映画芸術

脚本家荒井晴彦が編集発行人を務める季刊の映画雑誌。1月、4月、7月、10月に発行。2016年に創刊70周年を迎えました!書店、映画館、Amazon、Fujisanほかにて発売中。

試写室だより『東京人間喜劇』<br>映芸ダイアリーズ

 本サイトで試写室だよりを執筆されている深田晃司監督の新作『東京人間喜劇』が10月11日(土)からアトリエ春風舎にて公開されます。本作は深田監督が所属する劇団「青年団」が制作から興行までを行い、オールキャストを「青年団」の俳優によって固めるという新しい形で作られた映画です。

 前作『ざくろ屋敷』が評論家の山田宏一さんに絶賛され、パリで開かれるKINOTAYO映画祭にも招待されるなど、期待の若手監督が前作から一転、実写で撮り上げた新作やいかに?!映画芸術DIARY初のクロスレビューによるご紹介です。

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 『東京人間喜劇』は「白猫」「写真」「右腕」の3つのエピソードで構成され、そのすべてが辛辣な人間観で描かれている。中でも印象的なのは、「写真」というエピソードである。主人公のハルナはカメラマンを気取り、ギャラリーを借りて初の個展を開催する。彼女の無知や無邪気さを擁護しようとは思わないし、彼女はきっと「写真」という表現ではなくて、「写真」を撮っている自分が好きなのだろう。人は自分がやっている事は素晴らしく、意義があるのだと思いがちだが、実際は他の人間には何の関係も意味もない。以前、深田監督が言っていた「人間はみな等しく価値がないという所から、僕の作品づくりは始まっている。」という言葉を思い出した。確かにその通りだと思う。人間なんて大したもんじゃない。でも、それでも何か人って良いもんなんじゃないか、という救済に繋がるユーモアが欲しかった。それにしても監督、女性に対して厳しいな。ぜひその辺を一度聞いてみたい。

text by 加瀬修一(ライター)

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 アルトマンの『ショート・カッツ』(94)やアンダーソンの『マグノリア』(99)は群像劇の手法を洗練させたが、多視点の同時進行的な物語によって、より大きな社会や事件の全体像を浮かびあがらせる「グランドホテル方式」の域をでないものだった。一方で、タランティーノによる『パルプ・フィクション』(94)やイリニャトゥの『アモーレス・ペロス』(00)は、各挿話を事件によってつなぐ「オムニバス方式」という物語構造上の冒険にでたが、これは物語が機能不全に終わる危険性をもはらむ、群像劇としての賭けだった。

 深田晃司の『東京人間喜劇』は、これら2つの潮流を踏まえつつ、群像劇のナラティブをさらに進化させようとする野心的な映画である。深田はバルザックの人間喜劇からとりこんだ「人物再登場」の手法を使う。この「Aという挿話の脇役が、Bでは主人公となる」手法は、オムニバス方式の3つの挿話を破綻なく細部でつなぐと同時に、各挿話を重層的に作用させてクライマックスへといたる、グランドホテル方式の美点を継承している。

 近年の映画における群像劇の隆盛が、単一的な視点だけでは複雑化した現代社会をひもとけないというところにあるなら、さまざまな人種や階層へ分析的なメスをむけるときに力を発揮する人物再登場の手法は、戦略的にきわめて有効である。リヴェットとまったく別の方法でバルザックを援用してみせる、深田晃司のこの古いようで映画にとっては新しい方法論は、群像劇に1つの可能性を示そうとしているようだ。

text by 金子 遊(映画批評家

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 並んで座った二人の女性が、じっとステージ上の一人のダンサーに視線を向けている。二人とも口々にこのダンサーのファンであることを告白するが、画面を見ていても、二人の女性が一体どのくらい好きなのか、いまいち伝わってこない。興奮しているとも、ましてや熱狂しているとも思えない。本人役として登場しているダンサーが、実際の公演とほぼ同じ状況の中、力のこもったパフォーマンスを披露し、それを二人の視線としてキャメラが的確に画面に切り取ろうとするが、被写体の距離といい、編集のリズムといい、驚くほど熱はこもってこない。このように、映画全体を通して『東京人間喜劇』の監督は、登場人物と、それを演じる役者と、あくまでも一定の距離を取りつづける。「スクリーンを青年団の俳優で埋め尽くしたいという欲望に突き動かされた」と監督は語っているが、ではその欲望にはたして「愛」はともなっていたのだろうか。三話のエピソード中、ついぞただ一人の女優も輝く瞬間が訪れなかったのは、映画として淋しい事態だと、私なんかは思ってしまう。

text by 近藤典行(映画作家

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 日常知っている人間のつくった映画を観るというのは、ほんとうに困る体験なのだが、今作の場合は観る前に抱いていた警戒心が、鑑賞後、いや、始まってすぐに、実に卑小で馬鹿らしい身構えだったことがわかった。面白い。見事なものだった。深田晃司が世に知られているのは『ざくろ屋敷』の作者としてだろうが、あれは絵画構成と音響による映像作品で、「映画」でもあるのだが、ごくごく一般的な感覚からの、演技演出、実写によってできているようなものと言う意味での「映画」と若干違っているので、彼の力量というか手さばきというかがいかほどのものかはまだわからない。しかも、私は『ざくろ屋敷』以前の彼の作品を観ており、それらは、悪くはないが決定的なものを欠く、ほとんどしつこいだけのようなねばり強さのなかに生硬な引用がゴロリゴロリと入ったわりと長尺めの自主映画に見えた。それで今回、バルザック「人間喜劇」に想を得た、山中貞雄前進座のように劇団青年団と協働、とうたっていて、これは警戒してしまう。が、よかった。不明を恥じた。脚本がいい、設定、構成がいい、都市的な人間関係の交錯が巧みに出ている。なかなかに意地の悪い人間観察が登場人物のキャラクターに込められている。映像にも細心な注意が払われていて、映画史的意識もいきわたっているが、それに萎縮し縛られてはいない。保護されまくった近年のフランス映画あたりの勘違いを正す映画である。映画をつくるのだ、という意志と、それを貫くために知性と愚直さをつくす。そうすればさほどお金をかけずとも、エンターテインと表現の視野狭窄的二分法を無効化する、愉しみにあふれた映画を実現できる。

 上映後、監督と話をした。今作の部分に即して語るうちに、ヌーベルヴァーグという現象に関連した固有名詞が頻出したが、そこには過剰な崇拝も衒気もなく、ただ参考と発想の源としての自然な敬意があった。楽しい会話だった。

 少しひとを選ぶ映画かもしれないが、『東京人間喜劇』が多くのひとに観られて欲しい。深田晃司のこの次の映画も観たい。

text by CHIN-GO!(映画感想家)

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 映画の「孤独な主人公」が本当に孤独であることは稀だ。それは往々にして、やがて成就する愛を輝かせるための設定であるにすぎない。しかし、深田晃司の新作『東京人間喜劇』は本質的な意味において人間の孤独を描き出すことに成功している。

 何より、三話からなるオムニバスの、各話の主人公が別の話では脇役になるという構造自体が世界のありようを的確に表している。人間は誰しも人生の主役であるが、世界に出ていけば脇役となる。それが自意識と他者の認識との間に齟齬を生み、孤独という状況、心情をもたらすのではないか。だからこそ、この映画で描出される孤独を見た我々は、共感とは異なる位相で戦慄を覚えざるをえない。物語から逆算したキャラクターを各人物に担わせるのではなく、その造形の多くを役者に依拠したと思われる演出もまた、全員が自分(主役)であり全員が他者(脇役)であるという世界の実相を描き出すことに貢献していた。

 いずれにしても深田晃司の新作は映画と呼ぶに相応しい、知性と技術の結晶である。だが欲を言えば、私はこの他者との断絶の先にある(かもしれない)愛を見たいと思った。真の孤独を描ける作家には、きっと本当の愛が描けるはずだからである。

text by 平澤竹識(本サイト編集)

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 見た直後、面白かった、和製「恐怖分子」の誕生だッと本人に伝えたら、すかさずCHIN-GO!に「あれはオムニバスじゃないですよ」、脇からボソリと突っ込まれて、揚德昌を引き合いに出す自信がつい揺らぐのだった。緊張感の持続に感心する一方、才気と頭でっかちが紙一重に見えるのは事実。新百合丘で一部ロケのためか、要はまだ演出力がナイーブなのか、時々、まるで日本映画学校の実習のように無防備になる。しかし、イシパシさんがあんな振られ方をするのはなぜ? とか、美人だけど忠直卿みたいなハルナがさすがにカワイソウ! とか、役名を覚えて物語のその後が気になるのは僕には珍しく、それこそ青年団作品ならでは、深田さんの狙い通りなのだろう。監督と小説家は違う、映画を作る人が人間嫌い(女嫌いか?)のシニカルさを押し通してはいかん、と思うが、一度とことんやりたかった気持は少し分かるし、実現させた粘りにも敬意。「ミュージック・マガジン」の10点方式を真似ると、【8】。

text by 若木康輔(ライター)

東京人間喜劇

監督・脚本:深田晃司

総合プロデューサー:平田オリザ

プロデューサー:宮田三清

撮影:藤井光 長野徹志 戸倉徹 宇野淳也 手塚奈美

照明:原春男 合田典彦 島田貴仁 加納俊哉

録音:高島良太 高島知哉 松井千佳 戸倉徹

整音:新垣一平 オンライン編集:浦部直弘

出演:足立誠 井上三奈子 荻野友里 角舘玲奈 志賀廣太郎 根本江理子 古舘寛治 山本雅幸 ほか

企画制作:青年団 /(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

10月11日(土)~19日(日) アトリエ春風舎にてロードショー!

★アフタートーク開催決定!

11日19:00の回 監督:深田晃司×多田淳之介(東京デスロック)

12日19:00の回 監督:深田晃司×瀬々敬久(映画監督)

◎KINOTAYO映画祭2008選出記念特別上映

平日17:50の回は映画「ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』

より」を上映します

公式サイト http://www.komaba-agora.com/line_up/2008_10/fukada.html