが、近くの美女より、あっちの世界のほうがいいものなのだろうか。あっちの世界の女を演じる女優さんもすこぶる魅力的だから、いいのか。そういうところはもっと素直に楽しむべきなのかもしれない。
『真木栗ノ穴』
ひとつ浮かんだのは、妖異譚の当事者になる真木栗の、売れない作家という設定がややアイマイ、記号的じゃないかという疑問だ。彼が売れないのは〈才能があるのに〉なのか、それとも〈才能が無いから〉なのか、前段でハッキリさせていないから、覗き穴の秘密をきっかけにスラスラ評判のよいものを書けるようになる面白さ、怖さが出ていない。
〈才能があるのに売れない/食えない〉のか、〈才能が無いから売れない/食えない〉のか。
これは本作だけでなく、古今東西の小説や映画の作者が登場人物に対して、意外と突き詰めていない命題だ。実際にはかなりの大問題。僕なんか、二十代の大半の時間をこの自問自答のループ状態で消費したといっていい。三十代になり、オレは前者だ、そう思い込む! と決めた途端、どんなに楽になったか分からない。
今日も街のあちこちで若くて貧しい奴らが、オレは、ワタシはどっちだ?……と息を潜めながら生きている。ビートたけしが池端俊策ドラマの大久保清役以来のベレー帽を被った『アキレスと亀』のように、〈才能があるのにそれを自分で自覚しコントロールできない。だから売れない/食えない〉画家のフクザツな例を見てしまうと、ますます悩みは深まるだろう。有名になれるかどうかなんて、もっと遠い先のゼータク極まる話なのだ。
一方で、才能の有無や将来なんてグズグスと思い患うな、要はやる気だ、とにかくやる! と腹をくくるガッツや勢いが必要なのもまた確かで、『真木栗ノ穴』の企画・プロデューサーを務めた人が監督した『ボディ・ジャック』は、コピーライターの主人公が怪奇というか藤子・F・不二雄のSF(すこし・ふしぎ)漫画的な経験を糧に、ほとんど力づくで小説を書き出す。
映画ファンを長くやっていれば誰でも、ちらしやポスターから当たり外れを嗅ぎ取る感覚は鋭くなる。出来ればスルーしたい匂いが濃厚に漂っていた『ボディ・ジャック』だが、いやいや、映画は実際に見なきゃ分からないもんですね! 不安に思っていたよりも、もっとヘンな映画だった。あまり見てないくせに自信を持って言うが、本年度の日本映画屈指の怪作である。
『ボディ・ジャック』
ストーリーを丁寧に紹介したら、かえってややこしくなる。とにかく、幕末の歴史ファンにはおなじみの土佐藩士・武市半平太の霊魂が主人公に憑依するのだ。そうして、人に憑いては犯罪者にしてしまう岡田“人斬り”以蔵の霊魂をあの世に戻すため、一緒に探し回る。
H・G・ウェルズが発明したタイムマシンで現代に逃げて来たジャック・ザ・リッパーを、責任を感じたウェルズ本人が追いかけるオモシロ映画『タイム・アフター・タイム』(79)が、参考になってないはずは無いと思われる。しかしこちらは、霊魂が自分の信条や性質と通じる人間に憑くアイデアがプラスされているから、もっと賑々しい。そして、やっと見つけてからが凄い。
合わせて四人が対決し、シャープで感心する殺陣があり、どうなるかと思ったら、武市と以蔵がともに慕う“あの人”が後光とともに空から降りてきて「おまんら、いつまで小さな恨みにこだわっとるんじゃ。心はいつも太平洋ぜよ。ニッポンの革命はこれからぜよ」みたいなことを言って笑うものだから、なんだかみんなすっかり嬉しくなるのだ。予想外の展開とは、こういうことを言う。
こう書くと、けっこう面白そうじゃないか、と好事家には思ってもらえるだろうし、実際そうなのだが。
なにがヘンかというと、演出が、なのだ。途中まで僕は、それこそ80年代まで生きた香港の映画人の霊魂が、監督にボディ・ジャックしているのではないか、と半分本気で疑った。登場人物の喜怒哀楽や行動の振幅がストレートというか、メリハリが効き過ぎているというか、ちょっと日本人離れしているので、昔の香港映画(しかも未公開でビデオ化のみのやつ)を見ているような錯覚に陥る。それに、知り合いのアマチュア芝居をお義理で見に行ったら一番前の席しか空いておらず、至近距離で「お母様!」とか熱演されて生きた心地がしなかった経験が誰でも一度はあるかと思うが、あれぐらいのナマな痛痒さで、硬くて強引に熱いセリフ(しかも主に全共闘世代の詠嘆とくる)が、バンバン客席に向かってぶつけられる。
『ボディ・ジャック』
といってその熱を浴びる時間は、ただの苦痛ではない。独り善がりの珍品に限りなく近いのだが、そう簡単には片づけさせないものが、『ボディ・ジャック』にはある。
ここは不要、ここは直したほうがいい、などと冷静に診断したら、監督のやりたかったことは全て無くなるだろう。そう思わせるほど抜き差しならない、映画作りに打算抜きで賭けた情熱、と表現するより無い剥き出しの何かが、妙に僕の胸を打つ。
それはフルチンというか、スッポンポンというか……。和製フルチン映画と言えば、今年は松井良彦の『どこに行くの?』があると思っていたが、『ボディ・ジャック』もかなりのブランブランだ。高橋洋の『狂気の海』はどうだと問う人もあろうが、ああいうのは僕の言うフルチン映画とは真逆。あれはあくまで修士論文映画で、銭湯に行ったらタオルで前を隠すインテリ向けだ。
誤解の無いようお断りしておくが、僕はもともと、シモがらみの冗談が大の苦手なのである。そういう僕が本作から受けたある種のショックで、フルチン映画というカテゴライズを提唱せざるを得ない。「あいつはスッポンポンのまま脱衣所を出て煙草を買いに行ける男だよ……」 これは、男が男に捧げる感嘆の言葉としてはかなり高レベルなのだ。仲良くなりたいかどうかは別だが。
『ボディ・ジャック』
あえて休日にオルタナ街道散策コースを選ぶ人には、けっこう良く出来ていて面白い『真木栗ノ穴』はもちろんとして、良く出来ているなどとは絶対に思わせないのに爽快感がある難物、『ボディ・ジャック』の存在は伝えておきたい。アナタがどんな異形の映画でも好きなのは本当か? 自分の価値観を脅かしてくるものに対しては、「こんなもの映画じゃない!」と実は排斥的態度を取るのではないか? と、踏み絵を強いるような一本だ。どうかすればエドワード・D・ウッドのブームのように、カルト的な文脈のほうから浮上する可能性を持っている。
先日、すでにその可能性の種が蒔かれた。09年度東映ラインナップ発表の席で、実験的な脇役俳優育成システムが発表されて話題を呼んだが(三人の若手がこれから東映のどの作品にも出演、往年のピラニア軍団を目指す!)、抜擢された一人、笠兼三こそ『ボディ・ジャック』で“あの人”をやたらと気持ちよさそうに演じた俳優なのである。
『真木栗ノ穴』
監督・脚本:深川栄洋
脚本:小沼雄一
原作:山本亜紀子
撮影監督:高間賢治
音楽:平井真美子+采原史明
制作プロダクション:べんてんムービー
製作:ネオ+ライツマネジメント
配給:ビターズ・エンド
2008年10月18日 ユーロスペースにてロードショーほか全国順次公開
公式サイト http://www.makiguri.com/index.html
『ボディ・ジャック』
監督・エグゼクティブプロデュース:倉谷宣緒
脚本:藤岡美暢
原作:光岡史朗
撮影監督:早坂伸
音楽監督:水澤有一
出演:高橋和也 柴田光太郎 安藤希 星ようこ 浜田学 笠兼三
企画・製作:アリックスジャパン+ベンテンエンタテインメント
配給・宣伝:太秦
2008年10月25日 キネカ大森にてロードショーほか全国順次公開