2001~03年にかけて制作されたインディーズ作品『演じ屋』は、既存のジャンルに収まりきらないストーリーや演出で他の自主映画とは一線を画し、全9話の連続もの(各話1時間程度)という斬新な試みで注目を集めた。そんな伝説的自主映画を監督した野口照夫の商業映画デビュー作『たとえ世界が終わっても』が8月25日から渋谷ユーロスペースでレイトショー公開される。
今回のインタビューでは、制作集団「主力会」の結成から、『演じ屋』の成功、テレビドラマの制作を経て、商業映画デビューをはたすまでの過程を辿りながら、本作に込めた思いや狙いについて訊いた。現場の助監督になる道を選ばず、ぴあフィルムフェスティバルなどの映画祭で賞を狙う道も選ばずに、「もう一つの道」を志向して映画監督になる夢を実現した野口監督の歩みは、映画の世界を目指す者たちに多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。
――『演じ屋』は全9話の自主映画ということで話題になりましたが、この作品を制作した主力会というのはどんなグループなんですか。
野口 元々は大学時代に作った映画の部活のような集団の名前なんです。『演じ屋』を作ったときは大学を卒業してましたけど、制作メンバーはほとんどが大学時代の仲間だったんですね。その後、主力会のメンバーがスタッフになってテレビドラマを作ったりしましたが、今回の『たとえ世界が終わっても』では音楽とメイキングのスタッフに入っているだけですね。
――大学に映画のサークルはなかったんですか。
野口 新設校だったせいで、そういうサークルはなくて、仕方なく自分たちで作ったという感じでした。僕は映画がやりたくて大学に入ったんですが、学校のことを大して調べずに受験したので、いざ入ってみたら映画を作る場所がなかった。それで、じゃあ自分で作るしかないかと、仲間を何人か集めたんです。カッコいいやつがいたら、とりあえず「役者やってみないか」と声をかけたり。そういうやつが何人か集まって主力会ができたんです。
――映画を作りたいという意識はいつごろ芽生えたんですか。
野口 物語を作るのは子供のころから好きで、始めはマンガ家になりたかったんです。でも、それにしては筆力が足りないかなと思っていたころに淀川長治さんの「日曜洋画劇場」で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たんですね。それまで映画に触れる機会があまりなかったので、映画ってこんなこともできるのかと思って、その夜に映画監督になろうと決めました。それが中学1年のときで、それからは浮気せずに今日まできてますね。
――ハリウッドの大作で映画に興味を持って、その後、マイナーな作品にシフトしていく人もいますよね。野口さんの場合はどうだったんですか。
野口 高校時代に散々ハリウッド映画を観たんですけど、どれも同じような作りで、結局『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を越えるSFも『ダイ・ハード』を越えるアクションもないなと思ったんですね。それからアメリカン・ニューシネマを観るようになって、こっちのほうがおもしろいなと思うようになりました。
――邦画はあまり観ていなかったんですか。
野口 僕が大学に入学した93年は、まだ邦画が停滞していたんですね。その影響もあって、日本にいたら良い映画は作れないんじゃないかという思いがありました。でも、そのころに友だちから岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』というドラマを見せてもらって、それが衝撃的だったんですよね。当時の僕は「こんなに何もない片田舎で映画を撮ろうたっていいもん作れねぇよな」なんて話を仲間とよくしていたんですが、あの作品はうちの近所で撮っていたんですよ。自分でも見慣れた風景なのに、そこで素晴らしい世界が作られていて、映画は場所じゃないんだと気付いたんですね。それがきっかけで邦画を観始めるようになりました。そうしたら、日本映画もおもしろいことに気付き始めて。ただ、あまり偏りたくなかったので、ちゃんと『スピード』とかも観てましたけど(笑)。
――野口さんは大学を卒業した後に一度就職してるんですよね。
野口 そうですね。そこはVPを作っているような制作会社で、ドラマや映画とは一切関わりのない場所でした。そこで得たものは大きかったんですけど、やっぱりドラマや映画をやりたいという思いがあって、3年ぐらいで辞めてしまったんです。結局、映画業界やドラマ業界にどう入ったらいいのかわからないままでしたけど、作りたいという思いだけは強かったので、仲間もいるし、自分のお金で作ってみようと。それで会社を辞めてすぐに『演じ屋』を作り始めたんですね。コネもないし、助監督を始める年齢でもないし、とにかくチャンスを掴みたかった。そのためには、とにかく目立つことをしなくちゃいけないと思って、周囲にも最初から『演じ屋』は連続物として全部で9本作ると公言していました。みんなには絶対ムリだって止められたんですけど、お金だけは貯めていたので、まだ高かったノンリニア編集のできる機材を買って、カメラもガンマイクもステディカムも買い揃えた。なんとしても成功させたかったので、『演じ屋』はけっこうお客さんに媚びている作品でもありますね。
――プロデューサー的な感覚もあったんですね。
野口 そっちのほうが強かったんじゃないんですかね。1話、2話ぐらいまでは監督としての頭も使ってたんですけど、だんだん9話をどう成立させるかということばかり考えるようになりました。9話を作れば絶対話題になるという確信があったんで、3話目ぐらいからは完全にプロデューサー的な頭の使い方になっていましたね。でも結果的に『演じ屋』は話題になったんですよ。ある映画館がつぶれそうだったときに『演じ屋』にお客さんが入ってつぶれずにすんだとか、そういう話をメディアが取り上げてくれて、DVDもそこそこにヒットした。結局、それがきっかけになって、アスミック・エースとテレビドラマを作れるようになったんですね。
――狙い通りの展開になったわけですね。
野口 CS放送やブロードバンドが普及し始めた時代だったので、テレビドラマと同じぐらいの長さで作れば、絶対買い手がつくだろうと思っていたら、実際その通りになっていったんです。だから最初、大学時代の仲間に吹いてたことが、そのまま実現してしまったという感じで、みんな本当に驚いていました。ただ、自主映画を正攻法で真面目に作っている人たちには、汚いやり方に見えたかもしれないですね。こいつらチャラチャラやってるなぁと。でも、そこは僕も開き直って、ぴあで賞を獲るような作品とは真逆のものを作ろうと思ってましたから。
――『演じ屋』はオープニングタイトルの出し方にしても、映像的なクオリティは自主映画のレベルを越えてますよね。
野口 それは意識してましたね。ドラマの本編中にテロップを入れたり、奇抜な格好をしたやつが唐突に出てきたり、そういうマンガ的な要素が当時のテレビドラマではまだ取り入れられていなかったので、そういう意味でも目立ちやすかったのかもしれません。
コミカル路線からシリアス路線へ
――『演じ屋』をきっかけにアスミック・エースとの繋がりができて、『駄目ナリ!』という連続ドラマを撮ったわけですよね。これは深夜枠のドラマだったんですか。
野口 よみうりテレビの深夜枠です。関西限定の放送でしたけど、『演じ屋』というわけのわからないものを作った20代の人間に12話全てのシナリオと監督を任せて、なおかつ自主映画しか作ったことのないスタッフまで使って、アスミック・エースって本当にすごい会社だなと思います(笑)。僕自身、『駄目ナリ!』はすごく気に入っているので、あまり多くの人に観られていないのは寂しいですね。いろんな人に「見て見て」と言いたい作品です。
――『駄目ナリ!』は『演じ屋』の延長線上にある、わりとコミカルな作品なんですよね。
野口 そうですね。簡単に言うと、深夜のコンビニエンスストアに駄目な人間が集まってきて、駄目なりにがんばるという話なんですけど。
――『駄目ナリ!』はプロデューサー的な感覚よりも、ディレクター的な感覚で作っていたんですか。
野口 完全にそうですね。この作品では脚本と演出に集中していました。
――『駄目ナリ!』が終わった後、『春 君に届く』という、よみうりテレビのスペシャルドラマを作ることになるわけですよね。それまでの作品がコメディー路線だったのに対して、『春 君に届く』や『たとえ世界が終わっても』はシリアス路線にシフトしています。その間に心境の変化みたいなものがあったんですか。
野口 実は『駄目ナリ!』が終わって、『春 君に届く』を作る前に『たとえ世界が終わっても』のシナリオを書いてるんですよ。それは今回、大森南朋さんが演じた妙田という男のアパートを舞台にした1話完結もので、3回シリーズの話として書いていました。そのときはテレビの深夜枠でやろうとしていたんですけど、いろいろな事情から実現しなかった。そのうちの1本が今回映画になったものなんです。たぶん『演じ屋』から『駄目ナリ!』と、テレビドラマを意識した作品を作ってきて、その後、だんだん映画にシフトしていこうとしている自分がいたんだと思います。元々、僕も映画をやりたい人間でしたから。でも、『演じ屋』や『駄目ナリ!』のようなテイストの作品を映画館にかけるのは違和感があった。だから『春 君に届く』もテレビの枠を借りながら、映画業界の人にプレゼンできるような作品を作ろうという意識がどこかで働いていたと思います。
――『春 君に届く』はきちんと物語の骨格があって映画的だと思いました。カメラマンの橋本清明さんを始め、スタッフにも映画の方が入っていますね。
野口 こんなこと言ったら、よみうりテレビの方に怒られちゃいますけど、明らかに映画を意識してましたよね。
――野口さんとしては映画を最終目標に据えて、そこに向かって作品を作ってきたということなんですか。
野口 それはありますね。『演じ屋』や『駄目ナリ!』も「映画を作るための布石となる作品」という意識がありましたから。ただ、今でもテレビドラマをおもしろいと思うし、また自分が作る可能性は十分あると思います。
――ということは、『たとえ世界が終わっても』は野口さんにとっては念願の映画作品ということになるわけですね。
野口 そうとも言いきれないんですよね。元々のシナリオがテレビドラマ用に書いたものだというのもありますけど、去年の年末に企画が再始動した時点ではネットシネマという話だったので。だから、シナリオを書き直したときもネットシネマのつもりで書いているんです。
――どの段階でこれを映画にしようという話に変わったんですか。
野口 初稿を書き上げて、シナリオを直しているころにネットと劇場の両方で公開するという話に変わってきたんですね。そのうち周囲の雰囲気が「映画なんだから」というふうに変わってきて(笑)。それでもまだ半信半疑でしたけど。
――それはシナリオの出来が良かったからではないんですか。
野口 それは僕もわかりません。気が付いたら季節が変わってたという感じで、この企画も気付いたら映画になっていた(笑)。本当にその境目がわからなかったですね。ただ、ネットシネマであろうと当然一生懸命やろうとは思ってましたし、シナリオには自分のやりたいことを書こうと思っていたので、べつに手を抜いたということはありませんね。
『たとえ世界が終わっても』でやりたかったこと
――完成した作品には自分のやりたかったことがある程度は出せたということですか。
野口 そうですね。ただ、最初にこのシナリオを書いたときは自殺サイトもタイムリーな話題だったんですけど、今はもう古くなっているし、そういう意味では全てが自分のやりたかったことだとは言い切れない部分もあります。とはいえ、この映画は自殺サイトだけをクローズアップしている話ではないし、企画としてこれが良いと選んでくれた人たちがいるのであれば、なにかしらこの話に魅力を感じてくれたんだろうと思って、シナリオは最初に書いたものよりも良いものにしようと努力しましたね。
――この物語に含まれるファンタジー性を意識して、映像はリアリズムになりすぎないようにしているのかなと思ったんですが。
野口 カメラマンやスタッフと話し合うときに「ファンタジー」という言葉を使ったことはなかったんですけど、みんながシナリオを読むなかで、現実なのか非現実なのかわからない、そういう世界を作りたいと思ったんでしょうね。それで自然とあの方向に流れていきました。カメラマンとは具体的に、ちょっと浮遊感のある感じにして、色を出し過ぎないようにしようという話はしましたけど。
――この映画を観るまで主演の芦名星さんと安田顕さんのことを知らなかったんですが、2人ともすごく良かったですね。安田さんの両親役で出演している平泉成さん、白川和子さんも魅力的でした。前作の『春 君に届く』でも役者さんがいきいきしていて、俳優の魅力を引き出すのが上手な監督さんだなと思ったんですが、キャスティングはいつも自分で決めているんですか。
野口 そうですね。今回は本当にわがままを聞いてもらえました。ほとんど全てのキャスティングについて希望が通ったんです。平泉さんの役は平泉さんを思い浮かべてシナリオを書いていて、キャスティングを決めるときに「平泉さんみたいな人がいいんですよねぇ」と言ったら、プロデューサーが打診してくれて。絶対に出てくれないと思ってたんですけど、引き受けていただけて嬉しかったですね。妙田の役も絶対に大森さんしかいないと思っていたので、出てもらえて良かったです。
――芦名さんと安田さんはどういう経緯でキャスティングされたんですか。
野口 主役をどうしようかという話になって、何人か有名な役者さんで出てくれそうな方もいたんですけど、どうもピンとこなかった。そんなときに、芦名さんの宣材写真を見たらイメージとぴったりだったんです。長い黒髪の和風美人で、一見気の強そうな女というイメージでシナリオを書いていたので。それから一度会って即決しましたね。安田さんが演じた長田役はイメージに合う人がなかなか見つからなかったんですよ。そんなときに、うちの奥さんが見ていた『ハケンの品格』というドラマをたまたま一緒に見ていたら安田さんが出ていたんです。そのときに「あ、いたいた」と(笑)。それからは速攻でした。すぐにネットで調べて、プロデューサーに連絡して。安田さんみたいにコアなファンがたくさんいるのに、テレビではまだあまり露出していない役者さんなら、お客さんも劇場に足を運んでくれるじゃないですか。『演じ屋』時代のプロデューサー感覚もあって、そういう判断も働いたんですね(笑)。
――『ハケンの品格』で安田さんが演じていた役柄は今回と同じようなものだったわけではないですよね。どうしてテレビで見た瞬間にピンときたんですか。
野口 シナリオを書くときに思い浮かべていたイメージにぴったり合ったというのが一番ですけど、この役はただの三枚目じゃ成立しないという確信があったんですね。完全な三枚目だと短期間のうちに芦名さん演じる真奈美と恋愛感情が生まれることに違和感が出るだろうと。だからルックスは二枚目じゃないと成立しない。そのうえで、ちょっと運動神経が悪そうだったり、ちょっと抜けていたり、そういう愛おしい雰囲気を持っている方が良かったんです。こんなこと言うと安田さんに失礼ですけど(笑)。
――野口さんにとって、キャスティングはかなり重要な要素なんですか。
野口 ものすごく大きいですね。そこがうまくいかないと、やる気も出ないです。
――野口さんは芝居のニュアンスを曖昧にせずに、きちんと撮られる監督さんだと感じたんですが、ご自分でお芝居の経験があったりもするんですか。
野口 それはないです(笑)。でも、演出するのはすごく好きですね。以前に演技経験の少ない女の子たちに演技を教えるような仕事をしたことがあって、そういう経験をするうちに演出する楽しさがわかってきて、目覚めちゃいましたね。
――わりと細かく言うほうですか。
野口 人によりますね。大森さんのような俳優は引き出しをたくさん持っているので、「今のは少しイメージに合わなかった」という言い方をするぐらいです。そうすると、また違う演技を見せてくれますから。
――最近、若手の監督は物語というものに距離を置いている印象があるんですが、野口さんの場合は物語の力を信じていて、それを語ることでしか描けない感情を描こうとしているように感じました。物語というものに何かこだわりはありますか。
野口 あまりそういうことを意識したことはないですね。ただ、物語を作ることがすごく好きなんです。日常の一場面を切り取ったような映画も観るのは嫌いじゃないんですけど、あまり自分では作りたいと思わないかもしれない。芝居の付いた映像を観たときに初めて良さがわかるようなものよりも、物語を簡単に説明しただけで「おもしろいね、それ」と言われるような作品を作りたいのかもしれないですね。
――物語がもたらす期待感や高揚感に魅かれるということですか。
野口 それは好きですね。これまで頑なに原作ものを断り続けてきたのも、自分で物語を作ることが好きで好きでたまらないからかもしれません。
――これからもオリジナルものにこだわっていかれるんですか。
野口 こだわりたいですね。時代の流れには逆行してますけど(笑)。
聞き手:平澤 竹識(「映画芸術」編集部)
『たとえ世界が終わっても』
監督・脚本:野口照夫
プロデューサー:山野裕史、東 快彦、森角威之
撮影・照明:安田 光/録音:深田 晃/美術:井上心平
助監督:中田信一郎/制作担当:中村和樹/音楽:花澤孝一、玉城ちはる
出演:芦名 星、安田 顕、大森南朋、平泉 成、白川和子 ほか
公式サイト:http://tatoe-sekaiga.jp/
8月25日(土)より渋谷ユーロスペースにてレイトロードショー